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しおりを挟むノア氏からの電話が鳴る。
マーヤに頼んで繋がないようにしてもらった。
いやな役目をさせるマーヤには申しわけない。
でも彼女も私がノア氏と別れるつもりだと知ると、どこか安心した顔をした。
ノア氏から離れてトールさんの原稿を読む。
彼とのことを忘れようとつとめている。
……——その日は、また珍しく雨が降った。
私は友達と別れてから、傘をさし帰路を急いでいた。空は明るいのに強い雨が降っている。不思議な天気だった。
むかいから黒い傘の男の人が歩いてくる。すれ違おうとした時腕をつかまれ、路地に引っぱりこまれた。相手の顔が視界のはしに見えた。
「ノアさん……」
「久しぶりだな」
せまい路地には雨が降りこまない。ザーザーと強い雨音が聞こえる。
ノアさんはすこし怖い顔をして私を見下ろしていた。
「なぜ私を避けるんだ?」
「…………」
「だんまりか」
責められている。でもこちらだって責めたいことはある。カーリンの夫のくせに他の女にも手を出すほうがおかしい。
ないほうがいい関係をないものにしようとして、叱られる筋合いはないのだ。
「ノアさんはカーリンの旦那さまなので」
「それははじめから知ってただろ?」
「思い直したんです。私はノアさんよりカーリンが大切なので」
「あんな世間知らずのお嬢さまがか?」
「私だってそうです」
「お前はちがうだろ……」
そう言って、ノア氏はしまったという顔をした。もうおどろかない。接するうちにだんだん本心が透けて見えるようになってきた。
ノア氏は私のことを明らかに下に見ている。
カーリンがいたって、きれいなことを言えばついてくる簡単な存在だと思われていたのだ。
「もうノアさんと会いたくありません」
「……カーリンに話そうか?」
「えっ?」
私はノアさんを見上げた。
表情はあいかわらず暗くこわばっていた。この人と笑って過ごした日があったことが嘘みたいだ。
カーリンの夫と、好きになった人と、今目の前にいるこの人がすべて別人のような気がする。
「ノアさんが困るんじゃないですか?」
「ナナのほうが困るだろう」
「私は……そうなっても仕方ないです」
「しかし、エミルは困るだろ」
結婚前の妹が自分の目の届かないところでしたことを知れば……とノア氏はいう。
脅しているのだ。まさかここまでひどい人だとは思わなかった。
泣き出したい。でもこの人のために何度も泣くのはばかばかしいと思う。だからぎゅっと唇を噛みしめ彼の目をにらんだ。
「きみに嫌われたくはなかった」
「嫌いです! あなたのことなんか」
「私はナナのことが好きだった」
「カーリンがいるでしょ。それに他にも恋人がたくさんいるって、トールさんが……」
「でもナナがよかった」
ナナのことが好きだともう一度言われた。
一度は好きになった人の言葉に心がゆれる。
「……私はカーリンの装飾品のひとつに過ぎない。ナナのほうがカーリンがどんな子かはくわしく分かってるだろ」
「いい子ですよ。完璧な子です」
「そうだよ……」
じゃなんで浮気などおこすのだろう。
大人の考えることはやはり分からない。
傘を放りだしたノア氏に引き寄せられ、久しぶりにその腕の中に抱きしめられた。
雨で湿ったジャケットが冷たい。
この人と出会ってから他人との距離感がすこし変わったのは事実だ。
トールさんやイドラ嬢、エルダ夫人のサロンへ行って兄と世間話をするようになった。
ひどい人だと分かったけど、最初にぬくもりを覚えたのは間違いなくこのひとの腕の中だった。
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