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想い

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ステリオ渓谷という
有利な場所での戦いだったにも、関わらず
決戦に臨んだ、敵の予想を上回るような、手強さの前に
勝利したはずのラーラント軍には、残された余裕は無い。

アウグスト王は、勇敢な騎兵達を従えて
敵の騎兵と正面から激突し
戦い抜ぬいた後、撤退していく敵の追撃を
あきらめて戻ってくると、馬に乗ったまま、立ち止まり
目の前に広がる、厳しい光景が目に映ると、少し黙り込む。

王による戦場の後始末が、始まるのを
待ち切れず、多数の兵士達は、近くにいる
見知っている、傷ついた仲間を黙って
見ている事ができず、傷の手当てを、既に始めていた。

「動かせる者を、目に付くように、近くに集めさせよ」

救えるものから、探し出し、集めて
優先的に、手当てをしていくのは仕方が無い。

「町や村に、急ぎ、走ってはくれまいか」

敵騎兵と、力づくの激突を終え
引き連れて、戻ってきた、王の下にある
馬上のままの騎士達に
近隣の町や村への連絡役と、なるよう命じる。

敵が去った方向から見て、反対にある
ラーラントの領内の町や村から
戦場の後始末をするために
必要な物や人を、出してもらうためだ。

連絡役として、大切な任を与えられた騎士は
就き従う者たちと伴に、戦場から離れていく。

残っている騎士達は伝令として
戦いが終わった後も、王の支持を隅々まで
伝えるために、渓谷を駆け回らなければならない。

「それでは皆、いってくれ」

戦いで、疲れ果ててはいても
黙々と王に従い、献身的に
勤めを果たすため、号令が
かかると、騎士達は、散っていく。

王の為、駆け回りながら、伝令で王の支持を
伝えたりすると同時に、見たり、聞いた情報を
戻ってきて、王に伝える事は
当然で、皆、指示などされなくても、わかっている。


面ばお(バイザー)をあげた
馬上の騎士が、辺りを見回しながら、駆け抜けてゆく。

伝令役を任されている、騎兵の一人が
戦いの後始末を、やりとげるためにも
渓谷を駆け抜けながら、懸命な思いで
自分達の姿が、戦いの結果どうなってしまったか
少しでも、詳しく知ろうと、後方まで駆けて行こうとすると
遠くに、王直属の精鋭の証として、親衛隊の兵士が
持っていたはずの、白銀の魔法の大盾が
拾い上げる者も無く、時間が止まってしまったかのように
一箇所に無数に集まって、倒れたままになっているのが、見える。

魔道師隊のいる、戦場の最後方まで、敵はなだれ込んで
親衛隊が一斉に大盾を投げ出して、剣を抜き、命がけで
自らが盾となり、身を投げ出して、戦った大乱戦の後だ。

「ひどいな……」

兵士達の叫び声が、過ぎ去っていき
戦いが始まる前の静けさが、戻った渓谷には
自らが望むべき場所へ、帰るというだけの
ありふれた願いさえ適わなかった、兵士達の躯(むくろ)が
届かなくなった想いを、訴えるかのように
辺りを埋め尽くしていた。

後方へと駆けていく間に、目に映った
渓谷に横たわり、冷たくなり果てた者たちの
多くを占めていたのは
勝利したはずの、ラーラント軍の兵士達だ。

大乱戦の中、運よく、生き伸びることが出来て
勝利の瞬間を迎えた時から、放心状態で
その場に座り込んでいる者や
生き残ったもの同士で、集まって
座ったまま、話し込んでいたり
自分だけ生き残ったのか、近くに転がっている
亡骸を確認しながら、まだ息があるかもしれない
仲間を探しているらしき者や
様々な姿をした兵士がいたが
厳しい、決戦を粘り強く凌ぎきり
耐え抜いにたもかかわらず
戦いで、失ってしまったものの
大きさを考えると、喜ぶものは誰もいない。

繰り返され続ける戦いを思い出すかのように
風が吹き抜けていくと
後方まで、たどり着いた伝令の騎兵が
馬に乗って駆け出そうとする
よく見知っている、若者の姿を見つけて
近寄ろうとする。

「ベルナルド様!」

少しでも速く走ろうと、上半身の鎧を
全て、脱ぎ捨て、身を軽くしている若者は
速度を落として、近寄ってきた騎兵がまるで
そこに、いないかのように、前だけを見つめ駆け出していく。

若者の腰には、鞘に納められた、運命の神が刻まれている剣が
ちっぽけな約束を交わした、あの日から、主(あるじ)を守護し
戦う友として、あり続けている。


戦争が終わったとは、決して言えない
危険に満ち溢れている、常に戦場であり続けてきた渓谷で
敵が撤退したあとを、たった一騎だけで
激しく、追うかのように、次の王となる
馬上の若者が、駆け抜けてきたのを
辺りを見回していた、王が気付くと、慌てたように、追いすがる。

「出迎えは、戻ってきた騎兵達を待つのだ、ベルナルド!」

後方で、何かがあった事を感ずくと
急いで、ミストラル軍に向かって
駆けていくとしか、考えられない息子の姿に
危険を知らせるために、自ら馬を走らせて
追いつき、横に並んで、兜(アーメット)を外した
精悍な素顔で、馬上から必死に呼び止めた。

素直さを捨て、自らの意思で走り出そうとした息子は
心配したアウグスト王が、引き止めようとしても
父の制止を振り切り、握っている手綱を
もう放すことも無く、さらに速度を上げて
背中を見せて、渓谷の先へと遠ざかっていく。

「これでは、私も休んでられんな……」

王の命令で、浅くない傷を負って休んでいた、王弟のガリバルドは
息子が駆けぬけていくのを、見送るしかない王の姿を見かねて
簡単な手当てを、受けている最中にも、関わらず
近くの馬を目に入れると、傷ついた身体で、立ち上がろうとする。

「おまち下さい、公!」
「ガリバルド様っ」
「冷静になるべきです」
「隊長殿、お待ち下さい!」
「無茶だ」

傷を負っている他の騎士達も
後を追いたい気持ちは皆、同じだ。

だが、騎士団長でもある
ベルナルドの抜きん出た、強さも知っているのだ。

満足に、剣も力いっぱい、振るえなくなっている
自分達が、後を追っても、かえって、足手まといになってしまう。

我慢するように、説得する暇もなく
ガリバルドが、大きな身体を
既に動かそうとしている事もあり
皆で、前に立ちはだり
その場に、なんとか押しとどめ、思いとどまらせる。

「まずは、自らの傷の手当を」
「傷は浅くは、ありませんぞ」
「騎士団長なら、そう簡単には討ち取られますまい」
「ここは焦っては、なりませぬ」

「わ、わかった、そうしよう」

ベルナルドの後姿が、見えなくなって
しばらくしてから、情報を集めるために散っていた
騎兵が、王に報告を行うため
次々と戻ってきてたのを見ると
休んでいた騎士達の中で、傷の浅い者達が
ガリバルドの代わりに、続々と立ち上がって
伝令と、情報を集める役を、代わる事を自ら申し出た。

「王とともに、騎士団長の後を追ってくれ」
「敵が待ち伏せているかもしれんから、気をつけろ」
「ここは、我らが引き受けます」

役目を入れ替わった騎士達は
続々と、王の下に集まっていく。

「ガリバルド」
「わかっております」

「ゆくぞっ!」

鎧を脱ぎ捨て、たった一騎で
無防備なまま、走り去っていた
息子の事を気にかけ、急いでいた王は
限られた時間で、戦場の後始末を
出来うる限りの範囲で、支持し終えた後
弟のガリバルドに全てを、任せ
追撃を待ち伏ている敵がいる、可能性も考え
集まった戦える騎兵を従えて、ベルナルドの後を追っていく。

たった、一人の騎士が
危険を顧みずに、全てを振り切り
それでも、駆け抜けていかなければならない理由があった。

わずかでも人が、立ち入れるような
周囲の切り立った崖の上を見廻しても
渓谷に、美しい雪を降らしたはずの
水の巫女の姿は、どこにも見当たらない。

敵が去っているのに気付いている事もあり
死の吹雪に移り変わるはずの
魔法の執行を止めたのか
雪が降る勢いが、少しだけ弱まって
きているにもかかわらず
自分から姿さえ、現そうともしない。

水の巫女は、おそらく、まだ渓谷には来てないのだ。

雪がなぜ降ったのかを、考えている時間など、残されてはいない。

小さな息を、まだしている者の
死にゆく運命を、受け入れず、変えなければならない。

理想はまだ、そこで、たしかに生きているのだから。

大勢の魔道師達が、眠ってるように
目を閉じたままの、ソフィアを癒し
今にも、消えてしまいそうな命を、ここまで繋いできた。

神が作った鉄の檻に、掛けられた運命という鍵を
こじ開ける方法は、まだ、残されているはずだ。

届かないかもしれない想いを
誰もあきらめようと、してはいないし
あきらめきれない。

戦いで傷ついた、大勢の者を癒すどころか
ラスマールをはじめとした
魔道師達の力は、もはや限界を向かえて
尽き果てようとしている。

「ベルナルド様は必ず帰ってくる、持ちこたえるぞ!」

「ああ」
「苦しいのは、我々だけじゃない」
「あきらめるな」
「きっと、アリアさまなら」
「必ず間に合う」
「信じるさ」

「次は私が、代わろう」

魔道師たちは、命さえ削り
足りない魔力に、変えていた。

支えてきた命を、繋ぐために
最後の力を、振り絞る。
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