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9話 鸚鵡石編2
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聞くところによると、やはりあの木の下にあった花束はお供えだった。
栗原真弓、まだ高校生の女の子だったらしい。歌うのが好きで、歌手を目指していた子。よくあの山の中で歌の練習をしていた。
学校でいじめに遭い、それを苦にして自ら命を絶った、と。
よくある話といえばよくある話だ。でも、その命の重さは計り知れない。「大変よねぇ」「かわいそうよねぇ」と口々に言いながら、地元の大事件を興奮した様子で話すご婦人たちに会釈をして、私たちは話を打ち切った。
暗澹たる気分で帰路に着く。
その子がどのような未練を残してあの山の中で歌っているのかはわからない。もしいじめた子への恨みだとしたら、流石に復讐を手伝って成仏してもらうというわけにもいかない。
帰り際にあの大岩の空き地によってみるが、やはり幽霊などはどこにも見当たらない。
「どこにいるんだろうな。普通に考えたら、あの木の下に化けて出そうだけど」
「どうなんだろう。歌はここで聞こえるけれど、もしかしたら学校の方にも行っているのかもね。でも学校に侵入するわけにもいかないし、具体的にどんな未練がありそうなのか聞き込みするわけにもいかない」
そんなことしたら不審者もいいところだ。確実に警察を呼ばれてしまう。
とりあえず私たちは亡くなった彼女が成仏できるようにと、お供えをして黙祷したけれど、それになんの意味があるのか、とも思ってしまう。
何も取り返しはつかないのに。
それからも私たちは聞き込みを続けた。
もしも叶うことならば、ちゃんと成仏させてあげたい。
けれど、生前の彼女についていくら聞き込みをしても手掛かりは得られなかった。
「……っていうわけなんですよ。カゲハさん」
「そんなことがあったの……。うーん、少し気になるのだけれど、その女の子は本当に成仏できなかったのかしら」
「えっ? でも歌はいまだに聞こえてくるんですよ」
「でもどこにも見当たらないのでしょう? そもそもその場所は、鳥居のある石段に、上にはしめ縄が締められた大岩があるのでしょう? それが何かしている可能性はないかしら」
「あ、なるほどぉ。確かに雰囲気のある場所ですし、鳥居やしめ縄があるってことはなんらかの伝承がある可能性もありますもんね」
次の定休日、私は山本くんと一緒に、地域の図書館で郷土史を調べることにした。
「あの場所に関する資料は何かないかなぁ」
「うーん。闇雲に探すにしても、あまりにも雑多な資料が多すぎて厳しいな」
松本の歴史や民俗、特に松本城関しては資料が充実しているけれど、あの山のことについてはなかなかこれというものが見当たらない。
「そうだ、古地図を探してみるのはどうだ?」
「古地図か! そうだね!」
しかし、城下町の情報はたくさん出てくるものの、あの山について書いているものはなかった。しかしその代わり、あのあたり一体で古くから地主をしている人の苗字はわかった。古瀬さん、というらしい。
「これはむしろ現地で聞き込みをした方がよさそうだな」
図書館を後にし、あの山の麓にある村へと向かう。
車で民家を確かめながらゆっくりと走っていると、なんと古瀬という表札の下がった大きな家が見つかった。
「運がいいな、古瀬さんの家だ。ここで聞いたら何かわかるかもしれねぇ」
「でも、急にあの鳥居と大岩のことが知りたいなんて、怪しまれないかな?」
けれど、これには山本くんの顔面が大層力を発揮した。
チャイムを鳴らして出てきた50絡みの奥様は、山本くんの顔を見るなりポッと頬を染めたのである。
「すいませーん。僕ら、民俗学のフィールドワークをしていて。あの山にある鳥居と大岩の伝承について調べているんですが、何か知っていることはありませんか?」
口から出まかせをペラペラと喋る山本くんに、古瀬の奥様はあっさりとその話を信じた。
「さあさ、上がっていって。それならお義父さんが知っているはずだと思うから」
そう言って居間でお茶を出してくれる。信州が老舗の和菓子屋さんのどら焼きまでついてきた。
あんこがたっぷりと詰まったどら焼きをいただきながら、奥様に呼び出されてのっそりとお庭から顔を出したお爺さんに話を聞く。
「ああ、ありゃあ鸚鵡石だよ」
「鸚鵡石?」
「鸚鵡石というのは、山びこと似た伝承でね。その石の上で話すと、鸚鵡返しでその言葉を話し、その上で笛を吹いたり唄ったりすると、その音をそのまま返してくる。そういうあやかしさね」
「あやかし……」
それじゃあ、歌は亡くなった栗原真弓さんの幽霊ではないのだろうか。
「ずいぶん昔に神格化されて祀られていたが、社を建てる金はないってんで、しめ縄と鳥居だけ作られてたなぁ」
それから、町の歴史がどうの、最近の旅行客がこうの、という雑談話を聞いて、私たちはお暇することになった。
「鸚鵡石かぁ」
「でも、あの場には誰もいなかったよな? 鸚鵡返しにするってんなら、歌っている誰かが居ないとおかしいけど」
「せっかくここまできたから、もう一度行ってみようか」
そうして、まだ夕方だけれどあの大岩の場所まで辿り着く。
相変わらず物寂しく寒々しい雰囲気の場所だ。
あの大岩は西陽を浴びて、特に変わった様子もなく鎮座していた。
「おーい」
山彦のようなもの、と聞いて、試しに呼びかけてみるが、特に返事はない。
その時、またどこからともなくあの歌声が響いてきた。
「ねぇ、大岩さん。あなたは鸚鵡石なの?」
とりあえずあやかし相手でもコミュニケーションをとってみなければ始まらない。山本くんが岩に話しかける私を呆れた目で見てくるけれど、関係なく問い詰めてみた。
すると、あの大岩が存在感を増し、黒く光り輝く。
「そう……そう……そう……」
女の子の声で、こだまする様に肯定の返事が返ってきた。
あやかしや幽霊の類は、正体を見破られた途端にその真の姿を表すことがある。
この鸚鵡石もまた、そのようなものだった。
「鸚鵡石さん。あなたは亡くなった栗原真弓さんを知っているのね? そしてその歌を聞き、鸚鵡返しにし続けていた。彼女が歌わなくなってからも、ずっと。ずっと」
その通り、とでも言うように、歌の音量が大きくなる。あたりには玲瓏たる澄んだ歌声が響き続けていた。
こんなに綺麗な声の女の子だったのに、亡くなってしまったんだ……。
鸚鵡石も、それを嘆いているのだろうか。
その時ふと歌声が止み、代わりに話し声が響き始めた。
「ねえ大岩ちゃん、あたし死ぬことにするよ……」
それは真弓さんの声だった。大人びて完成された歌声とは違い、少し舌っ足らずで愛らしい話し声だ。
「心配しないで、ここで地縛霊とかになったりはしないからさ。だって、未練を残すほどの価値、この世にはないもの。わざわざ頑張ってしがみついて生きるほど、あたしこの世界のこと好きになれそうにない。歌うのは好きだったけど……」
歌の世界も、好きにはなれなかった……。と、彼女の声は寂しそうに呟いた。
「なんであんなに大人って汚いんだろうね。出来レースでオーディションに出ろとか、デビューしたかったらおじさんとの飲み会に行けとかさ。あたし未成年だよ」
彼女を追い詰めたのはいじめだけではなかったのか。
彼女は世界に嫌われたから死を選んだわけではない。彼女がこの世界を嫌ったから旅立ったのだ、と。その芯の強い声が如実に表している。
大人として、そんな世界しかまだ幼い少女に見せられなかったこの社会が、ただただ口惜しかった。
「鸚鵡石さん。あなたは誰かに知って欲しかったのね。彼女の美しい歌声を、彼女の悔しさを、彼女の絶望を……」
そう言った時、大岩は一際黒く輝いた。そして、その光が目を焼いて咄嗟に瞼を閉じた後。
私が目を開いた時には、この広場のもの寂しく異様な雰囲気は消失し、鸚鵡石はただのものいわぬ大岩に戻っていたのだった。
私たちは、あの木の下で静かに黙祷して帰路についた。
この世界になんの未練も残さず、この世界を見限って旅立った少女を想う。
歌声の謎は解けたけれど、ただやるせなさだけが残った。
「俺、真弓さんが受けていたオーディションのこと、調べるよ。百合絵さんも芸能界でそれなりに権力を持っているから、何か汚いことをしている連中がいるなら、なんとかできるはずだ」
俺はそういうの許せねぇからよ、と山本くんが眉間に皺をよせ呟いた。
今更……、とは思う。でも私たち大人が、今更と思って諦めたら最後、また真弓さんのように絶望する子供が生まれてしまうかもしれないのだ。
少しでもこの世界に生きる価値を見出してもらうために、私たちは私たちにできることをするしかなかった。
「案外熱いところもあるんだね、山本くん。ぱっと見いつも気だるげで中二病っぽいのに」
「だからいつも気だるげなのは日差しのせいだって」
初夏の陽気は私たちの気分など知らぬげに、いつも通り燦々と降り注いでいた。
栗原真弓、まだ高校生の女の子だったらしい。歌うのが好きで、歌手を目指していた子。よくあの山の中で歌の練習をしていた。
学校でいじめに遭い、それを苦にして自ら命を絶った、と。
よくある話といえばよくある話だ。でも、その命の重さは計り知れない。「大変よねぇ」「かわいそうよねぇ」と口々に言いながら、地元の大事件を興奮した様子で話すご婦人たちに会釈をして、私たちは話を打ち切った。
暗澹たる気分で帰路に着く。
その子がどのような未練を残してあの山の中で歌っているのかはわからない。もしいじめた子への恨みだとしたら、流石に復讐を手伝って成仏してもらうというわけにもいかない。
帰り際にあの大岩の空き地によってみるが、やはり幽霊などはどこにも見当たらない。
「どこにいるんだろうな。普通に考えたら、あの木の下に化けて出そうだけど」
「どうなんだろう。歌はここで聞こえるけれど、もしかしたら学校の方にも行っているのかもね。でも学校に侵入するわけにもいかないし、具体的にどんな未練がありそうなのか聞き込みするわけにもいかない」
そんなことしたら不審者もいいところだ。確実に警察を呼ばれてしまう。
とりあえず私たちは亡くなった彼女が成仏できるようにと、お供えをして黙祷したけれど、それになんの意味があるのか、とも思ってしまう。
何も取り返しはつかないのに。
それからも私たちは聞き込みを続けた。
もしも叶うことならば、ちゃんと成仏させてあげたい。
けれど、生前の彼女についていくら聞き込みをしても手掛かりは得られなかった。
「……っていうわけなんですよ。カゲハさん」
「そんなことがあったの……。うーん、少し気になるのだけれど、その女の子は本当に成仏できなかったのかしら」
「えっ? でも歌はいまだに聞こえてくるんですよ」
「でもどこにも見当たらないのでしょう? そもそもその場所は、鳥居のある石段に、上にはしめ縄が締められた大岩があるのでしょう? それが何かしている可能性はないかしら」
「あ、なるほどぉ。確かに雰囲気のある場所ですし、鳥居やしめ縄があるってことはなんらかの伝承がある可能性もありますもんね」
次の定休日、私は山本くんと一緒に、地域の図書館で郷土史を調べることにした。
「あの場所に関する資料は何かないかなぁ」
「うーん。闇雲に探すにしても、あまりにも雑多な資料が多すぎて厳しいな」
松本の歴史や民俗、特に松本城関しては資料が充実しているけれど、あの山のことについてはなかなかこれというものが見当たらない。
「そうだ、古地図を探してみるのはどうだ?」
「古地図か! そうだね!」
しかし、城下町の情報はたくさん出てくるものの、あの山について書いているものはなかった。しかしその代わり、あのあたり一体で古くから地主をしている人の苗字はわかった。古瀬さん、というらしい。
「これはむしろ現地で聞き込みをした方がよさそうだな」
図書館を後にし、あの山の麓にある村へと向かう。
車で民家を確かめながらゆっくりと走っていると、なんと古瀬という表札の下がった大きな家が見つかった。
「運がいいな、古瀬さんの家だ。ここで聞いたら何かわかるかもしれねぇ」
「でも、急にあの鳥居と大岩のことが知りたいなんて、怪しまれないかな?」
けれど、これには山本くんの顔面が大層力を発揮した。
チャイムを鳴らして出てきた50絡みの奥様は、山本くんの顔を見るなりポッと頬を染めたのである。
「すいませーん。僕ら、民俗学のフィールドワークをしていて。あの山にある鳥居と大岩の伝承について調べているんですが、何か知っていることはありませんか?」
口から出まかせをペラペラと喋る山本くんに、古瀬の奥様はあっさりとその話を信じた。
「さあさ、上がっていって。それならお義父さんが知っているはずだと思うから」
そう言って居間でお茶を出してくれる。信州が老舗の和菓子屋さんのどら焼きまでついてきた。
あんこがたっぷりと詰まったどら焼きをいただきながら、奥様に呼び出されてのっそりとお庭から顔を出したお爺さんに話を聞く。
「ああ、ありゃあ鸚鵡石だよ」
「鸚鵡石?」
「鸚鵡石というのは、山びこと似た伝承でね。その石の上で話すと、鸚鵡返しでその言葉を話し、その上で笛を吹いたり唄ったりすると、その音をそのまま返してくる。そういうあやかしさね」
「あやかし……」
それじゃあ、歌は亡くなった栗原真弓さんの幽霊ではないのだろうか。
「ずいぶん昔に神格化されて祀られていたが、社を建てる金はないってんで、しめ縄と鳥居だけ作られてたなぁ」
それから、町の歴史がどうの、最近の旅行客がこうの、という雑談話を聞いて、私たちはお暇することになった。
「鸚鵡石かぁ」
「でも、あの場には誰もいなかったよな? 鸚鵡返しにするってんなら、歌っている誰かが居ないとおかしいけど」
「せっかくここまできたから、もう一度行ってみようか」
そうして、まだ夕方だけれどあの大岩の場所まで辿り着く。
相変わらず物寂しく寒々しい雰囲気の場所だ。
あの大岩は西陽を浴びて、特に変わった様子もなく鎮座していた。
「おーい」
山彦のようなもの、と聞いて、試しに呼びかけてみるが、特に返事はない。
その時、またどこからともなくあの歌声が響いてきた。
「ねぇ、大岩さん。あなたは鸚鵡石なの?」
とりあえずあやかし相手でもコミュニケーションをとってみなければ始まらない。山本くんが岩に話しかける私を呆れた目で見てくるけれど、関係なく問い詰めてみた。
すると、あの大岩が存在感を増し、黒く光り輝く。
「そう……そう……そう……」
女の子の声で、こだまする様に肯定の返事が返ってきた。
あやかしや幽霊の類は、正体を見破られた途端にその真の姿を表すことがある。
この鸚鵡石もまた、そのようなものだった。
「鸚鵡石さん。あなたは亡くなった栗原真弓さんを知っているのね? そしてその歌を聞き、鸚鵡返しにし続けていた。彼女が歌わなくなってからも、ずっと。ずっと」
その通り、とでも言うように、歌の音量が大きくなる。あたりには玲瓏たる澄んだ歌声が響き続けていた。
こんなに綺麗な声の女の子だったのに、亡くなってしまったんだ……。
鸚鵡石も、それを嘆いているのだろうか。
その時ふと歌声が止み、代わりに話し声が響き始めた。
「ねえ大岩ちゃん、あたし死ぬことにするよ……」
それは真弓さんの声だった。大人びて完成された歌声とは違い、少し舌っ足らずで愛らしい話し声だ。
「心配しないで、ここで地縛霊とかになったりはしないからさ。だって、未練を残すほどの価値、この世にはないもの。わざわざ頑張ってしがみついて生きるほど、あたしこの世界のこと好きになれそうにない。歌うのは好きだったけど……」
歌の世界も、好きにはなれなかった……。と、彼女の声は寂しそうに呟いた。
「なんであんなに大人って汚いんだろうね。出来レースでオーディションに出ろとか、デビューしたかったらおじさんとの飲み会に行けとかさ。あたし未成年だよ」
彼女を追い詰めたのはいじめだけではなかったのか。
彼女は世界に嫌われたから死を選んだわけではない。彼女がこの世界を嫌ったから旅立ったのだ、と。その芯の強い声が如実に表している。
大人として、そんな世界しかまだ幼い少女に見せられなかったこの社会が、ただただ口惜しかった。
「鸚鵡石さん。あなたは誰かに知って欲しかったのね。彼女の美しい歌声を、彼女の悔しさを、彼女の絶望を……」
そう言った時、大岩は一際黒く輝いた。そして、その光が目を焼いて咄嗟に瞼を閉じた後。
私が目を開いた時には、この広場のもの寂しく異様な雰囲気は消失し、鸚鵡石はただのものいわぬ大岩に戻っていたのだった。
私たちは、あの木の下で静かに黙祷して帰路についた。
この世界になんの未練も残さず、この世界を見限って旅立った少女を想う。
歌声の謎は解けたけれど、ただやるせなさだけが残った。
「俺、真弓さんが受けていたオーディションのこと、調べるよ。百合絵さんも芸能界でそれなりに権力を持っているから、何か汚いことをしている連中がいるなら、なんとかできるはずだ」
俺はそういうの許せねぇからよ、と山本くんが眉間に皺をよせ呟いた。
今更……、とは思う。でも私たち大人が、今更と思って諦めたら最後、また真弓さんのように絶望する子供が生まれてしまうかもしれないのだ。
少しでもこの世界に生きる価値を見出してもらうために、私たちは私たちにできることをするしかなかった。
「案外熱いところもあるんだね、山本くん。ぱっと見いつも気だるげで中二病っぽいのに」
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