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第一章 攫われハッピーウェディング
番外編1 エマ・ヴェンダー
しおりを挟む「エマ! こっちに麦酒ふたつ頼むぜ!」
「はあい!」
下町の宿屋のバル、片手をあげる男性客に向かってエマは笑顔を向けた。注文どおりジョッキに麦酒を注いで客の待つテーブルに持っていく。
「お待たせ! 麦酒ふたつね!」
客たちはジョッキを受け取ると、空いている方の手でエマの手首を掴み腰に手を回す。すでに数杯飲んでいる彼らは赤ら顔を綻ばせた。
「エマも一緒に飲もうぜ。もうすぐ終わりだろう?」
「私、十六歳よ。あと二年待ってね!」
手首と腰から客たちの手を離し、今度は自分から彼らの肩に手を置いた。こうすると主導権を握りつつ相手の好きにさせずにすむ。それでいて触れ合ってはいるから男たちは悪い気はしないのだ。
「それじゃあ、ごゆっくり!」
エマは男たちに手を振り、カウンターに戻った。
バルがある宿屋は実家が経営していて、それなりに繁盛している。自分が平民であれば成功者の側だろう。だがエマの実家ヴェンダー家は子爵家。貴族だ。けれど家族はいつも忙しく働いており、病気の弟の治療費を賄うために生活は楽ではなかった。
「エマ、俺にも酒をくれよ」
カウンターに向かい座っていた客が人差し指を立てて酒を求める。それはよく見知った顔だった。
「あら、ハリー様?」
ハリーはこの地の領主フォード伯爵家の長男で姉の婚約者だった。顔は赤く自分を呼ぶ声はあまりろれつが回っていない。だいぶ酔っているようだ。さっきまではいなかった。きっとどこか別な店で飲んでいたのだろう。エマは頼まれた酒ではなくよく冷えた水をグラスに注ぎ彼の前に差し出した。
「おいおい、これは水じゃないか?」
「ええ、そうです。一度これを飲んで少し酔いを覚ましてくださいね」
「頼む、今日は飲まないとやってられない」
水を飲まずにハリーがエマの手を掴み上目遣いで懇願した。なにか飲んで忘れたいことでもあったのかと、エマは彼の手を握り返し、笑顔を向ける。
「ここで飲ませたら私が姉さんたちに叱られるわ。なにかあったんですか?」
「姉さん……またアリスか」
皮肉っぽく婚約者の名を呼ぶ彼を見て、エマは事情はわからなかったがなんとなく原因を察した。なぜなら自分にも覚えのある感情だったから。宿の管理は苦手で、完璧な仕事をする姉と比べられていた。せめて役に立とうとバルで接客をしてみても、従業員には「男好き」と陰口を叩かれる始末。バルの客たちだって、本当は金髪碧眼の美しい姉に憧れているのは知っていた。アリスは高嶺の花で、赤毛でそばかすの自分は気軽に手出しできる存在なのだ。
エマは小さく息を吐き、握った手を離し指を絡ませるように組み直した。
「そう、みんな姉さんのことばかり。美人で賢くて働き者のアリス。どんなにがんばっても姉さんには敵わない」
少しだけ目を伏せ、肩を落とす。落ち込んでいるように見えただろうか。
すると、すぐに絡んでいた指がぴくりと反応した。
「君もなのか?」
「私は生まれた時からずっと比べられていたわ。あなたも?」
エマはゆっくりと伏せた顔を上げ、ハリーを見つめた。領内一の美丈夫の彼は空色の瞳と揺らしていた。「そうだ、俺もなんだ」と言って、やっと理解者に会えたと言わんばかりの表情を見せていた。自然とエマの口角が上がる。
「わかるわ……。あなたの気持ち。まさかこんなに近くにこの思いを分かちあえる人がいたなんて、奇跡のようね」
「ああ、そうだな、まるで神の思し召しだ」
小刻みに何度も頷くハリーの手を、空いた手でそっと撫でる。首を傾げしなを作りカウンターから軽く身を乗り出す。彼の耳元で静かに囁いた。
「もうすぐ終わるから店の外で待っていて。あなたの話が聞きたいわ」
依然としてハリーの顔は赤かった。けれどきっと酒だけのせいではない。
そう思ったエマは笑みを深め心の中でつぶやいた。
やっと、姉さんに勝てると——。
>>第二章へ続く
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