冷風

更科ゆう

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洗濯機の使い方

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 和樹が住んでいるところの最寄り駅には、乗り継ぎがよかったのか、2時間もかからずに着いた。
 スマホに入れてある和樹の住所を地図のナビに入力して歩き始めた。
 駅からはさほど遠くないと聞いていた。

「よお、美咲じゃん」
 後ろから突然、声をかけられた。今度はさっき修二に声をかけられた時とは、気分が全く違う。

「お兄ちゃん!」
 弾んだ声で振り向きざま、そう答えた。

「びっくりしたよ。昨日、LINEで急に会いたいなんていうから、どうしたんだよ?」

 思いもかけず、家にたどり着く前に、偶然出会えた。
 なんとういうか運命的なものを美咲は感じた。今すぐ腕を組みたい衝動にかられたが、抑えた。
 この辺りは、修二の通う大学が近いので、学友に見られたらめんどくさいだろうなと思ったからだ。

「あのねー、ちょっと話があって……」
 美咲は後ろに手を組みながら、モジモジした仕草をしながら答えた。

「えー、何だよ。話って」

「それは、お兄ちゃんのアパートに着いてから」

 そう言って、いたずらっぽく微笑んだ。

「まあ、いいけど、ここまで来たんだから、疲れただろ?ま、茶でも飲んでけよ」

 和樹はぶっきらぼうな感じでそう言い、歩き出した。
 しかし、その言葉の中には優しさが滲んでいた。
 やっぱりお兄ちゃんはいいなと思った。
 でも、これからはお兄ちゃんっていうのはおかしいんだ。

 なんて呼ぼう?和樹さん?いやいや、なんとなくそれも恥ずかしいし、或いは和樹?
 いやいやいや、呼び捨てはもっと、ヤバい。
 だいだい、わたし達が本当は兄妹ではないって、周りの人は知らないんだし……。
 二人きりの時だけ名前で呼んで、外では今までどおり、お兄ちゃんと呼ぼうか……、などと頭の中で、ぐるぐると考えていた。
 和樹はそんな美咲の様子を少し不思議そうな感じで見ていた。 

 それから、歩いて5分も経たずに、和樹の住むアパートに着いた。アパートは3階建てて、わりとご綺麗な印象を受けた。二人は階段で2階にあがった。美咲は急いでここまで来たせいか、2階へ上がるだけで少々息が切れた。

「大丈夫か?」
と、和樹が心配そうに言いながら、手を伸ばしてきた。

「うん、大丈夫」
 美咲は満面の笑顔で答え、遠慮なく和樹の手を握った。和樹の部屋は階段を上がってすぐのところのようだ。
 鍵を出すために、手を離した。
 そして素早くその鍵で部屋のドアを開けた。
 
 美咲が先に部屋に入った。背後で鍵を閉めると音がした。
 部屋は思ったよりも、整理整頓されていた。が、洗濯カゴの中に大量の洗濯物がたまっていた。

「こんなに、洗濯物ためこんじゃって」
 美咲は言うなり、たまっている洗濯物を洗濯機に入れ始めた。

「おいおい、いいよ」
 和樹は慌てて止める。

「ううん、いいの。気にしないで」
と、いいながら、あっという間に洗濯機の蓋を閉め、スイッチを押した。

「あ、ありがと……」
 和樹はバツが悪そうな顔で、お礼を言った。

「ところで、話しって何?」
 和樹の問いに、美咲は待ってましたという顔をする。
 後ろの方から、洗濯機に水がどんどんたまっていく音がする。

「あのね、驚かないで聞いてくれる?」

「ああ……」
 和樹の返事は相変わらず、ぶっきらぼうだ。
 美咲はなんと言おうか迷った。
 ストレートに言うべきか、それともいきなり、驚かせてもまずいので、まずはオブラートに包んだ言い方をするべきか……。美咲の頭の中は、高速回転で思考が駆け巡っている。
 
 すると、その思考を遮断する音がした。
 ドアの鍵をガチャガチャを開ける音だ。美咲の背筋が凍った。
 あれ?確か、お兄ちゃん鍵を閉めたはずなのに……?
 
 まさか……泥棒?
 しかし、和樹の顔はいたって冷静だった。
 美咲は恐る恐る後ろを振り向いた。

 すると、そこには……。
 
 ギャル……とまではいかないが、かなり派手目の若い女だった。茶髪の髪を、毛先の方で軽くカールしている。フェミニン系の淡いブルーのワンピースを着ていた。

 なに?この女。あんたお兄ちゃんのなんなの?と、美咲は内心で毒づいた。

「なによー、修羅場ってやつー?」
 甘い声で語尾をのばしたその口調が美咲の癇に障った。

「いやいや、妹だよ。妹の美咲」
 和樹は慌て、両手で手を振る。

「妹じゃ……」
 美咲は声を荒げて、続きを言おうとしたが、それは洗濯機のピーピーという音に邪魔された。

「なに?洗濯してたの?」
 そう言いながら、その女は当然のように洗濯機の方に近づいて、蓋を開けた。

「なによ。これ、洗濯物入れすぎじゃない。少し出すわよ」

 手慣れた手つきで、洗濯物の一部を洗濯カゴに戻していく。美咲は屈辱的な気分になった。女性として家事で負けた、そういう気持ちになった。

「恵梨香、ありがとう」 
 和樹は、その女を恵梨香と呼び捨てで呼び、お礼を言った。そのことがまた一層美咲を惨めな気分にさせた。

「妹って、本当?」
 そう言いながら、恵梨香は和樹に詰め寄る。二人の距離はほとんど無くなり、今にも抱きつかんばかりの間合いになった。

 
 やめて、近いよ。なれなれしい。恵梨香って、アンタお兄ちゃんのなんだっていうのよ。
と、美咲は思いながらも、その答えは、わかっていた。

「ほんとだよ。そんなベタな嘘、つくわけねーだろ」
 和樹は鬱陶しそうに、恵梨香から視線を逸らした。

「うん、わかってるよ。そこの家族写真に写ってるじゃん」

 そう言って、恵梨香はテレビ台に立て掛けてある写真立てを指さした。
 そこには酒本家の4人が写っていた。和樹の大学の合格祝いに、家族でレストランで食事をした時に店の入り口で撮った写真だ。

「初めまして、石井恵梨香といいます。和樹さんの彼女です」
 恵梨香は、右手を美咲に向かって、差し出した。その手を美咲は、握りたくはなかった。

「初めまして、美咲といいます」
 と、不愛想に答えて恵梨香の手を握った。
 仕方なく。しかし、妹とは言わなかった。

「わたし、帰ります」
 そう言って、美咲は踵を返し玄関の方へ向かった。靴をきちんと履くのももどかしく、かかとを踏んだままで、慌ててドアを閉めた。

「美咲、どうしたんだよ。駅まで送ってこうか?」
 和樹がドアを開けて、美咲の背中に声を掛けた。

「ううん、いい」
と、短く答え、階段を下りて行った。

「大丈夫?妹さん?」
という、恵梨香の声が聞こえた。美咲は足を止めた。

「ああ、どうしたのかな?」
と和樹が答える。

「妹さん、本物見ると、可愛いね。なんか似てないじゃん。和樹と」
 
 そりゃそうよ、本当は妹じゃないものと、美咲は思った。
「でもさー、もっとちゃんと話したかったのにな。残念。だって将来本当に妹になるかもしれないんだしさー」
 
 その言葉に美咲はいたたまれなくなり、階段をバタバタと音を立てて、降りて行った。
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