悪役令嬢はぼっちになりたい。

いのり。

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第3章 高校1年生 2学期

第38話 楽譜のゆくえ。

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「お待たせしました。スコアが出来ました」

 ナキと誠が和解した翌日の昼休みが終わる頃、教室で柴田先生が編曲を終えた楽譜を私に手渡してきた。
 ナキに、ではないのは、今日、彼は「欠席」しているからだ。

 挑発して誠の鼻っ柱を叩き折ろうとしたのだとはいえ、ナキも誠の演奏に触発されたらしい。

『わいも本腰入れて練習するわ』

 と言って、ほぼ彼の貸切状態となっている第3音楽室でひたすら練習に没頭している。
 授業には一切出ていない。

 この昼休み中にいつねさんが購買で彼に会ったらしいけれど、お弁当とコーヒーの他にサンドイッチもいくつかがっつり買い込んでいたらしい。

『そんなに食べるの?』

 と尋ねたいつねさんに対しナキは、

『音楽って体力が資本やねん。食わないと持たんのや』

 と言っていたという。

 インドアなイメージが強い楽器演奏ではあるけれど、実は体力をものすごく使う。
 極度の精神的集中と肉体的な運動が重なって、かなりのカロリーを消費するのだ。

 ポップスアーティストのライブなどに参加して、最前列でアーティストの姿を目にした期会のある人になら分かると思う。
 始まってものの数分で汗まみれだ。

 女性アーティストなどで見た目の演出を重視する場合は、顔に濃く強い化粧を施して首から上に全く汗をかかない、という場合もあるらしい。
 そういう場合でも、何度も着替えたり水を補給したりと、体力を維持する工夫をちゃんとしているのだ。

 もっと身近な例を上げるならカラオケである。
 カラオケで歌っていると、部屋が暑く感じる経験はないだろうか。

 1人で歌いに行くいわゆる「ひとカラ」だと、この傾向はより顕著だ。
 インターバルなしに何曲も連続して歌うと、帰る頃には結構な汗をかいていたりする。

 音楽は体力なしには語れない。

「ありがとうございました。ナキくんと誠くんにちゃんと渡します」

 楽譜を受け取った私は先生に対して深々と頭を下げた。
 譜面を眺めると、なんと手書きである。
 ということは、オリジナルはこれだけか。
 管理責任重大である。

「いえいえ。こちらからも色々とお願いしましたから。それに、今の口ぶりからするとナキも参加するんですね?」
「はい」
「一条さんも?」
「……はい」

 後者は不承不承であるが、ナキ参加の条件にされてしまったのだから仕方ない。

「誠くんやナキくんの足を出来るだけ引っ張らないように頑張るつもりです」
「それではダメです。一条さん」

 一応、殊勝な気持ちを述べたつもりだったのだがダメ出しされてしまった。

「そんな消極的な気持ちでは『食われ』ます。いっそ、ナキも真島君も叩き潰してやる、くらいの気持ちで行かないと」
「そうは言っても……」
「真島君が言っていました。あなたには天性があると」

 それは盛り過ぎだろう。

「彼がお世辞を言うような人間でないことは知っているでしょう?」
「それは……まぁ……」

 言われてみれば、和泉というキャラは冬馬に対する執着心を除けば、非常にハイスペックなお嬢様なのである。
 もともと合唱部のソリストとして活躍していたのだった。

「自信を持って下さい。本番を期待していますよ」
「はい。本当にありがとうございました」

 重ねて礼を述べると、次の授業の用意があるのか、先生は教室を出て行った。

「いずみん、先生のご用事なんだったのー?」

 遠巻きに私たちのことを観察していたらしいいつねさんが、声を掛けてきた。

「文化祭でやるバンドの楽譜を編曲して頂いたのです」
「それっていずみんも出るっていうあれ?」
「……そうです」

 私は添え物だってば。

 いや、こういう考え方はダメなんだったけか。
 ワタクシの美声に酔いな!

 ……うん、キャラじゃないな。

「演劇の上演時間がまだ決まってないから分からないけど、時間が合ったら、あたし絶対に聴きに行くから」
「ありがとうございます」

 一応、お礼を言ったものの、実は歌を聴かれるのは恥ずかしいのだ。
 とはいえ、こうまで言ってくれるいつねさんを無下にする訳にもいかない。

「あ、和泉様。ちょっといいでしょうか?」
「何でしょう?」
「あ……え、えと、その……」

 声を掛けてきたのは遥さん。
 どうでもいいけれど、いい加減怯えるのはやめてもらえないだろうか。
 そりゃあ、眼力強いけどさ。

「学園祭関連の資料を、生徒会室から受け取ってきて頂けませんか? 私はちょっと今手が離せなくて」

 言われて彼女の机の上を見れば、生徒会に提出するのであろう書類が何枚か広げられていた。
 けっこうな量がある。

「ひ、昼休み中に終わらせて取りに行く予定だったんですけれど……。重要な資料なので、他の方には頼みにくくて。和泉様とは今は距離を置かないとって分かっているんですけれど……」
「いいですよ、私で構わないのでしたら」
「じゃあ、あたしも行くー。お手洗い寄ってくから、先に行っててー」

 私は楽譜を一旦机の中に仕舞うと、いつねさんと遥さんを残して一緒に生徒会室に向かった。
 昼休みももう終わる。
 急がなければ。


◆◇◆◇◆


「あら。和泉ちゃんが取りに来てくれたの? 嬉しいわ」
「こんにちは、冴子様」
「こんにちはー」

 いつねさんとは生徒会室前で合流した。
 中に入ると、冴子様が1人で執務机に向かっていた。
 生徒会長を始めとする他の生徒会メンバーの姿はなく、彼女1人である。

「他の皆さんは?」
「文化祭関連の仕事で出払っているわ。私はお留守番しながら書類と格闘中」
「大変そうですねー」
「あなたは和泉ちゃんと同じクラスの……。確か、五和 いつねさんよね?」
「はい。あれ? 自己紹介しましたっけ?」

 いつねさんが首をかしげる。

「生徒全員の顔と名前は一致するわよ。それにあなたは演劇部期待の星だっていうしね」

 ぱちん、とウィンクして見せる冴子様。
 相変わらず大人びているんだか子供っぽいんだか分からない人だ。

「例の書類よね? ちょっと待って――ああ、これこれ」

 はい、と手渡された書類はまた結構な量である。

「1年A組は仕事が早くて助かるわ。他のクラスとは大違い」
「はるちゃんは真面目だし、とーま君までいますからね」
「そうそう……と、そろそろお昼休みが終わるわね」

 予鈴が聞こえてきた。

「2人は先に戻って。私は最後に鍵をしめないといけないから」
「はい。失礼します」

 その場を辞去しようとすると、

「あ。和泉ちゃん」
「はい?」
「バンド、頑張ってね」

 冴子様はいたずらっぽい無邪気な笑みで、私をからかうのだった。


◆◇◆◇◆


(ない! どこにもない!)

 放課後になって、教科書類を鞄に詰めようとしたところで、私は譜面が失くなっていることに気がついた。
 机の中、教科書やノートの間、考えられる所はすべて探したけれどどこにもない。

 私は悄然とした。

「和泉、どうした?」

 護衛役を全うすべく教室へとやってきた誠が、様子のおかしな私にいぶかしげに問うてきた。

「……昼休みに、柴田先生から受け取った楽譜を失くしてしまったみたいです」

 どうしよう。
 あれは手書きのオリジナル。
 先生と誠の思いの結晶。
 この世にたった1つしかないものなのに――!

「どうしよう……私、どうしよう……」
「落ち着け」

 がしっと両肩を掴まれて見つめられた。
 誠の落ち着いた雰囲気が伝染するかのように、私は少しづつ冷静さを取り戻した。

「最後に存在を確認したのはいつだ?」
「昼休みです。途中で生徒会室に用があって、確かに机の中に……」
「その後は?」
「……見ていません」

 私の説明を聞くと、誠は考え込んだ。

「確かに机の中に仕舞ったのに」
「……盗られた可能性がある」
「えっ!?」

 盗られた?

「脅迫状の件、忘れた訳ではないだろう?」
「その主が…?」
「あくまで可能性だが」

 うかつだった。
 もしも、本当に盗られたのだとして。
 自分が悪意にさらされていることにもっと自覚があれば、大事な楽譜を無くしてしまうことは無かったはずだ。

「どうしましょう……。楽譜は手書きで、唯一のオリジナルなんです」
「落ち着け。大丈夫だ」

 深いバリトンが心に響く。

「行くぞ」
「……どこへ?」
「柴田先生のところだ」


◆◇◆◇◆


「本当に申し訳ありません!」

 職員室の柴田先生の机。
 楽譜を紛失した経緯を説明すると、私は先生に深々と頭を下げた。

「しっかり者の和泉さんが紛失するとは思えません。真島君の説が有力でしょう。悪意を持った者を放置してしまっている僕たち教師陣にも責任はあります。頭を上げて下さい」

 柔和な笑顔と優しい口調で先生は私を慰めてくれた。

「でも、せっかくの楽譜が――」
「あぁ、大丈夫ですよ。ちょっと待ってて下さいね」

 そう言うと、先生は五線紙を取り出して写譜ペンで何かをさらさらと書きだした。

「はい。今度は警戒して下さいね。念のため、何枚かコピーを取っておくといいでしょう」

 ものの5分とかからずに書き上げ手渡されたのは、見まごうことなき『Change』の編曲した楽譜だった。

「これ……どうして……」
「先生ほどの人だぞ。暗譜しているに決まっているだろうが」

 暗譜か!

 暗譜とは音楽の演奏において楽譜を用いず演奏すること、または暗記そのものの行為を指す。
 聴衆に演奏を直接伝える条件となるので、現代の演奏家には避けられないものと言われている。

 過去においては暗譜は必ずしも必須スキルではなく、むしろ楽譜を使って演奏することが一般的だった。
 その流れが変わったのは、19世紀に活躍した女性ピアニスト、クララ・シューマンに暗譜の習慣があり、それがかっこよかったからだと言われている。

 現代のクラシック演奏家にはほぼ必須のスキルだと言われている。
 有名な盲目のピアニストをご存知な方も多いだろう。

「ありがとうございます……。本当に……本当に……」

 私は何度も頭を下げた。
 ホッとして、泣きそうだった。

「謝罪もお礼も結構ですよ。そんなことより――」

 先生はにっこり微笑んで、

「当日のステージ。期待してますね」

 と私を励ましてくれるのだった。
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