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光安と桃野の場合
九話
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「あー! 美味かったー! ごちそうさま!」
「お粗末でした」
大満足で手を合わせた俺に、桃野は穏やかに目を細めた。
桃野の家は高層マンションの一室だった。
マンションの門も立派だしエントランスは広くて、それだけで裕福な暮らしをしていそうだと感じる。
部屋の玄関も俺の家のマンションの倍くらい広いし。
通されたダイニングに置かれた光沢のある黒いテーブルは4人掛けだったから、そういえば本来は家族全員で住んでいる部屋なんだと思い出す。
一時的とはいえ1人で生活するには広すぎるように感じたが、一人暮らしには憧れて部屋を見渡す。
この空間で、好き勝手出来るのいいなぁ。
リビングには大きい灰色のソファーが置いてあり、カレーを食べ終わってからはそっちに移動した。
フカフカでとても座り心地がいい。
俺は少し体をバウンドさせながらカレーを褒めちぎった。
「カツまでついてんの最高だった! 大変だっただろ?」
「……意外と、簡単だぞ」
サラリと桃野は言うけれど。
揚げたての豚カツが乗ってるカレーなんて、家では食べたことがない。
うちの母親は揚げ物はほぼやらない。面倒だから買ってくるか外食だって言う。
何がどう面倒なのか、俺はやったことがないから分からない。
面倒の基準には個人差がありすぎて、俺が気を遣わないように簡単だと言ってくれたのか、桃野にとっては本当に簡単なのかは判断できないから「凄いなー」とだけ伝えた。
人の家とは思えないほどリラックスしてしまう。ソファーにもたれかかって伸びをする。そうしていると、ふと、桃野が言いにくそうに口を開いた。
「すまない光安、気になっていたんだが……」
「どした?」
聞き返しながら、くつろぎ過ぎたかなと体を起こす。
桃野の人差し指が俺の方へ向いた。
「口、ついてる」
「げ、どこ」
もうちょっと早く言って欲しかった。いつからなんだろう。
俺は舌で唇の周りを拭うように動かして舐める。けど、当たっている感じはしなかった。
「違う、こっちだ。ほら……」
桃野が俺の顔に手を伸ばす。
ベタだなって思ったけど。
自然と顔も体も近づいて心臓が高鳴った。
指先がそっと頬に触れる。
舐めていたところとは笑えるほど違う所だった。
「あ、ありがとな」
なんでもないことなのに、声が少し震えた。
そして、次の瞬間息を呑む。
細い指先についたカケラを桃野は舌で舐めとったのだ。
赤い唇と、濡れた舌の動きから目が離せない。
(……触り、たい……)
俺は吸い寄せられるように右手で白い頬に触れた。想像していたよりも温かい。しっとりとした肌に手が吸い付いて離れなかった。
桃野が逃げないのを良いことに、親指で柔らかい唇に触れる。ゆっくりと整った形に沿ってなぞってみる。
されるがままだった桃野は、その指に舌を這わせた。湿った感覚を指先に感じる。
長いまつ毛に縁取られた目が揺れながらこちらを見た。
「……」
気がついたら、俺は桃野の唇に、自分の唇を静かに重ねていた。
ほんの数秒。
軽く触れ合っただけなのに、頭の奥がジン、と痺れる感じがする。
少し顔を離すと、桃野の目に薄く涙が浮かんでいるのが見えて我に返った。
体の温度が一気に下がった気がした。
(いや、でもさっきのは絶対に桃野も乗り気で……!)
そこまで思って、女の子はそんなつもりはないのに男は勝手に勘違いするって何かで見たのを思い出す。桃野は男だけどこの際そこはどうでもいい。
もしかしたら、口に何か当たったから反射的に舐めてしまっただけなのかもしれない。
いやそんなことあるかあの雰囲気で。
俺は自分からキスしてしまったことの驚きやファーストキスの心地よさや、泣かせてしまった罪悪感や、大暴れする心臓などで、とにかく頭が沸騰しそうなくらい大混乱していた。
訳がわからないまま、勢いよくソファーから立ち上がった。
「え――と……! そろそろ帰るな……!!」
桃野から顔を逸らして無駄にデカい声で宣言する。
このままここに居たら、自分が何をしでかすか分からない。
しかし、温かい手が遠慮がちに俺の手を握った。俺は踏み出そうとした足をピタリと止めて、サビたロボットのようにゆっくりと首を回す。
座ったままの桃野が真っ赤な顔で見上げてきていた。
「……もう、か?」
眉を下げた表情が本当に寂しそうで。
(嫌だったんじゃないのか!?)
俺は頭を抱えて叫び出したかった。
多分、俺の顔も今、耳まで真っ赤だと思う。
逃げたい。
だがしかし。
そもそもキスだけして逃げるなんてとんでもないことな気もしてきた。
ちゃんと恋人になるって決めたんだし。
俺は腹を括ると、もう一度ソファーにドスンと腰を下ろした。
なんとなく手を離せないまま、沈黙が流れる。
(……キスしたんだ……)
俺は改めて舞い上がる頭を少しでも冷静にしようとこっそり深呼吸する。
触れ合っている手が熱い。
前に掌を合わせた時や昼間に手を繋いだ時は全然平気だったのに。
「お粗末でした」
大満足で手を合わせた俺に、桃野は穏やかに目を細めた。
桃野の家は高層マンションの一室だった。
マンションの門も立派だしエントランスは広くて、それだけで裕福な暮らしをしていそうだと感じる。
部屋の玄関も俺の家のマンションの倍くらい広いし。
通されたダイニングに置かれた光沢のある黒いテーブルは4人掛けだったから、そういえば本来は家族全員で住んでいる部屋なんだと思い出す。
一時的とはいえ1人で生活するには広すぎるように感じたが、一人暮らしには憧れて部屋を見渡す。
この空間で、好き勝手出来るのいいなぁ。
リビングには大きい灰色のソファーが置いてあり、カレーを食べ終わってからはそっちに移動した。
フカフカでとても座り心地がいい。
俺は少し体をバウンドさせながらカレーを褒めちぎった。
「カツまでついてんの最高だった! 大変だっただろ?」
「……意外と、簡単だぞ」
サラリと桃野は言うけれど。
揚げたての豚カツが乗ってるカレーなんて、家では食べたことがない。
うちの母親は揚げ物はほぼやらない。面倒だから買ってくるか外食だって言う。
何がどう面倒なのか、俺はやったことがないから分からない。
面倒の基準には個人差がありすぎて、俺が気を遣わないように簡単だと言ってくれたのか、桃野にとっては本当に簡単なのかは判断できないから「凄いなー」とだけ伝えた。
人の家とは思えないほどリラックスしてしまう。ソファーにもたれかかって伸びをする。そうしていると、ふと、桃野が言いにくそうに口を開いた。
「すまない光安、気になっていたんだが……」
「どした?」
聞き返しながら、くつろぎ過ぎたかなと体を起こす。
桃野の人差し指が俺の方へ向いた。
「口、ついてる」
「げ、どこ」
もうちょっと早く言って欲しかった。いつからなんだろう。
俺は舌で唇の周りを拭うように動かして舐める。けど、当たっている感じはしなかった。
「違う、こっちだ。ほら……」
桃野が俺の顔に手を伸ばす。
ベタだなって思ったけど。
自然と顔も体も近づいて心臓が高鳴った。
指先がそっと頬に触れる。
舐めていたところとは笑えるほど違う所だった。
「あ、ありがとな」
なんでもないことなのに、声が少し震えた。
そして、次の瞬間息を呑む。
細い指先についたカケラを桃野は舌で舐めとったのだ。
赤い唇と、濡れた舌の動きから目が離せない。
(……触り、たい……)
俺は吸い寄せられるように右手で白い頬に触れた。想像していたよりも温かい。しっとりとした肌に手が吸い付いて離れなかった。
桃野が逃げないのを良いことに、親指で柔らかい唇に触れる。ゆっくりと整った形に沿ってなぞってみる。
されるがままだった桃野は、その指に舌を這わせた。湿った感覚を指先に感じる。
長いまつ毛に縁取られた目が揺れながらこちらを見た。
「……」
気がついたら、俺は桃野の唇に、自分の唇を静かに重ねていた。
ほんの数秒。
軽く触れ合っただけなのに、頭の奥がジン、と痺れる感じがする。
少し顔を離すと、桃野の目に薄く涙が浮かんでいるのが見えて我に返った。
体の温度が一気に下がった気がした。
(いや、でもさっきのは絶対に桃野も乗り気で……!)
そこまで思って、女の子はそんなつもりはないのに男は勝手に勘違いするって何かで見たのを思い出す。桃野は男だけどこの際そこはどうでもいい。
もしかしたら、口に何か当たったから反射的に舐めてしまっただけなのかもしれない。
いやそんなことあるかあの雰囲気で。
俺は自分からキスしてしまったことの驚きやファーストキスの心地よさや、泣かせてしまった罪悪感や、大暴れする心臓などで、とにかく頭が沸騰しそうなくらい大混乱していた。
訳がわからないまま、勢いよくソファーから立ち上がった。
「え――と……! そろそろ帰るな……!!」
桃野から顔を逸らして無駄にデカい声で宣言する。
このままここに居たら、自分が何をしでかすか分からない。
しかし、温かい手が遠慮がちに俺の手を握った。俺は踏み出そうとした足をピタリと止めて、サビたロボットのようにゆっくりと首を回す。
座ったままの桃野が真っ赤な顔で見上げてきていた。
「……もう、か?」
眉を下げた表情が本当に寂しそうで。
(嫌だったんじゃないのか!?)
俺は頭を抱えて叫び出したかった。
多分、俺の顔も今、耳まで真っ赤だと思う。
逃げたい。
だがしかし。
そもそもキスだけして逃げるなんてとんでもないことな気もしてきた。
ちゃんと恋人になるって決めたんだし。
俺は腹を括ると、もう一度ソファーにドスンと腰を下ろした。
なんとなく手を離せないまま、沈黙が流れる。
(……キスしたんだ……)
俺は改めて舞い上がる頭を少しでも冷静にしようとこっそり深呼吸する。
触れ合っている手が熱い。
前に掌を合わせた時や昼間に手を繋いだ時は全然平気だったのに。
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