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お前にも飲んでほしい
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世界が暗くなり星が瞬く時間。
ディランは一人で自室に向かっていた。
「やり過ぎた……」
今日は軽く剣術の稽古をした後、街に繰り出して部屋に呼ぶ雌に声を掛ける予定だったのだが。
影千代との試合に負けた後、真剣に鍛錬に打ち込んでしまった。
剣術の稽古をしていて気が付いたら周りが暗くなっていたのは、ディランの記憶の中では今日が初めてだ。
街に行こうなどという体力は奪われ、娼館に連絡する気力もない。
もう今日は酒を飲んで寝てしまおうと溜息をつく。
部屋の前に着くと、海里と稲里が影千代の部屋から出てきたところに丁度出くわした。
「よう」
「ディラン様」
「お疲れ様です」
二人が廊下に膝をついてその場で頭を下げたのを上げさせると、ディランは濃い茶色の扉を見つめる。
「……あいつは、もう寝たのか?」
「いえ、少し本を読んでからお休みになると」
「この国の文化についての本だそうです」
「へぇ、真面目な奴だ」
海里と稲里の返答を聞いて、また明日、何か質問してくるのだろうと想像する。
鬱陶しいと思いつつもどこか楽しみになっている自分に気が付き、慌てて表情を引き締めた。
(気の迷いだ気の迷い! 本を読んでるなんて暇な奴だって笑ってやりたくなっただけで……あ)
自分で自分に特に意味のない言い訳をしている最中、ふと思い立った。
「なぁ、後で俺の部屋に来るように伝えてくれ」
予想だにしていなかったディランの言葉に、海里と稲里は顔を見合わせる。
二人が大きなしっぽを揺らしながら慌てて影千代の部屋の扉を開けて入っていくのを、ディランは口の片端を上げて見送った。
ほどなくして部屋にノック音が二回響く。
返事をして夫婦の部屋を繋ぐドアを開けると、怪訝な顔の影千代が部屋を見渡しながら入ってくる。
僅かに尻尾の毛が逆立っているのは、また他の雌がいるのではないかと警戒しているせいだろう。
「まさか、呼ばれることがあるとは思っていなかった」
前回と同じ灰色の浴衣を着ている影千代は、草履を絨毯に沈めながらディランに近寄ってくる。
ディランは、意気揚々とベッドと窓の間にある黒い丸テーブルへと移動した。
テーブルの上には、五種類の酒瓶と二つのグラス、そしてクラッカーやチーズ、サラミなどのつまみが並んでいる。
影千代を呼んだ後、使用人に用意させたものだった。
二人分にしては多い量を用意させたのは、ディランが酒豪であるためだ。
それに加え、昼間に剣で負けた腹いせに影千代を酔いつぶしてやろうと企んでいるからだ。
もし酔いつぶれて寝てしまっても、すぐ隣に部屋がある。影千代の方が体が大きいとはいえ、力のあるディランであれば容易に運べるだろう。
黒い光沢のあるソファ椅子を引いて座るように手で促しながら、ディランは口元に艶やかな笑みを称えた。
「たまには一緒に寝ようぜ」
「……寝……?」
椅子に座ろうとした影千代は、想定外の言葉に目を見開き固まった。
しかし、もっと驚いているのはディランの方であった。
慌てて片手で口を覆い、もう片方の手を大きく左右に振る。
「違う、今のは違う。間違えた」
苛立ちをぶつけているわけでもふざけているわけでもない、初めてみせたディランの動揺っぷりに影千代は訳が分からない様子でただ首を傾げている。
口を滑らせた当の本人は、違う違うと何度も呟いた後、俯いたまま弱弱しい声で言い直す。
「あの、言い間違えた。たまには一緒に飲もうぜ。潰れても部屋は隣だし、その」
「飲もうと寝ようを言い間違えることがあるか?」
なんとかやり直そうと取り繕っているというのに、影千代はすかさず素朴な疑問をぶつけてくる。
痛いところを突かれて自棄になったディランは、羞恥で熱くなってしまった顔を上げて影千代を睨み付ける。
何故言い間違えたかなど、ディランの方が聞きたいくらいであった。
「潰れて一緒に寝ちまってもいいよな夫婦だしって! ちょっとからかってやろうと思ったら! なんかよくわからんけど『寝よう』って言っちまったんだよ!」
荒げた声を最後まできちんと聞いた影千代は、一拍間を置いて噴き出した。
「ははははは! だとしてもそうはならないだろう!」
「やっぱお前もう部屋へ帰れ! 一人で飲む!」
ディランは馴染みのない手触りの胸倉を、両手で勢いよく掴み上げる。興奮で尻尾を激しく揺らしながら顔で扉を示した。
誘っておいてとんでもない癇癪を起こしている自覚はあったが、それどころではなかった。
なんとか笑いを抑えた影千代は、喉の奥でまだ笑いつつも降参するように軽く両手を上げた。
通常であれば敵意のある行動であっても、羞恥心から来るものだと思えば何でもないものだ。
「すまない。可愛いところもあるんだと思って」
「かわ……!?」
「せっかくだから付き合わせてくれ」
幼少期以降言われたことのない単語に戸惑うディランを、影千代は悠然とした微笑みを浮かべて見下ろした。
そして、手を下ろすことを促すように胸元の手に白い手を添える。
「この間、街で海里と稲里に買わせた酒が丁度届いたところだ。我が国で作られた酒で、取り寄せるのに時間が掛かってな」
ディランは添えられた手を不必要なまでに強く弾き、胸倉を開放した。
その手で長い髪を肩の後ろに靡かせると、鼻を鳴らす。
「この国の酒は口に合わなかったか?」
息をするように出てくる憎まれ口にもう慣れてしまったらしい影千代は、ただ笑みを深めた。
「まさか。……お前にも飲んで欲しいと思ってな」
「なんでだよ」
「恋愛関係にはなくとも、私は伴侶と不仲で居たいわけじゃないんだ」
「まぁ……」
深く耳心地の良い声で紡がれる言葉に、不本意ながらもディランは頷いた。
政略結婚の相手とは言え、今後ずっと隣の部屋にいる相手だ。
関わりが薄い分には構わないが、険悪な関係になるのは自由人のディランであっても居心地が悪い。
結婚してからの一週間で、影千代の誠実な人となりは伝わっている。
雄として常に一歩及ばぬところは気に食わないが、恋人や友人とまではいかずとも友好な関係は築けそうだ。
部屋に酒を取りに戻っていく影千代の機嫌よさげに揺れ動く尾を眺めながら、ディランはソファ椅子に腰を沈めた。
そして二時間後。
ディランはテーブルに突っ伏していた。
ディランは一人で自室に向かっていた。
「やり過ぎた……」
今日は軽く剣術の稽古をした後、街に繰り出して部屋に呼ぶ雌に声を掛ける予定だったのだが。
影千代との試合に負けた後、真剣に鍛錬に打ち込んでしまった。
剣術の稽古をしていて気が付いたら周りが暗くなっていたのは、ディランの記憶の中では今日が初めてだ。
街に行こうなどという体力は奪われ、娼館に連絡する気力もない。
もう今日は酒を飲んで寝てしまおうと溜息をつく。
部屋の前に着くと、海里と稲里が影千代の部屋から出てきたところに丁度出くわした。
「よう」
「ディラン様」
「お疲れ様です」
二人が廊下に膝をついてその場で頭を下げたのを上げさせると、ディランは濃い茶色の扉を見つめる。
「……あいつは、もう寝たのか?」
「いえ、少し本を読んでからお休みになると」
「この国の文化についての本だそうです」
「へぇ、真面目な奴だ」
海里と稲里の返答を聞いて、また明日、何か質問してくるのだろうと想像する。
鬱陶しいと思いつつもどこか楽しみになっている自分に気が付き、慌てて表情を引き締めた。
(気の迷いだ気の迷い! 本を読んでるなんて暇な奴だって笑ってやりたくなっただけで……あ)
自分で自分に特に意味のない言い訳をしている最中、ふと思い立った。
「なぁ、後で俺の部屋に来るように伝えてくれ」
予想だにしていなかったディランの言葉に、海里と稲里は顔を見合わせる。
二人が大きなしっぽを揺らしながら慌てて影千代の部屋の扉を開けて入っていくのを、ディランは口の片端を上げて見送った。
ほどなくして部屋にノック音が二回響く。
返事をして夫婦の部屋を繋ぐドアを開けると、怪訝な顔の影千代が部屋を見渡しながら入ってくる。
僅かに尻尾の毛が逆立っているのは、また他の雌がいるのではないかと警戒しているせいだろう。
「まさか、呼ばれることがあるとは思っていなかった」
前回と同じ灰色の浴衣を着ている影千代は、草履を絨毯に沈めながらディランに近寄ってくる。
ディランは、意気揚々とベッドと窓の間にある黒い丸テーブルへと移動した。
テーブルの上には、五種類の酒瓶と二つのグラス、そしてクラッカーやチーズ、サラミなどのつまみが並んでいる。
影千代を呼んだ後、使用人に用意させたものだった。
二人分にしては多い量を用意させたのは、ディランが酒豪であるためだ。
それに加え、昼間に剣で負けた腹いせに影千代を酔いつぶしてやろうと企んでいるからだ。
もし酔いつぶれて寝てしまっても、すぐ隣に部屋がある。影千代の方が体が大きいとはいえ、力のあるディランであれば容易に運べるだろう。
黒い光沢のあるソファ椅子を引いて座るように手で促しながら、ディランは口元に艶やかな笑みを称えた。
「たまには一緒に寝ようぜ」
「……寝……?」
椅子に座ろうとした影千代は、想定外の言葉に目を見開き固まった。
しかし、もっと驚いているのはディランの方であった。
慌てて片手で口を覆い、もう片方の手を大きく左右に振る。
「違う、今のは違う。間違えた」
苛立ちをぶつけているわけでもふざけているわけでもない、初めてみせたディランの動揺っぷりに影千代は訳が分からない様子でただ首を傾げている。
口を滑らせた当の本人は、違う違うと何度も呟いた後、俯いたまま弱弱しい声で言い直す。
「あの、言い間違えた。たまには一緒に飲もうぜ。潰れても部屋は隣だし、その」
「飲もうと寝ようを言い間違えることがあるか?」
なんとかやり直そうと取り繕っているというのに、影千代はすかさず素朴な疑問をぶつけてくる。
痛いところを突かれて自棄になったディランは、羞恥で熱くなってしまった顔を上げて影千代を睨み付ける。
何故言い間違えたかなど、ディランの方が聞きたいくらいであった。
「潰れて一緒に寝ちまってもいいよな夫婦だしって! ちょっとからかってやろうと思ったら! なんかよくわからんけど『寝よう』って言っちまったんだよ!」
荒げた声を最後まできちんと聞いた影千代は、一拍間を置いて噴き出した。
「ははははは! だとしてもそうはならないだろう!」
「やっぱお前もう部屋へ帰れ! 一人で飲む!」
ディランは馴染みのない手触りの胸倉を、両手で勢いよく掴み上げる。興奮で尻尾を激しく揺らしながら顔で扉を示した。
誘っておいてとんでもない癇癪を起こしている自覚はあったが、それどころではなかった。
なんとか笑いを抑えた影千代は、喉の奥でまだ笑いつつも降参するように軽く両手を上げた。
通常であれば敵意のある行動であっても、羞恥心から来るものだと思えば何でもないものだ。
「すまない。可愛いところもあるんだと思って」
「かわ……!?」
「せっかくだから付き合わせてくれ」
幼少期以降言われたことのない単語に戸惑うディランを、影千代は悠然とした微笑みを浮かべて見下ろした。
そして、手を下ろすことを促すように胸元の手に白い手を添える。
「この間、街で海里と稲里に買わせた酒が丁度届いたところだ。我が国で作られた酒で、取り寄せるのに時間が掛かってな」
ディランは添えられた手を不必要なまでに強く弾き、胸倉を開放した。
その手で長い髪を肩の後ろに靡かせると、鼻を鳴らす。
「この国の酒は口に合わなかったか?」
息をするように出てくる憎まれ口にもう慣れてしまったらしい影千代は、ただ笑みを深めた。
「まさか。……お前にも飲んで欲しいと思ってな」
「なんでだよ」
「恋愛関係にはなくとも、私は伴侶と不仲で居たいわけじゃないんだ」
「まぁ……」
深く耳心地の良い声で紡がれる言葉に、不本意ながらもディランは頷いた。
政略結婚の相手とは言え、今後ずっと隣の部屋にいる相手だ。
関わりが薄い分には構わないが、険悪な関係になるのは自由人のディランであっても居心地が悪い。
結婚してからの一週間で、影千代の誠実な人となりは伝わっている。
雄として常に一歩及ばぬところは気に食わないが、恋人や友人とまではいかずとも友好な関係は築けそうだ。
部屋に酒を取りに戻っていく影千代の機嫌よさげに揺れ動く尾を眺めながら、ディランはソファ椅子に腰を沈めた。
そして二時間後。
ディランはテーブルに突っ伏していた。
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