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第38話 領主
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クルーガー軍が崩壊した翌日、エルキュールは父ガイウス、そして叔父たちと共に、旧サイム準男爵領へと足を踏み入れた。そこは、勝利のパレードではなく、食料と薬、そして農具を積んだ荷車を連ねた、静かな慰問団の行進だった。
最初に訪れた村の広場で、エルキュールは集まった村人たちの前に立った。彼らの顔には、新たな支配者への恐怖と、昨日までの敵に対する警戒が色濃く浮かんでいる。
「皆に告げる」
エルキュールの声は、まだ少年のそれだったが、不思議なほどよく通り、広場の隅々まで響き渡った。
「戦いは終わった。クルーガーは君たちに自由を約束し、混乱だけを残した。サイム準男爵は秩序を約束し、貧困だけを残した。僕は、一つだけ約束しよう。それは『機会』だ。働く機会、食べる機会、そして君たちの子供が、より良い明日を迎えるための機会だ」
彼は、広場に集まった元解放軍の兵士たちを見据えた。
「この土地は、今日からステップド領の一部となる。我々の法は公正であり、税は公平だ。武器を置き、我々と共に働くならば、君たちも我々の繁栄を分かち合うことになるだろう」
言葉だけではない。エルキュールは即座に行動を開始した。炊き出しが行われ、何日もまともな食事をしていなかった人々に、温かいスープとパンが配られる。ヴォルフガングの傭兵団は、もはや兵士ではなく、治安を維持し、物資の公正な分配を監督する警察部隊として機能した。ジョン叔父さんのパーティーは、村々を回り、それぞれの場所で何が必要とされているのかを調査し、聞き取りを行った。
元兵士たちには、選択肢が与えられた。農民に戻り、新たな土地で働くか。あるいは、ステップド家の兵士として、ヴォルフガングの指揮下で正当な給料を得るか。そのどちらも、昨日までの彼らには想像もできなかった未来だった。
◇
旧サイム領の再生は、容易ではなかった。長年の圧政と、その後の混乱による傷跡は深い。だが、ステップド領から持ち込まれた新しい農法、新しい道具、そして何よりも「明日は今日より良くなる」という希望が、人々の心を少しずつ溶かしていった。
かつてクルーガーの兵士だった若者が、今ではステップド領の農民に教わりながら、鍬で畑を耕している。彼は、丘の上からその様子を静かに見つめるエルキュールの姿を見つけた。恐怖はない。ただ、不思議な感覚だった。あの少年は、自分たちを打ち負かした。しかし、彼がもたらしたものは、敗北ではなく、生まれて初めて感じる「安寧」という名の感情だった。
◇
遠く離れた、宗主である伯爵の居城。二人の貴族が、最新の報告に眉をひそめていた。
「聞いたか? ステップド家の小僧が、クルーガーの乱を鎮圧したそうだ」
「鎮圧? 奇妙なことを言う。私の聞いた話では、戦らしい戦は一切なく、パンとスープで、数千の軍勢を降伏させたと……」
「どちらにせよ、事実として、あの騎士爵家は準男爵領を丸ごと併合した。伯爵様への許可もなく、だ。一人の犠牲も出さずに領地を倍にし、そこの民は、今や彼を救世主と崇めているという」
「……常軌を逸している。あの家の急成長は、もはや不気味ですらある。地域の力の均衡は、完全に崩れた。我々は、新たな化け物を育ててしまったのかもしれん……」
貴族たちの声には、賞賛ではなく、未知のものへの警戒と、かすかな恐怖が滲んでいた。エルキュール・ステップドの名は、もはや辺境の一領主の息子の名ではなかった。それは、既存の秩序を揺るがす、新たなる嵐の兆候として、権力者たちの間に深く刻み込まれた。
◇
エルキュールは、かつてクルーガー軍を打ち破った丘の上に立っていた。
眼下には、二つの領地が一つとなり、広大な緑の絨毯となって広がっている。新しい村が生まれ、新しい畑が耕され、そこには新しい生活があった。領地の広さは倍になり、民の数は三倍になった。
「……よく、やったな」
隣に立った父ガイウスが、誇らしげに、しかしどこか畏怖の念を込めて呟いた。
「父上」エルキュールは、父のほうを振り向かず、遠くを見つめたまま答えた。「これは、まだ始まりに過ぎません。
一つの問題を解決したことで、僕たちは、より大きく、より厄介な問題に直面することになるでしょう」
彼の視線は、地平線の先、伯爵の居城、そしてさらにその向こうの王都へと向けられていた。泥とパンで勝てる戦いは、もう終わった。次の戦いの相手は、より狡猾で、より強大な、この世界の支配者たちそのものだ。
豊かさと平和を守るための、本当の戦いが、今、始まろうとしていた。
最初に訪れた村の広場で、エルキュールは集まった村人たちの前に立った。彼らの顔には、新たな支配者への恐怖と、昨日までの敵に対する警戒が色濃く浮かんでいる。
「皆に告げる」
エルキュールの声は、まだ少年のそれだったが、不思議なほどよく通り、広場の隅々まで響き渡った。
「戦いは終わった。クルーガーは君たちに自由を約束し、混乱だけを残した。サイム準男爵は秩序を約束し、貧困だけを残した。僕は、一つだけ約束しよう。それは『機会』だ。働く機会、食べる機会、そして君たちの子供が、より良い明日を迎えるための機会だ」
彼は、広場に集まった元解放軍の兵士たちを見据えた。
「この土地は、今日からステップド領の一部となる。我々の法は公正であり、税は公平だ。武器を置き、我々と共に働くならば、君たちも我々の繁栄を分かち合うことになるだろう」
言葉だけではない。エルキュールは即座に行動を開始した。炊き出しが行われ、何日もまともな食事をしていなかった人々に、温かいスープとパンが配られる。ヴォルフガングの傭兵団は、もはや兵士ではなく、治安を維持し、物資の公正な分配を監督する警察部隊として機能した。ジョン叔父さんのパーティーは、村々を回り、それぞれの場所で何が必要とされているのかを調査し、聞き取りを行った。
元兵士たちには、選択肢が与えられた。農民に戻り、新たな土地で働くか。あるいは、ステップド家の兵士として、ヴォルフガングの指揮下で正当な給料を得るか。そのどちらも、昨日までの彼らには想像もできなかった未来だった。
◇
旧サイム領の再生は、容易ではなかった。長年の圧政と、その後の混乱による傷跡は深い。だが、ステップド領から持ち込まれた新しい農法、新しい道具、そして何よりも「明日は今日より良くなる」という希望が、人々の心を少しずつ溶かしていった。
かつてクルーガーの兵士だった若者が、今ではステップド領の農民に教わりながら、鍬で畑を耕している。彼は、丘の上からその様子を静かに見つめるエルキュールの姿を見つけた。恐怖はない。ただ、不思議な感覚だった。あの少年は、自分たちを打ち負かした。しかし、彼がもたらしたものは、敗北ではなく、生まれて初めて感じる「安寧」という名の感情だった。
◇
遠く離れた、宗主である伯爵の居城。二人の貴族が、最新の報告に眉をひそめていた。
「聞いたか? ステップド家の小僧が、クルーガーの乱を鎮圧したそうだ」
「鎮圧? 奇妙なことを言う。私の聞いた話では、戦らしい戦は一切なく、パンとスープで、数千の軍勢を降伏させたと……」
「どちらにせよ、事実として、あの騎士爵家は準男爵領を丸ごと併合した。伯爵様への許可もなく、だ。一人の犠牲も出さずに領地を倍にし、そこの民は、今や彼を救世主と崇めているという」
「……常軌を逸している。あの家の急成長は、もはや不気味ですらある。地域の力の均衡は、完全に崩れた。我々は、新たな化け物を育ててしまったのかもしれん……」
貴族たちの声には、賞賛ではなく、未知のものへの警戒と、かすかな恐怖が滲んでいた。エルキュール・ステップドの名は、もはや辺境の一領主の息子の名ではなかった。それは、既存の秩序を揺るがす、新たなる嵐の兆候として、権力者たちの間に深く刻み込まれた。
◇
エルキュールは、かつてクルーガー軍を打ち破った丘の上に立っていた。
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「……よく、やったな」
隣に立った父ガイウスが、誇らしげに、しかしどこか畏怖の念を込めて呟いた。
「父上」エルキュールは、父のほうを振り向かず、遠くを見つめたまま答えた。「これは、まだ始まりに過ぎません。
一つの問題を解決したことで、僕たちは、より大きく、より厄介な問題に直面することになるでしょう」
彼の視線は、地平線の先、伯爵の居城、そしてさらにその向こうの王都へと向けられていた。泥とパンで勝てる戦いは、もう終わった。次の戦いの相手は、より狡猾で、より強大な、この世界の支配者たちそのものだ。
豊かさと平和を守るための、本当の戦いが、今、始まろうとしていた。
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