初夜の翌朝失踪する受けの話

春野ひより

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追いかけてきた攻めにつかまった受けの話

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 そんなことより、だ。恵さんが、いる。ずっと会いたくて、一目でいいから顔が見たいと願ってやまない彼がいるんだ。

 気づいて欲しいわけじゃなかったし、気づかれるとも思ってなかった。ただ、久しぶりに見る恵さんから目が離せなかったのだ。
 信号待ちをしている人は他にもたくさんいたのに、なぜだか恵さんの姿だけがハッキリと見えていた。胸元からスマートフォンを取り出しどこかに電話かけている。そのまま何かを考えるように視線がゆら、と動く。顔を上げた。
 その一連の動作全てがスローモーションのように見えた。

「…え」

 目が、合った。ヒュッと喉が鳴る。グラスを握った手に力が篭った。
 どうしよう…どうするべき? 同じ言葉がぐるぐると頭を回る。

「あ、」

 思わず口を開いて、またすぐに閉じた。この距離、ましてやガラス越しだ。声なんて届くはずがない。
 呆然と立ち尽くす俺を認識したらしい恵さんは大きく目を見開いて、それからふい、と顔を逸らした。信号が青に変わる。渡るのかな、と思ったけど、彼はくるりと踵を返してそのまま立ち去っていった。

「は、ははっ」

 カウンターに手をつきながらずるずるとその場にしゃがみ込む。
 恵さんには俺じゃない好きな人がいるのは知っていた。彼のいちばんにはどうしたってなれないのも、知っていた。君のことは好きになれないよと、彼から直接言われるのが怖くて逃げたのは俺だ。
 俺だけど、恵さんに拒絶されたのがこんなにも悲しい。
 涙は出なかった。
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