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時価2000万

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 ノヴァやエトに最後の挨拶をする暇もなく、急かされるようにしてイェルに先導され豪華な馬車にジスランと共に乗り込んだアオイは、遠ざかっていく娼館を見つめながら尋ねた。

「これから僕はどこへ行くんですか?」

 アオイの正面に座ったジスランは、アオイの視線の先を追いながら平坦な声で答えた。

「……私の屋敷です」
「旦那様の」

 アオイはジスランの顔を見た。無表情だった。察しの良いアオイが一目では分からないほど、男は一切の感情を綺麗に消し去っている。
 分厚い仮面だ、とアオイは思った。彼は、たぶん僕に考えていることを知られたくないと思ってる。
 似ているな、と思った。僕も同じ、彼に自分を知られたくない。綺麗で、きらきらした僕だけを見ていて欲しい。分かるからこそ、踏み込むのは憚られた。
 どこか気まずい沈黙が落ちる。逃げるように窓の外に視線をやると、ジスランが「ちょうどいい機会ですし」と口を開いた。

「ジスランで構いませんよ。敬語もいりません」
「!?」

 アオイはギョッと目を見開いた。「それはさすがに……」と柔らかく拒否する姿勢を示したが、ジスランも強情だった。彼はもう一度、聞き分けのない子供に言い聞かせるように「構いません」と言った。

「一応、対外的には私とアオイは番になります」

 一応。対外的。
 ジスランの言葉がアオイの心の柔らかい場所をちくちくと刺す。キュッと口元を結んだアオイは、視線だけで続きを促した。

「これからのアオイの地位は、たぶん君が考えているよりずっと高くなります。私の影響力はそれほどまでに大きい。アオイの世界では鶴の一声という言葉があるようですが、その言葉を借りるのであればこの国では竜の一声という言葉が成立します」

 ジスランの口調は事務的なまでに淡々としていた。かなり尊大なことを言っているのにまったくそのように感じない。ただ事実を並べているだけ、といった風だ。

「この国で私と対等な人間は存在しません」

 ジスランがアオイを見る。アオイは彼の金色の瞳を真っ直ぐ見つめ返した。男の視線の動き、声のトーン、全身の緊張を具に観察してようやく腑に落ちたことがある。

 彼は、ジスランは、自分自身に対していっそ恐ろしくなるほど無関心で、無頓着なのだ。

「竜人と人は全く異なる生き物です。姿形はよく似ていますが、似ているだけにすぎません。私と彼らは対等ではない。そう見えるのであれば、それは彼らと結んだ契約によるものです」

 ジスランはそこで言葉を切った。言葉を選ぶように視線が宙を彷徨う。ややあって、小さく嘆息するとジスランは再び話し始めた。

「……でもね、アオイだけは違います。この国で唯一、私の番である――少なくとも彼らにとっては番である、アオイだけは、私と対等な存在になる。アオイは、この国で何より大事にされる存在になるでしょう。私という便利な道具を繋ぎ止めるために」
「便利な道具?」

 思わずジスランの言葉を繰り返すと、男は眉を下げ、唇の端をほんの少し持ち上げた。

「卑下に聞こえてしまったかな。でも、事実ですよ。いくら力の差があったところで私という存在が有限である以上、私もというシステムの一部です。……まあ、とにかく、アオイはこれから先、簡単に侮られるような存在にはなってはいけません。君の安全のために」

 分かりますか、とジスラン。アオイはこくりと頷いた。

「アオイを危険に晒すような愚かな真似をするつもりはありませんが、万が一ということもあります。私は万能ですが、全能ではない。だから、私のことはジスランと呼んでください。敬語も必要ありません」
「……でも、ジスラン様も敬語ですから」
「私のこれは癖のようなものです。こうしていた方が都合が良かっただけ」

 ジスランはそう言ってつい、と視線を窓の外に動かした。窓ガラスに反射した彼の顔を見る。ガラス越しに目が合うと、ジスランは緩く首を傾げた。

「この方が、優しそうに見えるでしょう?」
「ジスランは優しいよ」

 アオイは穏やかな声で答えた。ジスランが弾かれたようにアオイの顔を見る。

「もう謝らないで大丈夫。……そしてありがとう、僕をあそこから連れ出してくれて」

 馬車は開けた場所に出たようだった。遮る物がなくなったことで柔らかい朝の光が差し込んで、ジスランの表情が見えなくなる。せっかくだから見たかったな。そう思いながら、アオイは自分が作れる一番綺麗な笑顔を浮かべた。

 ――ジスランが僕を好きじゃなくたって構わない。

「心配してくれてありがとう。でも、大丈夫。僕はソラハアオイだから」

 ジスランが目を見開く。アオイは小さく息を吸い込んだ。

 ――でも、それならせめて、せめてジスランが望む自分でありたい。

「だから、ジスランが見たい僕を見せてあげる」

 ソラハアオイなら愛されるはずなのだ。
 アオイが縋れるものはそれしかなかった。
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