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時価2000万
3-2
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ジスランが息を呑んだそのとき、馬車が止まった。
彼の表情が見たかったが好奇心にも抗えず外を見ると、ぞろぞろと人が歩いてくるのが見えた。同じく窓の外を見たジスランが「こんなに仰々しくしなくていいと言ったんですけどね」と呟いた。
「使用人ってやつですか?」
「半分以上は王宮の人間です。今日の午後にでもみんな追い返すので明日には減ってますよ」
「……傅かれるのは苦手?」
「竜神様なんてものをやってるので慣れていますけど、そもそも自分の領域に他人がいるの、苦手なんです。息が詰まるので。アオイは?」
「僕はついさっきまで人より犬の方が信頼出来るとこにいました」
「アオイにつける使用人は最低限にしておきましょうね」
ジスランが答えたのと同時に、馬車の扉が開いた。
先にジスランが降り、エスコートするようにアオイに左手を差し出した。アオイには滅多に触れようとしないジスランのその珍しい仕草に面食らってパシパシと瞬きを繰り返す。男は何も言わず、ただアオイを見つめていた。その直向きな瞳に抗えず、逡巡の後彼の手を取った。
男の手は大きかった。顔の造形に相応しく繊細な手指だと思っていた分、厚い手の皮と、その熱いくらいの体温に驚く。アオイよりずっと白い男の手の中に自分の手が重なっているのを見て顔が熱くなるのを感じた。手を繋いでいるわけじゃない。重ねているだけだ。たったこれだけ、些細な接触なのにこんなにも恥ずかしいし、ドキドキする。アオイは慎重に馬車から降りると自然な仕草でジスランから手を離した。これ以上はちょっと無理だった。心臓が爆発しそうだ。
不審に思われないようにドアを開けた人物に視線を向けて、アオイは驚きのあまり仰け反った。
「はとっ……!?」
「? はい、ハトリです。竜神様からお聞きになられているでしょうが、今日からアオイ様の専属執事になります」
「いやそれは初めて聞きました……」
ジスランが咎めるような視線をアオイに向ける。たぶんこれは敬語は要りません、のそれだ。わかる。わかるが、今のアオイはそれどころじゃなかった。
――なんでマネージャーがここに!?
ハトリ、漢字では羽鳥と書くその人は、アオイのマネージャーだった人だ。
アオイはまじまじとハトリと名乗る青年を見た。
癖のない黒髪をきっちり後ろに撫でつけ、人好きのする笑顔を浮かべたその顔はどこか憎めないような愛嬌がある。
うーん、見れば見るほどそっくり。
「まあ世の中には自分と同じ顔が3人はいるっていうし……」
ボソリと呟いたアオイに、ハトリは怪訝そうな顔をした。
「いえ……――いや、ちょっと知り合いに似ていたから」
「そうなのですね。その方がアオイ様にとってその、良い方だといいのですが」
「良い人でしたよ。彼にとっての僕は知らないけど」
「きっとその人もアオイ様のことを好ましく思っていたと思いますよ。さて、それでは、お部屋に案内致しましょうか」
ハトリはそう言って歩き出した。彼に続いてアオイとジスランも歩き出す。歩きながらジスランが尋ねた。
「ハトリ。アオイの部屋はどこに用意しましたか」
「竜神様の自室の隣に用意してございます」
「……あそこ、繋がってませんでしたっけ」
「繋がってましたが塞ぎました」
「ああそう、仕事が早くて結構……」
ジスランは疲れたように頷いた。彼らの会話を大人しく聞いていたアオイは、おずおずと口を挟んだ。
「えーと、お手数お掛けしました?」
「いいえとんでもない。こちらこそ、竜神様との同室をご用意できず申し訳ありません」
思わずジスランの顔を見た。男は眉を下げ、ごめんね、と口だけを動かした。その仕草にまたアオイの気分が落ち込む。
「……いつか同室になるんですか?」
「ええ、もちろん。ただ、色々しきたりがございまして、お披露目までは別室になっています」
「お披露目?」
「……その話は後で。疲れたでしょう。さ、着きました」
ジスランはそう言うと扉の前で止まった。
「ここがアオイの部屋です」
「……隣がジスランの部屋?」
「はい。……その話も、またしましょうね。でも今は休んでください。昨晩から慌ただしかったですし」
ハトリが扉を開ける。どうぞ、と促されたのでアオイはこれから自室になるという部屋に足を踏み入れた。振り返ると、ジスランは口元に淡い微笑を浮かべてアオイの名前を呼んだ。
「おやすみなさい、また夜に迎えに来ます」
「……うん、おやすみ、ジスラン」
控えめに右手を振ると、ジスランは目を細めて応えた。扉が閉まる。しばらく閉じた扉を見つめていると、アオイと共に入室していたハトリの感嘆の声に意識が引き戻された。
「アオイ様はすごいですね」
「すごい?」
振り返って首を傾げると、ハトリは目を輝かせながら大きく頷いた。
「はい。異世界から来た方、特に神子様は言葉が分からないものなのですが、アオイ様はとても流暢でいらっしゃるので」
ハトリに手渡された寝衣を広げながら、アオイはううん、と唸った。「お手伝いしましょうか」と言うハトリの申し出には首を横に振る。
「褒めて貰えるのは嬉しいけど、こっちに来てもう4ヶ月はたつし……」
そもそも教育係はあの、ノヴァである。言葉遣いに間違いがある度、低い声で「今なんて?」と鋭い視線を向けられてきたアオイにとって今の状態はなるべくしてなったという他ない。
「よっ……!? ……失礼しました。それでも今までの方は薬を使われてきたので、アオイ様のような方は珍しいんです」
「薬?」
それはいわゆるアッパー系みたいな?
ソファに腰かけ靴を脱いでいたアオイは顔を上げてハトリを見た。違う。あそう。
「魔法薬です。その中でもどんな言語でも、たとえ異世界の言葉であっても理解できるようになる万能薬ですね」
「万能薬……あーなるほど。あれはそれだったのか……」
アオイがこの世界にきてすぐ、言葉が通じないと知った魔女が飲ませようとした薬があった。あまりにも怪しかったし、腎臓も肝臓も犠牲にしたくなかったアオイは必死に抵抗したのだが、そんな便利なものなら1回くらい飲めば良かったかもしれない。
「もっとも、市井に出回っているものは粗悪品も多く副作用も大きいので飲まない方が懸命ですが」
前言撤回。飲まなくて本当に良かった。
「当家が契約している薬師の方はとても優秀ですのでそんな心配もないんですけどね」
「はあ……そういうもんなんだ」
「はい。ですので万が一怪我などされたら遠慮なく仰てください。神子様……特にニホンジンの神子様は怪我や病気を隠しがちとのことですから」
今朝のイェルの話ぶりから薄々気づいてはいたが、どうも意図して自分は呼ばれたらしいという事実に、アオイはさてどうしよう、とこっそり首を捻った。
情報収集、しておくべきだろうか。
めんどくせえな、とアオイは思った。もう何もかも全部どうでもいい。何の目的で呼ばれていようがジスランはアオイを選ばなかった、これが全てだ。これなら娼館で体を売ってトップ争いをしている方がマシだった。
(迎えに来てくれたときは、あんなに嬉しかったのにな)
アオイは口の端を歪めた。笑顔になり損ねたそれは痛々しかったが、誰も気づかない。
「それに、アオイ様は竜神様の番ですから」
ハトリの言葉に、アオイは皮肉めいた笑みを浮かべた。
「……その番ってさ、間違いだったことはないの?」
「そんなことあるはずがありません!」
大きな声に目を見開くと、ハトリは気まずそうに視線をさ迷わせた。
「失礼しました。しかし、アオイ様が番であることは間違いありません。この国が今一番望んでいた方、それが貴方です」
「……ふうん、そうなんだ」
ぷらぷらと足を揺らしていたアオイは、意味もなく上を見た。天井が高い。シャンデリアがある。あれが落ちたら掃除が大変そうだな、とアオイは思った。
天井を見たまま、できるだけなんでもないように、自然に聞こえるように意識しながらアオイは尋ねた。
「それってさ、ジスランも知っているんだよね」
アオイの質問に、ハトリは怪訝そうな顔をしながらも頷いた。それを横目で見ながら、アオイはずっと考えていた。
――まだできることはある。
アオイは正面を向くと、ハトリと目を合わせた。
「つまり、ジスランは、僕のことを番としてここに迎え入れたんだね」
彼の表情が見たかったが好奇心にも抗えず外を見ると、ぞろぞろと人が歩いてくるのが見えた。同じく窓の外を見たジスランが「こんなに仰々しくしなくていいと言ったんですけどね」と呟いた。
「使用人ってやつですか?」
「半分以上は王宮の人間です。今日の午後にでもみんな追い返すので明日には減ってますよ」
「……傅かれるのは苦手?」
「竜神様なんてものをやってるので慣れていますけど、そもそも自分の領域に他人がいるの、苦手なんです。息が詰まるので。アオイは?」
「僕はついさっきまで人より犬の方が信頼出来るとこにいました」
「アオイにつける使用人は最低限にしておきましょうね」
ジスランが答えたのと同時に、馬車の扉が開いた。
先にジスランが降り、エスコートするようにアオイに左手を差し出した。アオイには滅多に触れようとしないジスランのその珍しい仕草に面食らってパシパシと瞬きを繰り返す。男は何も言わず、ただアオイを見つめていた。その直向きな瞳に抗えず、逡巡の後彼の手を取った。
男の手は大きかった。顔の造形に相応しく繊細な手指だと思っていた分、厚い手の皮と、その熱いくらいの体温に驚く。アオイよりずっと白い男の手の中に自分の手が重なっているのを見て顔が熱くなるのを感じた。手を繋いでいるわけじゃない。重ねているだけだ。たったこれだけ、些細な接触なのにこんなにも恥ずかしいし、ドキドキする。アオイは慎重に馬車から降りると自然な仕草でジスランから手を離した。これ以上はちょっと無理だった。心臓が爆発しそうだ。
不審に思われないようにドアを開けた人物に視線を向けて、アオイは驚きのあまり仰け反った。
「はとっ……!?」
「? はい、ハトリです。竜神様からお聞きになられているでしょうが、今日からアオイ様の専属執事になります」
「いやそれは初めて聞きました……」
ジスランが咎めるような視線をアオイに向ける。たぶんこれは敬語は要りません、のそれだ。わかる。わかるが、今のアオイはそれどころじゃなかった。
――なんでマネージャーがここに!?
ハトリ、漢字では羽鳥と書くその人は、アオイのマネージャーだった人だ。
アオイはまじまじとハトリと名乗る青年を見た。
癖のない黒髪をきっちり後ろに撫でつけ、人好きのする笑顔を浮かべたその顔はどこか憎めないような愛嬌がある。
うーん、見れば見るほどそっくり。
「まあ世の中には自分と同じ顔が3人はいるっていうし……」
ボソリと呟いたアオイに、ハトリは怪訝そうな顔をした。
「いえ……――いや、ちょっと知り合いに似ていたから」
「そうなのですね。その方がアオイ様にとってその、良い方だといいのですが」
「良い人でしたよ。彼にとっての僕は知らないけど」
「きっとその人もアオイ様のことを好ましく思っていたと思いますよ。さて、それでは、お部屋に案内致しましょうか」
ハトリはそう言って歩き出した。彼に続いてアオイとジスランも歩き出す。歩きながらジスランが尋ねた。
「ハトリ。アオイの部屋はどこに用意しましたか」
「竜神様の自室の隣に用意してございます」
「……あそこ、繋がってませんでしたっけ」
「繋がってましたが塞ぎました」
「ああそう、仕事が早くて結構……」
ジスランは疲れたように頷いた。彼らの会話を大人しく聞いていたアオイは、おずおずと口を挟んだ。
「えーと、お手数お掛けしました?」
「いいえとんでもない。こちらこそ、竜神様との同室をご用意できず申し訳ありません」
思わずジスランの顔を見た。男は眉を下げ、ごめんね、と口だけを動かした。その仕草にまたアオイの気分が落ち込む。
「……いつか同室になるんですか?」
「ええ、もちろん。ただ、色々しきたりがございまして、お披露目までは別室になっています」
「お披露目?」
「……その話は後で。疲れたでしょう。さ、着きました」
ジスランはそう言うと扉の前で止まった。
「ここがアオイの部屋です」
「……隣がジスランの部屋?」
「はい。……その話も、またしましょうね。でも今は休んでください。昨晩から慌ただしかったですし」
ハトリが扉を開ける。どうぞ、と促されたのでアオイはこれから自室になるという部屋に足を踏み入れた。振り返ると、ジスランは口元に淡い微笑を浮かべてアオイの名前を呼んだ。
「おやすみなさい、また夜に迎えに来ます」
「……うん、おやすみ、ジスラン」
控えめに右手を振ると、ジスランは目を細めて応えた。扉が閉まる。しばらく閉じた扉を見つめていると、アオイと共に入室していたハトリの感嘆の声に意識が引き戻された。
「アオイ様はすごいですね」
「すごい?」
振り返って首を傾げると、ハトリは目を輝かせながら大きく頷いた。
「はい。異世界から来た方、特に神子様は言葉が分からないものなのですが、アオイ様はとても流暢でいらっしゃるので」
ハトリに手渡された寝衣を広げながら、アオイはううん、と唸った。「お手伝いしましょうか」と言うハトリの申し出には首を横に振る。
「褒めて貰えるのは嬉しいけど、こっちに来てもう4ヶ月はたつし……」
そもそも教育係はあの、ノヴァである。言葉遣いに間違いがある度、低い声で「今なんて?」と鋭い視線を向けられてきたアオイにとって今の状態はなるべくしてなったという他ない。
「よっ……!? ……失礼しました。それでも今までの方は薬を使われてきたので、アオイ様のような方は珍しいんです」
「薬?」
それはいわゆるアッパー系みたいな?
ソファに腰かけ靴を脱いでいたアオイは顔を上げてハトリを見た。違う。あそう。
「魔法薬です。その中でもどんな言語でも、たとえ異世界の言葉であっても理解できるようになる万能薬ですね」
「万能薬……あーなるほど。あれはそれだったのか……」
アオイがこの世界にきてすぐ、言葉が通じないと知った魔女が飲ませようとした薬があった。あまりにも怪しかったし、腎臓も肝臓も犠牲にしたくなかったアオイは必死に抵抗したのだが、そんな便利なものなら1回くらい飲めば良かったかもしれない。
「もっとも、市井に出回っているものは粗悪品も多く副作用も大きいので飲まない方が懸命ですが」
前言撤回。飲まなくて本当に良かった。
「当家が契約している薬師の方はとても優秀ですのでそんな心配もないんですけどね」
「はあ……そういうもんなんだ」
「はい。ですので万が一怪我などされたら遠慮なく仰てください。神子様……特にニホンジンの神子様は怪我や病気を隠しがちとのことですから」
今朝のイェルの話ぶりから薄々気づいてはいたが、どうも意図して自分は呼ばれたらしいという事実に、アオイはさてどうしよう、とこっそり首を捻った。
情報収集、しておくべきだろうか。
めんどくせえな、とアオイは思った。もう何もかも全部どうでもいい。何の目的で呼ばれていようがジスランはアオイを選ばなかった、これが全てだ。これなら娼館で体を売ってトップ争いをしている方がマシだった。
(迎えに来てくれたときは、あんなに嬉しかったのにな)
アオイは口の端を歪めた。笑顔になり損ねたそれは痛々しかったが、誰も気づかない。
「それに、アオイ様は竜神様の番ですから」
ハトリの言葉に、アオイは皮肉めいた笑みを浮かべた。
「……その番ってさ、間違いだったことはないの?」
「そんなことあるはずがありません!」
大きな声に目を見開くと、ハトリは気まずそうに視線をさ迷わせた。
「失礼しました。しかし、アオイ様が番であることは間違いありません。この国が今一番望んでいた方、それが貴方です」
「……ふうん、そうなんだ」
ぷらぷらと足を揺らしていたアオイは、意味もなく上を見た。天井が高い。シャンデリアがある。あれが落ちたら掃除が大変そうだな、とアオイは思った。
天井を見たまま、できるだけなんでもないように、自然に聞こえるように意識しながらアオイは尋ねた。
「それってさ、ジスランも知っているんだよね」
アオイの質問に、ハトリは怪訝そうな顔をしながらも頷いた。それを横目で見ながら、アオイはずっと考えていた。
――まだできることはある。
アオイは正面を向くと、ハトリと目を合わせた。
「つまり、ジスランは、僕のことを番としてここに迎え入れたんだね」
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