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知性の神殿
1-2
男が息を飲む。秀斗は浮かべていた笑みを綺麗に消し去ると無表情で男を見つめた。
「知性と理性を獲得し文明を発展させてきた人間が、他者を本能で屈服させようなど笑わせる。常時酩酊状態なのか? 確かに僕はSubだ。間違いなく、正真正銘、Switchですらない、Subだ。しかしたまたま性別がDomだったというだけで、この僕を従えられると思っているのならば今すぐ考えを改めろ」
秀斗は立ち上がると品の良い仕草でスーツの皺を整え男を冷えきった目で見下ろした。蛇に睨まれた蛙のように、男の顔に焦燥が滲む。
「人は皆獣だが服を着ない獣に価値はない。この話はなかったことにさせてもらおう」
「そ、そんなっ」
「これ以上口を開くな、不愉快だ」
縋りつこうとする男をバッサリ切り捨てると、秀斗は堂々と応接間を後にした。
九条秀斗は、世界中にグループ企業を持つ日本屈指の素封家一族である九条家の嫡男だ。遡れば華族の血を引くという由緒正しい名家である九条の直系として、秀斗には幼い頃からあらゆる教育が施されてきた。文武に秀でることは当然、求められたのは九条としての資質――すなわち、支配者であれ。
九条という家は、当主に全ての権力を集約させることで完璧な支配を実現し、発展してきた。当然、当主の第二の性はDomだ。Domの中でも厳しい競争に勝ち抜いたハイランクのDomを当主に据えることで、九条はその特異な支配体制を維持し、栄えてきたのだ。なので、秀斗に施された教育もそれ相応のものであった。虐待にならなかったのは秀斗がちょっとびっくりするほど優秀だったからだ。
大の大人でも逃げ出すような厳しい教育を軽々とこなし、どんな難しい課題を与えても必ず期待以上の成果をあげる秀斗を、周囲は九条に相応しいDomだと持て囃した。
だが、15歳の検診で明らかになった秀斗の第二の性はSubだった。
――Sub、被支配的・被虐的特性を持つ性。
どんなに優秀でもSubが九条の当主になることは不可能だ。現在の当主である秀斗の父は苦い顔をし、母は「私がちゃんと産んでいれば」と泣き崩れ、先代である祖父にいたっては早々に見切りをつけた。
将来を渇望されていた秀斗の未来は一転、ここで絶たれたと思われた――が、秀斗は周囲が思うよりずっと優秀だった。正しくは、骨の髄まで九条の人間だった。
幼い頃から叩き込まれた教育の影響もあるのだろう、秀斗は長い歴史を持つ九条の中でも圧倒的なカリスマと才能を持っていた。“支配する”才能である。
秀斗は自分の第二の性についてまったく意に介していなかった。彼にとってDomもSubも皆等しく有象無象であり、他者の上に立ち支配することは息をするより簡単なことだったからだ。視線で、表情で、声のトーンで、秀斗は意のままに他者を支配することができた。
秀斗がSubだと知るやいなや九条という巨大利権を我が物にしようとわらわら人間がやってきたが、目には目を、支配には支配を、ついでに二度と楯突く気を起こさせないくらいの恐怖を、といった具合で秀斗は着実に実力を示してきた。実力が足りない場合は一切躊躇うことなく九条の名前を使った。もうやりたい放題である。
そんなことをしてたら二十歳になる頃には“蛮族”という名家の子息にあるまじき渾名を欲しいままにするに至った。父は頭を抱えた。いつの間にか、秀斗をSubだと軽んじる人間はいなくなっていた。
――この僕にお粗末なグレアを向けるな、鬱陶しい。
ハイランクのDomがひしめく会議室で、役員に就任した秀斗が開口一番言い放った言葉である。祖父は泡を食って倒れた。24歳の春のことだ。この頃には、九条の中で秀斗の地位は磐石なものになっていた。
それから25歳になる現在まで、秀斗は次期当主として精力的に働いている。
秀斗が得意としているのは主に交渉だ。最早詐欺の域、と一部ではもっぱらの評判である。もっとも、高層ビルもかくやというほどプライドが高い一方で、瞬間湯沸かし器か? というくらい沸点が低い秀斗は、今のように途中で切り上げて帰ることも少なくなかったが。
「お早いですね」
待たせていた車に乗り込むと、運転手がバックミラー越しに話しかけてきた。ネクタイを緩めながら軽く頷く。
「まあね。思ったよりつまらない男だった」
「残念です」
「まったくだ」
バックミラー越しに視線を合わせると、滑らかに車が発進する。
流れていく景色を横目で見ながらシャツの第一ボタンを外し、ゆっくりと息を吐いた。その瞬間、首筋に焦げ付くような感覚が走る。秀斗は不快そうに顔を歪めた。
(クソ、あの半端者が)
項に触りながら短く舌打ちをする。眉間に皺を寄せたまま、秀斗はバックミラーを見た。青年の視線に気づいた運転手が顔を上げる。
「……そういえば、貴方もDomでしたっけ」
九条という家の特殊性から、秀斗の周りにはDomが、それもランクが高いDomが多い。この運転手も例に漏れずそれなりのランクだったはずだ。
運転手として雇う際に頭に入れた男のプロフィールを思い出しながら尋ねると、男はおずおずと頷いた。
「ええまあ、一応……」
秀斗はバックミラー越しにじっと運転手を見た。男は瞬きをしなかった。できないのだ。その瞳には緊張、そして隠しきれない期待の色。落ち着かない様子でハンドルを握り直している。――Domのランクに期待するのはもういい加減止めるべきだな。
秀斗はパッと視線を外し、車窓に肘を預けた。
「ないな」
「ハハ……」
運転手が苦笑いを浮べる。秀斗はつまらなそうに車窓の外を見た。
時代が進み、隷属の性とされていたSubが持つ決定権に注目されるようになった。真の決定権を持つのはDomではなくSubである、という論説も一般に受け入れられつつあるが、ハイランクのDomが持つ強制力は依然として存在する。ハイランクのDomになるほど、Subから雑に扱われることは少なくなるのが普通だ。秀斗は普通じゃないのでハイランクのDomだろうが関係なく好きに扱った。怖いものがないのか? とは秀斗の友人の言葉である。
怖いものがない、というわけではない。秀斗にだって怖いものはある。ただ、許されると確信しているのだ。
実際、今まさに秀斗に「ない」と言われた運転手も、怒るどころか苦笑いで済ませている。本来なら支配するはずのSubに粗雑に扱われた屈辱を感じているようにはとても見えない。
秀斗はプライドが高く高慢で、自信家で不遜、礼儀もなっちゃいない。だが、数多の欠点を補ってあまりあるほど不思議な魅力があった。
秀斗は背もたれに凭れると腕を組み、目を閉じた。
「本社に戻る。着いたら起こしてください」
「承知しました」
SubでありながらハイランクのDomすら従える男――それが、九条秀斗だった。
「知性と理性を獲得し文明を発展させてきた人間が、他者を本能で屈服させようなど笑わせる。常時酩酊状態なのか? 確かに僕はSubだ。間違いなく、正真正銘、Switchですらない、Subだ。しかしたまたま性別がDomだったというだけで、この僕を従えられると思っているのならば今すぐ考えを改めろ」
秀斗は立ち上がると品の良い仕草でスーツの皺を整え男を冷えきった目で見下ろした。蛇に睨まれた蛙のように、男の顔に焦燥が滲む。
「人は皆獣だが服を着ない獣に価値はない。この話はなかったことにさせてもらおう」
「そ、そんなっ」
「これ以上口を開くな、不愉快だ」
縋りつこうとする男をバッサリ切り捨てると、秀斗は堂々と応接間を後にした。
九条秀斗は、世界中にグループ企業を持つ日本屈指の素封家一族である九条家の嫡男だ。遡れば華族の血を引くという由緒正しい名家である九条の直系として、秀斗には幼い頃からあらゆる教育が施されてきた。文武に秀でることは当然、求められたのは九条としての資質――すなわち、支配者であれ。
九条という家は、当主に全ての権力を集約させることで完璧な支配を実現し、発展してきた。当然、当主の第二の性はDomだ。Domの中でも厳しい競争に勝ち抜いたハイランクのDomを当主に据えることで、九条はその特異な支配体制を維持し、栄えてきたのだ。なので、秀斗に施された教育もそれ相応のものであった。虐待にならなかったのは秀斗がちょっとびっくりするほど優秀だったからだ。
大の大人でも逃げ出すような厳しい教育を軽々とこなし、どんな難しい課題を与えても必ず期待以上の成果をあげる秀斗を、周囲は九条に相応しいDomだと持て囃した。
だが、15歳の検診で明らかになった秀斗の第二の性はSubだった。
――Sub、被支配的・被虐的特性を持つ性。
どんなに優秀でもSubが九条の当主になることは不可能だ。現在の当主である秀斗の父は苦い顔をし、母は「私がちゃんと産んでいれば」と泣き崩れ、先代である祖父にいたっては早々に見切りをつけた。
将来を渇望されていた秀斗の未来は一転、ここで絶たれたと思われた――が、秀斗は周囲が思うよりずっと優秀だった。正しくは、骨の髄まで九条の人間だった。
幼い頃から叩き込まれた教育の影響もあるのだろう、秀斗は長い歴史を持つ九条の中でも圧倒的なカリスマと才能を持っていた。“支配する”才能である。
秀斗は自分の第二の性についてまったく意に介していなかった。彼にとってDomもSubも皆等しく有象無象であり、他者の上に立ち支配することは息をするより簡単なことだったからだ。視線で、表情で、声のトーンで、秀斗は意のままに他者を支配することができた。
秀斗がSubだと知るやいなや九条という巨大利権を我が物にしようとわらわら人間がやってきたが、目には目を、支配には支配を、ついでに二度と楯突く気を起こさせないくらいの恐怖を、といった具合で秀斗は着実に実力を示してきた。実力が足りない場合は一切躊躇うことなく九条の名前を使った。もうやりたい放題である。
そんなことをしてたら二十歳になる頃には“蛮族”という名家の子息にあるまじき渾名を欲しいままにするに至った。父は頭を抱えた。いつの間にか、秀斗をSubだと軽んじる人間はいなくなっていた。
――この僕にお粗末なグレアを向けるな、鬱陶しい。
ハイランクのDomがひしめく会議室で、役員に就任した秀斗が開口一番言い放った言葉である。祖父は泡を食って倒れた。24歳の春のことだ。この頃には、九条の中で秀斗の地位は磐石なものになっていた。
それから25歳になる現在まで、秀斗は次期当主として精力的に働いている。
秀斗が得意としているのは主に交渉だ。最早詐欺の域、と一部ではもっぱらの評判である。もっとも、高層ビルもかくやというほどプライドが高い一方で、瞬間湯沸かし器か? というくらい沸点が低い秀斗は、今のように途中で切り上げて帰ることも少なくなかったが。
「お早いですね」
待たせていた車に乗り込むと、運転手がバックミラー越しに話しかけてきた。ネクタイを緩めながら軽く頷く。
「まあね。思ったよりつまらない男だった」
「残念です」
「まったくだ」
バックミラー越しに視線を合わせると、滑らかに車が発進する。
流れていく景色を横目で見ながらシャツの第一ボタンを外し、ゆっくりと息を吐いた。その瞬間、首筋に焦げ付くような感覚が走る。秀斗は不快そうに顔を歪めた。
(クソ、あの半端者が)
項に触りながら短く舌打ちをする。眉間に皺を寄せたまま、秀斗はバックミラーを見た。青年の視線に気づいた運転手が顔を上げる。
「……そういえば、貴方もDomでしたっけ」
九条という家の特殊性から、秀斗の周りにはDomが、それもランクが高いDomが多い。この運転手も例に漏れずそれなりのランクだったはずだ。
運転手として雇う際に頭に入れた男のプロフィールを思い出しながら尋ねると、男はおずおずと頷いた。
「ええまあ、一応……」
秀斗はバックミラー越しにじっと運転手を見た。男は瞬きをしなかった。できないのだ。その瞳には緊張、そして隠しきれない期待の色。落ち着かない様子でハンドルを握り直している。――Domのランクに期待するのはもういい加減止めるべきだな。
秀斗はパッと視線を外し、車窓に肘を預けた。
「ないな」
「ハハ……」
運転手が苦笑いを浮べる。秀斗はつまらなそうに車窓の外を見た。
時代が進み、隷属の性とされていたSubが持つ決定権に注目されるようになった。真の決定権を持つのはDomではなくSubである、という論説も一般に受け入れられつつあるが、ハイランクのDomが持つ強制力は依然として存在する。ハイランクのDomになるほど、Subから雑に扱われることは少なくなるのが普通だ。秀斗は普通じゃないのでハイランクのDomだろうが関係なく好きに扱った。怖いものがないのか? とは秀斗の友人の言葉である。
怖いものがない、というわけではない。秀斗にだって怖いものはある。ただ、許されると確信しているのだ。
実際、今まさに秀斗に「ない」と言われた運転手も、怒るどころか苦笑いで済ませている。本来なら支配するはずのSubに粗雑に扱われた屈辱を感じているようにはとても見えない。
秀斗はプライドが高く高慢で、自信家で不遜、礼儀もなっちゃいない。だが、数多の欠点を補ってあまりあるほど不思議な魅力があった。
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