世界は、君を愛したくて創られた

六紫

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第5章 壊れゆく関係と自覚

第5章 第1話 あなたの中にいるのは?

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最初はほんの些細なことだった。

手は、繋がれなかった。

約束の時間に遅れそうになって、歩き慣れた道を訓練場に足早に向かっていた。義兄さんと一緒に。

魔素の乱れに足を取られて、縺れるように前屈みになった瞬間、私を義兄さんの起こした風が支える。

ーー風…だけ?

一瞬、ふつりと息が詰まった。

巫女服の裾が風に揺れて、ゆらゆらとふくらはぎを掠めている。

そして、触れ合うのが当たり前になっていたことに、まず気付く。

それが物足りないと感じてしまっている自分に
次は気付いてしまった。

義兄さんに向かって、伸ばそうとしていた腕は不自然に小さな弧を描き、指先には淡い魔素が止まっている。

「大丈夫か?」

低く優しい声の響きは変わらない。

けれど、その手が頭を撫でることも、私の手を取ることもなかった。

ーーこれが、前は…普通だった、よね。

歩き出した両足には、魔素を含んだ空気が纏わりつき、見上げた空には薄紫が混じっている。

朝露に濡れた花々の上を白い蝶と青い蝶が戯れ、オレンジや緑…濃紺の色合いを持つ人々とすれ違う。

見える景色、
重みのある風、
鼻腔を擽る、甘く湿った香り達ーー

もう、いちいち、それらに不思議な気持ちを覚えない。

…ここは異世界だ。
そして、今の私達の『現実』だ。

ーー普通が何か…分かんなくなっちゃったな。

あの日からは、義兄さんは私に触れない。

満ちているはずの胸の奥の片隅に、
…小さな気泡が湧いて、居座っている。

ーー「兄妹」としての適切な距離?だから?

以前と同じなのに、何か違う。

その些細な違いが綻びとなる。

心のどこかがほつれているのは分かるのに、
どこを直せばいいのかが見つけられない。

ーー聞いても、きっと教えてもらえない。

斜め前を歩く背中の大きさも、何も変わらない。もどかしさが募っていくだけだ。

訓練はあれから順調に行っている。

夜に義兄さんと手を繋いで魔素を交換すれば、昼間に他の人と魔素をやり取りしても、私の舞は乱れなくなった。

そう、義兄さんはまた毎晩のように来てくれる。ミルクティーと珈琲を飲みながら、その日あったことやなんか二人で他愛のない話をする。

そこに流れる空気も、私の胸をくすぐるような温かな優しさも前と変わらない…凪いだ瞳も。


時々、訪れる会話と会話の間の空白が、ほんの数秒、前より長い。

カップから立ち昇る湯気だけが動きを止めずに、芳ばしさを放ち続けている。

その沈黙を埋めるために話し出す義兄さんの声のトーンが、とても微妙だけど…高く感じる。

それに合わせて、私の声も上擦って、時間だけを埋めていく。


ーー義兄さんの魔素も…前より深く入ってこない。

骨の奥まで溶かすような…細胞が混じり合うような、あの至福をまるで避けているかのように。

「リィナ様は、本当は何を望まれていらっしゃるのですか?」

ミレイ様の言葉が、毎日何度も頭の中で繰り返される。

身の内を巡る紫の魔素が、義兄さんの青をもっと欲しいと、もっと深く溶け合いたいと…身体の奥から訴えかけてきて、熱を持ち始めている。

見上げた横顔は、口元を真一文字に引き結んで
厳しい眼差しで周囲を伺っている。
それでいて、歩幅だけは小柄な私に合わせてくれている。

今は、護衛として、職務を遂行してる顔。
「巫女」と「護衛」の距離。

どこからか、薔薇の香りがしてきて、
私の思考を甘く刺激する。

ーーねえ…義兄さん。

冷静さを湛えた青に、ひっそりと問いかける。

ーー今、あなたにとって私は、
「里菜」なの?
それとも、「リィナ」なの?

ーー義兄さんは、本当は何を望んでいるの?

ふうっと少し深く息を吸いこんで、また、その横顔を見つめる。

ついこの間、長年聞きたかったことが言えたのに、今度は、また、新たに聞きたいことが出てきてしまった。

ーー義兄さんのことになると…きりがない。

自嘲気味な溜息をつきながら、足元を見る。

ーー長く見ないふりをして、身体に溜め込んできた感情の扉を、私はもう開けてもいいの?

ここ数日繰り返される自問に、答えもないまま、私達は訓練場に辿り着いた。

扉が開いて、今日も女神がにっこりと出迎えてくれた。
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