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第5章 壊れゆく関係と自覚
第5章 第2話 掴めない関係に
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強い風が木々を揺らして、葉をざわめかせながら鳴らしていた。
ざわざわと揺れる葉先に合わせて、空気中の魔素が風に四方八方へと吹き散らされていく。
ーー「黒南風」?
…ここじゃそれは違うか。
いつもは紫がった空は鈍色に変わり、遠くに厚い雲が垂れ込めていて、赤く滲んでいる。
ふっと吸い込んだ空気は、湿り気を帯びている。
胸に居座る気泡が、ぷくり、と息を吐き出して増えていくような気がする。
軽快な足取りのクロードさんが私を先導してる。
ーー今日は、二日酔いじゃないんだな…
そんなくだらないことを考えると、クロードさんが唐突に振り返ってへらりと笑った。
刹那、ヒヤリと冷たい空気が背筋を撫でた。
「巫女様~、ちょ~っと失礼しますっ、よっと。」
それを言い切らないうちに、オレンジの光が私を覆い、クロードさんが回転しながら地面を蹴り上げるのが見えた。
そしてその手元がキラリと光り、白い残光を引いた。地面に、ぽとりと小さくて黒い塊が落ちる。
クロードさんが鋭い目付きで、地面に落ちた塊に、剣を突き立てた。
ーー今ここに魔獣が来たの?
私は、詰めていた息を吐くのと同時にすとんと地面に尻もちをついた。
ーーあ…息が…やばいかも…。
いつもの突然に喉の奥が狭まる発作に備えて、大きく息を吸いこむ。
肺が開いて、ちゃんと体に酸素を取り込んでいく。青い魔素と紫の魔素が強張りそうになる体に息の通り道を作っていく。
ーー呼吸が止まらない…発作が来ない。
義兄さんの魔素のおかげなの?
私は何も変わらずに酸素を循環させている体に呆気に取られて、ただ胸を動かして息をしていた。
鼓膜の内側の音が全て止まった。
「巫女様~大丈夫すっか~?息できます~?隊長呼びますかぁ?」
座り込んだままの私を発作が起きたと勘違いしたのか、クロードさんが、慌てて近付いてくる。慌てているのに、どこか間延びした声。
ーー今、一瞬で魔獣を仕留めていた人とは別人だな。
そのあまりの違いが妙に面白くて、笑みがこぼれた。
「大丈夫です。大丈夫。びっくりして、腰が抜けちゃっただけです…。まだ立てませんけど…」
そっと胸に手を当てて、身体を流れる魔素をじんわりと感じる。
義兄さんの気配が身の内にある。
その事実に心はひどく震える。
ーー義兄さんのおかげで、発作は起きなかった。義兄さんが私の中にいる…
これは喜び、だ。
「兄妹」にたいしては感じるには、
後ろめさと一緒にある仄暗い愉悦。
もう一度深く息を吸えば、
異世界独特の濃密で湿り気を帯びた空気が私を満たす。
クロードさんは腰を屈めて、そんな私の様子をじっと伺っている。
そのうちに辺りをキョロキョロと見渡したかと思えば、意を決したように「御身、失礼しますよ~」と小声で囁きながら、手を引いて立たせてくれた。
「ありがとうございます。クロードさんって…本当は強いんですね。」
巫女服についた土を払いながら、お礼を言えば、
「巫女様~、俺のことなんだと思ってたんっすか~?俺、エリートのはずなのに、なあんか、チャラいとか言われて…」
相変わらず、その口からは緊迫感の欠片もない話が飛び出してくる。
「こんなに仕事もできるのに、全然モテないすんすよねえ。どうしてなんですかね?やっぱり、銀色の人のせいなんですかねえ。」
全く原因が分からないと不思議な顔をしながら、クロードさんのほぼ独り言になっているボヤキは続く。
ーーあの、それは…そういうところだと思いますよ。
思わず心の中で突っ込んで、気の抜けた会話に胸の奥の愉悦は、微睡んで静かに意識の底に沈んでいく。
その余韻を確かめながらも、クロードさんに笑って相槌を打って、歩き始めようとした瞬間、
「クロード。」
突然に馴染みのある低い声に引き留められた。
ーー義兄さん、いたの?
「何があった?報告を」
義兄さんは私の様子を一瞥すると、すぐにクロードさんに視線を戻して話を聞き始めた。
どきんと一つ、違和感が心臓を叩いた。
綻びが広がって、どこが解れているのかが分かってしまった。
ーー順番だ。順番が違う…いつもなら先に…
「リィナ、大丈夫か?発作は?」
心配そうに体調を確認をするこの人は、
今はどうしようもなく「護衛」だ。
ーーいつもなら、先に私の体調を気遣ってくれていたのに。
そうか、あの日から義兄さんは「義兄」じゃなくて、「護衛」としていたのか…
ーーじゃあ、魔素の交換も「任務」だったわけだ。
『義妹のくせに、触れられることを喜んでいるのを気付かれた?』
後ろめたさが、心臓をさわりと撫でた。
ざっと強い風が足元を吹き抜けて、空気中の淡い光の粒をいくつか義兄さんと私の間に舞い上げた。
どこからか飛んできた薔薇の花弁が1枚地面に落ちる。
ーー聞くのは怖い…けど、確かめるには?
「大丈夫…でも、魔素は交換して欲しい、です。」
おずおずと手を差し出すと、そっと義兄さんが私の指先握る。
義兄さんの手が氷のように冷え切っている。
それでも、義兄さんが私の頼みを断らなかったことに、ほっとする。
ーー考え過ぎだったのかも…
冷えた義兄さんの手を温めるように包みこんだ。
「流すぞ」
その声とともに冷たい指先から、炎のような青い迸りが一気に指先から流れ込んでくる。
その流れはとても熱くて骨の髄まで、頭の芯まで蕩けるようだ。
視界が青に染まって目眩がする。
その酩酊が心地よく、紫の魔素が青の中を揺蕩って、義兄さんの中に消えていくのを感じる。
「えっぐ…すんげえ魔素の量…」
クロードさんの気の抜けた声が直ぐ側で聞こえきた。義兄さんがぱっと手を離して、唐突に魔素の交換は終わってしまった。
私は義兄さんを見上げて、熱の名残をその表情の探す。
「すまない。加減を間違えた。」
そう謝ってくる怜悧な青は、何も温度を残しておらず、確かめたかったことも何も分からなかった。
ーー今のは…何?
私の胸の奥で、気泡が、また膨らんだ。
指先を一人で擦り合わせながら、熱の痕を己の内に探す。
「隊長~、巫女様、全身青く光っちゃってるじゃないですか~。心配し過ぎですって~」
「クロード。巫女を訓練場までお送りしろ。俺はここの後始末をして、殿下に報告に行く。」
「はいっす。じゃ、巫女様行きますよ~」
クロードさんが私を促して歩き出した。
歩きながら義兄さんを振り返るけど、黒い塊の前にしゃがみこんでるだけだった。
湿り気のある重み含んだ風が吹き付けてくる。私の火照りはおさまらない。
ざわざわと揺れる葉先に合わせて、空気中の魔素が風に四方八方へと吹き散らされていく。
ーー「黒南風」?
…ここじゃそれは違うか。
いつもは紫がった空は鈍色に変わり、遠くに厚い雲が垂れ込めていて、赤く滲んでいる。
ふっと吸い込んだ空気は、湿り気を帯びている。
胸に居座る気泡が、ぷくり、と息を吐き出して増えていくような気がする。
軽快な足取りのクロードさんが私を先導してる。
ーー今日は、二日酔いじゃないんだな…
そんなくだらないことを考えると、クロードさんが唐突に振り返ってへらりと笑った。
刹那、ヒヤリと冷たい空気が背筋を撫でた。
「巫女様~、ちょ~っと失礼しますっ、よっと。」
それを言い切らないうちに、オレンジの光が私を覆い、クロードさんが回転しながら地面を蹴り上げるのが見えた。
そしてその手元がキラリと光り、白い残光を引いた。地面に、ぽとりと小さくて黒い塊が落ちる。
クロードさんが鋭い目付きで、地面に落ちた塊に、剣を突き立てた。
ーー今ここに魔獣が来たの?
私は、詰めていた息を吐くのと同時にすとんと地面に尻もちをついた。
ーーあ…息が…やばいかも…。
いつもの突然に喉の奥が狭まる発作に備えて、大きく息を吸いこむ。
肺が開いて、ちゃんと体に酸素を取り込んでいく。青い魔素と紫の魔素が強張りそうになる体に息の通り道を作っていく。
ーー呼吸が止まらない…発作が来ない。
義兄さんの魔素のおかげなの?
私は何も変わらずに酸素を循環させている体に呆気に取られて、ただ胸を動かして息をしていた。
鼓膜の内側の音が全て止まった。
「巫女様~大丈夫すっか~?息できます~?隊長呼びますかぁ?」
座り込んだままの私を発作が起きたと勘違いしたのか、クロードさんが、慌てて近付いてくる。慌てているのに、どこか間延びした声。
ーー今、一瞬で魔獣を仕留めていた人とは別人だな。
そのあまりの違いが妙に面白くて、笑みがこぼれた。
「大丈夫です。大丈夫。びっくりして、腰が抜けちゃっただけです…。まだ立てませんけど…」
そっと胸に手を当てて、身体を流れる魔素をじんわりと感じる。
義兄さんの気配が身の内にある。
その事実に心はひどく震える。
ーー義兄さんのおかげで、発作は起きなかった。義兄さんが私の中にいる…
これは喜び、だ。
「兄妹」にたいしては感じるには、
後ろめさと一緒にある仄暗い愉悦。
もう一度深く息を吸えば、
異世界独特の濃密で湿り気を帯びた空気が私を満たす。
クロードさんは腰を屈めて、そんな私の様子をじっと伺っている。
そのうちに辺りをキョロキョロと見渡したかと思えば、意を決したように「御身、失礼しますよ~」と小声で囁きながら、手を引いて立たせてくれた。
「ありがとうございます。クロードさんって…本当は強いんですね。」
巫女服についた土を払いながら、お礼を言えば、
「巫女様~、俺のことなんだと思ってたんっすか~?俺、エリートのはずなのに、なあんか、チャラいとか言われて…」
相変わらず、その口からは緊迫感の欠片もない話が飛び出してくる。
「こんなに仕事もできるのに、全然モテないすんすよねえ。どうしてなんですかね?やっぱり、銀色の人のせいなんですかねえ。」
全く原因が分からないと不思議な顔をしながら、クロードさんのほぼ独り言になっているボヤキは続く。
ーーあの、それは…そういうところだと思いますよ。
思わず心の中で突っ込んで、気の抜けた会話に胸の奥の愉悦は、微睡んで静かに意識の底に沈んでいく。
その余韻を確かめながらも、クロードさんに笑って相槌を打って、歩き始めようとした瞬間、
「クロード。」
突然に馴染みのある低い声に引き留められた。
ーー義兄さん、いたの?
「何があった?報告を」
義兄さんは私の様子を一瞥すると、すぐにクロードさんに視線を戻して話を聞き始めた。
どきんと一つ、違和感が心臓を叩いた。
綻びが広がって、どこが解れているのかが分かってしまった。
ーー順番だ。順番が違う…いつもなら先に…
「リィナ、大丈夫か?発作は?」
心配そうに体調を確認をするこの人は、
今はどうしようもなく「護衛」だ。
ーーいつもなら、先に私の体調を気遣ってくれていたのに。
そうか、あの日から義兄さんは「義兄」じゃなくて、「護衛」としていたのか…
ーーじゃあ、魔素の交換も「任務」だったわけだ。
『義妹のくせに、触れられることを喜んでいるのを気付かれた?』
後ろめたさが、心臓をさわりと撫でた。
ざっと強い風が足元を吹き抜けて、空気中の淡い光の粒をいくつか義兄さんと私の間に舞い上げた。
どこからか飛んできた薔薇の花弁が1枚地面に落ちる。
ーー聞くのは怖い…けど、確かめるには?
「大丈夫…でも、魔素は交換して欲しい、です。」
おずおずと手を差し出すと、そっと義兄さんが私の指先握る。
義兄さんの手が氷のように冷え切っている。
それでも、義兄さんが私の頼みを断らなかったことに、ほっとする。
ーー考え過ぎだったのかも…
冷えた義兄さんの手を温めるように包みこんだ。
「流すぞ」
その声とともに冷たい指先から、炎のような青い迸りが一気に指先から流れ込んでくる。
その流れはとても熱くて骨の髄まで、頭の芯まで蕩けるようだ。
視界が青に染まって目眩がする。
その酩酊が心地よく、紫の魔素が青の中を揺蕩って、義兄さんの中に消えていくのを感じる。
「えっぐ…すんげえ魔素の量…」
クロードさんの気の抜けた声が直ぐ側で聞こえきた。義兄さんがぱっと手を離して、唐突に魔素の交換は終わってしまった。
私は義兄さんを見上げて、熱の名残をその表情の探す。
「すまない。加減を間違えた。」
そう謝ってくる怜悧な青は、何も温度を残しておらず、確かめたかったことも何も分からなかった。
ーー今のは…何?
私の胸の奥で、気泡が、また膨らんだ。
指先を一人で擦り合わせながら、熱の痕を己の内に探す。
「隊長~、巫女様、全身青く光っちゃってるじゃないですか~。心配し過ぎですって~」
「クロード。巫女を訓練場までお送りしろ。俺はここの後始末をして、殿下に報告に行く。」
「はいっす。じゃ、巫女様行きますよ~」
クロードさんが私を促して歩き出した。
歩きながら義兄さんを振り返るけど、黒い塊の前にしゃがみこんでるだけだった。
湿り気のある重み含んだ風が吹き付けてくる。私の火照りはおさまらない。
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