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第5章 壊れゆく関係と自覚
第5章 第5話 花開く
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「リィナ様、場所を変えましょう。」
そう言ってミレイ様に手を取られ、たどり着いたのは
白とピンクのフリルが幾重にも重なった花が咲き乱れる庭園の一角だった。
ーー芍薬…? お見舞いでいただいた花と同じ香りだ。
控えめで清楚な香りがふわりと立ちのぼる。
胸いっぱいに吸い込んだ瞬間、
自分がさっきから混乱していたことを、ようやく理解した。
舞の中で見た記憶の残響が、ゆっくりと溶けていく。
木立と花の影に隠れるように置かれたガゼボに通される。
レースのクロスの上にも、先ほどと同じ花が飾られていた。
「うわあ……すごく華やかで綺麗ですね。」
はしゃぐ私を、ミレイ様は微笑みながら見守っていた。
「この花、美しいでしょう? わたくしのお気に入りですの。」
そう言ってミレイ様は、飾られた花の中の固い蕾にそっと指先を添えた。
「このお花、蜜がついていたり、あまりにも固いと開きませんのよ。
でも、こうして少しだけほぐしてあげると……ゆっくりと、ゆっくりと大輪を咲かせますの。」
指先が離れると、蕾の先がほどけ、小さなフリルがそっと顔を覗かせた。
ーー可愛い……ほぐさないと、花は開かない。
「一緒にやってもいいですか?」
「もちろんですわ。さあ、どうぞ。」
私はミレイ様と並んで、テーブルの上の蕾へ手を伸ばした。
そっと撫でると、固かった花びらが少しずつ温度を帯びて、緩んでいく。
庭のあちこちで膨らんだ蕾たちも、指先に触れるたび
かすかに音を立てて、薄紅の布を開いた。
花がほぐれるにつれて、私の胸の奥の強張りもゆっくりと解けていく。
そこへ、侍女さんが現れ、お茶の支度を整えてくれた。
ピンク色のハーブティー、蜂蜜、小さなお菓子がテーブルに並ぶ。
「リィナ様、どうぞお掛けになってくださいませ。」
白い蔦模様の透かし椅子に腰を下ろした瞬間、
誰にも問われていないのに、言葉が自然と溢れた。
「ミレイ様。私……母の声を聞きました。」
意識が浮上するその途中で、確かに聞こえた母の言葉。
消えてしまうのが怖くて、急いで言葉にする。
「喜びを分かち合う時間を重ねることが……愛だって。
母が言っていたのを思い出しました。」
「まあ……」
ミレイ様は目を見開き、光を含んだピンクのお茶に蜂蜜を落とす。
甘酸っぱい香りが柔らかく広がった。
「お母様は、わたくしの愛しい方と同じことをおっしゃいましたのね。」
そっとお茶を混ぜながら続ける。
「リィナ様……わたくしは本当なら、今ごろ隣国に嫁いでいたはずでしたのよ。」
ミレイ様はふふっと笑う。
その笑みは、宝物の箱をそっと開けるようだった。
「父はこの国の要職におりまして、わたくしは父に憧れて文官になりたかった。
でも先方からの婚約の話は強く……断れば国際問題にもなりかねませんでした。
お慕いしている方がいたのに……諦めるしかありませんでしたの。」
金色の蜂蜜壺へ、そっと視線を落とす。
「けれど、悲嘆に暮れるわたくしに、あの方は言ってくださいましたの。
『ミレイ、君はどうしたいの?』と。」
それは、私にも向けてくれた問いだった。
今の私の支えにもなっている言葉。
「すぐには答えられませんでしたわ。けれど、あの方はこうもおっしゃいました。
『僕は君が好きだよ。離れたくないんだ』と。」
頬を染めるミレイ様は、どこか少女のようだった。
「二人とも、立場上どうにもできない状況で……
喜びのあとはすぐ絶望してしまいましたのよ。」
思わず聞いてしまう。
「なら、どうして今、ミレイ様はここにいるんですか?」
ミレイ様は綻ぶように笑った。
「それこそ……『愛を分かち合う瞬間を重ねた結果』ですわ。」
ハーブティーに口をつけ、目を閉じる。
緑の光がふわりと舞い、祝福のように降りそそぐ。
「愛も幸せも、形ではございませんの。
細胞の一つ一つが満たされるような喜びの瞬間を……
二人で分かち合って重ねていくもの。
そしてその積み重ねが『もっと』という望みへ変わる。
望みが変われば、行動も言葉も現実でさえ……変わっていくのですわ。」
ミレイ様のまっすぐな瞳は、私の怯えをそっと抱きしめるようだった。
「今こうして、わたくしは“ここ”におりますの。
最愛の方と共に。」
風がひと吹き、緑色の光が舞い上がる。
「とても大変な道のりでしたわ。
けれど諦めなかったら……文官としての夢も叶ってしまいました。」
そして優しく問いかける。
「リィナ様は……お母様の言葉を聞かれて、どう感じていらっしゃいますの?」
「私は……義兄さんのことを思いました。」
目を伏せる。
日本での日々、海生の気配が瞼の裏に溶け出す。
暗闇で震える私を引き上げる声。
ニュースを変える指先。
宿題を見てくれる時の結んだ唇。
私の歩幅に合わせる足音。
覗き込んでくれる穏やかな瞳——。
「あの時間は……全部、胸があったかくなることばっかりで……
私……幸せで……」
青と紫の魔素が胸の奥で混じり合い、温度を上げる。
押し込めていた扉が、静かに開いた。
「ミレイ様……私……海生が……好きです。
ずっと……好きでした。」
ぽつり、と気持ちがこぼれ落ちた。
「でも……海生にとって私は『妹』で……
どうしていいのか分からない……です……」
カップに映る私は、とても心細い顔をしていた。
「リィナ様。」
緑の光が一筋、私の周りを舞う。
「『愛』とは分かち合いの瞬間ですわ。
兄妹であろうと恋人であろうと——形より先にあるものですのよ。
結果ではなく、“積み重ねた瞬間”が愛を形づくるのだと、わたくしは思いますわ。」
「……私は海生にも、私の気持ちを受け入れてほしい……。
どうすればいいか分からないけれど……そう思ってしまいます……」
「ではリィナ様。
カイゼル様と一緒にいて、どんな気持ちになりたいですか?」
ミレイ様の問いに、ふうっと息を漏らす。
ハーブティーの表面が揺れ、甘酸っぱい香りが広がる。
「楽しくて、満ち足りてて……。
一緒に笑って……海生の笑顔が見たい。
『里菜』って呼んで笑ってほしい……。
そしたら……私、嬉しくて……胸がうずうずして……」
言葉にすると、体の奥が光で満たされていくようだった。
「それは、とても美しい望みですわ。
まずはその瞬間を重ねてみましょう。
きっと、お二人の関係を変える方法が……見えてまいりますわ。」
テーブルの上の蕾が、ふわりと解け、
薄紅の大輪をゆっくりと咲かせた。
そう言ってミレイ様に手を取られ、たどり着いたのは
白とピンクのフリルが幾重にも重なった花が咲き乱れる庭園の一角だった。
ーー芍薬…? お見舞いでいただいた花と同じ香りだ。
控えめで清楚な香りがふわりと立ちのぼる。
胸いっぱいに吸い込んだ瞬間、
自分がさっきから混乱していたことを、ようやく理解した。
舞の中で見た記憶の残響が、ゆっくりと溶けていく。
木立と花の影に隠れるように置かれたガゼボに通される。
レースのクロスの上にも、先ほどと同じ花が飾られていた。
「うわあ……すごく華やかで綺麗ですね。」
はしゃぐ私を、ミレイ様は微笑みながら見守っていた。
「この花、美しいでしょう? わたくしのお気に入りですの。」
そう言ってミレイ様は、飾られた花の中の固い蕾にそっと指先を添えた。
「このお花、蜜がついていたり、あまりにも固いと開きませんのよ。
でも、こうして少しだけほぐしてあげると……ゆっくりと、ゆっくりと大輪を咲かせますの。」
指先が離れると、蕾の先がほどけ、小さなフリルがそっと顔を覗かせた。
ーー可愛い……ほぐさないと、花は開かない。
「一緒にやってもいいですか?」
「もちろんですわ。さあ、どうぞ。」
私はミレイ様と並んで、テーブルの上の蕾へ手を伸ばした。
そっと撫でると、固かった花びらが少しずつ温度を帯びて、緩んでいく。
庭のあちこちで膨らんだ蕾たちも、指先に触れるたび
かすかに音を立てて、薄紅の布を開いた。
花がほぐれるにつれて、私の胸の奥の強張りもゆっくりと解けていく。
そこへ、侍女さんが現れ、お茶の支度を整えてくれた。
ピンク色のハーブティー、蜂蜜、小さなお菓子がテーブルに並ぶ。
「リィナ様、どうぞお掛けになってくださいませ。」
白い蔦模様の透かし椅子に腰を下ろした瞬間、
誰にも問われていないのに、言葉が自然と溢れた。
「ミレイ様。私……母の声を聞きました。」
意識が浮上するその途中で、確かに聞こえた母の言葉。
消えてしまうのが怖くて、急いで言葉にする。
「喜びを分かち合う時間を重ねることが……愛だって。
母が言っていたのを思い出しました。」
「まあ……」
ミレイ様は目を見開き、光を含んだピンクのお茶に蜂蜜を落とす。
甘酸っぱい香りが柔らかく広がった。
「お母様は、わたくしの愛しい方と同じことをおっしゃいましたのね。」
そっとお茶を混ぜながら続ける。
「リィナ様……わたくしは本当なら、今ごろ隣国に嫁いでいたはずでしたのよ。」
ミレイ様はふふっと笑う。
その笑みは、宝物の箱をそっと開けるようだった。
「父はこの国の要職におりまして、わたくしは父に憧れて文官になりたかった。
でも先方からの婚約の話は強く……断れば国際問題にもなりかねませんでした。
お慕いしている方がいたのに……諦めるしかありませんでしたの。」
金色の蜂蜜壺へ、そっと視線を落とす。
「けれど、悲嘆に暮れるわたくしに、あの方は言ってくださいましたの。
『ミレイ、君はどうしたいの?』と。」
それは、私にも向けてくれた問いだった。
今の私の支えにもなっている言葉。
「すぐには答えられませんでしたわ。けれど、あの方はこうもおっしゃいました。
『僕は君が好きだよ。離れたくないんだ』と。」
頬を染めるミレイ様は、どこか少女のようだった。
「二人とも、立場上どうにもできない状況で……
喜びのあとはすぐ絶望してしまいましたのよ。」
思わず聞いてしまう。
「なら、どうして今、ミレイ様はここにいるんですか?」
ミレイ様は綻ぶように笑った。
「それこそ……『愛を分かち合う瞬間を重ねた結果』ですわ。」
ハーブティーに口をつけ、目を閉じる。
緑の光がふわりと舞い、祝福のように降りそそぐ。
「愛も幸せも、形ではございませんの。
細胞の一つ一つが満たされるような喜びの瞬間を……
二人で分かち合って重ねていくもの。
そしてその積み重ねが『もっと』という望みへ変わる。
望みが変われば、行動も言葉も現実でさえ……変わっていくのですわ。」
ミレイ様のまっすぐな瞳は、私の怯えをそっと抱きしめるようだった。
「今こうして、わたくしは“ここ”におりますの。
最愛の方と共に。」
風がひと吹き、緑色の光が舞い上がる。
「とても大変な道のりでしたわ。
けれど諦めなかったら……文官としての夢も叶ってしまいました。」
そして優しく問いかける。
「リィナ様は……お母様の言葉を聞かれて、どう感じていらっしゃいますの?」
「私は……義兄さんのことを思いました。」
目を伏せる。
日本での日々、海生の気配が瞼の裏に溶け出す。
暗闇で震える私を引き上げる声。
ニュースを変える指先。
宿題を見てくれる時の結んだ唇。
私の歩幅に合わせる足音。
覗き込んでくれる穏やかな瞳——。
「あの時間は……全部、胸があったかくなることばっかりで……
私……幸せで……」
青と紫の魔素が胸の奥で混じり合い、温度を上げる。
押し込めていた扉が、静かに開いた。
「ミレイ様……私……海生が……好きです。
ずっと……好きでした。」
ぽつり、と気持ちがこぼれ落ちた。
「でも……海生にとって私は『妹』で……
どうしていいのか分からない……です……」
カップに映る私は、とても心細い顔をしていた。
「リィナ様。」
緑の光が一筋、私の周りを舞う。
「『愛』とは分かち合いの瞬間ですわ。
兄妹であろうと恋人であろうと——形より先にあるものですのよ。
結果ではなく、“積み重ねた瞬間”が愛を形づくるのだと、わたくしは思いますわ。」
「……私は海生にも、私の気持ちを受け入れてほしい……。
どうすればいいか分からないけれど……そう思ってしまいます……」
「ではリィナ様。
カイゼル様と一緒にいて、どんな気持ちになりたいですか?」
ミレイ様の問いに、ふうっと息を漏らす。
ハーブティーの表面が揺れ、甘酸っぱい香りが広がる。
「楽しくて、満ち足りてて……。
一緒に笑って……海生の笑顔が見たい。
『里菜』って呼んで笑ってほしい……。
そしたら……私、嬉しくて……胸がうずうずして……」
言葉にすると、体の奥が光で満たされていくようだった。
「それは、とても美しい望みですわ。
まずはその瞬間を重ねてみましょう。
きっと、お二人の関係を変える方法が……見えてまいりますわ。」
テーブルの上の蕾が、ふわりと解け、
薄紅の大輪をゆっくりと咲かせた。
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