51 / 61
第7章 禁足の地と解放
第7章 第2話 離脱
しおりを挟む
闇の奥から何かが、呻くような這いずり回るような音が、壁を伝う水音に紛れて聞こえてくる。
冷たく錆びついた空気の中にもわりと何かが腐ったような異臭も混じってこちらに流れてきた。
カサカサと剥き出しの岩場を黒い蜘蛛のような虫が蠢いてはどこかに消えていく。
背筋がひやりと冷たくなり、粟立つ肌が警戒を煽る。さらに密度を増した重苦しい暗闇が足元を掬うかのように地を舐めて忍び寄ってくる。
身の内から湧く白い光に祈りを乗せて、さらに強くベルを鳴らす。生命を削り取られるような倦怠感に襲われるけれど、まだまだ大丈夫だ。
前を歩く広い背中を見ながら、ぐっとお腹にさらに力を入れる。
その刹那、カイゼルの足が止まり、剣を身構える。
「来るぞ」
固い声が聞こえたのと同時に、私の視界がドーム上の青い壁に覆われる。
直後にキーンと斬撃が交差する音や魔獣の断末魔の叫び、三人の低く呻く声や荒々しい叫び声が入り乱れる。耳を覆いたくなる衝動を駆られながら、目を閉じて震える手を叱咤して浄化の音を響かせる。
ミシリと音がして、ほんの少し私の右の足元が沈み込んだ。目眩がしたのかと思って、足元を見ると岩に亀裂が入り、黒い指先が隙間を抉じ開けるように伸びていた。
ぞわりという恐怖が喉をしめつけて悲鳴すら上げられない、咄嗟に目を閉じて、その魔物と思しき指をがんがんと踏みつける。
吐き気がするような気持ち悪さに見舞われて、瞼を閉じているのに、さらに世界が黒い靄に包まれた。
脳裏にカイゼルが「もうお前の面倒は見れない」と怜悧な青を凍らせて吐き捨てる映像が流れ込んできた。
その映像の中では、カイゼルはくるりと私に背を向けてどんどんな離れて行ってしまった。私は手を伸ばして追いかけようもとするのに、足が全く進まない…焦りばかりが募る
妄想だと分かっているのに、背中に脂汗が伝い、手足が痺れてくる。
私は妄想をかき消すように何度も浄化のベルを打ち鳴らして、自分に言い聞かせた。
ーーこれは幻。これは幻。カイゼルは私を一人にはしない。一人にはしない。
気づくと、足の裏にあったぬめっとした嫌な感触が消え失せていて、ほっと胸を撫でおろす。
ーー腰が抜けそう…
へたり込みそうになりながら、震える膝を撫でて、もう一度足元を見ると、岩盤に放射状の亀裂が走っていた。
そして、それは今もメリメリと静かに隙間を広げている。
ーー落ちる?!
そう、思った瞬間には、ガラガラと音を立てて一気に足場が崩れ始めて、体が闇の中へと投げ出された。
「リィナ!」
「「巫女様!」」
カラカラとベルが壁を転がり落ちていくのが聞こえる。
私はなんとか咄嗟に亀裂の淵に手をかけて、下に落ちるのを防ぐことができた。
ぶら下がりながら、岩の壁を爪先で岩肌を擦って、足場になりそうな所を探す。そうして、ようやく小さな突起に足をかけることができた。
ーー良かった。これで落ちずに済みそう…
「リィナ、大丈夫か?」
顔を上げるとカイゼルが青い瞳を揺らしながら、私の手首を掴んでいた。
再び私の体は青い魔素に包まれて、カイゼルが起こす風に押し上げられながら、ゆっくりと地上に戻る。
手を引かれてそのままカイゼルの胸の中にそっと抱きとめられた。汗に塗れたミントの香りはこんな時でも、私を落ち着かせてくれる。
「うん。大丈夫。ちょっとびっくりしただけ。」
静かにカイゼルの背を手を回して、その温もりを確かめる。
ーー早く浄化をしなくちゃ。
ベルは落ちていってしまった。予備を…とクロードさんを探そうと周囲に視線を走らせると
「うわわわわわっっ」
悲鳴が空気を切り裂くように響いた。
「クロード!」
私の横を銀色のつむじ風が駆け抜けて、クロードさんにべっとりと伸し掛かかった魔獣を一刀両断した。
銀色の斬撃が閃き、赤黒い角が煌めきながら砕け散るのが見えた。顔を顰めたくなるような腐敗臭が辺りを支配する。
クロードさんは両腕で頭を抱えて、地面に蹲ったまま動かない。茶色の瞳には生気が無く、何かをぶつぶつと一人で呟き続けている。
「クロード!しっかりしろ!予備のベルを、早く!」
シエナさんがクロードさんを揺すりながら、その懐を探ろうとすると
「やめてくれ!」
と叫びながら、シエナさんを強く突き飛ばした。
そして、ふらふらと半笑いを浮かべて歩き出した。私は祈りを乗せた光でクロードさんを正気に戻せないかと思わずその方向に手を伸ばす。
「ダメだ!リィナ。それは魔獣をも呼び寄せる。かえって皆を危険に晒す可能性がある」
カイゼルが腕を掴んで、首を横に振る。決意を秘めたその瞳には頷くしかできない。
「シエナ副隊長、クロードに拘束を。」
「承知した。」
シエナさんが魔素を放とうとした瞬間、ねずみ型の魔獣が、一斉に彼女の足元に飛び出してきた。
「くそっ」
カイゼルとシエナさんが瞬く間に魔獣を駆除している間、幽鬼のように彷徨っていたクロードさんが亀裂の隙間に吸い寄せられて、その闇の中へと姿を消した。
「クロードさん!」
私の叫び声に二人はようやく異変に気づいたようだった。
「シエナ副隊長はクロードを追ってください。予備のベルがあれば正気に戻せるはずです。そして、そのまま二人は撤退し救援を要請してください。」
カイゼルの冷静な声が闇の中で静かに溶けていく。
「我々はこのまま進みます。最深部はもうすぐです。リィナの力があれば、私だけ残っても救援と合流するまでは持ち堪えられます。」
シエナさんが何か言いたそうに真っ直ぐにカイゼルを見つめている。
「シエナ副隊長。これは隊長命令です。俺はリィナに自分のために誰かが傷ついたりいなくなったという負い目を背負わせたくはない。」
シエナさんの銀色瞳が強く光を宿し、カイゼルのそれと交錯する。
「承知した。ご武運を」と言いながら、躊躇いもなく亀裂に飛び込んで行った。
冷たく錆びついた空気の中にもわりと何かが腐ったような異臭も混じってこちらに流れてきた。
カサカサと剥き出しの岩場を黒い蜘蛛のような虫が蠢いてはどこかに消えていく。
背筋がひやりと冷たくなり、粟立つ肌が警戒を煽る。さらに密度を増した重苦しい暗闇が足元を掬うかのように地を舐めて忍び寄ってくる。
身の内から湧く白い光に祈りを乗せて、さらに強くベルを鳴らす。生命を削り取られるような倦怠感に襲われるけれど、まだまだ大丈夫だ。
前を歩く広い背中を見ながら、ぐっとお腹にさらに力を入れる。
その刹那、カイゼルの足が止まり、剣を身構える。
「来るぞ」
固い声が聞こえたのと同時に、私の視界がドーム上の青い壁に覆われる。
直後にキーンと斬撃が交差する音や魔獣の断末魔の叫び、三人の低く呻く声や荒々しい叫び声が入り乱れる。耳を覆いたくなる衝動を駆られながら、目を閉じて震える手を叱咤して浄化の音を響かせる。
ミシリと音がして、ほんの少し私の右の足元が沈み込んだ。目眩がしたのかと思って、足元を見ると岩に亀裂が入り、黒い指先が隙間を抉じ開けるように伸びていた。
ぞわりという恐怖が喉をしめつけて悲鳴すら上げられない、咄嗟に目を閉じて、その魔物と思しき指をがんがんと踏みつける。
吐き気がするような気持ち悪さに見舞われて、瞼を閉じているのに、さらに世界が黒い靄に包まれた。
脳裏にカイゼルが「もうお前の面倒は見れない」と怜悧な青を凍らせて吐き捨てる映像が流れ込んできた。
その映像の中では、カイゼルはくるりと私に背を向けてどんどんな離れて行ってしまった。私は手を伸ばして追いかけようもとするのに、足が全く進まない…焦りばかりが募る
妄想だと分かっているのに、背中に脂汗が伝い、手足が痺れてくる。
私は妄想をかき消すように何度も浄化のベルを打ち鳴らして、自分に言い聞かせた。
ーーこれは幻。これは幻。カイゼルは私を一人にはしない。一人にはしない。
気づくと、足の裏にあったぬめっとした嫌な感触が消え失せていて、ほっと胸を撫でおろす。
ーー腰が抜けそう…
へたり込みそうになりながら、震える膝を撫でて、もう一度足元を見ると、岩盤に放射状の亀裂が走っていた。
そして、それは今もメリメリと静かに隙間を広げている。
ーー落ちる?!
そう、思った瞬間には、ガラガラと音を立てて一気に足場が崩れ始めて、体が闇の中へと投げ出された。
「リィナ!」
「「巫女様!」」
カラカラとベルが壁を転がり落ちていくのが聞こえる。
私はなんとか咄嗟に亀裂の淵に手をかけて、下に落ちるのを防ぐことができた。
ぶら下がりながら、岩の壁を爪先で岩肌を擦って、足場になりそうな所を探す。そうして、ようやく小さな突起に足をかけることができた。
ーー良かった。これで落ちずに済みそう…
「リィナ、大丈夫か?」
顔を上げるとカイゼルが青い瞳を揺らしながら、私の手首を掴んでいた。
再び私の体は青い魔素に包まれて、カイゼルが起こす風に押し上げられながら、ゆっくりと地上に戻る。
手を引かれてそのままカイゼルの胸の中にそっと抱きとめられた。汗に塗れたミントの香りはこんな時でも、私を落ち着かせてくれる。
「うん。大丈夫。ちょっとびっくりしただけ。」
静かにカイゼルの背を手を回して、その温もりを確かめる。
ーー早く浄化をしなくちゃ。
ベルは落ちていってしまった。予備を…とクロードさんを探そうと周囲に視線を走らせると
「うわわわわわっっ」
悲鳴が空気を切り裂くように響いた。
「クロード!」
私の横を銀色のつむじ風が駆け抜けて、クロードさんにべっとりと伸し掛かかった魔獣を一刀両断した。
銀色の斬撃が閃き、赤黒い角が煌めきながら砕け散るのが見えた。顔を顰めたくなるような腐敗臭が辺りを支配する。
クロードさんは両腕で頭を抱えて、地面に蹲ったまま動かない。茶色の瞳には生気が無く、何かをぶつぶつと一人で呟き続けている。
「クロード!しっかりしろ!予備のベルを、早く!」
シエナさんがクロードさんを揺すりながら、その懐を探ろうとすると
「やめてくれ!」
と叫びながら、シエナさんを強く突き飛ばした。
そして、ふらふらと半笑いを浮かべて歩き出した。私は祈りを乗せた光でクロードさんを正気に戻せないかと思わずその方向に手を伸ばす。
「ダメだ!リィナ。それは魔獣をも呼び寄せる。かえって皆を危険に晒す可能性がある」
カイゼルが腕を掴んで、首を横に振る。決意を秘めたその瞳には頷くしかできない。
「シエナ副隊長、クロードに拘束を。」
「承知した。」
シエナさんが魔素を放とうとした瞬間、ねずみ型の魔獣が、一斉に彼女の足元に飛び出してきた。
「くそっ」
カイゼルとシエナさんが瞬く間に魔獣を駆除している間、幽鬼のように彷徨っていたクロードさんが亀裂の隙間に吸い寄せられて、その闇の中へと姿を消した。
「クロードさん!」
私の叫び声に二人はようやく異変に気づいたようだった。
「シエナ副隊長はクロードを追ってください。予備のベルがあれば正気に戻せるはずです。そして、そのまま二人は撤退し救援を要請してください。」
カイゼルの冷静な声が闇の中で静かに溶けていく。
「我々はこのまま進みます。最深部はもうすぐです。リィナの力があれば、私だけ残っても救援と合流するまでは持ち堪えられます。」
シエナさんが何か言いたそうに真っ直ぐにカイゼルを見つめている。
「シエナ副隊長。これは隊長命令です。俺はリィナに自分のために誰かが傷ついたりいなくなったという負い目を背負わせたくはない。」
シエナさんの銀色瞳が強く光を宿し、カイゼルのそれと交錯する。
「承知した。ご武運を」と言いながら、躊躇いもなく亀裂に飛び込んで行った。
0
あなたにおすすめの小説
冷徹公爵の誤解された花嫁
柴田はつみ
恋愛
片思いしていた冷徹公爵から求婚された令嬢。幸せの絶頂にあった彼女を打ち砕いたのは、舞踏会で耳にした「地味女…」という言葉だった。望まれぬ花嫁としての結婚に、彼女は一年だけ妻を務めた後、離縁する決意を固める。
冷たくも美しい公爵。誤解とすれ違いを繰り返す日々の中、令嬢は揺れる心を抑え込もうとするが――。
一年後、彼女が選ぶのは別れか、それとも永遠の契約か。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない
くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、
軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。
言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。
――そして初めて、夫は気づく。
自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。
一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、
「必要とされる存在」として歩き始めていた。
去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。
これは、失ってから愛に気づいた男と、
二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。
――今さら、遅いのです。
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております
紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。
二年後にはリリスと交代しなければならない。
そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。
普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…
【完結】愛する人はあの人の代わりに私を抱く
紬あおい
恋愛
年上の優しい婚約者は、叶わなかった過去の恋人の代わりに私を抱く。気付かない振りが我慢の限界を超えた時、私は………そして、愛する婚約者や家族達は………悔いのない人生を送れましたか?
婚約解消されたら隣にいた男に攫われて、強請るまで抱かれたんですけど?〜暴君の暴君が暴君過ぎた話〜
紬あおい
恋愛
婚約解消された瞬間「俺が貰う」と連れ去られ、もっとしてと強請るまで抱き潰されたお話。
連れ去った強引な男は、実は一途で高貴な人だった。
お好きになさって下さい、私は一切気にしませんわ
Kouei
恋愛
婚約者のクレマンド様は、いつも私との約束を破ってばかり。
理由は決まって『従妹ライラ様との用事』
誕生日会にすら来なかった彼に、私はついに告げた。
「どうぞ、私以外のご令嬢をエスコートするなり、お出かけするなり、関係を持つなり、お好きになさって下さい。私は一切気にしませんわ」
二人の想いは、重なり合えるのだろうか ……
※他のサイトにも公開しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる