世界は、君を愛したくて創られた

六紫

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第7章 禁足の地と解放

第7章 第2話 離脱

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闇の奥から何かが、呻くような這いずり回るような音が、壁を伝う水音に紛れて聞こえてくる。

冷たく錆びついた空気の中にもわりと何かが腐ったような異臭も混じってこちらに流れてきた。

カサカサと剥き出しの岩場を黒い蜘蛛のような虫が蠢いてはどこかに消えていく。

背筋がひやりと冷たくなり、粟立つ肌が警戒を煽る。さらに密度を増した重苦しい暗闇が足元を掬うかのように地を舐めて忍び寄ってくる。

身の内から湧く白い光に祈りを乗せて、さらに強くベルを鳴らす。生命を削り取られるような倦怠感に襲われるけれど、まだまだ大丈夫だ。

前を歩く広い背中を見ながら、ぐっとお腹にさらに力を入れる。
その刹那、カイゼルの足が止まり、剣を身構える。

「来るぞ」

固い声が聞こえたのと同時に、私の視界がドーム上の青い壁に覆われる。

直後にキーンと斬撃が交差する音や魔獣の断末魔の叫び、三人の低く呻く声や荒々しい叫び声が入り乱れる。耳を覆いたくなる衝動を駆られながら、目を閉じて震える手を叱咤して浄化の音を響かせる。

ミシリと音がして、ほんの少し私の右の足元が沈み込んだ。目眩がしたのかと思って、足元を見ると岩に亀裂が入り、黒い指先が隙間を抉じ開けるように伸びていた。

ぞわりという恐怖が喉をしめつけて悲鳴すら上げられない、咄嗟に目を閉じて、その魔物と思しき指をがんがんと踏みつける。

吐き気がするような気持ち悪さに見舞われて、瞼を閉じているのに、さらに世界が黒い靄に包まれた。

脳裏にカイゼルが「もうお前の面倒は見れない」と怜悧な青を凍らせて吐き捨てる映像が流れ込んできた。

その映像の中では、カイゼルはくるりと私に背を向けてどんどんな離れて行ってしまった。私は手を伸ばして追いかけようもとするのに、足が全く進まない…焦りばかりが募る

妄想だと分かっているのに、背中に脂汗が伝い、手足が痺れてくる。

私は妄想をかき消すように何度も浄化のベルを打ち鳴らして、自分に言い聞かせた。


ーーこれは幻。これは幻。カイゼルは私を一人にはしない。一人にはしない。


気づくと、足の裏にあったぬめっとした嫌な感触が消え失せていて、ほっと胸を撫でおろす。

ーー腰が抜けそう…

へたり込みそうになりながら、震える膝を撫でて、もう一度足元を見ると、岩盤に放射状の亀裂が走っていた。
そして、それは今もメリメリと静かに隙間を広げている。

ーー落ちる?!

そう、思った瞬間には、ガラガラと音を立てて一気に足場が崩れ始めて、体が闇の中へと投げ出された。

「リィナ!」
「「巫女様!」」

カラカラとベルが壁を転がり落ちていくのが聞こえる。

私はなんとか咄嗟に亀裂の淵に手をかけて、下に落ちるのを防ぐことができた。
ぶら下がりながら、岩の壁を爪先で岩肌を擦って、足場になりそうな所を探す。そうして、ようやく小さな突起に足をかけることができた。

ーー良かった。これで落ちずに済みそう…

「リィナ、大丈夫か?」

顔を上げるとカイゼルが青い瞳を揺らしながら、私の手首を掴んでいた。

再び私の体は青い魔素に包まれて、カイゼルが起こす風に押し上げられながら、ゆっくりと地上に戻る。

手を引かれてそのままカイゼルの胸の中にそっと抱きとめられた。汗に塗れたミントの香りはこんな時でも、私を落ち着かせてくれる。

「うん。大丈夫。ちょっとびっくりしただけ。」

静かにカイゼルの背を手を回して、その温もりを確かめる。

ーー早く浄化をしなくちゃ。

ベルは落ちていってしまった。予備を…とクロードさんを探そうと周囲に視線を走らせると

「うわわわわわっっ」

悲鳴が空気を切り裂くように響いた。

「クロード!」

私の横を銀色のつむじ風が駆け抜けて、クロードさんにべっとりと伸し掛かかった魔獣を一刀両断した。

銀色の斬撃が閃き、赤黒い角が煌めきながら砕け散るのが見えた。顔を顰めたくなるような腐敗臭が辺りを支配する。

クロードさんは両腕で頭を抱えて、地面に蹲ったまま動かない。茶色の瞳には生気が無く、何かをぶつぶつと一人で呟き続けている。

「クロード!しっかりしろ!予備のベルを、早く!」

シエナさんがクロードさんを揺すりながら、その懐を探ろうとすると

「やめてくれ!」

と叫びながら、シエナさんを強く突き飛ばした。

そして、ふらふらと半笑いを浮かべて歩き出した。私は祈りを乗せた光でクロードさんを正気に戻せないかと思わずその方向に手を伸ばす。

「ダメだ!リィナ。それは魔獣をも呼び寄せる。かえって皆を危険に晒す可能性がある」

カイゼルが腕を掴んで、首を横に振る。決意を秘めたその瞳には頷くしかできない。

「シエナ副隊長、クロードに拘束を。」

「承知した。」

シエナさんが魔素を放とうとした瞬間、ねずみ型の魔獣が、一斉に彼女の足元に飛び出してきた。

「くそっ」

カイゼルとシエナさんが瞬く間に魔獣を駆除している間、幽鬼のように彷徨っていたクロードさんが亀裂の隙間に吸い寄せられて、その闇の中へと姿を消した。

「クロードさん!」

私の叫び声に二人はようやく異変に気づいたようだった。


「シエナ副隊長はクロードを追ってください。予備のベルがあれば正気に戻せるはずです。そして、そのまま二人は撤退し救援を要請してください。」

カイゼルの冷静な声が闇の中で静かに溶けていく。

「我々はこのまま進みます。最深部はもうすぐです。リィナの力があれば、私だけ残っても救援と合流するまでは持ち堪えられます。」

シエナさんが何か言いたそうに真っ直ぐにカイゼルを見つめている。

「シエナ副隊長。これは隊長命令です。俺はリィナに自分のために誰かが傷ついたりいなくなったという負い目を背負わせたくはない。」

シエナさんの銀色瞳が強く光を宿し、カイゼルのそれと交錯する。

「承知した。ご武運を」と言いながら、躊躇いもなく亀裂に飛び込んで行った。

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