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第六章 十三人目
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灰色の雲が、街を覆っている。
予報通りの天気だったため、行き交う人々は用意していた雨具でしのぎ、宵闇の道を急いでいる。
平良から交換殺人を受けた吉野木は、雑踏に紛れると、七時前には目的地へと到着していた。
「俺は……今から……ひとを殺す」
鉛のように重い罪悪感が胸に圧しかかってくるも、実行しなければ自分が死ぬ。
幾度となく迷いもしたが、やはり相手を手に掛けるしかないとの結論に達した。
「よしっ、いくか」
傘を閉じ、素早くビニールに入れると周囲を見渡す。
誰もいないのを確認した吉野木は、手袋をはめ、シリンダーへと鍵を差し込んだ。
「し、失礼します」
かすかな手応えとともに開錠される音が聞こえ、静かに取っ手を引いてみる。
なかは雨戸が下ろされており、真っ黒い闇が広がっていた。
「誰もいないな……」
玄関から漏れた光が廊下へと伸びてゆき、急いで後ろ手に鍵を閉める。
秒針を刻む音が屋内に響き、外からは車の走る水音が聞こえてきた。
「よ、よし、第一段階をクリアしたぞ」
達成感があるも、ここで帰るわけにはいかず、すぐさま靴を脱ぎ新聞紙へと包む。
雨粒が残らないよう細心の注意を払うと、真っすぐに廊下を歩き、リビングのドアを開けた。
「調度品、調度品はどこだ」
言われた通り、凶器となりそうなものを探しはじめるがなにもない。
しかしこれも想定内であり、事前に家から金槌を用意していたので、安堵のため息をついた。
「よかった……持ってきていて……」
返り血を浴びるのも計算に入れ、洋服棚から適当なジャケットを選び、袖を通す。
明かりを消し、リビングの壁際に身を張りつけると、井関幹恵なる陰陽師の血を継ぐ者の帰りを待った。
「本当にひとりなんだろうな……」
今のところイレギュラーな事態は起きていない。
だがここで、友人や知人などを連れて帰る可能性もあり、もしもその場合はどこから退散するかも算段し始めた。
「とりあえず窓から逃げるしかないか」
壁掛け時計に目をやると、まだ三十分しか経っていない。
吉野木は昨晩から何度もシミュレーションした殺害方法と逃走経路を、もう一度、復唱してみた。
「玄関にある調度品で殴る。そのあと財布を奪い部屋を荒らす。ころ合いをみて逃げる……」
屋根を叩く雨音と、時計の秒針がリビングに響いている。
いつの間にか暗闇にも目が慣れ、落ちつきを取り戻したそのとき。
――トントントン
玄関の方向から、なにかしら硬質の物体を打ちつける音が聞こえる。
それは傘の雫を落としているのに気づいた途端、吉野木の緊張はピークに達した。
「来たな」
開錠される金属音につづき、廊下の明かりが点く。
普通に。ごく普通に、こちらに向かってくる足音が聞こえてくる。
気づかれた様子もなく、細い影が伸びてきて、やがてリビングへと届いた刹那。
――ゴコッ。
有機物に対し、無機質な物を叩きつける音がこだまする。
相手は声も出さず膝から崩れ落ち、一拍遅れて横倒しになった。
「よしっ、やったぞ」
すぐにリビングのスイッチを入れ、うつ伏せになった顔を覗き込む。
女性であるのを確認すると、最後の仕上げである逃走の準備に掛かった。
「まずは財布を奪う」
終始、手袋をしていたので指紋はない。指示をされた通り、ハンドバッグから財布を抜くと、懐にしまった。
「次いで室内を荒らす」
ありとあらゆる引き出しを開けてゆき、ついでにソファや鏡台まで倒していく。
「玄関にある調度品で殴る。そのあと財布を奪い部屋を荒らす」
呪文のように刻んだ言葉を口に出すと、証拠品の処理に掛かる。
ジャケットを脱ぎ、リュックに押し込むと、新聞紙に包んでおいた靴を出した。
「ころ合いをみて逃げる――」
覗き穴から周囲をうかがい、そっとドアを開ける。
ポケットから鍵を出し、施錠をすると、一目散に玄関のアプローチへと飛び出した。
「よかった……。神様、ありがとうございます」
フードを被り、傘まで差せば、顔も見えづらくなる。
ごく自然に帰宅を急ぐサラリーマンのふりをして、駅まで歩いていると、不意になにか思い出し、その場に立ち止まった。
「あれ? 鍵を閉めてしまった……かも」
『持ち物を奪い、部屋を荒らす』これは強盗が押し入ったと見せかけるため。
しかし施錠をしてしまえば、密室殺人になることに気がついた。
「まずいっ」
踵を返し、またも家に戻ってくると、急いで玄関のドアを開錠する。
はるか遠くに傘を差した集団があり、先ほどとは逆の方向に走り出した。
「はぁ、はぁ、別の駅から帰ろう。はぁ、はぁ」
吉野木は事前に調べた周辺の地図を頭のなかで広げる。
そして、次の瞬間、もうひとつ思い出したこともあった。
――車を使わず、電車で来た理由。それは交通量が多いこと。
赤信号を無視して飛び出した吉野木をヘッドライトが照らす。
トラックの急ブレーキの音とともに、彼は反対車線へと弾き飛ばされ、さらに対向して来た乗用車にも踏みつけられてしまった。
予報通りの天気だったため、行き交う人々は用意していた雨具でしのぎ、宵闇の道を急いでいる。
平良から交換殺人を受けた吉野木は、雑踏に紛れると、七時前には目的地へと到着していた。
「俺は……今から……ひとを殺す」
鉛のように重い罪悪感が胸に圧しかかってくるも、実行しなければ自分が死ぬ。
幾度となく迷いもしたが、やはり相手を手に掛けるしかないとの結論に達した。
「よしっ、いくか」
傘を閉じ、素早くビニールに入れると周囲を見渡す。
誰もいないのを確認した吉野木は、手袋をはめ、シリンダーへと鍵を差し込んだ。
「し、失礼します」
かすかな手応えとともに開錠される音が聞こえ、静かに取っ手を引いてみる。
なかは雨戸が下ろされており、真っ黒い闇が広がっていた。
「誰もいないな……」
玄関から漏れた光が廊下へと伸びてゆき、急いで後ろ手に鍵を閉める。
秒針を刻む音が屋内に響き、外からは車の走る水音が聞こえてきた。
「よ、よし、第一段階をクリアしたぞ」
達成感があるも、ここで帰るわけにはいかず、すぐさま靴を脱ぎ新聞紙へと包む。
雨粒が残らないよう細心の注意を払うと、真っすぐに廊下を歩き、リビングのドアを開けた。
「調度品、調度品はどこだ」
言われた通り、凶器となりそうなものを探しはじめるがなにもない。
しかしこれも想定内であり、事前に家から金槌を用意していたので、安堵のため息をついた。
「よかった……持ってきていて……」
返り血を浴びるのも計算に入れ、洋服棚から適当なジャケットを選び、袖を通す。
明かりを消し、リビングの壁際に身を張りつけると、井関幹恵なる陰陽師の血を継ぐ者の帰りを待った。
「本当にひとりなんだろうな……」
今のところイレギュラーな事態は起きていない。
だがここで、友人や知人などを連れて帰る可能性もあり、もしもその場合はどこから退散するかも算段し始めた。
「とりあえず窓から逃げるしかないか」
壁掛け時計に目をやると、まだ三十分しか経っていない。
吉野木は昨晩から何度もシミュレーションした殺害方法と逃走経路を、もう一度、復唱してみた。
「玄関にある調度品で殴る。そのあと財布を奪い部屋を荒らす。ころ合いをみて逃げる……」
屋根を叩く雨音と、時計の秒針がリビングに響いている。
いつの間にか暗闇にも目が慣れ、落ちつきを取り戻したそのとき。
――トントントン
玄関の方向から、なにかしら硬質の物体を打ちつける音が聞こえる。
それは傘の雫を落としているのに気づいた途端、吉野木の緊張はピークに達した。
「来たな」
開錠される金属音につづき、廊下の明かりが点く。
普通に。ごく普通に、こちらに向かってくる足音が聞こえてくる。
気づかれた様子もなく、細い影が伸びてきて、やがてリビングへと届いた刹那。
――ゴコッ。
有機物に対し、無機質な物を叩きつける音がこだまする。
相手は声も出さず膝から崩れ落ち、一拍遅れて横倒しになった。
「よしっ、やったぞ」
すぐにリビングのスイッチを入れ、うつ伏せになった顔を覗き込む。
女性であるのを確認すると、最後の仕上げである逃走の準備に掛かった。
「まずは財布を奪う」
終始、手袋をしていたので指紋はない。指示をされた通り、ハンドバッグから財布を抜くと、懐にしまった。
「次いで室内を荒らす」
ありとあらゆる引き出しを開けてゆき、ついでにソファや鏡台まで倒していく。
「玄関にある調度品で殴る。そのあと財布を奪い部屋を荒らす」
呪文のように刻んだ言葉を口に出すと、証拠品の処理に掛かる。
ジャケットを脱ぎ、リュックに押し込むと、新聞紙に包んでおいた靴を出した。
「ころ合いをみて逃げる――」
覗き穴から周囲をうかがい、そっとドアを開ける。
ポケットから鍵を出し、施錠をすると、一目散に玄関のアプローチへと飛び出した。
「よかった……。神様、ありがとうございます」
フードを被り、傘まで差せば、顔も見えづらくなる。
ごく自然に帰宅を急ぐサラリーマンのふりをして、駅まで歩いていると、不意になにか思い出し、その場に立ち止まった。
「あれ? 鍵を閉めてしまった……かも」
『持ち物を奪い、部屋を荒らす』これは強盗が押し入ったと見せかけるため。
しかし施錠をしてしまえば、密室殺人になることに気がついた。
「まずいっ」
踵を返し、またも家に戻ってくると、急いで玄関のドアを開錠する。
はるか遠くに傘を差した集団があり、先ほどとは逆の方向に走り出した。
「はぁ、はぁ、別の駅から帰ろう。はぁ、はぁ」
吉野木は事前に調べた周辺の地図を頭のなかで広げる。
そして、次の瞬間、もうひとつ思い出したこともあった。
――車を使わず、電車で来た理由。それは交通量が多いこと。
赤信号を無視して飛び出した吉野木をヘッドライトが照らす。
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