44 / 57
第七章 人を呪わば穴二つ
‐9‐
しおりを挟む
七美の入院する一室では笑いの渦に包まれている。
顔を赤らめ、恥ずかしそうにうつむく少年を中心にして。
「――そうか、俺はあのシェフに惚れられていたのか」
「いいじゃん。結婚を前提に付き合ったら。あたしは応援してあげるわよ」
「おまえ、他人事だと思っているだろ」
「だって他人事じゃん」
少年は、店のシェフから相談を持ちかけられていたのを吐露した。
初めて七美たちが店に来たとき、細身で筋肉質。顔もスッキリとした、しょうゆ顔の水溜に一目惚れしたらしく、なんとかして橋渡しをしてくれるよう、命じられたと語ったのであった。
「今日、お見舞いに来たときに伝えようと思ったのですが、なんて言ったらいいかわからなくて――」
色恋沙汰に無縁らしいこの少年は、夜になるまでロビーで悩んでいたとのこと。
だが、ようやく覚悟を決め、水溜の部屋に行こうとしたところ、彼が七美の部屋に向かっているのが見え、跡を追ってきたと話した。
「それにしても少年、いきなり結婚をしてくれはないだろ。ぷー」
水溜は呆れたみたいに言おうとして、最後は堪えきれずに吹き出す。
鰻重を片手に持つ七美は、もっとも脂の乗っている部分を箸で摘まみ、少年の口元に持っていった。
「はい、あーんして。おかげでわかったよ。廃神社で見た幻覚はシェフだったんだ」
四人で出かけると、なんとなくグループデートをしているみたいになる。
三倉と大木場はお似合いであるし、水溜は目上であるにもかかわらず、自身を呼び捨てにしてくるので、彼女だと疑われてもおかしくない。
いつも笑顔で挨拶に来てくれるシェフであるも、どこか突き刺す目で自分を見てくるときもあり、それが意識下にあったせいで、あのような白装束姿で現れたのだと理解した。
「はんのはなひでふか」(なんの話ですか)
「ううん。気にしないで、ところでぼくちゃん――」
『お名前は?』と、今さらながら尋ねようとした瞬間、またしてもテレビ台に置いていたスマートフォンが鳴る。ひらがな一文字で『じ』とだけ出ていた。
『ナナちゃんよ、ふたりに接点があったぞい。井関翔一朗は平良の旦那の教え子じゃ』
「詳しくお願いします」
食べかけの鰻重をテーブルに置き、全神経を聴力に集中させる。
水溜は、かわいらしい少年に手招きをすると病室を出ていった。
『さっき平良と仲のよかった教頭はんに聞いたぞい。旦那である平良孝蔵は十年前、東北の大学で学生相撲を指導しておって、井関翔一朗も生徒のひとりだったんじゃ』
井関は学生相撲で優勝した折、本格的に力士を目指したいと言ったとのこと。
孝蔵は懇意にしている部屋の親方に彼を紹介し、運営費や管理費。稽古場維持費などをすべて立て替え、無事に入門したものの、わずか半月で井関は膝を傷めてしまい、部屋を辞めたとの話であった。
「うーん。故障なら仕方ないかな。でも紹介したほうは方無しね」
『それと、もうひとつ判明したのは、孝蔵が失踪した理由で、どうやら多額の借金があったらしいんじゃ』
「よくあるパターンね」
『旦那さんが消えたあとも、たまに井関は顔を出しに行ってたらしく、平良みどり子も知っとるはずじゃ』
「間違いないわね。これでふたりの利害は一致したと考えていい」
『じゃがのぉ……接点だけは見つかったが、交換殺人に関しては、なんの確証もないから、しょっ引くわけにもいかんぞい。――それで、あとはなにを調べたらいいんじゃ』
「井関のご主人が、奥さんを殺害する動機でしょうか……。夫婦のあいだで諍いはありませんでしたか」
とりあえず平良と井関の関係が確認できたが、ここからが重要であり、困難でもあった。
仮に井関幹恵に多額の保険金でも掛かっていれば、殺害する理由たり得るだろうが、別段それもなく、ごく一般的な生命保険額に収まっている。
犯罪被害者支援として国から遺族への補償金が出るものの、それもわずかであり、金銭が目的として捉えるには、あまりにも希薄だった。
『あれやこれやと地取り班からの報告が上がってくるが、井関の女関係については、なにも出てきてはおらん。じゃが、周囲の話によると、夫妻は引っ越しをするかどうかで、ちょっとばかし揉めとったらしいな』
「引っ越し? どちらにですか」
『もっと都会のほうぞい。奥さんは駅前のマンションに住みたいと言っていたそうじゃ』
「家の名義はどなたでしょう?」
『土地がご主人で、家屋が奥さんじゃ。結婚当初は共働きだったらしく、半分っこずつしていたのだろうのぉ』
「そうですか……」
これに関しては別に不思議ではなく、どこにでもある話。
離婚を前提に家を買うわけではないが、ともに立場が対等である以上、自身の資産として購入するのは珍しいことではなかった。
『わしは戻って報告会じゃ。それはそうとナナちゃん、明日は退院じゃろ』
「そうなのよ。あたしたちの捜査会議は病院を出てからにしましょうか」
三度も飲む機会を逸してしまったが、明日からは大手を振って、大好きなアルコールに浸れる。
受付で清算を済ませたら、すぐ飲んでやると心に誓い、机の上のタブレットへと手を伸ばした。
「えーと、最後の診察は十時だから、ここから一番、近い酒処(さけどころ)は……」
事件はさておき、昼間から暖簾が掛かっている店を検索し始める。
情報が出揃ってない状況では、どれだけ考えても無駄とわかっていたから。
「おっと、そうか。じいちゃんも来るんだったらアレができるわね」
うれしそうに口元を緩ませる七美。一度でいいのでやってみたいことがあった。
顔を赤らめ、恥ずかしそうにうつむく少年を中心にして。
「――そうか、俺はあのシェフに惚れられていたのか」
「いいじゃん。結婚を前提に付き合ったら。あたしは応援してあげるわよ」
「おまえ、他人事だと思っているだろ」
「だって他人事じゃん」
少年は、店のシェフから相談を持ちかけられていたのを吐露した。
初めて七美たちが店に来たとき、細身で筋肉質。顔もスッキリとした、しょうゆ顔の水溜に一目惚れしたらしく、なんとかして橋渡しをしてくれるよう、命じられたと語ったのであった。
「今日、お見舞いに来たときに伝えようと思ったのですが、なんて言ったらいいかわからなくて――」
色恋沙汰に無縁らしいこの少年は、夜になるまでロビーで悩んでいたとのこと。
だが、ようやく覚悟を決め、水溜の部屋に行こうとしたところ、彼が七美の部屋に向かっているのが見え、跡を追ってきたと話した。
「それにしても少年、いきなり結婚をしてくれはないだろ。ぷー」
水溜は呆れたみたいに言おうとして、最後は堪えきれずに吹き出す。
鰻重を片手に持つ七美は、もっとも脂の乗っている部分を箸で摘まみ、少年の口元に持っていった。
「はい、あーんして。おかげでわかったよ。廃神社で見た幻覚はシェフだったんだ」
四人で出かけると、なんとなくグループデートをしているみたいになる。
三倉と大木場はお似合いであるし、水溜は目上であるにもかかわらず、自身を呼び捨てにしてくるので、彼女だと疑われてもおかしくない。
いつも笑顔で挨拶に来てくれるシェフであるも、どこか突き刺す目で自分を見てくるときもあり、それが意識下にあったせいで、あのような白装束姿で現れたのだと理解した。
「はんのはなひでふか」(なんの話ですか)
「ううん。気にしないで、ところでぼくちゃん――」
『お名前は?』と、今さらながら尋ねようとした瞬間、またしてもテレビ台に置いていたスマートフォンが鳴る。ひらがな一文字で『じ』とだけ出ていた。
『ナナちゃんよ、ふたりに接点があったぞい。井関翔一朗は平良の旦那の教え子じゃ』
「詳しくお願いします」
食べかけの鰻重をテーブルに置き、全神経を聴力に集中させる。
水溜は、かわいらしい少年に手招きをすると病室を出ていった。
『さっき平良と仲のよかった教頭はんに聞いたぞい。旦那である平良孝蔵は十年前、東北の大学で学生相撲を指導しておって、井関翔一朗も生徒のひとりだったんじゃ』
井関は学生相撲で優勝した折、本格的に力士を目指したいと言ったとのこと。
孝蔵は懇意にしている部屋の親方に彼を紹介し、運営費や管理費。稽古場維持費などをすべて立て替え、無事に入門したものの、わずか半月で井関は膝を傷めてしまい、部屋を辞めたとの話であった。
「うーん。故障なら仕方ないかな。でも紹介したほうは方無しね」
『それと、もうひとつ判明したのは、孝蔵が失踪した理由で、どうやら多額の借金があったらしいんじゃ』
「よくあるパターンね」
『旦那さんが消えたあとも、たまに井関は顔を出しに行ってたらしく、平良みどり子も知っとるはずじゃ』
「間違いないわね。これでふたりの利害は一致したと考えていい」
『じゃがのぉ……接点だけは見つかったが、交換殺人に関しては、なんの確証もないから、しょっ引くわけにもいかんぞい。――それで、あとはなにを調べたらいいんじゃ』
「井関のご主人が、奥さんを殺害する動機でしょうか……。夫婦のあいだで諍いはありませんでしたか」
とりあえず平良と井関の関係が確認できたが、ここからが重要であり、困難でもあった。
仮に井関幹恵に多額の保険金でも掛かっていれば、殺害する理由たり得るだろうが、別段それもなく、ごく一般的な生命保険額に収まっている。
犯罪被害者支援として国から遺族への補償金が出るものの、それもわずかであり、金銭が目的として捉えるには、あまりにも希薄だった。
『あれやこれやと地取り班からの報告が上がってくるが、井関の女関係については、なにも出てきてはおらん。じゃが、周囲の話によると、夫妻は引っ越しをするかどうかで、ちょっとばかし揉めとったらしいな』
「引っ越し? どちらにですか」
『もっと都会のほうぞい。奥さんは駅前のマンションに住みたいと言っていたそうじゃ』
「家の名義はどなたでしょう?」
『土地がご主人で、家屋が奥さんじゃ。結婚当初は共働きだったらしく、半分っこずつしていたのだろうのぉ』
「そうですか……」
これに関しては別に不思議ではなく、どこにでもある話。
離婚を前提に家を買うわけではないが、ともに立場が対等である以上、自身の資産として購入するのは珍しいことではなかった。
『わしは戻って報告会じゃ。それはそうとナナちゃん、明日は退院じゃろ』
「そうなのよ。あたしたちの捜査会議は病院を出てからにしましょうか」
三度も飲む機会を逸してしまったが、明日からは大手を振って、大好きなアルコールに浸れる。
受付で清算を済ませたら、すぐ飲んでやると心に誓い、机の上のタブレットへと手を伸ばした。
「えーと、最後の診察は十時だから、ここから一番、近い酒処(さけどころ)は……」
事件はさておき、昼間から暖簾が掛かっている店を検索し始める。
情報が出揃ってない状況では、どれだけ考えても無駄とわかっていたから。
「おっと、そうか。じいちゃんも来るんだったらアレができるわね」
うれしそうに口元を緩ませる七美。一度でいいのでやってみたいことがあった。
0
あなたにおすすめの小説
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
エリート警察官の溺愛は甘く切ない
日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。
両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉
愛しているなら拘束してほしい
守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。
苦手な冷徹専務が義兄になったかと思ったら極あま顔で迫ってくるんですが、なんででしょう?~偽家族恋愛~
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「こちら、再婚相手の息子の仁さん」
母に紹介され、なにかの間違いだと思った。
だってそこにいたのは、私が敵視している専務だったから。
それだけでもかなりな不安案件なのに。
私の住んでいるマンションに下着泥が出た話題から、さらに。
「そうだ、仁のマンションに引っ越せばいい」
なーんて義父になる人が言い出して。
結局、反対できないまま専務と同居する羽目に。
前途多難な同居生活。
相変わらず専務はなに考えているかわからない。
……かと思えば。
「兄妹ならするだろ、これくらい」
当たり前のように落とされる、額へのキス。
いったい、どうなってんのー!?
三ツ森涼夏
24歳
大手菓子メーカー『おろち製菓』営業戦略部勤務
背が低く、振り返ったら忘れられるくらい、特徴のない顔がコンプレックス。
小1の時に両親が離婚して以来、母親を支えてきた頑張り屋さん。
たまにその頑張りが空回りすることも?
恋愛、苦手というより、嫌い。
淋しい、をちゃんと言えずにきた人。
×
八雲仁
30歳
大手菓子メーカー『おろち製菓』専務
背が高く、眼鏡のイケメン。
ただし、いつも無表情。
集中すると周りが見えなくなる。
そのことで周囲には誤解を与えがちだが、弁明する気はない。
小さい頃に母親が他界し、それ以来、ひとりで淋しさを抱えてきた人。
ふたりはちゃんと義兄妹になれるのか、それとも……!?
*****
千里専務のその後→『絶対零度の、ハーフ御曹司の愛ブルーの瞳をゲーヲタの私に溶かせとか言っています?……』
*****
表紙画像 湯弐様 pixiv ID3989101
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる