切愛、あるいは独占 ~『不感症の神様』と呼ばれた42歳のエリート上司は、派遣の私にだけ42年分の「欲」と「愛」を溢れさせる~

結城ろか

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第1章【派遣社員の壁とシトラスの予感】

01-11 逆転のログと突き刺さる真実

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高山さんの言葉を冷酷な声で遮ると、宇佐美さんはそのまま射抜くような視線を彼女へ向けた。
さらには、隣で成り行きを見守っていた佐藤さんをもその冷徹な眼差しで捉える。

「宇佐美さん……。彼女、正社員になりたくて焦っちゃったみたいで。私からよく言っておきますから」

佐藤さんがいつもの「慈愛の微笑み」で宇佐美さんをなだめようとする。

周囲の社員たちがホッとしたように息を吐くのが分かった。
それは私を救うためではない。

この場の殺気だった空気を「派遣の不手際」という箱に押し込めて蓋をし、一刻も早く平和な日常に戻そうとする、無自覚な保身だった。
でも、宇佐美さんの表情はピクリとも動かない。

「高山。君は、三井さんに『何部』と指示したんだ」
「25部です! 当たり前じゃないですか、出席者は25人なんだから!」
「俺も昼休み、コピー機の前で三井さんに確認した。その時、彼女は君のチャットを根拠に『23部』と答えた」


高山さんの視線が激しく泳ぎ、すがるように周囲を見回した。


「……俺は出席者が25人だと知っていたが、あえて何も言わなかった。指示者が『23』という仕様を提示した以上、作業者はその条件を遵守するのが鉄則だ」


そこで一度言葉を切ると、宇佐美さんは逃げ場を塞ぐように彼女との距離を詰めた。


「高山。自分の出した指示と結果の整合性すら、君は取れないのか?」


宇佐美さんの言葉に、高山さんの表情が硬直する。
嘘をついた自覚よりも、彼の異常な記憶力に対する当惑。
私には、彼がこの場の混乱をただ淡々と冷徹に整理しているように映った。

そして、宇佐美さんは私の方を振り向いて言った。

「三井さん、ログを取ってるだろ。見せてくれないか」

一瞬、息が止まりそうになった。
(どうして、宇佐美さんがそれを……)

促されるまま、私は冷たくなった手でマウスを握り、デスクトップの『業務記録』を開く。
これを見せれば、私は「扱いづらい派遣」としてこの会社での平穏を永遠に失うかもしれない。
けれど、隣に立つ宇佐美さんの一切の感情を排した理知的な気配が、私の背中を静かに押した。

そこには、高山さんのチャット内容のスクリーンショットと淡々とした事実が並んでいる。


【11:34】高山様よりチャットにて会議資料23部のコピー依頼受領。
【11:41】同チャットにて「ホチキス留め」の追加指示。
【12:39】コピー機前にて宇佐美様より「残りを引き受ける」との申し出。作業交代。
【12:54】作業完了


画面を覗き込んだ高山さんの顔から血の気が引いていく。
「……な、なにこれ。怖いんですけどっ……」

高山さんが漏らしたその言葉に、周囲の社員たちも一斉に視線を泳がせた。

さっきまで私を疑っていた視線が、次々と床へと落ちていく。
誰一人として私と目を合わせようとはしない。
フロアを支配したのは、逃げ場のない気まずい沈黙だけだった。

「自分のミスを他者の能力不足にすり替える。……事実を歪曲してまで保身を図る。企画を扱う人間として、これほど不誠実で非効率な行為はない」

宇佐美さんの声は、一切の揺らぎがない。

「それから佐藤。午前中の見積書の件も確認させてもらった。三井さんのログには、君から手渡された見積書のファイル名まで記録されている。……佐藤、君が渡したのは本当にA社のものだったのか?」

「それは……」
佐藤さんの完璧な微笑みが、初めて醜く歪んだ。

「もし君が言うように、彼女が勝手に共有フォルダのファイルを持ち出したというのなら、今すぐサーバーのアクセスログを照合してもいい」

宇佐美さんの冷ややかな提案に、佐藤さんの唇がわずかに震えた。

「エビデンスは嘘をつかないが、どうする?」

宇佐美さんは一度だけ、長く冷ややかな瞬きをすると、獲物の急所を定めるような鋭い視線を彼女に突き刺した。

「……君の曖昧な記憶と、サーバーに残る正確な記録。どちらを信用すべきかは明白だと思うが」

宇佐美さんの静かな、けれど、逃げ場を許さない問いかけに、佐藤さんはもう何も言えなくなっていた。

私はただ従順だったのではない。
この「正社員」という住人がいる世界で、誰かのための「道具」として使い潰されないために。
自分を守る盾として、彼らから出される指示を克明に「記録」していたのだ。

宇佐美さんはじっと私のパソコン画面を見つめている。
一分一秒を惜しむように、自分を人間として繋ぎ止めるために血を吐く思いで綴った、哀れで不格好な私の「武装」を。

彼はそれを蔑むこともなく、価値ある資料を読み解くように、真っ向から受け止めている。

その瞳にはさっきまでの冷徹な上司としての色ではなく、もっと別の……初めて見るような、温かな色が灯っていた。



「……三井さん。要領は悪いが、君は骨のある子だ」


宇佐美さんが初めて、私を「派遣」という記号でも、代わりのきく「部品」でもなく、三井ゆこという一人の人間として認めてくれた。
胸が苦しくなり、視界が滲む。
ずっと孤独の中で戦ってきた。
誰にも気づかれない場所で、ボロボロになりながら守ってきた自分の居場所を。

この人は、ちゃんと見ていてくれた。
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