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5度目の世界で
私の『おうじさま』だった方
しおりを挟むユースクリフ家の人間が起きてこないうちに家を出るようにした私は、学園の生徒会室で執務に取り掛かっていた。
机の上には積み重なった書類と筆記具、そして通学の途中に立ち寄ったパン屋で買ったサンドイッチの入った紙袋。
今朝アリーに言われたように、作業をしながら食事をするだなんて真似を公爵令嬢たる私がするのははしたない行為だと理解しているが、今の時間、この生徒会室には他に誰もいないのだ。 少しくらい構わないだろう。
私が通う聖エイリーン学園において、生徒会に属するのは常に修得科目の成績上位者が選抜され、私は全生徒中第2位で生徒会副会長を務めている。
聖エイリーン学園はこのアリステル王国で最大規模の学園であり、多くの貴族子息子女らが通う学園であるため格式も高く、当然それに比例して仕事の量も多くなる。
格式、つまり見栄を張るのにも相応の手間がかかるのだ。
学園運用の一部を任されるのだから、全学園生間の風紀から学園の設備管理まで、その仕事は多岐にわたり、正直どの時期でも猫の手を借りたいほどには忙しい。
予想通りではあるが、さすがに朝6時からやってきて作業をこなすような役員はいないらしく私は生徒会室で1人静かに書類へとペンを走らせている。
そしてその作業の合間に朝食のサンドイッチを頬張り、喉が乾けば常設されているティーセットで紅茶を淹れる。
そうして一息吐いて、また作業を開始する。
その一連の流れを邪魔するものは、ここにはない。
………この静寂は、悪くない。
聞こえるのはペンが紙上を走る音と衣擦れの音くらいのもの。 周りには誰もおらず、気の抜けない生活を長く送っていた私にとって、始業までのわずか2時間程度ではあるが、実に心が安らぐひと時なのではなかろうか。
これから、毎日この時間に来てしまおう。
ユースクリフ邸は、居ればどうしても息苦しくなる。
ユースクリフ一家の中での私ははぐれ者。 いや、そもそも家族として認識されているのかすら怪しい。
きっと、父などは私のことを備品か何かと考えているのだろう。
これまで忌まわしい女との娘しかいなかったのが、今は愛している妻がいて、2人の愛の結晶たる息子がいて、新たな子を孕む腹がある以上は、私はあの家で一人娘だった頃ほどの価値はない。 きっと、義母が女の子を身籠れば、私の存在などさらに薄く価値のないものへと成り下がるだろう。
家族としての愛も与えられなければ、娘として扱われることもないのだろうあの家。
だったら、構わないだろう。
あの家に、私の居場所なんてない。
自室でさえ、父の息がかかったアリーに侵入されるのだ。
本当に、私が心安らげる場所なんて、ない。
だったらここに逃げ込んで、少しの間であっても安らぎを得てもいいではないか。
「エリーナ嬢、インクが滲んでしまうぞ」
不意にかけられた声に驚いて声のした方へと顔を向ければ、そこにいたのはこの国の王太子であり、そして聖エイリーン学園生徒会会長でもあるジーク・ライラ・アリステルだった。
「っ! ………殿下でしたか。 おはようございます」
「え……あ、ああ。 おはよう、エリーナ嬢」
ジークは少し戸惑ったように目を見開いていたが、すぐにいつもの調子に戻ってその表情に人当たりの良い笑みを浮かべる。
始めは、そんな笑顔を向けてくれる彼に惹かれたのだったかと、そんな感想が浮かんだ。
ジークは、実力主義であるエイリーン学園で生徒会長を務めているだけあり頭が良く、既にいくつか手掛けている国王陛下から課された政務も難なくこなしているらしい。
また、幼い頃から王国騎士団に紛れて団員と同じ訓練をこなしていたという話もあり、その噂の証明かの如く、入学後にすぐ行われた男子生徒ら全員参加の剣技大会においても他の騎士科志望の生徒らを圧倒的実力差により下して見事優勝を果たした。
容姿もよく整っていて、金髪に深みのある翠色の瞳と美しくも凛々しい顔立ちは多くの令嬢達を虜にする、まさしく『完璧な王子様』だ。
そして、虜になった令嬢というのは、私も例に漏れず。
愛を欲した私は、不相応にも彼に恋をした。
立場だけを見れば、一国の王太子と公爵令嬢ならば釣り合いが取れている。
だから、愛に飢えていた私はその立場と生徒会会長と副会長という関係から「ジーク様と私は結ばれる運命。 あの方は私の王子様」などと思い上がったのだ。
そうして、ジークに言い寄る他の令嬢らを遠ざけ、逆に私はジークとの距離を詰めようとした。 だからさっきジークは、いつもならジークの姿を見るなり詰め寄って喜色満面に語りかけるはずの私がそうしない事に面食らったのだろう。
私が、一番相応しい。 私が、彼の隣に立つべき。 私が、彼に愛されるべき。
そう思い込んで、近付けば近付くほどに遠ざかる彼の心に気付かなかった。
ジークの心など得られていないのに、ただ1人で間抜けに踊っていた。 悲劇のヒロインたる私がジークに愛されて幸せになるという演劇を1人で演じる道化だった。
それで最後にはあの令嬢がジークの心を射止めたのだから、過去の自分の嘲笑えること。
全ては、自らをヒロインとした主軸がある物語と思い込んだ私が愚かだったのだ。
ヒロインはあの令嬢で、私はジークと令嬢が結ばれるための起爆剤である悪役でしかなかった。
ジークは、私ではなくあの令嬢と結ばれるのが正しいのだ。
あの時は、それが、認められなかっただけ。
正しい在り方を、運命を理解した以上、私はジークをもう求めはしない。
「エリーナ嬢がこんな時間に学園に居るだなんて。 どうしたんだい?」
「終わらせるべき資料が多く残っているもので、だから早く処理してしまおうと思いまして。 ところで、殿下はなぜこんな時間に?」
「ああ、俺も週に2日は朝早くにここに来て作業をしているんだ。 何せ、サインをしなければならない書類だけでも執務机の上に山が3つあるからね」
「そうでしたか」
副会長である私は会長であるジークの補佐も任されているが、最終的には会長のサインが必要な書類がほとんどだ。
あれだけの書類全てを不備がないかチェックし、サインをするだけでも多くの時間を消費するし、手はインクで汚れ、ペン蛸もできることだろう。 何より執務とは肉体労働とは違い、ドロリとした倦怠的な疲労感に苛まれるものだ。
「ならば、私の分は目処が立ちそうなので、どうしても殿下のサインと確認が必要なもの以外は私が請け負います。 そういった書類の指示をいただければ処理いたしますので」
「いや、君にそこまで無理をさせるわけにはいかない。 俺は王太子だ。 これくらいできなければ、未来の国王としては不適格だろう」
「いいえ、お任せください。 私は生徒会副会長です。 会長の補佐も仕事の内ですから、存分にお使いください。 それに、殿下は国王陛下から任せられた政務もありましょう。 そちらの方にこそ障りが出てはなりませんから、どうかお任せください」
心配するような言葉を吐く反面、私が言ったことはほとんどが建前だ。
実際は、仕事を多く受けることにより遅くまで学園から帰らなくてもいい状況を作りたいだけなのだ。
朝は早くからユースクリフ邸を出ればいいのだが、放課後の生徒会は遅くとも7時頃には仕事を切り上げてしまう。 もちろん、繁忙期にはその限りではないが、基本的には完全下校時刻と同じ時間に作業を切り上げる。
だったら、自分に仕事を集中させ、より遅くまで学園に残ることの許可を得て、できる限り帰らないようにした方がいい。
仕事仕事仕事仕事仕事と根を詰めていれば、余計なことも考えることも少なくなるだろうし、屋敷と、辛い現実からの逃避にはちょうどいい。
「エリーナ嬢、君は」
「ユースクリフ嬢! 君はまたジーク様に言い寄っているのか!!」
何か言おうとしたジークと私に挨拶もないまま、扉を乱暴に開けてズカズカと歩み寄り、殿下を私から遮ろうと身体を入れる男子生徒。
その激しい口調と、攻撃的な態度に浮かぶのは私の中ではたった1人だった。
「ライアス様、おはようございます。 誤解ですわ、私はただ生徒会の仕事を」
「はっ、どうだかな! 君はいつもそう言って誤魔化そうとするが、僕の目を盗んでジーク様に近付けると思うなよ!」
決めつけた言葉で、私を糾弾するのはライアス・コルティーニ。
王族の付き人を輩出してきた由緒あるコルティーニ伯爵家の次男で、現在は王太子殿下の付き人兼ジークと同じ学年のクラスメイトとして学園に通っている。
藍色の髪に紫紺の瞳の彼は、一見冷たい印象を持たれがちな美形だが、その実は殿下さえ関わらなければ気のいい男の子であり友人も多いらしい。
そんな彼は、殿下同様令嬢らの憧れの存在であり、殿下と並んでいるのをよく見かけるのでその場に居合わせた令嬢は眼福とばかりに2人のやりとりについ目と意識を引っ張られる、という噂がある。
しかし、そんなライアスは幼い頃からジークに仕えているせいか、その世界はジークを中心に構成されているらしく、他の令嬢らを見向きもしない。
もっとも興味がないのではなく、彼の中では全てがジークを中心に回っている。 要するに、ライアスは人並み以上に責任感が強い人物で、私情よりも付き従う人を優先して動いているだけなのだ。
だから、彼には浮いた話がほとんどない。
パーティではライアスと踊れたと言う令嬢は幸せそうにその様を語るのだが、その実はジークの側を離れたくない彼をジークが嗜めてようやく重い腰を上げているようなものだ。
そんな、一種の過保護ともジークへの強い執着とも言えるライアスとは私も何度も衝突して、言い争ってきた。
それはもう、1度目の世界でなど筆舌に尽くしがたいもので、私もライアスも貴族令息令嬢としてはしたないと言えるほどに。
ジークを害するものには口汚く罵り、そして糾弾する声音は威圧的。 さらに思い込みが激しく決め付けで発言する事もあって、私は彼が苦手だった。
だから、今回は彼には近付きたくない。 そもそも、ジークさえ絡まなければライアスも生徒会メンバーであるということ以外に関わりのない人物だ。
「別に、ライアス様が仰るようなことはありませんでしたが……まあ、いいです。 それではそろそろ始業の時間ですから、私はもう行きますわね」
ライアスに口を開かせると長いしくどくどしくて面倒なので、早々に会話を切り上げてその場を撤退する。
ジークはあの令嬢と結ばれる運命。
ならば、私が介入するのは間違いだ。 だからライアスにも関わることもない。
私は、もう間違わない。
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