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138.側にいる夜
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レコードの柔らかい音に包まれながら、三人でおいしいお菓子を食べ終えると、雅彦さんは帰って行った。瑛士さんも一度家に帰って、シャワーを浴びたり、準備をしてくるという。
オレはその間にシャワーを済ませて、必要なことを片付けることにした。
食洗器のお皿を片付けて、ホットミルクの準備をしつつ、明日の朝のお米も予約を済ませる。
読んでおきたかった本を手に、クッションに腰を下ろす。ページをめくるたびに、静かな部屋に自分の呼吸だけが響く。
瑛士さんが来るまでの、待ち時間。
少し寂しくて――でも、待ち遠しいような。くすぐったい気持ちがある。
それでも、しばらく本の世界に入り込んでいると、玄関のほうで音がした。
あ、と立ち上がってリビングのドアを開けると、瑛士さんがすぐ目の前まで来ていた。「凛太」と笑顔を向けてくれる。
髪をセットしたスーツの瑛士さんは、文句なしにカッコいい。
でも、パジャマの瑛士さんは、髪も緩く崩れた感じで、ちょっと可愛い。
そんなことを考えて自然と笑顔になったオレを見て、瑛士さんが目を細めた。大きな手が、オレの肩にそっと置かれた。その手のぬくもりに、胸まで温かくなる。
「ごめん、電話がきて、遅くなっちゃって」
「いえ。本を読んでたので大丈夫です。あ、ホットミルク入れてくるので、座っててください」
「ん、ありがとう」
瑛士さんは、オレが今まで座っていた場所に腰かけて、そこにあった本を手に取った。
「これ読んでたの?」
「あ、はい」
「ふうん……」
少し黙ってページを見つめる瑛士さんを、オレはそっと見つめた。ふふ。読んでる。
マグカップにホットミルクを淹れて、瑛士さんの側のローテーブルに置いた。
「ありがと。――難しい本、読んでるね」
「そう、ですね……教授たちの薦める本って大抵が難しくて。一回じゃ頭に入らないことも多いです」
「そっか。何回も読むの?」
ふうふうと、ホットミルクを冷ます瑛士さんを見て、オレは思わず微笑んで頷いた。
「はい。何回も読むこともありますね」
「そっか。凛太も忙しいよね……」
「――瑛士さんほどではない気がしますけど。オレは、医学生なら当たり前の道なので」
「いや――凛太は絶対頑張ってる方だと思う」
その言葉が、胸の奥深くに染み込んでいく。
――瑛士さんは医学部ではないし。他の医学生のこと、そこまで知らないはず。オレの勉強だって、そんなに全部を見てるわけではないのに。それでも、こんな風に、頑張ってる、て言ってくれる。
「瑛士さんが、頑張ってるって言ってくれると――もっと頑張ろうって思えます」
「ん。そう?」
「はい。今すっごく頑張ろうって思いました」
「そっか。――じゃあいっぱい言ってあげようかな?」
「いえ。今の一回で十分です。しばらく頑張れます」
ふふ、と笑いながら、オレはホットミルクに口をつけた。
隣でなんだか楽しそうに笑った瑛士さんは、またオレの頭をよしよし、と撫でてくれる。
この手のぬくもり、この優しさに触れられるたびに、なんだか――すごく幸せを感じる。それこそ、怖いくらい。
「応援してるよ、ずっと」
「――はい」
笑顔で頷いて、しばし二人で、静かにホットミルクを飲む。こんな時間がずっと続けばいいのにな……そんな願いが頭をよぎる。
ふ、と、思い出して、オレは瑛士さんを見上げた。
「レコードなんですけど……今度、一人の時でも、聞いてもいいですか?」
「もちろんいいよ。気に入った?」
「はい。すごく」
「あの下の棚に、説明書も入ってるから、分からなかったら見てごらん」
「分かりました。ありがとうございます。聞いてみたいのいろいろあったので、楽しみです」
ん、と微笑む瑛士さん。
ひと口ホットミルクを飲んで、カップをテーブルに置くと、瑛士さんが一度、ふぅ、と息をついた。
「――あのさ、凛太」
声の調子が少し変わった。真剣で、少し緊張した響き。
オレもマグカップを置き、瑛士さんをまっすぐ見つめ返した。
「いろいろ考えたんだけど――やっぱり、パーティーで発表する前に、凛太のお父さんに挨拶に行きたいんだ」
「あ……」
さっき、雅彦さんが言ってたから、この話の心の準備は、出来ていたはずだった。それでも、実際に言われると、咄嗟に返事が出来なかった。
「凛太が複雑な思いを持ってるのは聞いてるし、大体は理解もしてるつもりだけど――やっぱり、言わないでいる訳にはいかないから」
「……はい」
小さく頷いてから、オレは一度深呼吸をした。
「オレも、電話で知らせようとは思っていたんですが……結婚式ではなくなったから、出て貰わなくてもいいかなとも思って……」
「うん。そこは無理して出て貰おうとは思ってないよ。ただそのパーティーは何かしらの記事にはなると思うし、オレの婚約発表もどこかには出ると思う。なんだかんだアルファの業界って、狭いしね」
「……はい」
「先に挨拶だけはさせてもらいたいから、時間を取ってもらえるか、聞いてもらえる?」
まっすぐな瑛士さんの瞳に、オレはすぐに、小さく頷いた。でも、視線はどんどん下に向かって落ちていく。
「気を使ってくれて、ありがとうございます。もちろん、連絡とります。時間が空く日があるか、聞いてみますね」
「――うん。ありがと」
「いえ。ありがとって言われることじゃないです。むしろ、お願いしますって、オレが言う方だと……」
「――凛太?」
自然とうつむいていたオレの頬に瑛士さんがそっと触れた。
優しく上向かされて、瑛士さんの瞳と目が合う。
「……大丈夫?」
じっとオレを見つめる瑛士さんの瞳を、見つめ返す。小さく頷くと、瑛士さんは少し困ったように頷き返す。
「――仮にも父親に、金銭的に世話になりたくないと思うくらい、凛太が複雑な気持ちを持っているのは分かってるんだけど」
「大丈夫です。もともと隠すつもりは、なかったので……ただ、あの……オレ、自分がΩってことも隠してたし、医学部在学中に結婚の話なんてしたら――あの……きっと、嫌なこと言われると思います。でも……気にしないでくださいね……?」
声が少し震えた気がした。自分でも、こんなに弱い言葉が出たことに驚いてしまう。
――あの人の言葉。瑛士さんには、聞かせたくないなと、思ってしまった。
瑛士さんは、一瞬眉を寄せた。そして――その胸にオレを抱き寄せた。
「大丈夫、側にいるから」
優しい声が、すぐ近くで響く。
オレ自身が傷つくことよりも、瑛士さんに、あの言葉を聞かせたくなかったんだけど。
勘違いしたらしい瑛士さんが言ってくれた言葉で、少しだけ、心がふわりと柔らかくなった気がした。
――まずオレがΩだってことを伝えるのだけでも、本当はめちゃくちゃ苦痛なのだけど。
それでも、瑛士さんが居てくれるなら……と思ってしまう。
(2026/1/6)
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