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しおりを挟む「よう。やっと出てきたな。出戻り女」
礼室に籠ってから21日が経ち、桂深夜はようやく閉関を終えた。
21日振りに浴びる太陽の眩しさに一瞬目の前が暗くなった。目を強く閉じて何度か軽く頭を振り、ようやく視界を正常に戻す。
視界が明瞭になったことで、太陽の光がより眩しく感じられるようになった。
腹が立つ。
深夜は舌打ちをし、燃えるような視線で東の空を睨んだ。目障りな炎陽を焼き尽くしてしまおう、といわんばかりだった。
しばらく太陽と睨み合っていたところに空海は現れ、そして冒頭の言葉を深夜にぶつけた。
「寝ぼけているようだな。私はまだ未婚だ」
深夜は睨んでいた対象を変え、忌々しそうに吐き捨てた。
出戻り、とは恐らく数日前の門弟たちの会話から来ているのだろう。礼室はその話題があった場所からは少し離れていたが、桂家の人間はその力故に、五感が異常に鋭い者が多いので、深夜には全て内容が聞こえていた。
そしてこの男も、しっかり話を聞いていたようだ。聞こえていて止めなかったのだ。
どうせ腹を抱えて笑い転げていたのだろうと深夜は思う。桂空海とはそういう人間だ。
普段なら少しはこの軽口に付き合っていた深夜であったが、今日はそんな気分ではなく、正面に立つ空海の脇をすり抜ける。
「まだ話の途中だろ! どこに行くんだよ!」
そのまま無視しようとしたが腕を掴まれてしまい、仕方なく深夜は口を開いた。
「うるさい。お前と遊んでいる暇はない。腹が減ったし眠い」
「おいおい! 煩悩が消えてないじゃないか! 何のために瞑想してたんだよ!」
何が面白いのか、空海は手を叩いてゲラゲラと笑っている。
そもそも閉関を薦めたのは空海だった。
深夜は、ここに留まる予定ではなく、鏑木家を出てそのままフラフラと放浪する気でいたのだ。桂家に戻ったのは、最低限の私物を回収したかったからだ。
そこをこの男に捕まり、親しい人間に挨拶もしないのか。1年ぶりなのだから、現在の桂家がどうなっているのかをまずは知るべきだ。どうせ行くあてもないのだろう、としつこく迫られた。
誰とも関わる気もなかった深夜は、礼室に籠ることで妥協した。
その気になれば周囲の音は拾えるので、現状を把握するには十分だったのだ。
「もう十分だ。よく分かった」
21日間で、色々な話を聞いた。良い話に悪い話。順調に門弟も増えており、深夜の知らない声も多かった。特に大きな問題が起きているということもなさそうで、ここに留まる理由も、ない。
ほとんど不眠不休、飲まず食わずでいたので、とにかく腹が減っていた。
調理場に行ったら何かしら食べるものはあるだろう。ここを発つ前に腹を満たしておくのも悪くない、とぼんやりした頭で考える。
「おはようございます」
そこへ、何人かの年若い門弟が通りかかった。1年前にも見たことがある、深夜の知っている顔だ。
空海は軽く右手を上げ、「おう」と返す。
門弟たちはそのあと同じように深夜にも礼儀正しく挨拶をした。
それから空海と一言二言話した後、一礼し去っていった。それだけ見れば、年若い門弟が目上の者に挨拶をする、ありふれた光景なのだが。
その後ろ姿を、深夜は唖然とした顔で見ていた。
「どうした?」
そんな深夜を不審に思い、腕を組んだ空海が腰を屈めて深夜の顔を覗き込んだ。
「彼ら、今なんて言った?」
唖然とした顔のまま、深夜は呟いた。
「は? ただの挨拶だろ? お前もちゃんと返せよ。下の人間に示しがつかないだろうが」
この礼儀知らずの弟に正論で話されることに多少の苛立ちを覚えたが、今はそれどころではなかった。
「そうじゃない。まず、お前のことを何て言った?」
「何って......『頭領』だろ。あいつらは『百鬼』の所属だからな」
「それは知ってる!お前が門弟の若い衆を集めて部隊を作った話は聞いてた。だから、そのあとだよ。私を、何て呼んだ......?」
そこでようやく、空海は深夜の言わんとしていることを察した。
そして言い聞かせるように、深夜と自分を交互に指差して言った。
「『副長』、だろ。俺が頭領で、お前が副長」
するとそれを聞いた深夜が怒鳴った。
「どうなってるんだ! その話はもう終わったことだろう!」
「お前が副長に就任したって話は、この家なら知らない者はもういないぞ。大人しく諦めろ」
空海は得意げな顔で深夜を見下ろす。
確かに閉関の前、目の前の男に百鬼の副長への話をしつこく持ちかけられた。何度断っても粘り続ける空海に嫌気がさした深夜は、閉関し距離を置くことでその話を有耶無耶にしようとした。しかしこの男は、深夜がいない間に外堀を埋めてしまったのだ。
深夜が片手で額をおさえ、空海を睨んだ。
「殺してやる」
「俺がいなくなったら、序列的にお前が百鬼の頭領で、そして桂家の次期当主だ。それはそれでちょっと見てみたいかもな」
その視線を受けた空海も正面から睨み返す。
「今、桂家の門弟が増えたのは誰の手柄だと思ってるんだ。十分に役割は果たしたはずだろう。もう疲れた。隠居してのんびり縁側で茶でも飲みながら余生を過ごさせてもらう」
「それはお前の手柄だ、間違いない。だが集めたら次はそいつらを育てないといけないだろ。そんな無責任なことじゃ残された人間は困るぜ。生憎うちには優秀な人間を遊ばせておくだけの暇がないんだ。それに、自分だけ逃げようだなんて、そうはいかないぞ。忘れたのか?俺たちのやるべきことを」
「.......」
そう言われて、深夜は言葉に詰まった。
それからしばらく、2人の睨み合いは続いた。
「.......」
「.......」
先に折れたのは、深夜のほうだった。
「......そうだったな。忘れてなんかいない」
深夜はため息まじりに言った。
その言葉を聞いた空海は、にやにや笑った。
その顔に腹が立ち、空海の肩を殴ろうとしたが、空海は軽く避けて見せた。
「いやいや、それにしても噂ってのは恐ろしいな! 深夜、一体何があったんだよ?」
何が、とは鏑木家でのことを指しているのだろう。深夜と鏑木家については、今最も桂家の人間の関心を集めている話題の1つだった。
しかし、当事者であるはずの深夜は、さして興味もなさげに淡々としていた。
「次男坊の愛人に目をつけられて、それで最終的に追い出された。仕事も終わったし、留まる必要もなかったからな。今広まっている話と大差はない」
それを聞いた空海は大声で笑いそうになったが、深夜の逆鱗に触れると分かっていたため、ぐっと堪えた。
その様子を見た深夜が、肘で空海の腹を突いた。表情筋に力を入れることに気を取られていた空海は、その一撃をまともに喰らい、低く呻いた。その姿を鼻で笑い、仕返しとばかりに深夜は口を開いた。
「そういえば、私が閉関している間に他にも興味深い話を聞いたよ。先代から仕える、百鬼の設立にも尽力した古参の者を、次期当主が粛清した......と」
「......」
その言葉を聞いた空海は、目を伏せた。
「私が情報を渡したのは最近の話じゃないだろう。裏切り者を随分と泳がせたな。まあその間に、仲間に被害は出ていないようだけど」
「......」
今度は空海が言葉を失う番だった。
桂家では以前より、若い門弟が行方不明になる事件が頻発していた。周りの人間は神隠しだと恐れていたが、2人はこの件が人為的なものであると踏んでいた。
神隠しにあったとされていた門弟たちは、実際には鏑木家に誘拐され、その手引きをしていたのが桂家の古参の人間だったのだ。深夜は鏑木家に出向き、手引きの決定的な証拠を掴んだ。それは深夜が別件で鏑木家を追い出される数ヶ月前のことだ。
深夜は上目に彼を見遣る。いつもはうるさいくらい回る口は閉ざされ、存在感を放つ勝ち気な瞳もそこにはない。普段の彼しか知らない門弟が見たら目を丸くするに違いない、ほとほと困り切った顔。
その姿に深夜は目を逸らし、ため息をついた。彼を言い負かせれば少しは気が晴れるかと思ったが、そんなことは全くなかった。
空海の性格はよく知っている。責めたいわけではないのだ。野生的で粗暴な振る舞いとは裏腹に、彼の内にいる者に対してはこの上なく情に熱い。これこそが人の上に立つべき人間なのだろうと、深夜は自分との違いを嫌でも感じさせられた。
「それでも、これで神隠し事件は終息した。最後の嫌な仕事を押しつけて悪かったな。それに免じて......まあ、副長の話は引き受けよう。どうせやる事は今までと大差はない」
深夜は居心地が悪そうに早口で捲し立てたが、空海の耳にはしっかりと届いていた。空海の顔にまた笑顔が戻る。
「そうそう! お前は俺の尻拭いなんて慣れてるだろ! お前以上の適任なんていないさ!」
調子を取り戻した空海は、強引に深夜の肩を組んだ。深夜は鬱陶しそうに身を捩り脱出を試みたが、思いのほか力が強かったので、早々に諦めた。
「もう話は終わりでいいか? とにかく腹が減ってるんだ」
「そうだったな。飯は鈴音が用意してくれてるさ。食べたあとでいいから会いに行ってやれよ。ずっとお前に会いたがってた」
その言葉に、もう1年以上会っていなかったその名前に相応しい従姉妹の顔が思い浮かんだ。すると、心に暖かいものが広がっていく気がした。
「どうせお前しか食べられないし、遠慮せずに全部食べていいって言ってたぞ。あ、あとそれから......」
空海が不自然に言葉を切った。空海はにっこりと笑っている。この顔は何かよくないことを考えている時の顔だ。深夜は視線だけで続きを促す。
「数日前からうちに療養に来てる呪術師のお坊ちゃんがいる。呪いの類を受けたそうだ。状態があまり良くないからまだ手出しが出来てない。様子を見てやって、ついでにその飯も分けてやってくれよ」
「は? お前が対応した客なら、自分で面倒を見ればいいだろう?」
「まあ、それはいいだろ。こと呪いや妖魔鬼怪についてお前以上の適任はいないんだから」
「......」
引っかかる部分はあったが、そろそろ空腹が限界を迎えそうだった深夜は腑に落ちないまま了承した。
返答を聞き、満足そうに笑った空海はそのまま去っていった。
(お坊ちゃん、ね)
深夜は首を傾げながら、空海とは反対の方向に歩いていった。
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