夢見草

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部屋の外が騒がしくなった。徐々に2つの足音がこちらへ向かってくる。近づいてくるにつれて、足音の主たちが激しく口論をしていることが分かった。部屋にたどり着く間に、その激しさはどんどん増していく。

足音が客間の前で止まり、戸が大きな音を立てて勢いよく開けられる。そしてその勢いのまま人影が深夜に突進した。深夜は両腕を広げて受け止めようとしたが、そのあまりの勢いに、数歩よろめいてそのまま尻餅をついた。
錦秋人は突然の出来事に面食らっている。

深夜の胸に顔を埋めた人影---桂鈴音は、勢いよく顔を上げた。鈴音の大きな瞳に、薄い膜が張っている。

「深夜ちゃん! 空海ちゃんったら、私が深夜ちゃんのために剥いた桃を全部たべちゃったのよ!!」

その名にふさわしく、鈴を振ったような可憐な声を上げ、深夜の体を激しく揺さぶった。2人は血縁関係にあるが、あまり似ていないようだった。深夜は玉を磨き上げて作られたかのような端正な顔立ちで、剣のように洗練された美貌の持ち主であるのに対し、鈴音は異国風の華やかな顔立ちで、大輪の花のように美しい。服装は、深夜があまり飾ることを好まないのに対し、鈴音は年頃の女性らしく着飾っている。2人の後ろのほうでは少し遅れて、雰囲気こそ違うものの、深夜とよく似た顔の空海が頭を掻きながら客間に入って来た。

「皮剥いて切った状態で置いてるのが悪いんだろうが」

「私は深夜ちゃんに食べさせたかったのにぃ......」

鈴音が深夜の胸の中でぐずぐずとすすり泣く。そんな鈴音を空海が揶揄う。それでさらに鈴音は怒る。その応酬を何度も繰り返す。ぷりぷりと怒っていた鈴音だったが、ふと深夜のそばにある2つの空鍋に目を留めた。

「あら、綺麗に食べて来れたのね。嬉しいわぁ」

「美味しかったよ。舌の肥えた錦の若君が何杯もおかわりしたくらいだ」 

「うふふ、ありがとう。実は具材の雉......私が撃ち落としたの」

鈴音が少し恥ずかしそうに言う。余談だが、桂家の家訓には、殺生を禁じるというものがある。錦秋人が信じられないものを見る目で鈴音を見た。

「せっかく食後に食べてもらおうと思って、桃を用意してたのに......」

鈴音が恨めしそうな目で空海を睨む。その視線を受けた空海は鬱陶しそうに目を逸らした。

「新しいの買って来ればいいんだろ」

「そんなの当たり前でしょ!」

鈴音がぽこぽこと空海を殴る。最初は笑って受け流していた空海だが、見かけに反した威力に、そのうち本気で抵抗を始める。錦秋人は、この世のものではないもの見る目でそのやり取りを見つめている。2人の動きを止めたのは、心の芯まで凍るような冷ややかな声だった。

「本題に入っても?」

普段は苛烈と称され、猛き炎を宿す深夜の瞳から、一切の温度が消え失せ、表情が抜け落ちた仮面のような表情で2人をひたと見つめる。あまりの圧に、鈴音と空海は動きを止めた。

「こちらの錦家のご子息に、失礼のないように」

その言葉に、鈴音が慌てて空海を解放し、姿勢を正す。

「お見苦しい姿をお見せしてしまい申し訳ありません。私は桂鈴音と申します」

桂鈴音は完璧な礼を披露した。直前に自分の家の次期当主を突き飛ばしたことを除けば。吹っ飛ばされた空海は頭から襖に激突した。大きな音を聞いて、何事かと集まって来た門弟たちを、深夜が下がらせる。

「あそこで転がっているのが、愚弟の空海です」

錦秋人は自分と同じ次期当主の扱いの違いに、相槌も打てないほど驚いた。当の本人は、その扱いに特に何か言うわけでもなく、何食わぬ顔で外れた襖を直し、近づいてくる。空海は錦秋人を見下ろして口を開く。

「で、『蛇』だろ、それ。ずいぶんと状況は良くないようだが」

深夜が頷く。一方で呪いの道にはあまり明るくない鈴音は首を傾げる。言い当てられて驚く錦秋人を、空海が鼻で笑う。

「恐らく、元々は身体中を蛇が這いずり回る跡があったはずだ。今は消えてるがな。でも、呪いは今も進行を続けている。そもそも蛇の呪いは、呪いの中でも殺意が高い。まず怨恨と見て間違い無いだろう。錦殿、何か心当たりは?」

空海の慇懃無礼な態度に、今度は深夜が首を傾げる。この2人には以前から交流があったのだろうか。何となく折り合いが悪そうな雰囲気だ。お互いを睨み合っている。

「深夜ちゃん......」

鈴音がこそこそと深夜に耳打ちをする。どうやらこの2人は、深夜が閉関を解くまで、毎日のように言い争っていたらしい。なるほど、どおりで世話を押し付けたいわけだ、と深夜は呆れてため息をつく。

「若君、何か心当たりがおありですか?」

見かねた鈴音が改めて問いかける。ようやく、錦秋人が口を開いた。

「その男の言う事は事実だ。元は蛇の鱗のような痣があった。当家の専門家が解呪の儀式を行い、痣が消えたが......」

錦秋人がそこで言葉を切る。痣が消えて解呪に成功したように思われたが、体調は一向に回復しないどころか、どんどん悪化していく。途方に暮れた錦家は、桂家に泣きついたのだ。

「どうせやり方が間違ってたんだろ。全く、都合がいいモンだよな。面妖だの野蛮だの好き放題言って腫れ物扱いするくせに、こういうときだけ後始末をさせようってんだから。それに、世話になる身分のくせに、うちの若い衆を化け物扱いしたそうだな。高貴なお方は何をしても許されるのか?」

面妖、野蛮、化け物。外の人間が桂家を語るのに、どれもよく使われる言葉だ。深夜自身、そして空海と鈴音も昔からよく言われた言葉だ。ただ深夜が他と違うのは、それを言うのが外の人間に限らないということだ。

「それは今議論することじゃない」

深夜が空海を嗜める。ただし、発言自体の否定はしない。それは鈴音も同じである。空海は黙ったが、藍玉の瞳は稲妻のように鋭いままだった。

「さて、本題に入らせてもらおう。まずはこの呪いについて。そもそも蛇は、神遣いされ昔から信仰の対象で、並大抵の存在じゃない。妖のなかでも格上だ。さて若君、解呪はどのように行われましたか覚えてますか? 護摩を焚いて祈祷したとか、お祓いをしたとか、蛇を殺したとか」

「......蛇を殺した」

「ありがとうございます。蛇を殺すのは、蛇の呪いの撃退法として有名なものです。ただし、今回に関してはそれが当てはまらない」

「どういうことだ? 蛇の呪いなんだろ?」

空海が思わず口を挟む。

「この呪いが蛇であることには間違いない。ただしただの蛇ではなく、海蛇だ」

蛇ではなく、海蛇。解呪の方法が違っていた上に、そもそもの認識が誤っていた。誰でも自分を別の何かに間違われたらいい気はしないだろう。それが、信仰の対象となるほどの存在であれば、尚更。だから怒りを買った。だから状況は悪化した。

「海蛇......確か西の地域で祀られていただろう。話としては聞いたことあるが、呪いの話は初めて聞くな」

「そうだ。古来より信仰された神は、天上から地上へ天降り、地上から天上へ帰ると信じてきた。しかしその地域では、神は海の彼方の常世の国から海を渡ってきたり、また海を渡って国へ帰ると信じてきた。だから海蛇を常世の国からきた神の遣いとして尊重されてきたといわれる」

それでも、と深夜は続ける。確かに蛇は神の遣いといわれており、蛇の呪いは明確な殺意を持ったものだ。それでもこの方法は、有名なものではない。呪術師ならまず使わないやり方だ。もしかしたら呪いをかけたものは、非呪術師の人間なのかもしれないと深夜は考える。ただ、それにしては呪いが強すぎる。どうやらその違和感は、空海も感じていたらしい。

「呪いが海蛇であることは分かった。でも、どうして俺は見抜けなかったんだ?」

「そりゃお前や鈴音と海蛇じゃ、生き物としての階級に圧倒的な差があるからだ。相手はただの蛇だぞ。」

「でも神なんだろ?」

「神の遣いは神ではないよ。親と親代わりも全然違うものだろう。後者の子どもは差別の対象になり得る。蛇は所詮蛇で、それ以上でもそれ以下でもない。とにかく、お前からしたら意に介するほどの相手じゃないんだ」

罰当たりととられかねない発言に鈴音が少し慌てるが、当の深夜は知らん顔をしている。

「私なんかは、どんな小さな虫でも近くを這いずり回られたり、腕に登られたりしたら気になって仕方ないけど、がさつなお前は全く気にしないだろう。そういうことだ」

「そんなに褒めるなよ。照れるだろ」

口先ではそう言う空海だが、もちろん自分が褒められているわけではないと分かっていた。この2人は昔から些細なことで争っているのだ。皮肉には皮肉で返し、殴られたら蹴り返す、といった具合に。

「まあ、隔離したのはよかった。もし並みのが近づいたら、体調を崩す者が出てただろうな」

普通の人間には分からないであろうが、桂家の人間は別だ。桂の血が流れるものは、生まれながらに妖の力を宿し
、その力を制御して妖魔鬼怪と戦う。妖の力を宿す者を妖憑きといい、それが桂家の者が化け物と嫌悪される理由だ。

そして自らの体に妖を宿す妖憑きは、周囲の力の影響を受けやすい。ただし、空海や鈴音などの格上の妖憑きは別だ。

「じゃあ、そろそろ解呪を始めよう。状況もよくないからな」

「そうだな。俺と鈴音を呼び出した理由も教えてもらえるんだろうな?」

「ああ。それは進めながら話す。まずは若君、横になってください」

「ちょっと待て! そんなに簡単に始められるものじゃないだろう! 場所や道具は?」

解呪の儀式とは元来神聖なものだ。本来であれば、然るべき場所で、穢れを落とした清潔な身体で、正装で、神事の道具を用いて行う。錦秋人はその事を指摘した。

「必要ない。今はもう神にお願い......交渉出来る段階ではないとご理解いただきたい」

そう言われて錦秋人は押し黙り、大人しく横になった。次に深夜は鈴音を呼ぶ。

「鈴音は力を使って、今は海蛇を表に出す。鈴音と水と海蛇は、相性がいいはずだから」

「分かったわぁ」

鈴音から邪気が発せられる。錦秋人が身構えるが、空海がそれを静止する。

目には見えない。息も出来る。それでも、全員が今水の中いることを理解した。ここは今、完全に鈴音が支配する領域になった。

深夜の言葉通り、次第に錦秋人の身体に蛇の鱗の跡のようなものが浮かんでくる。それは全身に広がり、首の当たりまで上がってきている。蛇は、少しずつ動いているように見えた。

「空海は錦殿の身体を抑えろ。暴れられたらやりにくい」

「おいおい、それだけのためにわざわざ俺を呼んだのか? 俺だって暇じゃないんだぞ」

「お前は誰よりも適任だよ。最悪の場合、自衛が出来る者を選んだんだ。なにがあっても自分の身は自分で守ってくれよ。呪いなんかもらったら殺すからな。それと、ひどく消耗するだろうから、状況に応じて若君に霊力を注いでくれ」

空海は不服な表情のままだったが、最終的に了承した。

「お前は何をするんだ?」

「身体から蛇を直接引き剥がす。ちょっと手荒な方法だから、しっかり身体を抑えててくれ」

そういうと深夜は、錦秋人の身体に手を伸ばし、。蛇の胴は太く、深夜の手では少し足りなかった。蛇の鱗の粘液のような感触が気持ち悪い。錦秋人が、呻き声をあげ、体を捩ろうとするが、空海の腕に阻まれた。

掴んだ瞬間、深夜は違和感の正体に気がついた。手探りで素早く蛇の顔を探し当て、口と思われる場所に手を突っ込む。

周りから見たら異様な光景だった。見えないはずの蛇の咥内に、深夜の腕が先から消えていく。蛇は抵抗はどんどん強くなり、それに比例して錦秋人の声も大きくなる。

「お前何やってんだよ!?」

空海の怒鳴り声を無視して、深夜は腕を進める。ついに腕1本ほとんどが蛇の咥内へ消えていった。

突如、腕に鋭い痛みが走る。蛇が深夜の腕に牙を突き立てたのだ。深夜は声を出さずに耐え、ようやく蛇の腹から目当てのものを見つけた。をしっかり掴み、腕を勢いよく引き抜く。無理やり引き抜いたことで、腕に幾多の傷が出来る。

腕を抜いた深夜は、腹から出したものを部屋の隅に適当に放り投げ、再び蛇の胴を掴んだ。先ほどより蛇の力が弱まったので、深夜は一息で蛇を身体から引き剥がした。その勢いのまま、壁に叩きつける。

よろよろと体を起こした蛇は、一度深夜と相対したが、怖気付いたようで体の向きを変え、深夜から遠ざかる。

「っ!!だめ!!!」 
 
慌てて蛇を追いかけようとする鈴音を、深夜が止める。

「諦めろ。姿は見えないから、もう追えない」

「私なら追えるわ!! 今ならまだ間に合うから、早く捕まえないと!!」

「鈴音」

深夜が鈴音に言い聞かせる。

「助ける相手は、ここにいる。それを忘れないで」

「......」

蛇は鈴音の領域の外まで出て行ってしまった。今から探して捕まえるのは、容易ではない。人を呪わば穴二つ。呪いの蛇は呪いをかけた本人の元へ帰って行った。

「さて、生きてますか、若君」

錦秋人は肩で息をしながら、目線だけを向け深夜を睨んだ。声が出せないほど消耗しているようだが、思ったより元気そうだ。

「でも、呪いをかけた人も同じように、蛇の呪いに遭ってしまうのね......」

暗い顔をした鈴音が呟く。

「いや、恐らく死にはしない。そうだろ、深夜」

口を挟んだ空海が、部屋の隅で何かを拾い上げる。それは先ほど、深夜が蛇の体内から取り出したものだった。拳ぐらいの大きさの、歪な形の石だ。重苦しく黒い気を発している。この黒い気は、まるで怨念、怒り、絶望、狂気とこの世の全ての陰の気が混ざり合ったような、視認できるほどの濃いものだった。

「そうだな。この石が呪いの核だったのら間違いない。現にこの石を取り除いたら蛇の力は弱まったわけだし。ただし、錦の若君はしばらくは養生に努めていただく。体力も霊力も低下しているのを、ご自分でも分かっているでしょう」

「この石については、少し調べてみる必要があるな」

「お、おい......」

空海と深夜が声の方へ顔を向ける。錦秋人が、息を切らせてやっとのことで上体を起き上がらせたところだった。

「安静にされたほうがよろしいかと」

「ふん、こんなのは大したことはない。お前こそ、早く腕の治療をしたらどうだ?」

「その必要はありません」

深夜が腕の血を拭って、錦秋人に見せる。それは傷ひとつない、白く細い腕だった。

「ご存じのはずでは? あなたが言ったことだ」

「......」

実際に妖憑きの力を目の当たりにしたのは初めてだったのか、錦秋人は茫然としてその腕に釘付けになった。その後に何を話したかは覚えていない。気づいた時には、部屋が綺麗になり、新しく着替えが用意されて、3人が部屋を去るところだった。

空海の手の中で、いまだに石は妖しい気を放ったままだった。




.
錦秋人の体力と霊力は少しずつ回復していったが、体調はまちまちだった。元気な日は尊大な態度で料理の味にケチをつけたり、安静にしておくことへの苛立ちを口にしていた。


その逆に、てんでだめな日もあった。

「うわっ」

「......」

「貴方、だめな日は本当にだめだな」

踏むかと思った、と深夜は言った。敷居のあたりに頭を置いて倒れているた錦秋人は、そう言われて初めて雨が降っていることを知った。

「飯はここに置いておく。あとなるべく布団で寝ろ」

長く面倒をみるうちに、深夜のお粗末な敬語は消え去っていた。最初はその事にもいちいち怒っていた錦秋人だが、諦めたのか、言うだけ無駄だと悟ったのか、今では何も言わなくなった。

「......」

「おい、聞いてるのか」

深夜が少し語気を強めるが、「あー」や「うー」など気のない返事しか返ってこない。深夜は錦秋人を布団まで転がし、着ていた薄手の羽織を顔の半分までかけてやった。するとぐずぐずしていた錦秋人が大人しくなり、規則正しい寝息をたてはじめた。

(これじゃ赤ん坊と変わらないな)

深夜は音を立てないように部屋を後にした。



「今日は良さそうな日だな」

「何を言ってるんだ? お前」

食事をとる錦秋人に、深夜は言う。しかし視線は、手元から動かない。手にはびっしりと文字が書かれた紙を持ち、読みながらときどき簡潔に注釈や訂正を入れている。

「今日は調子がいい日だろう。それに、飯の文句もつけない」

そう言いながらも、手元を動かし続け、添削を進めていく。錦秋人はばつの悪そうな顔をして目を逸らした。

「それは何をしているんだ?」

「座学の課題の添削。溜めると面倒なんだ」

深夜が次の紙を手に取り、目を通し、ときどき書き加える。「なあ」と声をかけられて、初めて深夜が顔を上げた。

「お前は、俺のことを恨んでないのか」

「??」

全ての添削を終えた深夜は、紙の束を几帳面に角を揃えて整え、自分の身体の横に避けた。

「鏑木家で、俺はお前にひどいことを言ったし、した」

「......。やっぱり今日はだめな日だったかな」

深夜は先ほどの己の発言を訂正し、錦秋人から空になった碗と箸を取り上げた。肩を少し強めに押すと、錦秋人は布団の上に倒れ込んだ。

「大昔の話だろ。そんなことはもう忘れて寝ろ」

「大昔、か......」

大昔じゃない。たかが数ヶ月のことなのに。

恨みごとひとつ、言わないんだな。

まだ何か、言いたいことがあったはずだが、錦秋人はそのまま眠りに落ちた。


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