夢見草

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智室では、桂家の門弟たちが姿勢を正して席に座っている。皆若く、15歳くらいの少年たちだった。その全員の視線が、壇上に立つ人物に集中していた。

「......」

全員の視線を一身に受ける深夜は、その視線を気にも留めず、手元の教本や巻物に目を通している。

髪をきっちりとまとめあげ、左右に分けられた前髪から覗く長いまつ毛が、伏せられた目元に影を落としている。並外れた美人であることは間違いないが、年季の入った仏頂面がそれを台無しにしている。

「家訓や歴史を覚えたところでクソの役にも立たない」

数分で目を通し終えた深夜の第一声がそれだった。規律を重んじる桂家の古参の者が聞けば、卒倒するか怒り狂いそうな発言だ。門弟たちは言葉を失い、互いに顔を見合わせた。

「学びたい奴は止めないが、私の講義のなかでは一切触れない。文鎮代わりにでも使うといい」

そう言うと深夜はいくつかの教本と巻物を隅に避ける。その姿に若い門弟たちは、困惑する者、不信感を抱く者と様々だった。

「あれが頭領の姉君だっていう桂深夜さんだろ? 副長に就任したって話は本当だったのか? 閉関を解いたのはつい先日じゃないか」

「先代当主から仕えてた諏訪さんが破門になったのはあの人が帰ってきたからって噂だぞ。ひどい話だよな、諏訪さんは桂家の遠縁とはいえ、百鬼を組織するのに尽力した功労者なのに」

「霊力が高くて優秀な術師だそうが、どれほどの実力なんだ? 諏訪さんは白い虎だったんだぞ?」

「先輩たちはすごい人だっていうけど、力は一度見れば分かるとしか教えてくれなかったなあ」

「でも桂家のなかでは、冷遇されてるらしいよ。姉弟仲は悪くないようだけど。年配の先輩方なんかは、ひどい言いようだった。口にするのも恐ろしい、なにせーーー」

「お前たち、さっきから聞いていればーーー」

耐えきれないと、その場にいた八重が机を叩いて立ち上がる。顔を真っ赤にして怒り、今にも暴れ出してしまいそうな八重を、隣に座っていた吉野が必死で抑え込む。

目の前でそんなことが起こっていても、深夜は全く相手にする事なく講義を始めた。
深夜を尊敬する門弟はもちろん、初めこそ反抗的な態度だった門弟たちも、すぐに全員が深夜の話に夢中になっていた。深夜の講義は従来の退屈なものとは違い、深夜の経験を踏まえた、多くの妖の習性、その立ち回り、幻術への対処法から、呪符の扱いと、どの話も年頃の少年を惹きつけるには十分過ぎるものだった。

一通り話し終えたところで、そういえば、と深夜は一度言葉を止めた。

「ここまでは妖についての話だったが、君らは他はどの程度理解している? この中に妖、魔、鬼、怪の違いを言える者はいるか?」  

門弟たちはまた顔を見合わせた。桂家従来の講義では、主に家訓や歴史、妖や、妖憑きについて学ぶ。呪いや幻術などについても学ぶが、ほとんど重きを置かれていない。だから知識を持たない者が多い。呪術師を語っておきながらおかしな話だ、と深夜は鼻で笑う。だが、これは他の呪術百家も同じことだ。

多くの者が困惑するなか、最前列に座る少年が右手を真っ直ぐ挙げた。それは桂吉野だった。深夜は吉野に発言を促す。

「はい。妖とは、霊力を持ち人々に害を及ぼすものです。
魔とは、妖より高位の存在です。妖が齢を重ねると魔になることがあります。
鬼とは、人が堕ちるものです。不老不死で、強靭な肉体と高い霊力を持ちます。
怪とは、人によって生み出されたものです。怪異とも言われ、呪いがこれに該当します」

周りの門弟たちは吉野の解答に感嘆した。そんななか深夜は表情を変えなかった。

「人が堕ちるとは? もう少し具体的に」

「はい。多くの場合は恨みや悲しみから、自らの運命を呪った時に人の枠を外れ、人は鬼になります」

「よろしい。よく理解している」

深夜が賞賛すると、吉野は嬉しそうに頬を緩めた。

「あの」

1人の門弟が手を挙げる。深夜の知らない顔だった。おそらく外弟子だ。深夜が発言を促した。

「妖と魔はどのようにして見分けるのでしょうか」

「大前提として、霊力が高い。他にも人の言葉を理解し、話すことができることも特徴の1つだ。あと、人型の妖はほとんど魔だと思っていい。我々が普段退治しているのは妖だが、魔と対峙することもある」

「では鬼とは、どのような姿なのでしょうか」

「普通の人間と変わらない」

「鬼と魔はどちらが強いのですか」

「鬼だ。もし対峙しても戦うことは避けろ。まず敵わない」

「では鬼に敵うものはいないのですか」

「鬼と対等に渡り合えるのはそれこそ神くらいだろう。鬼も神もどちらも人でありながらその枠を外れたものだ。どちらも大差はないと思っている」

その後も、妖についてや体捌き、鍛錬方法についてなど、次々に質問が飛んでくる。深夜はひとつひとつの質問に答えていった。過激で言葉を選ばない深夜の発言は、聞く者によっては怖気付いていたかもしれない。しかし智室にいたのは空海に育てられた百鬼の少年たちだったため、皆面白がって話を聞いた。

「あの、副長!!!」

突然、ものすごい勢いで距離を詰めてくる門弟がいた。深夜は思い切り顔を顰めたが、興奮した様子の門弟は一切気がつかないようだ。

「副長が『真打』を作ったというのは本当なんですか!!?」

「......何の話をしている?」

真打というのが、複数打ったなかでの一番出来が良い刀だという事は分かる。だが深夜は刀匠ではない。この門弟はなぜこんな話をするのだろうか。

「副長が考案した妖魔の力を封印した刀のことです」

吉野に耳打ちされ、深夜はようやく理解した。妖魔の力を封印した刀を使えば、桂家の者でなくても妖魔を力を使うことが出来る。この武器が完成したことにより、その能力故に閉鎖的だった桂家には、多くの門弟が集まるようになったのだ。妖の力を使う桂家を口先では嫌悪しておきながら、皆その力は欲しいのだ。

「真打という名は頭領がつけました」

知らないところでその刀に珍妙な名が付けられていたことに多少驚いた深夜だったが、犯人の名前を聞いて納得がいった。

「実用化まで持っていったのは空海だ。私はただ理論を構築して土台を作っただけだ」

そう、深夜が作った試作品は多くの欠陥を抱えており、とても実戦で使える代物ではなかった。威力は絶大だが、並の精神力では逆に妖の力に呑まれて暴走してしまうのだ。それを改良し、威力を抑える代わりに安全性を高めたのが空海だ。閉関を解いて空海に会った時、口では門弟が増えたのを自分の手柄だと話したが、そうではないことを深夜はよく理解している。目の前の門弟の少年は、世紀の発明だの、天才だのと言うが、完成させたのは空海で、天才なのも空海だ。しかも空海は、ただ完成させただけではなかった。

「副長、なぜ妖憑きの者も真打を使っているのですか? 彼らには必要ないのでは?」

智室にいる門弟は、吉野や八重をはじめ半数近くが妖憑きだったが、全員が真打を持っていた。

妖憑きは、生まれながらにして妖の力を体に宿す。桂家の血縁の人間は、力の強さに差はあれど、例外なく妖憑きだ。主な特徴は、人間の域を超えた身体能力と回復能力で、身体の一部分に力を宿す寄生型と、身体全体に力を纏う憑依型に分けられる。特に憑依型において、身体を全て変化させる妖化は、自身への負担が大きい上に、己を制御出来ず、体内の妖に呑み込まれる恐れがある。実際、過去には人としての自我を失い、身も心も妖になった者も少なくない。力を恐れ、一生を力の封印に費やす者もいる。

妖憑きにとってなによりも重要なことは、己を律することだ。だから桂家には数多くの家訓が存在する。開祖が僧侶であることより、こちらの理由のほうが大きい。桂家の者は、多くの家訓で己を縛り、己を律して力を制御する訓練を幼い頃から行なっている。

空海が完成させた真打は、自身の体に宿る力を刀に封じることで、自身への負担を減らせるようになった。破天荒な空海と、それに巻き込まれる深夜に、普段から小言を言う者たちも、もれなく真打を使うようになった。ただし現状では、あまりにも強力な力を封じるのは不可能だ。だから強すぎる力を持つ者や、己の精神力に自信を持つ者は、真打を佩かない。空海と鈴音は前者で、深夜は後者だ。

「いくらその刀があっても、訓練を怠っていい理由にはならない。己を律するということを、常に心に留めておきなさい」

深夜は説明の最後にその言葉を付け足し、そこで座学の講義を終えた。




.
「副長!! 助けてくださいっ!!」

その日深夜は、百鬼の若い呪術師たちに刀の稽古をつけていた。妖憑きといえど、呪術師は基本的に刀を使う。呪符や呪術を使う場合もあるが、あくまで補助的なものに過ぎない。最も空海は、百鬼を組織してから、呪符の扱いや呪術の指導にも重きを置いているようだが。

「お願いします、私と一緒に来てください!!」

切羽詰まった様子で走ってきた少年は、ほとんど泣きそうな懇願した。悲痛な叫び声に、稽古中の門弟たちも手を止め、何事かと集まってきた。その様子に深夜は、何かただごとではないことが起こったのかと柳眉をひそめた。

「何があった」

「ほんとうに、我々だけではどうすることも出来ず......とにかく来てください!!」

門弟の少年は、あろうことか深夜の腕を掴んだ。年長の門弟は無礼だ、と怒り腕を引き剥がそうとする。深夜はそれを宥め、稽古の続きをするよう指示し、半泣きの門弟のあとを追った。


連れて行かれた先は、屋内の修練場だった。そこにいた門弟たちは修練もせずに一ヶ所に集まっている。その集団の真ん中にいた3人は、深夜がよく知る人物たちだった。

「~~~~っ!!!」

「~~~~っ!!!!」

「あわわわわわわ」

「......本当に色んな意味でやばいな」

今にもお互い斬りかかりそうな剣幕で激しく言い合う空海と錦秋人、そして口からあわわが止まらない鈴音。小動物のように震え上がる門弟たち。地獄のような光景だった。前半は下手を打つと家同士の争いになりかねない。腐ってもこの2人は次期当主なのだ。そして鈴音は、可哀想に完全に混乱して言語中枢がおかしくなっている。

深夜はまず、あわあわ言っている鈴音を素早く回収する。そして震え上がる門弟たちに、第二修練場の稽古に合流するよう言った。それでも身を寄せ合い震え続ける門弟たちに怒号を飛ばし、数回柏手を打つと、門弟たちは蜘蛛の子を散らすように走り去っていった。

これで深夜は、この地獄に1人で向き合わなければならなくなったが、上の者の醜態これ以上を晒せば、今後の指揮に関わると判断したのだ。

いまだ続く口論に深夜の身体の力が抜けそうになるが、なんとか踏みとどまった。深夜はわざと大きな足音を立て、小走りで近づいた。それでも深夜を気にもとめない2人に、両足で跳び蹴りを叩き込んだ。

蹴りを受けた2人の顔は驚きに染まり、吹っ飛ばされ壁に激突した。その轟音でようやく鈴音が正気に戻る。

「馬鹿どもが」

深夜がごみを見る目で2人を見下ろした。

「いてぇな!! 何するんだよ!!」

空海がいち早く起き上がり元気に喚くが、病み上がりの錦秋人は動かなかった。他家から預かっている御曹司に何かあったらと、鈴音がまた慌てる。

「それも連れてこっちにこい」

深夜が有無を言わせぬ口調で言うと、数メートル先の空海は、渋々といった様子で錦秋人を小脇に抱えて戻ってきた。

そばまでやってきた空海は錦秋人を地面に落とし、白目を剥いている顔を無遠慮に叩いた。張り手を数往復繰り返したところで、ようやく意識が戻った。

意識が戻った錦秋人は、案の定怒り出した。

「お前は誰に何をしたか分かってるのか!? 俺は-–-」

「病み上がり、でしょう。私が知らないわけとでも? 貴方を甲斐甲斐しく世話しているのは誰かお忘れか? それに、私は貴方に安静に、と何度も伝えているはずだが、意味が分からないのですか?」

錦秋人に口を挟ませる事なく、深夜が捲し立てる。 口調こそ穏やかだったが、逆らう事を許さない雰囲気に、錦秋人は思わず口をつぐんだ。

「お前もだ、空海。みっともなく言い争って、下の者に醜態を晒すな」

「こいつが先に喧嘩を売ってきたんだぞ!!」

聞けば空海が門弟の指導をしているところに錦秋人はやって来て、体が鈍るから修練のためにこの場を明け渡せと傲慢に言ったそうだ。取り合わなかった空海に憤慨した錦秋人が、空海を始め桂家に対する中傷を口にし、そこから口論に発展したという。その場にいた鈴音では場を収めることが出来ず、深夜に助けを求めた、という話だ。深夜は呆れ果て、手で顔を覆った。

「若君、貴方の呪いを取り除いてからまだ3日と経っていないでしょう。その体で修練はまだ無理ですよ。それに、ここは勝手が許される貴方の家とは違います。桂家にいる以上、そのような振る舞いは控えていただかないと困ります」

「うるさい、俺は客だぞ!! こんな扱いが許されると思うのか? それに、もう身体は動く。いつまでも寝ていられるか!!」

「......」

「聞いているのか!!」

錦秋人はものすごい剣幕を前にして、深夜は別のことを考えていた。随分興奮しているな、だとか、薬が効きすぎているのか、ならば調合を変えさせないと、といった具合だ。

「分かりました。貴方を客扱いするのは辞めましょうか。ではこれからは洗濯は自分で行なっていただく。飯を自分で作れなどとは流石に言わないが、器は自分で下げるように。もう少し動けるようになれば、掃き掃除もしてもらいましょう。働かない者に食わせる飯はない。客扱いしないとは、こういうことですよ」

「なっ!?」

「貴方が望んだことでしょう」  

言葉を失う錦秋人と、それを見てせせら笑う空海。

「それが嫌なら、大人しくしていることです」

流石にこう言えば大人しくなるだろう、と深夜は思う。いくら文句を垂れて暴れようと、まだ本調子ではない錦秋人は家には戻れないのだ。他の後継者候補に弱みを見せるよう何ことを、高い矜持を持つこの男は許さないだろう。

それでもまだ何やら文句がありげな錦秋人に、空海が丁寧な口調で話しかけた。そしてこういう話し方をするときの空海は、大抵ろくなことを考えない。

「ではこうしましょう、若君。一本勝負で若君が勝てば、この場は喜んでお譲りいたします。しかし、貴方が負けた場合は、深夜の言うことに従っていただく。どうですか?」

「おい、それは流石に若君が不利だろう」

いくら錦秋人が優れているとしても、それは本調子の時の話だ。今の状態で桂家一番の剣の使い手である空海を相手にすらならない。

「いや、戦うのは俺じゃない。鈴音だよ」

空海が満面の笑みで鈴音を指差す。いきなり指名され虚をつかれた鈴音だが、すくに好戦的な笑みを浮かべた。いくら彼女が美しく、綺麗なものや花を愛でるのが好きでも、血気盛んな桂家の人間なのだ。

「私は構わないわ。やりましょう」

鈴音が嬉々として刀の準備をする。相手が可憐な女性だということで、錦秋人は少しの躊躇いを見せた。馬鹿なことを考えているな、と深夜が口を開く前に、空海が口を開く。

「怪我の心配なら自分のをするんだな」

深夜が考えていたことと大差ないが、もう少し言葉を選べないものか、と深夜は頭を抱えた。案の定錦秋人はその挑発に乗り、鈴音と一本勝負をすることになった。


勝負の思いの外早く終わった。錦秋人の敗因は、病み上がりで本調子でなかったことと、慢心によるものだ。たとえ病み上がりでも、女に負けることはないと高を括っていたその思い上がりを、鈴音によって粉々にされた。

ニコニコと花が咲いたような笑顔で喜ぶ鈴音とは対照的に、地面に膝を付き、現実を受け入れられないといった顔の錦秋人。矜持も霊力も高い彼は、女に負けたことなどないのだろう。何度か声をかけるが、こちらの声はまるで聞こえていないようだ。

流石にここまで落ち込まれると、深夜は居心地が悪かった。それは空海も同じだったようで、気づいた時には姿を消していた。

錦秋人は何か良くないものを引き寄せそうな勢いだ。これは少しは慰めたほうがよいのだろうか、と深夜は思案する。そもそも鈴音は、桂家のなかでも指折りの実力者だ。彼女に勝てる者の方が少ない。加えて錦秋人は病み上がりだった。鈴音に分があることは誰の目にも明らかだ。

深夜が肩を数度叩くと、錦秋人はようやく虚な目を深夜に向けた。深夜は一つ息をついた。

「洗濯と片付けは、明日からで構いませんから」

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