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しおりを挟む柴蘭丸が不在の日がしばらく続いた。どうやら鏑木家の本家に有力な家門の当主が招集されたらしい。必然的に柴蘭丸の担当する座学は休みとなり、自由な時間が増えた。
年頃の少年少女たちは街へ遊びに出かけるなか、深夜は勉強や鍛練に明け暮れていた。
柴江明が深夜を見つけ場所は、柴家の者もあまり立ち入らないような場所だった。よくこの場所を見つけたものだ、と柴江明は感嘆した。隣を歩く柴江覇は無表情だが、兄の柴江明には弟の顔にありありと浮かぶ不満の色を見て取れた。今は使われていない建物に通じる立て付けの悪い門戸を、なるべく音を立てないようにゆっくり中を窺うように開ける。雑草がところどころに生えたその場所で、深夜が眩しいほどの日差しの中、一心不乱に刀を振るっている。
その太刀筋は速さ、重さ共に素晴らしく、また切っ尖には一部の迷いもない。一太刀振るうたびに、ビュッと鋭い風を斬る音がするが、決して粗野でも荒々しくもなく、優美でありながらも激しい刀技だった。
柴江明がぽかんとその場に立ち尽くして彼女から目を離せなくなったのは、心の底からその一挙一動に感嘆していたからである。
深夜は柴江明の姿に気づいていたであろうが、一通りの型を終えるまで一瞥すらしなかった。
「お待たせして申し訳ありません」
最後に旋回して虚空を切り裂いたあと、切っ尖を完璧に静止させた姿の美しさの余韻にぼんやりとしていた柴江明は、鞘に刀を納めて振り向いた深夜の言葉に、しばし返答するのを忘れてしまった。
兄上、と横で柴江覇か怪訝そうに柴江明を呼ぶ。その言葉でようやく柴江明は我に返った。
「いいや、こちらこそ邪魔をして申し訳ない」
「忠光尊、ここは貴方の家で貴方は年長者だ。そのような言葉は、むしろ私が言うべきでしょう」
軽く礼をしてそのまま立ち去ろうとする深夜を柴江明が引き止める。そして深夜を訪ねた理由を話し始めた。
常磐には翡翠という小さな町がある。常磐でも比較的大きな町だ。そこで最近、町の人間の急死事件が多発しているという。性別や年齢は様々だが、みな一様に萎びた死体で発見されているそうだ。死ぬ前に何か不可解な行動があったわけでもない。何かの祟りか、村全体が何かに呪われているのか。周辺の呪術家では対処しきれず、今日になって柴家に依頼が来たのだ。
深夜は曖昧な顔で頷いた。それをなぜ私に?と聞きたいけど聞けない、と顔に書いてある。
「若君は怪異の類にはとても詳しいと聞いてね。君の知恵を借りられたらと思ったのだけど」
少し笑いそうになりながら柴江明が説明すると、深夜はますます微妙な顔になった。が、自分の中で納得したのか、皮肉気な笑みを浮かべた。そして一瞬でその表情をしまい、キュッと眉間に皺を寄せた。
「忠光尊、良ければ私も連れて行っていただけませんか。決して足手纏いにはなりません。話を聞くだけでは不確定要素が多く何かを申し上げることは出来ません」
「必要ない」
柴江明が何かを言う前に、柴江覇がバッサリと切り捨てる。深夜が柴江覇を睨み、柴江覇は無表情のままで深夜と目を合わそうとしない。あわや一触即発というところで、柴江明が口を開いた。
「それは心強い。ぜひよろしく頼むよ」
柴江明は笑顔で頷いた。深夜は固い表情のまま、ありがとうございます、と礼をする。そして支度をすると早足で去った行った。深夜の姿が見えなくなると、柴江覇が口を開いた。
「兄上、なぜあの者を連れて行くのですか」
「彼は知識も豊富だし、呪術師として非常に優秀だと聞いている。断る理由がないだろう」
柴江明は微笑んだ。柴江覇はそれ以上追求しなかったが、その顔には「納得できない」としっかり書いてあった。
翡翠の町は常磐のなかでも大きな町だ。内陸部に位置し、普段は人の往来も多く活気のある場所なのだ。その日は久々に天気がよく、街全体が宝石のようにキラキラ光っていたが、暗く憂鬱な町の雰囲気とで深夜は違和感を拭えなかった。町に着いた途端に非常に強い邪気を感じ、この町でなにか異常事態が怒っていることは明らかだった。
まずは聞き込みをしようと3人は町を歩き始めたが、深夜は大通りの少し先に、数人の女性に囲まれた見慣れた背中を見つけた。その姿を見るなり、深夜は大きく舌打ちをする。
「若君?」
深夜は柴江明の声を無視して、一直線にその背中へ向かう。深夜が近づくとその人物も---何やら両手にたくさんものを抱えている---気づいたようで、こちらを振り向き破顔した。
「深夜、久しぶりだな!」
その人好きのする爽やかな笑みを浮かべる空海と対照的な顔をした深夜は、そのまま詰め寄る。周りにいた女性たちは、剣幕の深夜に怯えて逃げて行った。
「あぁっ......話聞かせてくれてありがとう! ......深夜、お前が怖い顔するから女の子たちが怖がって逃げたじゃないか。かわいそうだろ」
空海の咎めるような視線と言葉に、深夜はさらに眉間の皺を濃くする。しかしここは常磐で、柴家の人間がいる前なので、深夜はどうにかして冷静さを保とうとした。
「空海、何か私に言うことはないのか」
「なんだよいきなり」
訳がわからない、とでも言いたげな表情の空海に、深夜は「錦家で騒ぎを起こしたことだ」と説明する。平静を装っているつもりだったが、怒りのあまり語尾が少し震えていた。それでようやく空海は「ああ!」と納得の声を上げた。そして嫌な事を思い出したと言うように顔を顰めた。
「もともと気に食わなかったんだよ、あいつ。傲慢で嫌味なやつなんだ。それに錦家のやつらときたら、自分たちこそが一番美しいと思ってるんだぜ。百合の花を家紋にして、百合のように美しい一族なんだと。それに楽器を武器にしてるなんて、風雅な人間ぶって高飛車で......特にあいつはその典型だね」
そこまで喋った空海は、見目麗しい柴家の兄弟を見るなり暗かった顔を一瞬で明るくした。
「錦家のやつらなんかより、柴家の若君のほうがよっぽど美しいな!」
空海が柴兄弟に笑いかけた。柴江明は何も言わずに微笑みを返し、柴江覇は空海のその軽薄な態度を不快に感じ顔を逸らした。柴江覇のその態度の何が面白かったのか、空海は声を上げて笑う。
「柴家の若君、お近付きのしるしにひとつやるよ!」
空海が柴江覇に差し出したのは、竹串に刺さった果物だった。表面は透明な膜で覆われており、光を反射している。果物飴だ。
「いらない」
「そんなこと言うなって。腹が減ってないのか?」
素気ない態度の柴江覇を面白がり、空海はぐいぐいと果物飴を押し付けようとする。無理やり視線を合わせようとする空海と、そっぽを向きそれ以上口を開かない柴江覇。柴江明はそれを見て微笑んでいるだけだった。
「いい加減にしろ空海。お前の遊びに付き合っているほど暇じゃない」
深夜が呆れた声で空海を窘める。
「分かってるって。この町では原因不明で大勢が死んでる。だから来たんだろ、俺だってそうだよ」
錦家の修練が休みだった空海は偶然この町の近くを通りがかり、異常な邪気の強さを感じ、それを辿ってやって来たらしかった。そして深夜立ち寄り一足先に聞き込みも終えたらしい。両腕に溢れんばかりの食べ物を抱えて、空海は自慢げに話した。
「またたらしこんだんだろう」
「黙れよ。ほら、お前の分だ」
深夜は差し出された紙の包みを受け取る。中に入っていたのは串に刺さった肉だった。ただ焼いただけの肉に、香辛料がかけられただけの料理だ。それが包みの中に大量に入っていた。深夜は一本掴み齧り付くと、香辛料の刺激のなかに肉の独特の臭みが感じられた。
「猪肉だよ。今朝畑の罠にかかってたんだってさ。運が良かったな、深夜」
腕に抱えていた半分を押しつけた空海は、胡瓜を齧り始める。深夜は悪態をつきながらも早々に猪肉の串を全て食べ終えた。それでもまだ深夜の腕の中にはたくさんの食べ物が残っている。柴江明にいくつか差し出そうとしたが、やんわりと断られてしまった。どうやらお上品な柴家のご子息は買い食いなぞしないらしい。
「でもさ、お前も錦家にいたら同じことをしてただろうよ。お前は気が短いから、俺より先に手を出していたかもしれないぞ」
「お前みたいな刹那的な人間と同じにするな。お前のせいで錦家の奴にイチャモンをつけられる羽目になった」
空海がおにぎりに頬張りながら笑う。表面に塗られた醤油の焦げた匂いにひどく食欲をそそられ、深夜も同じものを手に取った。一口で半分近くまで食べると、中には大きな梅干しが入っていた。深夜好みの、甘さのないひたすらにすっぱい梅だ。中に何も入っていなかった空海が恨めしそうに深夜のおにぎりを見るので、深夜は半分残ったそれを空海に渡す。すると空海は嬉しそうにまたおにぎりを頬張り、そして梅干しの酸っぱさに大袈裟に顔を窄めた。
「やっぱり鈴音じゃ俺をどうにかするには荷が重かったみたいだな。お前が錦家に来てたらもっと面白かったのに。深夜こそ、柴家でちゃんとやれてるのかよ?」
おにぎりを食べ終えた空海が、指についた醤油を舐めとる。その行儀の悪い行いに柴江覇が眉間に皺を寄せた。
「君の兄君はとても優秀だよ。あの厳しい父が褒めていたくらいだからね」
「え? あ、あぁ...そうなんですか」
2人のやり取りを見ていた柴江明が口を開いた。その発言に空海は怪訝そうな顔をして曖昧に頷く。その微妙な反応に、今度は柴江明が不思議そうな顔をした。柴江明が再び口を開く前に、空海は慌てて断りを入れ、深夜を連れて少しその場を離れた。
「深夜、何で教えてやらないんだよ? 忠光尊、お前のこと勘違いしてるだろ?」
空海が深夜にこそこそと耳打ちする。突然連れ出され不満げだった深夜は、ハッと鼻で笑い悪戯をする前の少年のような笑みを浮かべた。
「面白いからに決まってるだろ」
空海は少しの間呆気に取られた顔をしたが、水溜まりをひとつ飛び越えると、すぐに深夜と同じような顔をした。
「俺、お前のそういうとこ好き」
****
深夜と空海は歩みを足を止めないまま食べ続け、すぐに腕に抱えていたものを全て食べ切った。これには穏やかに笑っていた柴江明も終始無表情の柴江覇も驚きを隠せなかった。
2人が食べ終えたところで、空海は町に来てから得た情報を話し始めた。その内容は柴江明が深夜に話したものと変わらない。だが空海はそこに、この町で10日前に大雨で山崩れが起こったということを付け加えた。この町で異常が起こり始めたのは、その後からのことだ。
「みんな怖がっててなかなか喋ってくれないんだよ。さっきの子たちはやっと協力的に喋ってくれてたのに」
深夜は何も言わずに目を逸らした。顔には多少の気まずさが浮かんでいる。珍しいその姿に空海は深夜の顔を覗き込む。深夜は鬱陶しそうに手で払い空海から離れる。そして柴江覇を間に挟み、注意を逸らす。案の定空海は嬉々として柴江覇に話しかけ始めた。元来その明るい性格で人に好かれやすい空海は、柴江覇の無愛想な態度が珍しく、そして何故か面白いらしい。反応が得られずとも1人で喋り続けている。
「......山崩れとの因果関係は?」
空海のからかいにも全く表情を変えず、柴江覇が口を開く。賢明な判断だ、と深夜は思う。無視し続けてあの男に好き勝手喋らせるよりも、さっさと本題だけを話したほうがマシだろう。
「そこはまだ全然。これから調べるところ。また町の人に話を聞かないとな」
その返答を聞くなり、柴江覇はふいっと何処かへ行こうとする。その柴江覇を空海は慌てて追いかける
「おい、どこ行くんだよ!?」
「話を聞きに」
その無表情な顔には、早く空海と離れたいとありありと書いてあった。
「そんな顔で行ってもダメだって! みんな怖がって何も話してくれないぞ。全く、深夜の方がまだ上手くやるって」
「死にたいのか」
「くだらない」
「いやいや、大事なことだぞ。これくらいの町じゃ噂なんてすぐに広がる。悪い噂なら尚更な。いくら江覇の顔が良くたって、怖い顔して詰められたときたら、みんな警戒して口を開かなくなる。そしたら情報が集まらないだろ」
大仰な語り口だが、空海の言うことは一応筋は通っていた。それを理解しているからか、柴江覇は足を止め黙ってしまった。空海は昔から話術で人を自分のペースに巻き込むことが得意だった。優れた容姿で明朗に言葉を尽くす。桂空海は昔から話題の中心にいる男だ。それが良いことでと悪いことでも。それに引き換え柴江覇は、些か口下手が過ぎると言えるだろう。
「では桂の弟君、どうするんだ?」
柴江明の問いに、空海は得意げな顔を向ける。
「俺が手本を見せる。こういうのは若い女の子に話を聞くのがいいんだ。女の子は噂好きだからたくさん情報を持ってるんだ。仲良くなったら色々教えてくれるよ。そのためには花よりも丁重に扱わないとな」
「そこの旦那方」
話を聞いているうちに元々無表情だった柴江覇の顔はさらに無になり、深夜は空海がこれ以上身内の恥を晒さないように殴ってでも黙らせようとした時、1人の男が声をかけてきた。
「この町の異変について調べているんだろう? だったらいい話があるんだ。どうだ、聞く気はないか?」
綺麗な身なりをした男だ。この町で商いをしているのだという。男は値踏みするような眼差しで4人を見ている。
「何が望みなんだ? 言ってみろよ」
空海は軽い口調で話すが、視線は鋭く商人の男を射抜いている。その空海の視線を受けても物怖じしないあたりは、流石は強かな商人と言ったところだろう。
「へへ、分かるでしょう。これですよ」
商人の男はニヤリと笑って指を数本立てて見せる。
「なるほど。みんな、どうする?」
空海が視線を3人に向け、口元だけで笑って見せる。その程度ならと懐に手を入れようとする柴兄弟を制止し、深夜が一歩前に出る。そして高圧的な笑みを浮かべ、口を開いた。
「情報次第だ。先に話せ」
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