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しおりを挟むーーー件の山崩れが起こった山は、その昔は硫黄鉱山として有名だった。火薬などの原料として採掘される重要な資源だったが、あたりから噴き出す瓦斯は採掘者の目を侵すのだ。硫黄採掘のために、各地から罪人が集められた。豊富な資源に目をつけた当時のお上は、労働力として各地から罪人を集め、山での苦役を強いた。駆り出された罪人たちは失明する者が続出したが、罪人を庇い立てする者などいるはずもない。硫黄山に駆り出された罪人で、生きて戻った者は1人もいなかった。結局、その山の資源が枯渇するまで続いていたという。
やがて山はただの山になり、町の者たちはすぐに硫黄山で光を失った罪人のことなど忘れ去った。だがその後、町では奇妙なことが起こるようになった。
町の者たちが次々と不幸に見舞われたのだ。家を失い、家族を失い、身体の一部を失うと内容は様々だが、共通していたことは、最終的にはみんな盲目になったということだ。
これは硫黄採掘で苦役を強いられた罪人たちの呪いに違いないと、町の者たちは恐れ慄き、その町を守る呪術師に陳情した。
呪術師によって呪いが取り除かれると、町の者たちは山の麓に石碑を建てて祀り、ようやく街は平穏を取り戻したのだ。
「でも、話はここでは終わらないんですよ」
この話には続きがあった。石碑の清掃やお供えなど、この町の人間たちで一年毎に持ち回りで行っていた。しかし今年の担当だった者が、それをサボってしまったのだ。
するとまた、町には災厄が降りかかった。まず山崩れが起こり、それに巻き込まれて少なくない人数が亡くなった。石碑もいくつか流されて、それから町では老若男女関係なく、皆一様に干からびたように死んでしまうという現象が今現在起っているのだ。
男の淀みない口調で話された内容は、簡潔でありながら真に迫るものがあった。恐らく何度も話してきたのだろうということが窺える。
話を聞いた空海は何も喋らず、とっくの昔に食べ終えた飴の棒を指で弄びながら、何か考え込んでいるようだった。
「その話は昔、書で読んだことがある。その呪術師は柴家の者だろう」
柴江明がそう言うからには、恐らく男が話した内容は正しいのだろう。隣で柴江覇も兄の発言に頷いている。話の真偽を疑う必要はなくなったが、それでもいくつか確認すべきことはあった。
最初に口を開いたのは深夜だった。
「石碑があったと言ったな。探鉱者はその下に埋められていたのか?」
「ええ。硫黄を取り尽くした後、用済みだとして罪人たちを全員殺してしまったそうです。そもそもが罪人ですし、その時はもう全員盲目ですからね。死体は一箇所に埋められ、そこに石碑が建てられました」
深夜は少し眉間に皺を寄せた。その男の口ぶりからは罪人にはどのような仕打ちをしても良いのだ、ということを言外に匂わせていた。急に黙り込んだ深夜を、男は不思議そうな顔で見る。
「今年の当番だった奴がサボったって言ってたな。何でそう言い切れるんだ?」
あえて空気を読まない明るい声色で、空海が男に尋ねる。男はすぐににこやかな表情を作り、空海に向き直った。
「本人がそう言っていたのですよ。最も、日にちが明確に決まっているわけではないのですが。毎年、当月のうちのどこかで行っているんです。月の初めにすぐだった年もあれば、終わりにしていた年もありました。その者は月の初めの休みに行うはずだったのですが、どうも家業の店の方が忙しかったようで、日程を後ろにずらしたそうです。その後起ったことは、さきほども話したとおりです。」
山は崩れ、巻き込まれた人が死んだ。石碑も流され、さらに怒りを買い、無差別に人が死んでいく。
「それで、そいつは今どこにいるんだ?」
「もう死んでます。山の中で遺体が発見されました」
商人の男は、相変わらずにこやかにそう話した。空海や柴江明はそれからいくつか質問をし、男は簡潔に明朗に答えていった。
やがて満足したらしい空海は、深夜に目配せをした。深夜はその意図を理解し、懐に手を入れ、取り出したものを男の手の平にのせると、柴江明がぎょっとした顔浮かべた。手からこぼれ落ちたそれを、男は慌て拾い集めている。
「約束の金だ。足りないか?」
「い、いえ、十分です! ありがとうございます!」
未だに落ちた金を拾い集める男を尻目に、4人はその場を後にした。
****
「若君、お金なら私が......」
男から離れた場所にやってくると、柴江明が慌てて口を開いた。懐から財嚢を取り出したところで、空海が得意げな顔で口を挟んだ。
「必要ないですよ、あれ偽物だから」
「え?」
空海にそう言われ、柴江明が深夜の方を見ると、普通の人にはあり得ないものが目に入った。狐の尾だ。
「まさか、幻術で作り出したというのか?」
「そういうことだよ。得意なんだ!」
「何故わざわざそんな事をする?」
「だってあの男、絶対怪しいだろ! あいつの言ってたことが全部本当だったら、あとから本物を渡すよ」
柴江覇が尋ねると、空海は嬉しそうに答える。横では何でお前が自慢するんだ、と言わんばかりの顔で深夜がそのやり取りを見ていた。
「......」
「......?」
視線を感じた深夜が顔を上げると、柴江明がこちらを見ていた。普段深夜が外で妖の力を使うと、その姿に恐怖や嫌悪の視線が向けられるのだが、柴江明の目にあるのは、純粋な興味だった。慣れないその視線に、思わず深夜は目を逸らした。
歩き進めていくうちに、4人は男の話にあった山の付近までやって来た。山に近づくにつれて、異様な空気はどんどん濃くなり、心なしが気温も少し下がっているような気にさえなった。この山でただならぬことが起こっているのは明らかだった。
「先ほどの彼の話からすると、山亡くなった者たちの呪い、怪異によるものだということになるが......町全体という規模の怪異となると、少し苦労しそうだね」
「はい」
「いいや」
柴江明の言葉に、柴江覇も同意する。それに否定の声を上げたのは、深夜と空海だ。即座の否定に、柴江明は目を丸くしながら尋ねる。
「では、2人の意見を聞かせてもらえるかな?」
「確かにこの町には何かある。でもそれは怪異といった類のものじゃない。俺が思うに、今回の件にその罪人の石碑の話は一切の関係がないですね」
「どうしてそう言い切れる?」
柴江覇が不思議そうに聞く。空海はとっくに乾いた飴の棒を振り回しながらゆるやかに微笑んだ。
「そもそもさっきの男の話は主観的な要素が多すぎる。色々喋ってはいたが、事実として起こったことは山崩れが起った、石碑が流された、人が萎びたように死んでいく、この3つだけなんだ。」
空海は歌うように言いながら、顔の前で指を3本立てて見せた。
「そもそもおかしいと思わないか? ずっと昔に死んで、とうに魂を鎮められたのに、また今更現れるなんて。鎮められた魂はその場に留まらない。遠くへ行ってしまうんだよ。例えいくら願っても、こちらへ繋ぎ止めておくことはできないんだ」
柴江覇はふいに、周りの音全てが掻き消えて、空海の声だけが直接鼓膜の奥に響いているかのような不思議な心持ちを抱いた。なんとか意識を現実に繋ぎ止めようと、静かにゆっくりと息を吐く。
「死んだ罪人の呪い......怪異によって山崩れが起ったんじゃない。山崩れを起こせるほどの何かがあったんだ。この町......もっと言えばこの山は確かに普通じゃない。でもこれは怪異によるものじゃないと思うんだよな。ま、これは俺の感覚だけど!」
空海がいつもの調子でにやりと唇を吊り上げて笑う。柴江覇は、そこでようやく現実に戻ったかのような感覚を覚え、わざと素っ気ない声を上げる。
「いい加減な事を」
「いやいや、感覚っていうのは結構当てになるものなんだよ! 特に俺たちみたいなやつにはな」
「そもそも」
柴江覇がまた何か言い返そうとした時、そこで初めて深夜が口を挟んだ。
「怪異は生きたものから生まれるものだ。死んだ人間ならば妖か魔にしかなり得ない」
だから死んだ人間の呪い、怪異なんてものはそもそも存在しないのだと、深夜は言外に示した。そしてわざわざ回りくどい言い方をするな、と空海を睨む。
「なるほど。さすがは桂家のご子息だ」
柴江明が感心したように言う。
「では一体、何が今回の元凶だと?」
柴江覇の問いに、空海はまたにやりと笑って答える。
「それは、山に入ってみれば分かるさ」
****
山に入ってすぐ、空海と深夜は表情を変えた。いくら生前に凶悪な人間だったとしても、怪異だなんて生ぬるい。ここにいるのは、彼らが思ってるようなものじゃない。圧倒的な力が自分たちの周りに漂っている事を、そこにいた全員が理解した。
4人は力の出どころを探そうと、ゆるくなった地面を進んでいく。。麓のところで、恐らく例の罪人たちの石碑が建てられていたであろう場所が目に入った。山崩れのせいでほとんどの石碑が流されている。定期的に清掃が行われていたとの話だったが、今は荒地も同然となっている。
そして先ほどの空海の言ったとおり、この場所からは霊的な力は一切感じられない。下に人が埋まっているのかも怪しいほど、やけに静かな場所だった。
「忠光尊」
深夜は前を歩く柴江明の背中に声をかける。柴江明は振り返り、少し歩を緩めて深夜の隣に並んだ。
「何かな?」
「最近、神霊地に関することで何ありましたか?」
神霊地は、神のいる土地のことを指す。柴江明は顎に手を当てて少し考えたのち、ああ、と答えた。
「少し遠いが東の方の湖の周辺が、ひどく荒れていたらしい。だがあそこの主は非常に高位な存在だから呪術師も迂闊に手を出せなかったそうだ。でも、今はもう落ち着いているそうだよ」
山崩れ、死んでいく町の人間、遠くの湖......。その瞬間、一つ一つの点と点が、一本の線に繋がった。
「どうしたんだ?」
突然足取りの重くなった深夜を、柴江明は不思議そうな顔で覗き込む。その様子を見た空海と柴江覇も、足を止めてこちらへやって来た。
怪異なんて生ぬるい。それどころか、妖や魔だったらどれほどよかっただろうか。山崩れが起き、人が無差別に死んでいく今回の事件、その元凶は。
「この先にいるのは......土地神だ」
絞り出すように、深夜は言った。その言葉に、その場の全員が顔を曇らせる。それもそのはず、妖魔ならば退治すればよいし、怪異ならば解呪を行えば良いと明確な対処法があるのに対して、神はそれらの理が一才通用しないのだ。
そもそも神を殺すことは重罪であるし、神の前で礼儀を欠けば怒りを買う。神の怒りを買えば、街のひとつやふたつなんて簡単に消し飛ばされてしまう。
「神か......やっかいだな。あいつらは気位が高くて話が通じないってのがお決まりだろ。水の神なら鈴音を連れてくるんだったな。」
「不敬な発言はやめろ。ここは今や神の領域だぞ。鈴音は何やってるんだ?」
深夜は空海の不敬な態度を窘め、ここにはいない自らの従姉妹について尋ねた。
「錦家のあたりで一番大きな町で今頃買い物してるだろうよ。俺も行こうとしたら『うるさいから来ないで。荷物持ちとしてなら連れて行ってあげるわ』、だってさ。全く、いつからあんなに強かになったのかね。昔はよく泣いてたくせに」
空海は全く似せる気のない鈴音の声真似を披露し、悪態をついた。深夜にはその2人の光景を簡単に想像することが出来、思わず鼻で笑った。
「若君、その神はなぜいまこの山に?」
柴江明が深夜に尋ねる。
「それは、元いた土地を追われたからです。恐らく何者かに土地に侵入し、その神と戦った。戦いに敗れた神は土地を奪われ、負傷してこの山へやって来た。その神の元いた湖が今は安定していると言うなら、現在は別の神が座っている事でしょう。なぜこの山に来たのか......それは都合がよかったからです。この山に霊的な力はありませんが、何せ人が寄り付かない。人目につかないところで回復に集中したかったのでしょう。それでも訪れる人はゼロではないので山崩れを起こした」
深夜はそこで一度言葉を切ったが、それでも聡明な柴江明はその先のことを全て理解した。
「人が死んでいくのは、神に生気を吸われていたから。そして死んでいった人たちは、霊力が低かったから......なるほど、だから我々は何の影響もないと言うわけか」
霊力が高いということは、それだけで最低限自らを守る術となる。しかしそれだけの霊力を持たなかった者は、大きすぎる力に耐えきれず、瞬時に命を奪い取られてしまうのだ。
「......いた」
その時、先頭を歩いていた柴江覇が足を止めた。その視線の先には、湖畔に佇む水龍の姿があった。間違いなく、相当に位の高い神だろうが、よく見ると体中に傷があるのが分かる。
「どうする? 向こうは多分こっちに気づいてるぞ?」
「どうするって言ったって、ここから出ていってもらうしかないだろう。あれがここにいる限り人は死に続けるんだからな」
深夜がそう言うと、止める間もなく空海が水龍へ向かっていった。そして案の定と言うべきか、二、三言話したかと思うと、尾で追い払われ深夜たちの足元に転がってきた。
「何なんだよ、何が気に入らないんだ? 俺が何したって言うんだよ!」
空海が身体を起こして悪態をつく。言うまでもなくその態度だ。高位な神は総じて気位が高い。深夜はフン、と鼻で笑った。
「口の聞き方には気をつけろよ。本当に殺されかねないぞ」
「その前に俺が殺してやるっての!」
「神殺しは重罪だぞ。鏑木家に尋問されて結局殺されるのがオチだ」
そう言うと、深夜は柴江明と柴江覇に周辺に結界を張るよう頼んだ。2人が訝しみながらも札を取り出したのを確認すると、今度は深夜が水龍に近づいて行った。水龍の双眸が深夜を捉える。深夜は一度も目を逸らすことなく、口を開いた。
「この地で呪術師をしております、桂深夜と申します。貴方を聡明な神だとお見受けして、お願いがございます」
水龍は何も言わないが、深夜は言葉を続けた。
「失礼ながら、人間に害をもたらす人の理から外れた生き物を排除するのが、我々呪術師の責務です。こちらもこれ以上事を荒げたくないので、出来れば即刻ここから立ち去っていただきたい」
深夜がそう言うと、水龍は顔を深夜の方に向け、カッと目を見開いた。
「小娘が......神格を持たない薄汚い野孤が、私と対等に話せると思っているのか!」
その瞬間、霊力が爆ぜた。苦しいほどの霊気が辺りに立ち込める。並の呪術師なら意識を失い、並の妖ならば器が耐えきれずに消滅してしまうほどのものだ。柴江明と柴江覇は、この霊気を外に漏らさないよう、必死で結界を維持する。
「さすがは高位の神様、土地を奪われるなんて辱めを受けても矜持は失わないなんて......俺だったら耐えられないね、土地のない土地神なんて」
気がつくと空海が深夜の隣にやって来て、わざと水龍を挑発するような言い方をした。身体中に雷を纏わせ、不遜な笑みを浮かべている。深夜はそれを咎めるわけでもなく、水龍が怒った際に体から吹き出した水を狐火で消していた。空海は身体中に龍の鱗を浮かべ、深夜は野孤の尾を生やしていた。
その姿に水龍は怒りを忘れ、驚愕を顔に浮かべた。1人は人間ながら龍の力を扱い、もう1人はたかが野孤だと高を括っていたが、水龍の力の前で顔色は悪いもののを妖の形を保っている。後方では、たった2人で水龍の力を抑え込む結界を作っている。
「なあ、いい話があるんだが......聞く気はあるか?」
水龍の変化を感じ取った空海が、徐に水龍に話かける。水龍は何も言わなかったが、空海は沈黙を是として話を続けた。
「まず、その傷は俺たちが治してやる。大した霊力のない人間から吸い取るなんて効率の悪い真似はもうやめろ。それで、傷が治ったらあんたはここから出ていくんだ。なに、あんたの寝床くらい俺が用意してやるよ。ここから少し北東に行ったところに杜若の地がある。そこの青藍湖は杜若でも大きな湖なんだ。そこをあんたにやるよ。まああんたのものになるのは、そこにいる水妖を駆除してからだけどな」
そこまで話すと、空海は水龍に近づき手のひらで水龍の体に触れた。そこから霊力を流すと、水龍の体の傷はみるみるうちに治癒していった。そのことを確認すると、空海は含み笑いをして両手を広げた。
「さて、傷は治したぞ。あとはどうする? 俺が力づくで連れて行ってもいいけど......この山は霊山でもないのに、ここに留まりたいのか?」
水龍はしばらくの間空海を睨んでいたが、やがて北東に向かって飛び去って行った。水龍がいなくなると、それまで重苦しく冷たく乾燥していた山の空気が変わり、季節特有の湿気と熱気を帯びたものに変わった。
「行ったか」
深夜はため息混じりにそう言うと、額に浮かんだ汗を拭った。深夜と同じように神の前に立ち、啖呵を切っていた空海は涼しい顔をしている。少し先では、結界を解いた柴江明と柴江覇がこちらにやってくるのが見えた。
これで今回の件は解決したかに思われた、その時。それは突然現れた。
言葉で表すならば、「暗闇」だ。暗闇が、深夜に迫っていた。水龍と相対しひどく消耗していた深夜は咄嗟に回避しようとしたが、それは叶わなかった。空海の焦ったような顔が視界に入り、深夜は反射的に空海を蹴り飛ばした。
深夜の眼前は、生ぬるい真っ黒に包まれて闇に閉ざされてしまう。その真っ黒いものは、まるで手のひらを包むように、四方八方から迫り来るようだった。
そうして桂深夜は、暗闇に飲み込まれたのであった。
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