夢見草

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暗闇の中は、当たり前だが暗闇だった。深夜は刀を抜き、試しに壁を切ってみたが、亀裂1つ出来なかった。

「無駄ですよ。この結界を内部から破壊する方法はありません」

次は少し霊力を込めて振ろうとしたところで、後ろから声をかけられた。深夜は手を止めて、ゆっくりと振り向いた。

「また会ったな」

「おや、驚かれないのですか?」

暗闇の中で佇んでいたのは、先ほど町で商人を名乗り声をかけて、深夜たちに山のことを話して聞かせてきた男だ。深夜は呆れたように鼻で笑った。

「あんな商人がいるわけないだろう。お前はもう少し市井のことを学んだほうがいい」

「そうですかねえ」

男は惚けたような顔で自分の身なりを確認する。男が目線を下げた瞬間、深夜は一気に距離を詰め男に斬りかかった。男はそれを予想していたのか、武器を取り出しそれを防いでみせた。

「暗器使いか」

男は手にした鎖鎌を構えなおし、鎖を飛ばし深夜の刀を封じる。深夜は逆に鎖を掴んで男を引き寄せ、脇腹に蹴りを入れると、男は呪符を起爆させ、その爆風で距離を取った。

「やれやれ、容赦がないなあ......」

男が爆煙を手で払っていると、煙の中に深夜が現れ、鎖鎌を持つ男の腕ごと一太刀で斬り落とした。男は痛みに顔を歪めたが、特に慌てた様子も見せなかった。そしてそばに転がった鎖鎌と腕を拾い上げると、腕をくっつけ元の状態に戻してみせた。

「末恐ろしいなあ。さすがは桂家の直系、名前も知らない無害な人間を躊躇なく斬るなんて」

「お前、妖憑きだろ。どこの者だ?」

「鏑木家だと言ったら?」

「嘘吐かせ。鏑木家はわざわざ馬鹿にしてる桂家に刺客なんて送ってこない。じゃあ、お前は一体どこの誰だろうな?」

「ああ、そこまで見破られてるんですね。思った以上に貴方は優秀だ」

「鏑木家だと言ったら怯むとでも思ったのか? 余計なことは喋らなくていい。お前は一体誰だ? どこの者で何のために私の目の前に現れた?」

男は先ほど元通りにした腕を軽く振ってみせ、笑みを深くした。

「私はの名前は尾道。所属は『山羊』。貴方を勧誘に来ました」

ーーー『山羊』。
鏑木家に匹敵するほど規模の大きい呪術組織だが、正確な規模や構成員は謎に包まれている。
人々から恐れられる『アラハバキ』を信仰しているおり、アラハバキ復活させ世界を再建することを目的としているという話だ。
深夜が実際に山羊の構成員を見たのは、初めてだった。尾道という男は胡散臭い笑みを浮かべている。

「我々は利害が一致してると思いませんか?」

「何の話だ」

「そりゃ鏑木家ですよ。鏑木家を潰すんです。貴方1人の力では敵わないでしょう。そこで、我々が力を貸してあげますということです」

「お前たちの下につけって言うのか? 今度は山羊に馬鹿にされろって? お断りだね」

深夜が一蹴すると、男ーー尾道は「残念ですねえ」とさして表情を変えずに言う。

「アラハバキの眷属がなぜ私を勧誘する? あの場には空海も柴家の者もいただろう」

鏑木家と山羊はお互いが目の上の瘤だ。どちらも同程度の勢力を持っていると言われているが、多くの呪術百家が鏑木家の下についている。それは山羊が人々が恐れるアラハバキに心酔し、神のように崇め讃える異常者の集まりだからだ。アラハバキの封印の中心にいる鏑木家と、山羊はよく小競り合いを繰り広げている。

「それはーーー貴方が一番弱いからですよ」

「......なんだと?」

「ご当主と夫人は弟さんのことばかり可愛がるそうじゃないですね。後に生まれた弟さんに後継の座も奪われて......貴方は非常に優秀な呪術師ですが、弟さんがいる限り一生彼の影に隠れることになる。桂家に居場所がないなら、ぜひこちらにーーー」

尾道が最後まで言葉を言い切ることが出来なかった。自身の体が後ろに倒れる中で尾道は、真っ赤になった視界の端に獰猛な爪を捉えた。

「随分と舐めた口を聞いてくれるな」

深夜は倒れ込んだ尾道の襟首を掴み、視線を合わせる。顔や首など体の前面を抉られた尾道はすぐには喋られないようで、浅い呼吸を繰り返していた。

「再生が遅いな......お前にはまだ聞くことがあるんだから、まだ死ぬんじゃないぞ」

「私を殺せば、貴方も死にますよ?」

尾道は掠れた声で言い、笑う。

「結界を解く前に私が死ねば、内部の人間は例外なく死ぬ。これはそういう縛りのある結界です」

尾道のこの発言は嘘だった。この結界はあくまで、強度を大幅に上げる対価として内側から、つまり深夜が結界を破れば、尾道は命を落とすという縛りがある。自らの命を担保にした結界だ。この発言で、深夜が少しでも躊躇いを見せ、時間を引き延ばせれば尾道にはそれで充分なのだ。
だがーーー

「そんな脅しにビビって私がやめるかどうか、試してみるか?」

尾道は突然、脳が揺れるような感覚を覚えた。気づいた時には、深夜が尾道の横っ面を蹴り飛ばしていたのだ。

「お前に聞きたいことが増えた。縛りと言ったな? それは鏑木家の術式だ。どうやって手に入れた?」

「鏑木を裏切って術式を売ってくれた人がいましてね、この術式もその方と共同で作り上げたものです」

「それは誰だ?」

「とても優秀で、鏑木を強く憎んでる人、とだけ」

山羊に重宝されるほど優秀で、鏑木を憎んでいる者......しばらくの間考えたが、鏑木家にさして詳しくない深夜には、全く心当たりがなかった。
そのとき不意に、深夜は息苦しさを感じた。深く呼吸をしたが、一向に改善される気配はなく、むしろ一層ひどくなっていく。その様子を見た尾道が口を開いた。

「貴方を無効化する方法、とても悩みました。大抵の傷は再生して元通りになるし、毒も効かないそうで......ですので、窒息死にしました」

「......」

「先ほどは随分と元気に動き回っていましたよね。あんな事をしたら、すぐにここの酸素はなくなってしまいますよ」

「......」

「今こう考えていますね? 妖化すればこの結界でもある程度耐えられるが、こいつの限界はどれくらいなのだろうか? お答えします、私に制限はありません。そういう仕様の結界です。貴方のような方々のために考案したものなんですよ」

尾道は高らかにそう宣言した。そして言い終わる頃には傷も元通りになっており、ゆっくりと立ち上がった。

「我々としても出来れば殺したくはないので、先ほどの話に頷いていただけると嬉しいのですが」

さながら勝利宣言のように悠然と微笑む尾道に、深夜は掠れた声で舌打ちをした。安い挑発も起爆符も、全てこの状況を作り上げるための布石に過ぎない。そしてまんまと罠にハマった自分自身に、深夜は苛立った。

「くそ」

そのとき、結界の一部に亀裂が入った。その亀裂はどんどん増えやがて結界に穴が開き、外からの光が差し込んだ。

「元気そうじゃん、深夜」

穴から現れたのは、空海だった。

「で、そいつは?」

空海は深夜の無事を確認した後、尾道に目を向けた。

「何でもない。殺していい」

深夜の抑揚のない声に、尾道は驚きの声を上げる。

「正気ですか? 私にまだ聞きたいことがあったのでは?」

「お前が帰らなければ次はもう少し上の人間が来るだろう。話はそいつに聞くから、お前はいらない」

深夜と空海の妖気がどんどん上がっていく。先ほどとはまるで違う深夜の様子に、はったりではないと気づいた尾道は、急いで符を取り出した。見覚えのない符だが、深夜と空海はそれが何なのか分かっていた。

「! 転位符ーー!?」

尾道が小声でボソボソと恐らく転位先を唱えているが、唇の動きがほとんどなく、読み取ることができなかった。やがて転位符が勢いよく燃え上がり、同時に尾道は姿を消した。
深夜と空海が駆け寄った時には、転位符は燃え尽きてしまっていたので、痕跡を辿ることも不可能になった。

転位符はその名の通り、任意の場所に転位するための符だ。高級である上に、使用者は数日は霊力を込められなくなるほど大幅に霊力を消費するので、使う人間はほとんどいない。

深夜としては逃したところで不都合なことはないので深追いせずに転位を許したが、やはり逃げられたとなると多少の苛立ちが残る。

「で、結局なんだったんだよ」

空海が深夜に話しかける。結界が完全に消え、少し離れたところから芝兄弟も向かってくるのが見えた。

「......」

『弟さんがいる限り一生彼の影に隠れることになる。桂家に居場所がないなら、ぜひこちらにーーー』

「深夜?」

「ああ、奴は......」

深夜は鏑木のことと、自らにとって都合の悪いことを除いて、先ほど結界の中であった出来事を話した。深夜の話を聞いて、空海は大袈裟に顔を顰める。

「はあ? 鏑木家と山羊が戦争するって言うんだったら勝手にやってろよ。恩知らずの野良犬になんの用があるのかね」

空海の横で、柴江明は難しい顔をしていた。それもそのはず、柴家と鏑木家の仲は良好なのだ。鏑木側の人間である柴江明にとって、この話は良い話ではないのだろう。
そして空海の言った野良犬とは、桂家への蔑称のひとつだ。従者の分際で主人の女を奪った盛りのついた犬、恩知らずの野良犬だと、いうのが世間の評価だ。
柴江明の横にいた柴江覇も何やら険しい顔をしており、そしてなぜか空海の方を見ていた。

「温泉でも行くか」

空海はそんな視線を全く介さず、呑気にそう言う。この翡翠の町は温泉が有名であるという話を、情報を集めている時に女の子たちから聞いたのだという。深夜は、朝の鍛練から汗を流していないことを思い出し、「そうだな」と同意した。

「なあ、江覇も忠光尊も行こうぜ」

空海は柴江明と柴江覇にも声をかけた。そしてやはりというべきか、柴江覇は素気なく「興味がない」と返した。空海はその返答を予想していたのか、軽く肩をすくめて柴江覇の肩を叩いた。

「まあそう言うなって。俺とお前の仲じゃないか」

「仲良くなった覚えはない」

柴江覇の素気無い返答に、空海はぶはっと吹き出した。

「一緒に事件を解決したんだ!もう十分親しい仲だろ?」

空海は昔から、犬や猫などの動物を連れ帰っては世話を焼くのが好きだった。そして自分に懐かないものたちに弱いらしく、執拗に可愛がり、自分に懐かせるのを楽しんでいた。本人は、そういったものたちは目が離せずつい構ってしまうのだと言う。
ちなみに深夜が動物に近づこうとすると、なぜか狂った様に威嚇されるため、深夜は動物が嫌いだった。

「忠光尊、温泉どうです?」

空海は今度は柴江明に顔向けた。

「そうだね。せっかくだし」

そして柴江明は穏やかな声で了承した。横で柴江明が信じられないといった顔をしている。兄である柴江明が是と言うならば、柴江覇はそれに従うのだ。

「よし、じゃあ行くか!」

空海は柴江明の気が変わらないうちにと、先陣を切って歩き始めた。深夜もその横に並んで歩く。
柴江覇は理解ができないといった顔で兄である柴江明の顔を見た。柴江明は、弟の言わんとしている事を察して、穏やかに微笑み、そして爆弾を落とした。

「お前がもう少し桂の弟君といたいという顔をしていたからだよ」




****
4人が温泉浴場に到着してから、またそこで事件は起きた。

温泉は男女で分かれているようで、別れ道で深夜は左、空海は右へと進んでいく。

「桂の若君、何を......?」

柴江明が少し焦ったような声を上げる。深夜は空海が口元を押さえているのを視界の端に捉えながら口を開いた。

「私がそちらに入るわけにはいかないでしょう?」

さも当たり前だと言わんばかりの口調に、柴江明は余計に混乱した。初めは何を言っているの理解できなかったが、何度か反芻して、ようやく深夜の言葉の意味を正しく理解した。
確かに、深夜は今まで一度も自分が男であるとは言ったことはなかった。思い返せば若君と最初に呼んだ時も、少し微妙な顔をしていたような気がする。
言われてみれば、同世代の少年たちと比べて線が細い。

柴江明は自分の失態に顔を真っ青にして、口を開けたり閉じたりしている。その口からは言葉にはならないような声が漏れていた。

深夜はその姿に悪いとは思いながらも、思わず声を上げて爆笑してしてしまった。


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