次元トランジット 〜時空を超えた先にあるもの〜

柿村 呼波

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第1章 繰り返す女

確認

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 鮫島李花が乗ったタクシーが目的地に到着した。カードで支払いを済ませタクシーを降りる。その足で彼女は脇目も振らず近くにあるコンビニに直行した。

便利なもので、朝早くから夜も遅い時間まで住民票など戸籍関係の書類は役所に行かなくてもコンビニで受け取ることができるのだ。深夜の数時間は情報の更新やメンテナンス時間に当てられている。一旦役所とコンビニなどにある末端端末との接続が解除されるためその時間は利用出来ない。

そんな小さなことも含めて行政関係書類の取得に関しては以前からは考えられないほど便利になった。それ故に故意に個人情報を流出させたことが判明した場合は即座に罪に問われるように法律も改正された。複数の監視カメラで監視及び記録されているため罪を逃れることはできない。俗に言うお縄になるというやつである。


 鮫島李花もその便利さの恩恵を受けるべくコンビニに足を踏み入れた。すぐに目的地である店の奥にある明らかに隔離されたスペースへと向かった。この隔離されたスペースはどこのコンビニにもあるわけではない。それなりの広さがあり、防犯上問題がないとされた許可店にだけ設置されている。

戸籍関係書類の請求には個人情報管理カードを使用する。それは国が管理している個人情報にアクセスできるカード。この国では人が生まれてからその生を終えるまでの情報を国のとある組織が管理している。

どの組織が管理しているのかは一般には明かされていない。その情報は出生時の詳細情報から出身校、婚姻履歴、病歴、資産状況など有りとあらゆる個人情報をくまなく網羅しておりブラックハッカーはおろかホワイトハッカーでさえアクセスできないシステムで管理されていると言われている。

この個人情報管理カードは18歳の誕生日以降に網膜情報を登録してから交付される。親だからと言って子供のカードを管理・保持することは許されていない。特別な場合を除いてカードの交付に代理人を立てることもできない。

そしてこの国の永住権を得た者もこのカードを取得できる。このカードがあれば公的証明を申請する際の必要書類に記入する必要がない。予め登録された網膜認証にパスすればカードが使用可能になるのだ。

 とにかく少しでも早く戸籍情報を確認したい鮫島李花は網膜認証システムを使い認証確認をした。認証確認を通過すると次は申請する書類を選択し出力かデータ転送かいずれかを選ぶ。
鮫島李花は住民票と出力を選び画面を確認した。

過去に行って婚姻届を提出してから経過日数的には既に半年経っているはずだから、彼女は自分がになっているものだと思い込んでいた。

しかし住民票に記載された名前は のままだった。少し不審に思ったがネットワーク障害でも起きたのかと軽く考えた彼女はそのまま住民票を請求することにした。

プリントされた用紙を見てまず日付を確認する。10月21日の印字を見て本当に現在に帰って来られたのだとまず安心したのも束の間、鮫島李花は出力された住民票の内容を読み進め、世帯主の名前を見て自分の目を疑った。何かの間違いだと思い、もう一度確認してみたが記載事項が変わる事はない。いや、あってはならない。

そこには鮫島李花の望む真実はなかった。

世帯主は実父の名前が記載され、夫など勿論記載されていない。記載されていないどころか婚姻した形跡はどこにも見当たらない。そこにあるのはただ残酷な現実だけだった。

 過去に行って提出し受理されたはずの婚姻届には、鮫島家の敷地内にある別邸の住所を記入した。世帯主を本城幹彦にしたのを何回も確認したのに彼女の住所はこれまでと同じ本邸のままで、何一つ婚姻届を出す前と変わっていなかったのだ。

別邸は父親が娘である鮫島李花のために建てたものであった。それは彼女が大学を卒業する頃、今から5年以上も前には既に別邸は完成していた。だから婚姻後そこに住んでも何ら問題はなかったのだ。

それに彼女は父のこんな言葉を都合よく捉えていた。

「慣れない土地へ嫁ぐよりここの方が何かと便利だろうし私も安心だ。お前はずっとここにいなさい」

この言葉を娘である鮫島李花は『いつ迄も娘を手元に置いておきたいだなんて、お父様やっぱり私のことが大切なのね』などと思っていたが、父親的には少々違っていた。

『あんな危ない娘は外の世界に出してはいけないし、人様に決して迷惑をかけてはいけないのだ。あいつの事は私たち一族で責任を持って対処する。潤一との話し合いも済んでいることだし、後は李花に気付かれないようどう上手く囲い込めるかだけだ……  』

というのが鮫島本家の共通認識であった。正に知らぬは本人ばかりなり、である。


 彼女は穴が開くほど書類を見続けたかと思うと突然騒ぎ出した。

「嘘よ…………  どうして。確かにこの手で婚姻届を提出したはずなのに…… どうして私は幹彦さんの妻になっていないの? そんなのおかしい、おかしいわよ、あり得ないわ」

鮫島李花はそこがコンビニの一角であるのを忘れているのか、はっきりと周りに聞こえる大きな声を出し、手には何かの書類を持ちその場を行ったり来たりしている。明らかに挙動不審な行動だった。

個人情報の保護に関しても全く周りに注意を払えていない。今彼女によって開示されている彼女本人の個人情報は他人が関与していないので誰も罪には問われない。漏洩させた本人が不利益を被ったところで自業自得なだけである。


 鮫島グループの会長である鮫島壮一郎の唯一の心配事は娘である李花のことだった。育て方を失敗してしまったと、今になって分かったところで手遅れなのだがどうにか軌道修正できないかと考えていた日もあった。

娘の李花は肉体的年齢は年相応であるものの精神的年齢は中学生くらいのままで止まっている。故に彼女の行動原理は『感情の赴くまま』と至ってシンプルだ。
しかしそれこそが父親である壮一郎が自分の目の届く範囲に娘を囲い込み留めおくことにした原因の一つだった。
父壮一郎は自分がこの世から去った後のことは長男の潤一に対応を一任している。鮫島家の異分子に対して兄は父よりも厳しい対応を強いるだろう。自分の部下が仕事をしやすい環境を整えるためにも。

 以前、李花と直接関わった事のない家からは、家同士の縁を結ぶことで社会的立場を強くしたい者が両手両足の指では足りない程いた。だが所謂適齢期を過ぎてしまった李花と結婚を希望する者の話は全く聞こえてこない。澄んだ水面のように静まりかえってしまったのだ。

素行調査をすれば会社での素行の悪さが、以前なら学校での横柄な態度がすぐに報告されたのだろうことは容易に想像できる。

 いくら高級ブランドの服を着て高価なアクセサリーを身につけたところで、人は歳を重ねるごとに顔付き、そして纏う雰囲気に人間性が出てしまう。上辺さえ取り繕うことなく、決して知られてはならない本性を隠すつもりがなければ尚のこと顕著に。

実の父親に親として非情な決断をさせてしまう程、鮫島李花という女は突き抜けた危険人物だったのだ。欲しいものは必ず手を入れられると本気で考えている人間なのだから。


 いまだコンビニの中にはその後も手に書類を持ったままブツブツと何かを言っている鮫島李花がいた。幸いなことに、店の中は他に客はおらず、店員が数人いるだけだった。何かの書類を見て妙なテンションで騒いでいる女を見ていたコンビニの店員は、そっと視線を外した。

『ああ言うお客さんには関わるとろくなことがない。見なかったことにしよう、それがいい』と店員は目の前の出来事を記憶の奥底に沈めることにした。それほどまでに異様な雰囲気を醸し出していたのだ。

店員から距離を取られていることなど露知らず、周りの音が一切聞こえていない鮫島李花は、住民票の写しをバッグにしまい、手数料と料金を払うと足速に店の外に出て自宅へと向かって歩き出した。

 料金はコンビニに支払うのではない。全て認証システムによる一連の流れに組み込まれている。あらかじめ登録された銀行口座やカードに請求され即座に支払いは完結する。今回の鮫島李花の行動はギリギリコンビニ店員さん達には迷惑をかけずに済んだのだった。

完全に変な女が店の外に出たのを確認した店員達は、ホッと胸を撫で下ろすのだった。

 10月も下旬になると夜は少し寒い。それにも関わらず頭の冷えない鮫島李花は熱気で溢れていた。

「あの白い扉をくぐった先は、本当は過去じゃなかったのかもしれないわ、そうねきっとそうよ! 明日にでも確かめに行かなくちゃ」

ブツブツと独り言を呟きながら歩いていた。彼女がそう思ったのは、今日が10月21日だったこともある。10月20日に過去へ行って1日過ごし、帰ってきたらこちらの時間でも1日経過していた。それなのに行った先が過去ではないと考えるのは若干無理がある。確実に過去への扉を通り過去へ行ったのに、自分に都合の良いように過去へ行ったことをなかった事にはできない。

 夜道なので遠回りになっても比較的人通りのある明るい道を10分ほど歩き、自宅の大きな門の前までたどり着いた。呼び鈴を鳴らすと、バトラーという執事のような人物がインターホンの向こう側から話しかけてきた。

「お嬢様、おかえりなさいませ。只今そちらへお迎えにあがります。少々お待ちになっていてください」

それだけ言うと通話が途切れた。仕える相手が三十路手前だろうがお嬢様なのに何ら変わりはない。遅い時間にも関わらずよく働くバトラーである。

現在鮫島家には三人のバトラーが交代で勤務している。それは鮫島グループに所属するコンシェルジュサービスの会社から派遣されている。彼ら三人は鮫島李花の幼少期から三人の顔ぶれが変わることはなかった。しかし最近そのうちの一人である三枝が勤務が明けて鮫島邸を出たところで事故にあってしまった。幸い軽い怪我で済んだのだが、大事をとって一ヶ月程休暇を取ることになったのだ。

 どうやら今彼女の元に向かっているのはその代わりを務める佐伯のようだ。佐伯は俗に言う痒いところに手が届く、をサラッとやってのける人物だった。三枝が復帰するまでの繋ぎとして派遣されたのだが、何でもそつなくこなす勤務態度を目にした父や兄からも信頼を勝ち取りつつある。

来客用の大きな扉ではなく、家族しか通れないように特別に防犯対策の施された通用口が開き、バトラーの佐伯が顔を出した。大きな身体で厳つい印象の反面、柔らかい物腰の男性で隠れたファンまでいるらしい。所謂ギャップ萌えというやつだ。

「お待たせいたしましたお嬢様。どうぞこちらへ」

通用口を通り佐伯から1.5mほど後ろに距離を取り大きな鮫島邸の玄関まで歩いた。玄関を開け鮫島李花を邸の中へと導くと佐伯は感情の籠らない声で話し出した。

「遅いお時間ですので、軽くお召し上がりいただけるものをご用意してあります。お部屋にお持ちした方が宜しいでしょうか?」

「そうしてくれると助かるわ」

良く気の利くバトラーに鮫島李花はその行為が当たり前のように返事をした。聞かれた本人とってバトラーのすることは普通に当たり前のことなので、当然お礼の言葉はない。鮫島李花にとってバトラーが何か自分にしてくれることは、王様の貢物と同じでそのこと自体が当然のことで決して感謝に値するものではない。

だから彼女はいつでも自分のことしか考えないし、世界は自分中心に回っていると思いそのことを疑ってもいない。

 バトラーの言葉を聞いても『お腹が空いていたら頭が回らないわ。取り敢えず食事をして落ち着かないと。何かするにしてもそれからだわ』と遅い時間に対応してくれたバトラーに労いの声すらかけず、これから食べる夜食のことだけを考えていた。

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