一冬の糸

倉木 由東

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#5.paris 哀願

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 朝を迎えるとパリ警視庁は内外で様々な対応に追われた。パリレ・ブルーでの1件は朝のニュースで既に報道され、遺体発見時の様子から猟奇事件として世間の注目を一夜にして浴びることになった。庁舎に押し寄せるマスコミへの対応、加えて通常の業務、特に年末というだけあって署員たちも朝からフル稼働で業務に忙殺されていた。
 目撃者である男子学生の死はマスコミに伏せていた。鑑識分析官によると死因は毒死。青酸カリが入った粒状の物を歯の裏に仕込んでいたとのことだった。
 マルセルはメグレだけに自分の目の前で起こったありのままの出来事を話した。モーリスが珍しく激高し部屋を出ていったこと。学生はモーリスが犯人だと発言したこと。モーリスが自分宛にメモを託し、車で走り去ったこと。
 全てが文字通りあっという間の出来事で、マルセル自身整理がついていなかった。どこからどこまで話せばいいのか最初は躊躇ためらわれたが、モーリス同様に自分が信頼をおけるこの上司なら話しても良いと思った。それにこの状況を自分一人だけではなく誰かに共有したいという思いもあった。
「本当に殺しをしたかどうかはともかく、モーリス警視が何かを知っているのは確かだと思われます」
 率直な感想をメグレに告げる。状況だけを鑑みるとそう思うのが妥当だと思われたしメグレも同意した。
「そうだな。モーリスに連絡をしてみたか」
「何度も携帯にかけてはいますが電源を切っているようです。情報分析部にやらせましたが電源を切っていてはGPSにもひっかからない」
「そうか。とにかく今はモーリスを探すことが事件解決に向けて我々の出来ることだろう。マスコミも昨日のことで騒いでいる。一刻も早く事件を解決しなければならない」
「わかっています」
「と言っても君は疲れているだろう。昼まで仮眠を取れ。私が許可する」
「いえ、大丈夫です。捜査をやらせてください」
「大丈夫か。絶対に無理はするなよ」

 昼になると被害者に関してメグレから新たな情報が入ってきた。
「被害者の名前はヒロシ・キリタニ。国籍は日本人だが就労ビザを取得し、フランスには仕事で5年前から移住しているとのことだ。部下に日本大使館に問い合わさせたところ、キリタニは日本でも有名な大手商社の社員であり、フランス製のワインや家具などを仕入れる担当をしていたらしい。英語、フランス語、イタリア語、スペイン語等に長けており業績が落ち瀕死にあった会社を回復させた人物として、日本のビジネス誌でも度々取り上げられたこともあるそうだ。現に日本大使館の職員たちも殺されたのがキリタニだと知ったとき、かなり驚きの反応をしたそうだ。まぁ有名な人物ではなくとも、同じ国の人が異国の地であんな殺され方をすれば誰でも驚くだろうがな」
 そして、マルセルはメグレからまず被害者であるキリタニの身辺を調査してくれと指示を受けた。行方をくらましたモーリスのほうを探したいというのが本音ではあったが、そこは一旦メグレ警視が預かるとのことだった。モーリスが消えたのも表向きには体調不良を理由にした。

「モーリス警視が身体を壊すなんてね」
「働きすぎなんだよ」

 幸いにも庁内でモーリスの体調不良を疑う人物はおらず、目撃者である学生の発言やメモ用紙のことはマルセルとメグレ、そして一部の上層部のみ共有の情報とすることになった。
 午後5時、マルセルは殺されたキリタニの勤め先である『ミナト・ジャポン・パリオフィス』を訪れた。会社はパリの市街地にある5階建てのビルにあり、1階がコーヒーショップで2階から5階までは全てオフィスになっていた。エレベータがやってきた時、中からアジア系の東洋人女性が出てきた。彼女と入れ違いにエレベータに乗り込み、目的地である最上階の五階のボタンを押す。エレベータの中にある案内板をよく見ると全ての階の社名にJAPONの文字が入っている。どうやらこのビルは日本系の企業で占められているらしい。
 5階に着き、扉が開く。真っ白な壁にグレーのカーペット。至ってシンプルで清潔感を感じさせる内装だ。ガラスドアの前に電話機が用意されており、マルセルは受話器を手にし、訪問の際に必要な「7」のボタンを押した。
「ボンジュール、ミナト・ジャポンです」
 流暢なフランス語だったが相手は外国人だなと、イントネーションですぐわかった。
「お電話しておりましたパリ警視庁のジャンヌ・マルセルです」
「お待ちしておりました。どうぞ」
 そう言うと電話は切れ、代わりにガラスドアのロックが外れる音がした。取っ手を掴みドアを開けると美しい日本女性がやってきた。

「どうぞ、こちらへ」
 マルセルは女性に案内されるまま、何名もの従業員がいるオフィスを横切った。事件の対応に追われているのか、ほとんどの社員が受話器片手にメモを取っている。まるで目の前に電話の相手がいるかのように何故か何度も頭を下げている。
 応接室に通されると「少し待っていてください」と言い、女性は丁寧に頭を下げて部屋を出て行った。頭を下げるのは日本の文化というやつなのだろうか。
 待たされている間、マルセルは携帯を取り出しモーリスに電話をかけてみた。しかし相変わらず電源は切られているままだ。もう朝から同じことを何度も繰り返している。
 ドアがノックされ1人の男が部屋に入ってきた。女性同様、頭を下げ「ボンジュール」と挨拶してきたが、額は脂汗が目立ち、俯き加減のその表情からは事件の対応に苦労している様子が一瞬にして読み取れた。
「はじめまして。パリ警視庁のジャンヌ・マルセルと言います」
「はい、わたくしミナト・ジャポンのフランス支社長をしておりますサワダと言います」
「ムッシュ・サワダ。さっそくですが色々とお聞きしたいことがございます」
「はい。私としても事件解決のためには協力を惜しまない。日本でも今しがたテレビのニュースで報道されたらしく問い合わせの電話が鳴りっぱなしです。早急に事件の真相が解明されなければ私ども社としても、今後の経営に大きく影響されかねない」
「亡くなられたのはヒロシ・キリタニ。こちらに勤める会社員の方で間違いないですね」
「はい。私自身、この目で遺体を確認したわけではないですが、キリタニは私の部下です」
「ちょっときついかもしれませんが、ご確認ください」
 マルセルは内ポケットから遺体の写真を出した。磔にされた姿ではなく、ベッドに横たわり、司法局で遺体解剖される前の写真だ。顔の左半分が抉られてはいるものの、知人であれば本人かどうか確認は出来るはずだ。
「うっ!」
 サワダは写真を見た瞬間、口元を手で抑え目を瞑った。吐き気を催したのか、苦悶に満ちた表情で、目からは薄ら涙が出ている。無理も無い。部下が殺されたのだ。しかも残酷な形で。
「ムッシュ・サワダ、キリタニさんについて教えてください」
 サワダは嗚咽をしながらも、2回首を縦に振った。
「彼のこの会社での役職と役割は」
「はい。キリタニは私の下、フランス支社の副社長と、欧州マーケティングのゼネラルマネージャー、いわゆる統括本部長という肩書きを持っています。フランスを中心にワインや家具を欧州から仕入れる物流部門の責任者です」
「失礼な質問になるかもしれませんがストレートに聞きます。彼を恨んでいる人物、あるいは彼の周りで最近起こったトラブルなど何か知りませんか」
「いえ、個人的に彼を恨むという人間がいるとは思われません。仕事が出来、出世し続けていますが偉ぶるようなところはなく、部下の面倒見も良かった。トラブル等も何も聞いていません」
 サワダの話を聞き、キリタニという人間の人物像がマルセルの中である人間と重なった。モーリスだ。彼も出世街道を走りながらも偉ぶるところはなかった。
「最後にキリタニさんとお会いしたのはいつですか」
「昨日も普通に会社に出勤しておりました」
「正確に最後に会ったのは何時頃ですか」
「はい。夜7時ごろでしょうか。本来の退社時間は6時までなのですが年末ということもあり私も含めて何名かオフィスには残っていました。しかし私は基本的に一時間以上の残業を認めていないので、彼を含め全員帰しました。彼も他の社員と一緒に会社を出て行きましたよ」
「では他の社員の皆さんが一緒だったという可能性もありますね」
「いえ、それは無いと思います。昨日、残業していた会社の連中はキリタニを除いて全員呑みに行ったようです」
「キリタニさんだけ行っていない?」
「ええ。でも珍しいことではありません。彼はよく部下をご飯に連れていったりはするのですが、お酒が全く駄目でね。夜のほうだけは付き合いは良くなかった」
「なるほど。キリタニさんについて最近他に気になったことは」
「いえ。特にこれと言って・・・。本当に申し訳ない。何も心当たりが無いのです」
「キリタニさんはご家族は」
「離婚歴がありますね。詳しくは知りませんが子供もいたようです。パリでは1人暮らしですね。恋人がいるといった話も聞いたことはありません」
「では彼の仕事敵というのはいますか」
「それを言いだしたら切りがありません。私どもは自国において欧州家具においてはシェアNo1を誇っていますが、それもキリタニが私どもの会社にやって来た七年程前からです。この世界では彼を欲しがっている人間もいれば邪魔な人間もいるでしょう。実際に我が社も彼をヘッドハンティングしていますから」
「ライバル社もほとんどは、このフランス、あるいは欧州に支社を持っていらっしゃるのですか」
「ええ。ほぼこのパリかロンドンに進出していますね。表向きは日本人同士上手く付き合っていますが、お互いの情報を引き出そうと躍起になっているのが実情ですね」
「キリタニさんも、他社の動向に敏感になられていた?」
「いえ、彼の場合はそうでもありませんでした。他は関係なく、自分が事前にマーケティングして選んだ品物が日本で売れるという自信を持っていましたから」
「そうですか」
 マルセルはソファーを立ち上がりサワダに礼を述べた。
「どうもありがとうございました。やり手の社員が亡くなり大変だとは思いますが頑張って下さい」
「いえ、こちらこそありがとうございました」
 サワダと握手を交わし部屋を出た。相変わらずオフィスでは多くの社員が電話対応に追われている。そのほとんどの人間が通り過ぎるマルセルの顔を横目でチラッと確認する。会社の扉を出るとき、サワダが声をかけてきた。
「ムッシュ・マルセル」
「なにか?」
「絶対に犯人を逮捕してください。私たちも出来ることなら何でも協力しますので」
 そう言うと、例のごとく頭を下げて来た。
「わかりました」
 そう答えながらも、マルセルはサワダの顔を直視することが出来なかった。彼の大事な部下を殺めたのは、自分の上司であるモーリスの可能性がある。認めたくはないが状況的にその可能性を否定出来ないのだ。
 目の前にいる日本人ビジネスマンの懇願の視線が、マルセルの心をより一層苦しめた。
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