十月のコバンザメ

立樹

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 章の住んでいる最寄りの駅まで三駅。
 それほど離れているわけではない。

 近づくにつれて緊張感も増してくる。朝、胃も薬を飲んだって無駄だとでもいうように、刺すように痛み出した。
 自分の胃の弱さにため息をもらしつつ、気を紛らわすため、外の景色へ意識を向ける。
 ビルや家並みが一瞬のうちに過ぎ去っていく。

 章は今、なにをしているのだろう――。

 章は、大学在学中にブログラムを作って、いくつかの会社からオファーをもらっていた。そのため学校では、興味の的だった。
 来ていれば、つながりを持とうとする生徒に囲まれているのをよく見かけた。

 帽子をかぶっているし、遠目からでは表情はわらないが、雰囲気から迷惑そう見えて、助けてくれたお礼も兼ねて手を貸した。

 それに、彼といたら胃痛が治るのかもう一度確かめたいという思いと、なにより、穏やかな声が聞きたかった。

 近くまで行き、
「多賀谷教授が探していたぞ」
 と連れ出したり、ある時は、
「頼む、うちの部のピンチなんだ。手を貸してくれ!」と、
 章に手を合わせて、面食らいながらうなずいたところを、引っ張って行った。

 それが何度か続いたある日、大学を出て、一人、駅までの道を歩いていると、初めて章に声をかけられた。
 驚いていると、章は歩きながら直仁に聞いてきた。

「どうして俺が困っていそうなときに助けてくれるわけ?」

「そうだな……」

 それまで、はっきりと考えたことがなかった。ただ、彼の側は胃痛が治まって居心地がよかった。

 章に助けてもらって以来、なにかと彼が目に入ってくる。

 ああ――。

(オレは彼に会いたがっていたのか)

 と自分の気持ちを認識した。

 章といると、こうやって一緒に歩きたくなる。隣にいるだけでも落ち着く。この時間がほしくて、彼を無意識に探していたのだろう。
 そう気づいたとて、会いたい一心だなんて言えない。ぜったい引かれる。
 それに、もっと話していたい、なんてもっと言えなかった。

 そのまま、章に答えを返さずに、駅に着くと、水族館のポスターが貼ってあるのが目に入った。
 大きなジンベエザメの下にくっついているコバンザメがいた。

(オレもこんなふうに章にくっついていたい)

 そう思ったことがつい口をついて出ていた。

「コバンザメに……なりたい」

「コバンザメ? 君が?」

 しまったと思っても、言った言葉はなかったことにはならず、なんと言い訳をしようかと頭をかいた。ちらっと、章を見ると、じっと直仁の答えを待っている彼がいた。

 ふっと、体の力が抜けた。

 本当のことを言っても、章なら揺らがないかもしれない。
 なら――。

「なんていうか、コバンザメみたいに章にくっついていたいなって……」
 目をそらせて言うと、

「君がコバンザメなら、俺はあのサメ……、俺が、ジンベエサメ」

 ポスターに近づくと、章はぷっと吹きだした。

「俺、めっちゃ、でけーじゃん。逆だろ」と、腰を折り肩が小刻みに揺れている。

「わりい、ツボった」

(わ、笑ってる)

 直仁は、ボカンと章を見ていた。

「別に笑ったっていいさ」

 直仁はすねるでもなく、章の笑いにつられて口角が上がった。

 まさか、章がこんなに笑うやつだなんて思ってもみなかった。
 こんな姿を他の奴が観たら、写真でも撮るんじゃないだろうか。

「コバンザメで俺にくっついていたいなんて、めっちゃレアじゃん」
 と言いつつ、まだ笑っている。

「オレがレアじゃなくて、章の方がレアだろ」
 直仁が言うと、笑いを収めて、少し眉を上げた。
「名前……」

「ああ、ごめん。嫌なら藤森に変えるけど」

「いや、いい。ってか、レアなのは俺じゃなくてコバンザメっしょ」

「どういう……」
 直仁が最後まで言う前に、章が何かを差しだしてきた。

「これ、名刺?」

「ああ。この前みたいに困ったら連絡してきてもかまわないから。いつも助かってるお礼だ」

 社名も入っていない、名前と電話番号とメールが書かれただけのシンプルな名刺だ。
「あ、ありがと」
 そっと、それを受けとった。

「で、君の名前は?」

「川畑直仁」

「ん。じゃあな、直」

 川畑でもなく、直仁でもなく「直」と呼ばれて、落ちた。

 レアキャラをゲットした気分だった。高揚していて、ふわふわしていた。
 長年好きだった子に告白してオッケーをもらったときってこんな気持ちかもしれない。そう思った。




 出会った頃を、思い出していると、車内アナウンスが入った。
「まもなく〇〇。出口は左側です。〇〇線をご利用のお客様は――」
 久しぶりに〇〇駅で降りる。降りる人はまばらだ。

 緊張から胃がキリっと痛んだ。まだ、同じ場所にすんでいるとは限らない。会えるだろうか。

 でも、もし、会ってしまったら?

 直仁はその先の自分が想像できなかった。
 無意識に手のひらで胃のあたりをさすりながら、改札を抜けた。

 会えるだろうか、会えないだろうか。
 いるだろうか、いないだろうか。

 上を見上げれば、雲もなく晴れ間が広がっている。太陽は眩しく、上着が必要ないほど暑い。十月だというのに、半袖でも過ごせそうだった。

 それでも時折、ひんやりとした秋風がほおを撫でていく。

 やっぱりこのまま、駅に引き返そうかと、往生際悪く、二度足をふんだ。

 けれど、章の笑顔を思い起こし、勇気をふりしぼり、速足でマンションへ向かった。
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