十月のコバンザメ

立樹

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 商店街を抜け、住宅街を歩いていく。

 懐かしいさは、それほど感じない。緊張で余裕がないからだろう。現に、脈がいつもより速い。

 落ち着け

 と自分に言い聞かせ、家々の合間から小さく見えかけた彼のマンションを目指した。

 ベージュ色をしたタイル張りのマンションに着いた。入居者のポストが並ぶ前に立ち、部屋番号を探す。

「701……。あった。えっ!」

 以前、『藤森』の名前が入っていたところは、『FSC』というプレートに変わっていた。
 手書きではなく、印字されたものだ。

「これって、社名? ってことは、会社? それじゃあ、引っ越したってこと?」

 さっと血の気が引いた。

(ああ、やはり。オレは避けられていたんだな……)

『FSC』のプレートをバカみたいに見続けた。

 わかっていた。返事さえ返ってこないのだ。引越の連絡なんて来るわけもない。

 ただ思っているのと、実際に見てしまうとショックの大きさが違う。
 段々と、胃も痛みも増し、立っていられなくなってきた。動けなくなる前に、胃薬を飲みたかった。

 どこか休める場所はなかったかと、記憶を探った。そういえば、近くに公園があったのを思い出した。

 胃をおさえて歩く。
 情けなさで泣きそうだった。

 やっぱりこなけりゃよかった――。



 地面に視線を這わせ、足を動かし、やっと公園に着いた。
 しかし、踏んだり蹴ったりとはこんな時のことを言うんじゃないだろうか。
 講演では、フリマが開催されていた。
 散歩コースや大型の遊具もおいてある大きい公園は、人で賑わっている。
 服やアクセサリーに雑貨など、テントが所狭しと並んでいた。

 その上、自販機のお茶は売り切れ、水も然り。

 きっと、この季節外れの暑さのせいだろう。汗ばむような天候で喉がかわくのもわかる。
 残るはコーヒーや炭酸。オレンジジュースさえ、胃に負担がかかりそうで飲みたくなかった。

 人ごみを抜け、フリマ会場から離れたところにあるベンチには座った。

 胃の痛みに、前かがみになる。本当はごろんと寝ころびたいが、人の目が気になってできなかった。

 ああ――。と、直仁は章のことを想った。

 やっぱりもう、章は自分に愛想をつかしてどこかへ行ってしまったんだ。

 目をつぶると、笑った章がいた。その笑みが段々とかすんでいく。
 もういい加減忘れないといけない。
 それがわかってよかった。
 いい方に考えよう。
 鼻の奥がワサビを食べたときのようにツーンとしてくる。落ちる涙が、砂地の色を変えた。

 少し落ち着いてきた胃をおさえ、薄雲がでてきた空を見合上げた。
 薬を飲まないで、駅まで戻るか、それとも炭酸かコーヒーでもいいから薬を飲もうかと迷っていた時だった――。

「これ、どうぞ」

 静かな声がした。
 それは、この一年ほど聞きたくてたまらなかった声だった。

(幻聴……?)

 すぐにもで振り向けばいいものを直仁は、思考が停止していた。

 動かないでいると、ベンチの空いているところに、トンと、ペットボトルが置かれた音がした。
 視線だけ動かし見ると、水だった。

 これは、幻じゃない!と、ぱっと声がした方へと顔を向けた。

「……あ、あきら?」

 会いたかった人物がすぐ側にいる。

 目深にかぶった帽子に、大きめのTシャツを着ている。
 一方の手が、ペットボトルを差した。

「胃が痛いんだろ。早く飲めよ」

(な、な、なんでいるんだ!)

 口が動くも、声が出ない。

「な、なんで?」

 やっと出た声は、かすれていた。

「ほら、飲めって。薬、財布の中だっけ。どこ?」

 探すような仕草をする章は何年も会っていなかったとは思えないほど普通だった。
 章は、直仁が薬をどこに入れているかも知っている。

 財布は尻のポケっとに入れていた。

 ちょうど座って前かがみになっていたから、立っている章の位置から財布が見えたのだろう。彼の手が伸び、すっと財布を抜いていった。

 慣れた手つきで、薬を取り出す。脇に財布をはさみ、ペットボトルのフタを開ける。

「ほら、口開けて」

 言われた通りにしなくてもいいのに、口を開けてしまった。
 動揺していて、頭の中は真っ白だ。

 渡されたペットボトルと開けたフタを受け取り、薬を流し込んでいる間に、

「じゃあな」

 と、章が背を向け去って行こうとした。
 飲んでいる途中だったから、慌てて飲み下した。

「ちょっ……、ま、待てよ!」

 追いかけようと立ち上がったが、持っているペットボトルの水がちゃポンと揺れて、手にかかった。
 しまったと、フタをしめていると、章が振り向いた。

 そして、ベンチの上を指さして「財布」と、言った。

 舌打ちしそうになる。

 章は、すでに直仁に背を向け、小走りで去って行こうとしている。今日の人ごみでは、財布を拾っている間に、章を見失うかも知れなかった。
 仕方がないと、章から視線を外し素早く財布を持ち、章を追いかけた。

 幸い、小さくとも章の姿は発見できた。その彼を、人ごみを避けながら追いかける。

(やっぱり会いたくないのか)

 落胆に似た気持ちもあるが、もう、目の前にいる章を逃がしたくなかった。
 なにより、自分を納得させるためにも理由が聞きたかった。

 さっきの、絶望をもう一度味わうなんて耐えれない。

(逃げられてばかりなんて、いやだ)

 必死に追いかけていると、側を通るたびにフリマの人の視線を感じた。
 いつもなら、気になるところだが、今は目の前を走る章を追うのに必死だった。

 公園を抜け路地を走る。
 章が確認するようにふり返ってくる。
 十字路の角を左に曲がった。

 直仁が曲がると、そこには章の姿はなかった。

 息が切れ、急に走ったせいで、胃も腹も痛くなり、しゃがみ込んだ。
 公園から離れたせいか、時折自転車が通っていくぐらいでほとんど人通りもない。

 しばらくして、じゃりっと音がした。
 顔をあげると、電信柱の陰に章がいた。
 目が合うと、しまったというように、背を向けて、また逃げようとする。
 そこを、急いで立ち上がり、やっとの思いで捕まえた。

「離せ」

 掴んでいる手首をひねって逃げようとするが、章は、なにがなんでも逃げようといった必死さはなく、迷っているように感じた。
 直仁は、掴んでいる手に力を入れた。

「い、やだ……。離さない」
 声を出すも、息も切れ切れだ。
 けど離すつもりはなかった。

 やっと、捕まえたのに、離したくない。

「理由を、……聞かせて」
 そう言うと、章の瞳の奥が揺らいだように見えた。

「ね、あの二人……」
 と、こちらの様子をちらっと見ていく女性の声がした。
 振り向くと、こそっと耳打ちをしながら歩く二人組が直仁たちを追い抜かしていった。

「わかったから、離せ」

 女性たちが通りすぎると、章が苦々しそうな声を出した。

「逃げないって言うなら」

 うなずくのを見て、直仁はそっと手を離す。

 章は宣言通り逃げずに、
「俺の家で話そう」
 と、右手の親指である方を指した。

 その方向へ目をやると、前、章が住んでいたマンションだった。
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