「父を愛した」父を憎んだ。

ポンポコポーン

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「父が来る」感情がなくなった。

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・・・もう、窓の外は真っ暗や。夜だ。

プラモデルを造っていた。正確には色を塗っていた。
テーブル・・・座卓の上に塗料のビンが散らばってる。
戦艦のプラモデル・・・・「戦艦長門」を造って塗装していた。・・・弟は隣の部屋で眠っている。


玄関に自転車が止まる音がした・・・母さんが帰ってきた。扉が開いた・・・

「もう、臭いなぁ・・・・」

これが、部屋に入るなりの、母さんの開口一番やった。
部屋の中は塗料でシンナー臭くなってた。夢中になってたボクは気づいてなかった。

母さんが仕事から帰ってくるのは夜や。急いで晩御飯の支度を始めている・・・


「カァ、もう、片付けや・・・ご飯にするで・・・」

台所から母さんの声・・・


・・・返事もしない。筆で塗り続ける。


・・・・臭いなぁって、なんやねん・・・・


色を塗り始めると途中でやめるわけにはいかない。やめてしまえば塗料が乾いてしまう。乾いた塗料は使えなくなる。最後まで塗ってしまうしかない。
学校の絵の具とちがって、プラモデル用の塗料は高価や。・・・・無駄にしたくない。もちろん、ボクがこずかいで買ってた。


「カァ、ご飯やで・・・・」


・・・・臭いって、なんやねん・・・


・・・そもそも色を塗る時間がなかった・・・プラモデルを造る時間がなかった。

ボクに「自由な時間」はなかった。


弟が起きているときはできない。邪魔されるし、危ないし・・・・
弟が昼寝をしている隙をみつけてプラモデルを造っていた。そして色を塗っていた・・・・


「カァ、いつまでやってんねん、はよ片付けや!」

両手で皿を運んできて母さんが言う。・・・・早くどかせと・・・塗料が邪魔だと・・・・顎をしゃくった。


頭の中で火花が散った・・・・


「ほんなら、いつならやってええねん!!」


戦艦長門を乱暴につかんで立ち上がった。
裏の縁側への戸を開けた。運送会社時代のタイヤだの廃材が散らばっている。
そこにめがけて戦艦長門を投げつけた。長門の砕ける派手な音がした・・・とって返して、塗料も、筆も・・・一切合切を乱暴に掴む。そのまま縁側から全部投げ捨てた。

怒りの全てを投げつけた。怒りの全てをぶちまけた。

いくつもの・・・・乾いた音・・・ガラス瓶の割れる音がした。

やり場のない怒りを抱えていた・・・・

ボクには・・・・ボクには・・・ボクには時間がなかった。
ボクには、大好きなプラモデルを造る時間はもちろん、宿題をする時間さえなかった。

毎日、毎日、学校が終われば、真っすぐ家に帰った・・・急いで帰った。
そして弟の面倒をみた。
・・・・弟を公園に連れて行った。

母さんの仕事は日曜日も休みやない・・・日曜日は、ご飯から何から・・・ぜんぶをボクがやらなアカン。

・・・・友達と遊ぶ時間はぜんぜんなかった・・・だから、転校してから友達がひとりもいない。

・・・・宿題をする時間もなかった。
もともとボクの成績は悪くなかった。・・・いや、むしろ成績は良かったんや・・・
それが、初めて「勉強がわからない」という経験をしていた・・・・転校・・・教科書は同じやった・・・それでも、授業によって進み具合は違ってた。
毎日毎日、弟の面倒を見た・・・・それだけで1日が終わった。
予習をする時間も、復習をする時間も・・・・宿題すらする時間がなかった。
・・・・気がつけば勉強がわからなくなってた。誰にも相談できない・・・・

・・・そして給食・・・・給食は相変わらずやった・・・相変わらず食べられなかった。

保健室に逃げ込んだ。
保健室の先生は、塩水でうがいをしなさいと言った・・・それだけやった。
・・・それでも、何も言わずに保健室で寝かせてくれた。
中年女の担任は、困ったような顔をしていた・・・・いや、何か言いたい感じやった・・・言葉を選んでいるような・・・考えているような・・・・それでも、けっきょくは、何も言わなかった。・・・・何かしてくれるわけやない・・・

・・・・給食の時間をやり過ごせば、なんともなかった。

「吐き気」がするのは給食の時間だけやった。
他の時間は、何もなかった・・・


何もない。
何もない。
何もない・・・・・


「透明人間」として過ごした。
誰も話しかけてこなかった。
誰にも話しかけなかった。
ただ、教室で時間の過ぎるのを待った。


・・・・弟が待っている・・・・家で、ひとりで、3歳の弟が待っている。


学校にいても弟のことが気になった。
給食の時間は・・・・弟が、どうしてるか気になった。

・・・・誰もいない部屋・・・・お弁当・・・・3匹の小ブタのフォーク・・・・
弟がひとりでお弁当を食べてる姿が浮かぶ・・・

・・・・散らかったブロック・・・・画用紙・・・クレヨン・・・


学校が終われば、逃げるように帰った。・・・学校にいたくなかった・・・
・・・・早よ帰らなあかん・・・・弟が待っとる・・・ほやから、早う・・・・


帰れば、弟を公園に連れて行った。
弟は待ってた。
ボクが帰ってくるのを待ってた。
帰ってくれば、弟は公園に行こうと、ボクの手を引いた。
お砂場セットを持って、一緒に公園に行った。

そこで、ブランコに腰かけ、弟を見守り、夜まで過ごした・・・母さんを待った。


晩御飯が終われば、もう深夜や・・・・

・・・・いったい、いつに宿題をする時間があるねん・・・・・!?
・・・・いったい、いつにプラモデルを造る時間があるねん・・・・!?


今日は、弟が寝た・・・・だから、プラモデルを造ったんや・・・色を塗ったんや・・・

「臭いって何やねん・・・・」

・・・・プラモデルを投げ捨てた縁側を見たまま、振り返りもしなかった。
力任せに戸を閉めた。・・・大きな音が響く。
そのまま2段ベッドに潜り込んだ。


・・・母さんは困った顔をしてたんやろな・・・・



・・・・それから何日が経ったのか・・・
学校から帰れば、家の前にセドリックが停まっていた・・・・父の車や。
ピカピカに光るアルミホイールに太いタイヤ・・・ボクが大好きやった車や。

部屋に入る。
父と母さんが向かい合っていた。弟が母さんに抱かれていた。・・・・弟は眠っていた。

・・・・父の左手首に「手甲」がついていた。
手首を保護するもの・・・建設現場で「鳶」とか「土工」とかがつけてるやつや。
・・・父は大型トラックの運転手だ。「手甲」をつける必要はない。
荷物の積み下ろしの時にもつけてたことがない。それが、ここへの引っ越しが終わってからは、いつもつけていた。
右腕に巻かれたスイス製の「RADO」・・・高級時計と、左手首の「手甲」が、やたらと不釣り合いやった。

・・・・それでも深くは考えなかった。
ついにトラックも辞めたんか・・・・どこか建設現場ででも働いてるんやろう・・・そう思った程度や。
ボクの頭から「父」という存在がキレイさっぱり消えていた。

父が、酒を飲んで暴れていた姿が焼き付いていた。
父のせいでこうなった。
全部が父のせいやった。

酒乱。 クズ。 ゴミ。 負け犬。


・・・・それよりも、緊迫感があった・・・ボクが帰ってきてふたりが口をつぐんだ・・・話を中断した・・・そんな感じやった・・・母さんが俯き加減や・・・

・・・・素通りして、奥の部屋へ。机のわきにカバンを置いた。

今日は母さんが休みやった。

「カァ・・・公園行っておいで・・・」

母さんはボクに200円を渡した。

「ジュース買うてもええからね・・・・」


ボクと弟は公園へ向かった。・・・・お砂場セットを持って・・・手を繋いで・・・
途中でオレンジジュースを1本買った。

公園の木陰で弟にジュースを飲ませる・・・好きなだけ飲ませた。どうせ1本は飲めない。
1/3も飲めば、ボクに差し出した。

「ごっちゃまか?」

うん、と弟が頷いた。・・・ジュースよりも砂場の方が気になるんやろう。



砂場で遊ぶ弟を見ていた。オレンジジュースを飲みながら弟を見ていた。

・・・・「父が来る」そんなことが何度か続いていた。

ボクにとっては「父が来る」やった。
引っ越しして、しばらくは顔を見なかった・・・だから、てっきり離婚したんやと思ってた。
そしたら、ひょっこりと顔を出した。
・・・・それでも、居るかと思えば居ない・・・・居ないと思えば居る・・・
夜いることはない・・・・ご飯を一緒に食べることもない・・・・一緒に居たくもない・・・
そんな日々が続き、そのうちに「居ない」が普通になった。

だから「父が来る」でしかなかった。
「父が帰ってきた」じゃなかった。

母さんの俯き加減の姿。
離婚するんやろうな・・・・早くすりゃあいいのに。

別に何とも思わなかった。

ボクには「感情」がなくなっていた。
もう、笑うことも、泣くこともなくなっていた。

少年ジャンプで笑うこともなくなった。
努力も、根性も、もう、どうでもよかった。

・・・そんなもん、読んでも疲れるだけや。



日が暮れていく。
父の顔なんか見たくなかった。

母さんが迎えに来るまで公園にいた。

ブランコに座って砂場で遊ぶ弟を見てた。

弟は暗くなっていく砂場で、懸命に山を作っていた。
そして水場に行ってバケツに水を汲んでくる。・・・・その水を山にかける。

・・・また山を高くして・・・・水場で水を汲んでくる・・・・


誰もいない。
暗い公園。
ボクたち兄弟は・・・・誰からも見えない・・・・誰にも気にもとめられない・・・・誰からも助けてもらえない「透明人間」やった。



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