2 / 6
江之浦
しおりを挟む
さて再び歩き出し、県道のカーブを曲がると民家が集中するようになり、そこに「江の浦」と表示されたバス停が見える。おそらくここが江之浦の集落の中心地であろうと考えた。
バス停の表記では「江之浦」ではなく、「江の浦」と、漢字の「之」とひらがなの「の」と字が異なっているが、どちらにしろ同じ地名で同じ呼び名であろう。
バス停から周りをじっくりと見ているとこの辺は山と海に囲まれていて、道はどれも坂道ばかりであった。
江之浦は平地があまり無く、山側の地と海側の地の二つの土地に分かれ、山側には「江の浦」のバス停がある集落の中心地(個人的な推測)と、海側には江之浦漁港があり、住民はそれぞれの生活をしている。
海側は魚や甲殻類が獲れるので漁師や海関係の方々が多いのだが、中心地の山側に来て驚いたのはみかんやレモンといった柑橘類の木と畑がかなり多かったことであった。坂が多く海に近いからか日差しがよく当たって育ちやすいからだろう。県道沿いには直売所やみかんの無人販売機があちらこちらに置かれているので、みかんを含む柑橘類の果物は江之浦にとって重要な産業の一つであり、山側はそうした農家の方々がきっと多いのだろう。
また産業では食物の他にも石材の採石場がある。岩山を削って道路用の砕石に割栗石などに利用する石を採取しているのだが、江之浦は徳川幕府による江戸城築城での際、海岸線沿いに磯丁場を開いて採石していたという。そのせいか現在も石を採って県道には毎日ダンプカーが走り運んでいるのです。
地形から自然資源を利用して生活する江之浦の住民だが、問題は交通であった。
バス停はあるけれど一時間に一本来るかどうかの少ない本数の上に土日は運行すらされない。東海道線の線路は通っているけども駅がない。隣の根府川に行けば駅があるけどもバスの本数が少ないし徒歩で行こうもんなら私みたいに四十分ほど坂道を上り下りして着いた頃には疲れて足裏が痛くなるであろう。
なので住民は恐らく自動車の所有とその移動がかなり重要な交通手段であろうと考える。
だがそんな江之浦でもかつてはある交通がありました。それは鉄道である。いやいや先ほど東海道線は通っているけど駅が無いって仰ったではないかと思われるかもしれないが、明治時代から大正時代の間、江之浦には駅があったのだ。
江の浦のバス停の下には「江之浦駅跡」を示すパネルがあるのだが、この鉄道は普通の鉄道とは違い、なんと人が客車を押して走る変わった鉄道なのです。
「豆相人車鉄道」と名前に人車と書かれているのだが、明治二十九年(一八九六)に小田原ー熱海間を開通したことで当時江之浦村だったこの地に途中駅として江之浦駅が作られたのである。
だが名前の通り人夫が客車を押して走るのでとても遅く、しかも山や斜面が多いので相当な時間をかけて進むのだった。上り坂になれば客車にいる乗車も降りて人夫と共に客車を押していたと言うからなんともハードな鉄道である。
とはいえ地元民にとっては早く移動できる新しい交通であるから利用していたのだろうと考えていたのだが、後日調べてみるとどうやらこの鉄道かなりの高運賃を取っていたので住民はあまり利用することがなく、乗客のほとんどは湯河原と熱海の温泉に行く湯治客か旅行客だったそうだ。
そんな地元住民にあまり好かれていない鉄道であったが、人車の乗客には国木田独歩や後の大正天皇である嘉仁親王と有名な人物が乗車していたという。
その後「熱海鉄道」と改称し、人車から蒸気機関車牽引の軽便鉄道に切り替えると、小田原~熱海間の移動時間が短縮されてより便利になったという。
なお切り替え工事で線路のレール幅が拡張されるのだが、その工事の様子を芥川龍之介は元にして小説「トロッコ」を書いたと言われている。
当時の江之浦駅では蒸気機関車が煙を吐きながら走り、乗客と取れたみかんと石材などを積んで町へ運んでいたのだろう。
だがこの鉄道は長く続かなかった。
東海道線は従来国府津から山北、御殿場経由で沼津へ行くルートだったが、新線として国府津から小田原そして熱海へ繋ぐ「熱海線」と熱海から三島を経由して沼津へ行く計画が始まり、工事が行われると大正十一年(一九二二)に小田原から真鶴間が開通すると、熱海鉄道の小田原ー真鶴間が廃止され、江之浦駅は消滅したのであった。
熱海鉄道は残存している真鶴から熱海の区間の営業を続けるが、大正十二年(一九二三)の関東大震災により全線が不通となってしまい、大正十三年(一九二四)に熱海鉄道の全線の廃止が決まり幕を下ろすこととなった。
熱海鉄道が消滅してから翌年の大正十四年(一九二五)、熱海線は真鶴と熱海間が開通され、その後丹那トンネルの完成により熱海から三島と沼津へ経由する新線が誕生し、国府津から御殿場経由の路線は「御殿場線」と支線化され、熱海線は新しく東海道線へと変わり、現在でも走り続けている。
鉄道について少し長く話してしまったが、江之浦駅が消滅してからずっとこの地には駅が無い、だか江の浦のバス停の下にあるパネルは今も私達に歴史と文化を伝えていたのです。
バス停の表記では「江之浦」ではなく、「江の浦」と、漢字の「之」とひらがなの「の」と字が異なっているが、どちらにしろ同じ地名で同じ呼び名であろう。
バス停から周りをじっくりと見ているとこの辺は山と海に囲まれていて、道はどれも坂道ばかりであった。
江之浦は平地があまり無く、山側の地と海側の地の二つの土地に分かれ、山側には「江の浦」のバス停がある集落の中心地(個人的な推測)と、海側には江之浦漁港があり、住民はそれぞれの生活をしている。
海側は魚や甲殻類が獲れるので漁師や海関係の方々が多いのだが、中心地の山側に来て驚いたのはみかんやレモンといった柑橘類の木と畑がかなり多かったことであった。坂が多く海に近いからか日差しがよく当たって育ちやすいからだろう。県道沿いには直売所やみかんの無人販売機があちらこちらに置かれているので、みかんを含む柑橘類の果物は江之浦にとって重要な産業の一つであり、山側はそうした農家の方々がきっと多いのだろう。
また産業では食物の他にも石材の採石場がある。岩山を削って道路用の砕石に割栗石などに利用する石を採取しているのだが、江之浦は徳川幕府による江戸城築城での際、海岸線沿いに磯丁場を開いて採石していたという。そのせいか現在も石を採って県道には毎日ダンプカーが走り運んでいるのです。
地形から自然資源を利用して生活する江之浦の住民だが、問題は交通であった。
バス停はあるけれど一時間に一本来るかどうかの少ない本数の上に土日は運行すらされない。東海道線の線路は通っているけども駅がない。隣の根府川に行けば駅があるけどもバスの本数が少ないし徒歩で行こうもんなら私みたいに四十分ほど坂道を上り下りして着いた頃には疲れて足裏が痛くなるであろう。
なので住民は恐らく自動車の所有とその移動がかなり重要な交通手段であろうと考える。
だがそんな江之浦でもかつてはある交通がありました。それは鉄道である。いやいや先ほど東海道線は通っているけど駅が無いって仰ったではないかと思われるかもしれないが、明治時代から大正時代の間、江之浦には駅があったのだ。
江の浦のバス停の下には「江之浦駅跡」を示すパネルがあるのだが、この鉄道は普通の鉄道とは違い、なんと人が客車を押して走る変わった鉄道なのです。
「豆相人車鉄道」と名前に人車と書かれているのだが、明治二十九年(一八九六)に小田原ー熱海間を開通したことで当時江之浦村だったこの地に途中駅として江之浦駅が作られたのである。
だが名前の通り人夫が客車を押して走るのでとても遅く、しかも山や斜面が多いので相当な時間をかけて進むのだった。上り坂になれば客車にいる乗車も降りて人夫と共に客車を押していたと言うからなんともハードな鉄道である。
とはいえ地元民にとっては早く移動できる新しい交通であるから利用していたのだろうと考えていたのだが、後日調べてみるとどうやらこの鉄道かなりの高運賃を取っていたので住民はあまり利用することがなく、乗客のほとんどは湯河原と熱海の温泉に行く湯治客か旅行客だったそうだ。
そんな地元住民にあまり好かれていない鉄道であったが、人車の乗客には国木田独歩や後の大正天皇である嘉仁親王と有名な人物が乗車していたという。
その後「熱海鉄道」と改称し、人車から蒸気機関車牽引の軽便鉄道に切り替えると、小田原~熱海間の移動時間が短縮されてより便利になったという。
なお切り替え工事で線路のレール幅が拡張されるのだが、その工事の様子を芥川龍之介は元にして小説「トロッコ」を書いたと言われている。
当時の江之浦駅では蒸気機関車が煙を吐きながら走り、乗客と取れたみかんと石材などを積んで町へ運んでいたのだろう。
だがこの鉄道は長く続かなかった。
東海道線は従来国府津から山北、御殿場経由で沼津へ行くルートだったが、新線として国府津から小田原そして熱海へ繋ぐ「熱海線」と熱海から三島を経由して沼津へ行く計画が始まり、工事が行われると大正十一年(一九二二)に小田原から真鶴間が開通すると、熱海鉄道の小田原ー真鶴間が廃止され、江之浦駅は消滅したのであった。
熱海鉄道は残存している真鶴から熱海の区間の営業を続けるが、大正十二年(一九二三)の関東大震災により全線が不通となってしまい、大正十三年(一九二四)に熱海鉄道の全線の廃止が決まり幕を下ろすこととなった。
熱海鉄道が消滅してから翌年の大正十四年(一九二五)、熱海線は真鶴と熱海間が開通され、その後丹那トンネルの完成により熱海から三島と沼津へ経由する新線が誕生し、国府津から御殿場経由の路線は「御殿場線」と支線化され、熱海線は新しく東海道線へと変わり、現在でも走り続けている。
鉄道について少し長く話してしまったが、江之浦駅が消滅してからずっとこの地には駅が無い、だか江の浦のバス停の下にあるパネルは今も私達に歴史と文化を伝えていたのです。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
BL 男達の性事情
蔵屋
BL
漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。
漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。
漁師の仕事は多岐にわたる。
例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。
陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、
多彩だ。
漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。
漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。
養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。
陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。
漁業の種類と言われる仕事がある。
漁師の仕事だ。
仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。
沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。
日本の漁師の多くがこの形態なのだ。
沖合(近海)漁業という仕事もある。
沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。
遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。
内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。
漁師の働き方は、さまざま。
漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。
出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。
休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。
個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。
漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。
専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。
資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。
漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。
食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。
地域との連携も必要である。
沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。
この物語の主人公は極楽翔太。18歳。
翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。
もう一人の主人公は木下英二。28歳。
地元で料理旅館を経営するオーナー。
翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。
この物語の始まりである。
この物語はフィクションです。
この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる