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第114話 トレーニングルーム

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 実世によって、楓は家へと案内された。いつものことながら、楓は目をしばたかせた。
 みんな立派な家に住んでいるなと感心するばかりだった。向日葵の家ほど大きな家は見たことはなかったが、そもそも一軒家というだけですごい気がした。
 葛の家にはアトリエがあったが、実世の家にはガレージのような場所があるらしく、そこへと通された。
 中はトレーニングルームのようになっており、ジムにありそうな器具が、余裕をもって配置されていた。
「やっぱり今日の特訓場所はここにして正解だったね」
 全くもってゆかいといった様子で言う桜の声が、室内に響き渡った。
「なんでいるのさ」
「もちろん特訓のためだよ」
 楓が聞くと、桜はさも当たり前のことのように答えた。
「毎度毎度、どこから聞きつけてくるのか」
 楓は疑問に思いながら、特訓場所決定の経緯を思い出した。

 なんだか眠たく、楓は窓の外を眺めながらぼーっとしていた。
 窓の外には、何か面白いものがあるわけではなく、ただ木々やら建物やらが目に映るだけ。
 まだ紅葉というには早く、景色を楽しむという感じではなかった。
「どうしたの?」
 普段なら、向日葵あたりに声をかけられそうなものだが、今日は違った。
「実世さん。うーん。なんだろう」
「日向ぼっこ?」
「まあ、そんなところです」
 驚いたようにしてしまった楓だったが、実世は不快な色一つ出さずに笑って隣で外を眺め出した。
 楓は隣に来た実世を見て、ゆったりと落ち着いていて羨ましいなと思った。なんだか、普段せこせこしている自分が、ちっぽけに感じられた。
「いいわよね日向ぼっこ。気持ちよくて」
 だが、楓の心中すら包み込むように、実世はおおらかに言った。
「よくやんですか?」
「のんびりしたい時にはね。晴れた日なんかは、お日様に当たりながらぼーっとするのもいいものよ」
「そうですね。今の時代、息つく暇もないほどのスピードで進んでる気がしますしし」
「そう。みんな立ち止まることを忘れがちだけど、一瞬をゆっくり楽しむのも、いいことだと思うわ」
 楓は実世が野原に寝そべって、うたた寝している姿を思い浮かべ、ふと似合うなと思った。
 今もまた、そんなタイミングなのかもしれないと思うと、楓の特に意味もなくしていた行動が、悪いことでないような気がして、少し心穏やかになった。胸の中で居心地の悪い蠢くような感覚がラクになった気がした。
「そうだ」
 聞こう聞こうと思っていたことを思い出し、楓は口を開いた。
「葛はうまくやってますか? 大変そうみたいだったんですけど」
 何気ないように楓は聞いた。
 葛とは、まだ付き合いが始まって日は浅い方だが、無理しそうな性格だということはわかっていた。朝練の時も息が切れていたほどだった。
 玉緒も頑張っていると言っていたが、それが無理をしてまでとなると心配になる。
「そうね。忙しそうよ」
 と実世は言った。
「大丈夫かな」
「大丈夫よ。前は距離を感じていたけど、今は以前より心を開いてくれた気がするし、それに、一人で抱え込まずに、頼ってくれるようになったしね」
 実世の嬉しそうな笑顔に、嘘はないと楓は思った。
 となると葛のことは心配いらないらしい。ただの杞憂だったようだ。無理からくる疲労というより、単に運動が苦手なだけなのだろう。
「ならよかった」
 楓も実世に笑顔を返した。
 一つ心の重荷が降りたような思いだった。
 外から見るだけじゃわからない情報を知ることができた。
「秋元さんも私に肩肘張らなくていいのよ?」
「本当?」
 楓は目を開いていた。
「あたりまえよ」
 実世が優しく言ったのを見て、楓は長く息を吐いて、伸びをした。
「そうだね。そうさせてもらう。でも、実世さんは? トレーニングとか大変じゃないの?」
「私? 大変なこともあるけど、楽しいわよ」
「僕はどちらかと言うと運動は苦手で、最近も結構キツイから、楽しめてるのは羨ましいよ。何してるの?」
「興味ある? なんだったら今日一緒にやらない?」
「僕と一緒でいいの?」
「何か問題ある?」
 楓の疑問が実世は疑問といった様子で首をかしげた。
 キョトンとした表情を見ると、楓の考えがまるでわからないらしかった。
「ほら、僕の運動能力が上がったら、敵に塩を送る感じになると思うから」
「体育祭で不利になるってこと? なら問題ないわよ。私は楽しんだもの勝ちだと思ってるんだもの。だから、別に秋元さんのクラスが勝ってもいいと思ってるのよ」
 楓は実世の言葉にハッとさせられた。
 いつの間にか桜の考えに毒されていた。
 悪い考えではないが、囚われていたことに気づかされた。
 競技、勝敗があると言えど、負けたからといって選手生命が絶たれたりするわけではない。
「もちろん。勝てるに越したことはないけどね。どうする?」
「じゃあ、お願いします」
「そんなにかしこまらなくていいわよ。特別しっかりとやってるわけじゃないんだから」
 なるほど、と思い。あははと二人して笑って、その場は解散となった。

 いつの間に聞いていたのか、楓と実世について来たのは、特訓チームだった。
「大人数で押しかけてすみません」
 と桜に代わって椿が実世に頭を下げた。
 しかし、実世は大袈裟に首を横に振った。
「いいのよ。人が多い方が賑やかでいいしね」
 暖かく包み込むような笑顔に、実世がいいのならと全員甘えることにした。
 移動中に自己紹介も済ませたおかげで、全員実世と打ち解けていた。
「でも、これ全部使ってるの?」
 楓が聞くと、ううんと実世は首を振った。
「さすがに全部は使ってないわよ。まだまだ鍛え始めたばかりだからね。本当は自重でも十分なんだけど、気分転換に使ってみたりはしてるわ」
「はぇー」
 楓は息を漏らすことしかできなかった。
 家にあるだけでもすごいというのに、それを遊びで使えるなんて。
 途端に実世が輝いて見えた楓だった。
「どうしたの?」
 またも不思議そうに見られ、楓は咄嗟に首を横に振った。
「ううん。ちょっと拝みたくなっただけ」
「何かのお祈りの時間?」
「全然そうじゃなくて。気分的な話」
「祈ってもいいわよ? 私も一緒にいい?」
「ああ、そういう宗教じゃないから。やらなくていいよ」
「そう? 我慢しなくてもいいけど」
「全く我慢してないから。早速トレーニングしたいなー」
 話を誤魔化すように言った楓だったが、実世は笑顔で手を打った。
「そうね。せっかく来てもらったんだしね」
 四人とも実世に続いて、動ける服装に着替えた。
 実世は長い髪をまとめると、印象が変わるなと思った楓だった。
「じゃあ、私がやってるのを軽くやって見せるから、わからないところがあったら言ってね?」
「うん」
 そうして実世は説明のため、トレーニングの簡易版を開始した。
 腕立て、腹筋、背筋、スクワット。そして、ダンベルカール。
 楓でもわかる運動だったが、驚きなのはそれをいとも簡単に流れるようにやってみせたことだった。本当に始めたばかりなのか疑問に思うレベル。
「どう? できそう? ダンベルは慣れてないなら、なしでもいいけど」
 息切れもなく聞いてくる実世に、楓は周りを見回してから頷いた。
「できると思う。ダンベルも使ってみたい」
 楓の言葉に、他の三人も頷いた。
 桜の練習メニューにより、ちょっとやそっとの運動なら、楓も耐えられるようになっていた。
 見た感じでは、特別な動きも必要なさそうで、普段の特訓とさほど変わらない雰囲気だった。
 まずは腕立てから、全員が慣れたように構えた。
 すると、
「じゃ、まずは腕立て百回からやってみようか!」
 先ほどよりハキハキした声で、実世は言った。
「え?」
「いーち!」
 楓の聞き返しには反応せず、実世は腕立てを始めてしまった。
 楓達もつられる形で腕立てを始める。
「いち?」
「声が小さいぞー! いーち!」
「いーち!」
 動きは簡単だったものの、声を出さなければカウントされず、何より回数が多かった。
 さすがに楓も、まだ三桁はやったことがなかった。
 不安だったものの、いつもと違う環境のせいか、実世の応援のせいか、途中までは順調に回数を重ねられた。
 しかし、徐々にペースは落ち、やがて、楓はバタンキュー。その場に倒れ込んだ。他のメンバーも一人、また一人と脱落し。実世とともに最後まで完璧にこなせたのは、結局向日葵だけだった。
「すごい!」
 終わるなり、実世は向日葵の頭を撫でた。
 向日葵は突然のことで驚いたように、実世を見上げ、固まった。
「みんなすごい!」
 それから向日葵に続けて全員の頭を撫で出した。
 楓も撫でられ、混乱で口が半開きになっていた。
「やっぱりみんなでやると楽しいね」
 運動をしたあとにも関わらず、実世の顔には笑顔を浮かべられていた。息は上がっているものの、まだ少し余裕がありそうに見えた。
 そんな実世を見て、前よりは動けるようになったとはいえ、筋トレは課題だと楓は感じた。
「それにしても、これだけの器具をよく置けたね」
 楓がぽつりとつぶやくと、うんうんと皆が頷き出した。
「実世って何かやってるの?」
「私は楽しくやってるだけだよ。鍛えてるのもほどほどだしね」
 ほどほどでそれですか、と楓は苦笑いを浮かべた。
「じゃあ、両親がそういうスポーツの人?」
「ううん。でも、お父さんの趣味が筋トレでね。それで、気づいたらこんな感じになってたんだ」
 実世は実世で苦笑いを浮かべた。困ったような、嬉しいようなそんな笑いだった。
 家庭にはそれぞれの家庭の事情があるらしい。
 趣味でガレージ一つをトレーニングルームにしてしまうとは、相当ハマってしまったのだろう。
「少し鍛えてるって言うには、みんなよりできてたよ?」
 向日葵が言うと、実世は首を横に振った。
「私なんて全然だよ。今みんながやった程、最初はできなかったし、夏目さんの方がまだ余裕ありそうだし」
「確かに、ちょっと使ってみてもいい?」
「いいわよ」
 実世の許可が取れると、向日葵は見せつけるように、軽々とバーベルを上げたり、高速で懸垂をしたりし始めた。
 時折、楓が見ているか確認するように、ちらっと見てくるのが楓は気になったが、やはり能力の高さにはうならされた。
「ほら、上には上がいるものなのよ」
 どこか寂しそうに、実世がつぶやいたのを楓は聞いたのだった。
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