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第参章 - 焔魔王は異形の剣と躍る -

020話「報復の刻」

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『高雅高校防衛戦:6』
第20話「報復の刻」


 混戦状態の中、それまで校内に居た筈の男が一人、姿を消した事を一体誰が気にしただろう。

 いや、彼は消えていなかった。逃げても居ない。
 例えば彼一人、この現場を突破し逃げる事は極めて容易であったが、彼は敢えて校内に留まったのだ。



 彼はずっとその場所に居たし、混沌の一部始終を鋭く観察していた。


 準暴力団組織「ジ・リーヴァーズ」その襲撃チームが集結し、大挙して校内になだれ込んでくるまでの一部始終を、ほぼすべて観察していた。


 遠くに見ていた。
 襲撃チームのリーダー格である風間が、拉致した少女を連れて公然と蛮行に及ぶのを。


 遠くに聴いていた。
 風間が拡声器で「広瀬 カスミ」の事を名指しし、彼女の父について言及するのも。




 彼はずっと身を潜め、潜伏を続けていた。


 悪漢たちが玄関で女を犯し、男を刃物で刺し、金属バットでリンチしている間も、それを”見て”さえ居た。
 彼は、それでも決して出てこなかった。彼はこの異常状況下に巻き込まれながらも、傍観者の立場を維持していた。



 二階に悪漢たちが押し寄せ、階段近くで暴行を働いている間も、それを傍観し続けていた。

 少年の一人がカスミを勝手に連れ出し、非常階段に向かうその際も、それをじっと観察していた。

 傍観者は真っ暗な暗闇の中に潜んでいた。手足も満足に広げられぬ、直立しているだけがやっとの空間内に隠れ潜み、その中でスマートフォンの画面を眺めていた。



(銃器を確認……、逆に考えれば”火術”は限定行使可能……か)

 液晶画面には玄関で少女の犯される様子が映されている。男が画面をフリックすると職員室の映像に切り替わる。職員室では教員たちが悪漢共に殴打され、若い女性教員は乱暴を加えられている。

 フリックし、三階の教室。フリックし、アトリエ部の部室。フリックし、女子トイレの洗面台近くの映像まで……。


 彼らが「千里眼の術」と呼ぶ、狂気の情報収集技術だった。


 彼は校内の重要個所に多数のカメラを設置し、そこが女子トイレであろうが、更衣室だろうが、校長室だろうが、必要と感じる限りは問答無用で目と耳を仕掛けた。

 敵戦力の数、凶器のバリエーション、銃火器の有無、要注意の必要な敵の有無、敵戦力の分散具合……様々な情報を頭の中で分析し、攻略ルートと脱出ルート、それらを遂行するための戦闘の全てを脳内でシミュレーションしている。



 彼は冷酷に徹し、女子生徒の悲惨な喘ぎ声が聴こえてこようが、男子生徒の肉が斬り落とされる悲鳴が聞こえてこようが、まるで何も知らないかのように、地蔵の如く振る舞った。

 カスミを連れて行った少年の情報は既に”仲間”の手を借りて調査済だ。父は杉並区の交番勤務の警察官である事以外特筆事項の無い普通家庭、リーヴァーズとの繋がりは出てこなかった。偶然というものはどうやら世の中あるらしい。


 彼の武術経験も調べてある。和道流系統の伝統空手の初段、柔道経験もあるようだ。一人ぐらいなら倒してくれると期待できるし――――そうでなくとも時間稼ぎになる。
(……とはいえ、もう十分だな。敵戦力の把握は概ね終わった)

 男はスマートフォンの画面をオフにすると、密かにポケットの中にねじこんだ。



 非常階段に逃げた碇とカスミを追うようにして、二人の悪漢が出ていって30秒が経過。その後をさらに二人の悪漢が非常階段へ。

 例え目を瞑っていても、悪漢たちの息遣いや足音が近くに感じ取れたため、その人数を精確に測る事が出来た。


 恐らくはこの辺りが潜伏の安全限界点。例え自分がこのまま潜伏し続けたとして、これ以上は任務の失敗に関わるだろうと推測をつける。これ以上この場に留まる理由はなかった。



 男は覚悟を決め、静かな呼吸をする。鼻と肺を突くのは濡れた雑巾の匂いと、埃と、錆びた鉄の匂い。とても良い空気とはいえない。


 …………静かに息を吸い込む。
 自分は今、血の泥で出来た沼の中を歩いているのだと感じることが出来た。悲鳴と怒声、凌辱の叫びと破壊の音が耳を突く中、男の心音は極めて静かで、ゆったりとしたリズムだった。




 それは妙な落ち着きで、自宅のソファーに横になっているに等しいリラックス状態だった。


 確信出来る。今自分は、間違いなく良いコンディションだ。
 傍観者で居る事は、耐え忍ぶ時期は、ここで終わりだ。

 闇の中の傍観者は、傍観者である事を今、やめた。






 ――――待たせて済まない。最も汚らわしいこの世の地獄よ、今僕が行こう。


 
 誰も、二階男子トイレ近くに置かれた掃除用具入れのロッカーの中身が、外に立て掛けられている理由など考えもしなかった。
 誰もがそういうものだと思っていた。

 だが奴は居た。



 闇の男は掃除用具入れのロッカーの中から姿を現すと、非常階段に向かう途中の悪漢二人と即座に会敵した。






 速やかに死ね。



 光を通さぬ暗い瞳の持ち主が、誰にも聴こえないほど小さく呟いた。



 神速、としか言いようが無かった。彼はたったの一歩の前進でほぼ3メートル近い間合いを詰めると、跳躍気味の前進が生んだ推力と体重をすべて凶器の先端に集約させ、一人の喉にぶつけた。

 突き刺したのは片手持ちのアイスピック。ナイフのような殺傷力は持たないが、刃物よりも出血が目立ちにくいため凶器として用いられる例も。ちなみに今回用いられたこれは百円ショップで入手した激安品だ。


 ――――人間は欠陥動物である。
 たった税抜き100円、小学生のお小遣いで人は死ぬのだ。



 悪漢の喉にアイスピックを刺すと、闇の男は(※)入身からの反転動作で相手の姿勢を崩し、内部階段側から死角となる男子トイレ入口へと相手を転がす。


 ((※再掲):入身=武術用語。大雑把に相手の間合いに大きく踏み込む動き。相手の懐に入り込むか、相手の側面後ろに入り込む事を目的とする場合が多い。)


 その電光石火の速さの前に、何が起こったかわからずにいたもう一人の男であるが、ここでようやく怒声をあげようとした。

 闇の男はそれよりも更にはやく、左手に持ったハンカチで悪漢の口を塞いだ。ハンカチに染みこませたクロロフォルムが口と鼻を突き、即失神とはいかないまでも立ちくらみのような感覚を相手に与える。

 その隙を見逃さず闇の男は悪漢の背後を取り、スリーパーホールドの態勢のまま同じく男子トイレ近くの死角となる空間へ悪漢を引きずり込む。

(くたばれ)
 そして――――ゴギリ。悪漢の頸椎が大きくズレ、損傷する鈍い音が鳴った。


 手始めに二人。闇の男は自分の潜伏していた廊下清掃用の用具入れのロッカーに男の死体を詰め、隠す。もう一人は手洗い場にあった雑巾を拾い、喉にアイスピックを刺した血の跡が続かないように抑えながら男子トイレに引きずり込み、個室の――――いや具体的には洋式便座の中に頭を突っ込ませて捨てた。

 死体の隠ぺいを終えた闇の男は二階男子トイレの掃除用具置き場を開ける。モップ、青いポリバケツ、トイレの詰まりを取るためのプランジャー、カビ取り剤……それらの中に混ざった包みの一つを開ける。

 一見してトイレ清掃用具の仲間に見えたその包みの中には、一振りの刀剣が隠してあった。鞘からは漆黒の柄と鍔が覗いており、一見すれば日本刀剣類のように見えたが、それにしては打刀よりも若干短く、幅は刀にしてはやけに広い事が鞘からも判り、鞘も黒い布製のシースで、おおよそ日本刀としては不自然だった。



 鞘付きの刀剣には革ベルトが通してあり、彼はそれを腰に巻くと男子トイレを出る。それから、慌ても走りもせず、自然な歩行速度で非常階段のドアを開けた。

「ん……なんだ……?」
 悪漢の一人がそれを見たが、薄緑色の清掃服を着た男は格好こそ浮いていたものの、日常と全く変わらない動作で非常階段へと出ていったために、大声で呼び止める事を忘れてしまった。

 悪漢は訝しみながらも、シースナイフを片手に清掃服の男を追う。扉を開けて真っ先に見たのは上階に繋がる階段側。その踊り場付近を見ると、仲間の一人が倒れている事に気が付いた。


「オイッ……!」
 悪漢の男が驚きの声をあげた直後、彼の片足は後ろから蹴り飛ばされた。

 潜んでいた用務員の男が背後を取って悪漢の膝裏を蹴り飛ばし、右手でナイフを制しながらヘッドロック――――からの逆DDTを実行。男は半ばブリッジ状態、かつ首を抱えられた状態で1メートル近い急降下を強いられると、後頭部からコンクリートの上に落ちた。

 激突衝撃に加え、二人の成人男性の体重と落下によって生まれるエネルギーが、頭部と頸椎に集中した。

 それは確かに欠陥動物ニンゲンを不可逆な破壊たらしめるのに十分な衝撃で、それ以上の追い討ちの必要さえもない。

 速やかに立ち上がった用務員の男が悪漢を冷たく見下ろすと、彼が首と後頭部を損傷し痙攣状態に陥っているのを確認した。


 確認が終わると既に悪漢に対する関心は失われ、用務員の男は非常階段から地上の様子を一瞥していた。体育館側が騒がしい、割られたガラスから何人かが侵入し、中で戦闘が起きているようだ。


「善戦しているのか……――――?」


 若い男子生徒や中年男性の怒声が微かに聴こえて来る。一方的な虐殺にしては妙だ、ある程度パワーバランスの保たれた戦いが繰り広げられていると推察する。

 連中とやり合っている民間人がいるというのなら、加勢してやりたい気持ちは十分あるが……最優先には出来ない。


 今は体育館側に対する情を捨て、階段の上側を見る。

 痕跡から察するに――――彼女たちは恐らく、体育館側の様子を見て地上に降りる事を断念、上階へと逃げその途中、格闘戦を踊り場で行った。この様子を見るには無事勝ったらしい。
 血の量も少ない。重大な刀傷もないまま上に行けたはずだ。


 用務員は既に戦闘不能となっている二人の悪漢にトドメを刺しながらカスミを追う。


 上階の扉を開けると、やはりそこには地獄が広がっていた。凌辱された少女たち、達磨になるまで切り刻まれた男子生徒、教室から聴こえて来る少年少女の悲鳴、悪漢たちの罵声、金属バットが骨を叩く鈍い音……骨の砕ける音……。


 だが、”やはり”だ。

 凶暴さでそれを隠そうとしているが、明らかに敵の制圧速度が弱まっている。1階、2階、3階、加え体育館、戦力をかなり分散し、わざわざ女子生徒を犯して回るような労力を割いているのだ。上階にはまだ数人の暴漢が入口近くの教室で暴れているだけで、非常階段側近くの教室には数名の男女生徒が震えて犠牲の順番を待っている。



「…………いやッ! やめて!!」

 ――――その時だった。男子トイレ側から物音と共に、女性の悲鳴が聴こえたのは。この異常状況下でその悲鳴は最早珍しいものですらなく聞き流す可能性さえもあったが、清掃員姿の男は決してそれを聞き逃さなかった。

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