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第参章 - 焔魔王は異形の剣と躍る -
021話「処刑人は命を嗤う」
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『高雅高校防衛戦:7』
第21話「処刑人は命を嗤う」
三階の男子トイレの中でカスミは今まさに貞操の危機にあった。
碇は男性の膂力にものを言わせカスミを抑えつける。彼は既にズボンを脱ぎ下着一枚となっており、トランクスからは今にも凶暴な獣が飛び出してきそうで、その先端は暗い色の染みを作っている。
「やだ! やだ!」
「頼む! 広瀬! ちゃんと付き合うって約束するから!!」
碇は決死の形相でカスミの雌肉を求める。その目には恐怖と狂気が同時に宿っており、死を覚悟した彼は死に際に種を残さんとする生物としての本能に憑りつかれている。それは霊能者が誰かの背中に見る動物霊だとか低級霊だとかより、ずっと恐ろしく野蛮な憑き物だ。
――――人間は欠陥動物である。
こんなにも容易くに恐怖と本能に屈し、知性と人道を捨てた醜悪な獣へと成り下がってしまうのだから。
「やだ! お願い! やめて!」
カスミが涙ながらに訴える。本能に憑りつかれた碇は手を止める事をせず、カスミのスカートの金具に手をかけ、金具が壊れるほど強引に引きずり下ろす。
その勢いで彼女の履いていたライムグリーン色のパンツが途中まで引きずり降ろされてしまう。その乱暴な手つきによって彼女の腰には赤いひっかき傷が生じた。誰にも見せた事のない彼女のアンダーヘアが一部露出し、獣の情欲を更に駆り立てる。
まだ最も大切な所は触れられていない、見られていない。だがそこが押し広げられ、獣の肉槍が膜を突き破ってしまうのはもう時間の問題だった。
「ハァー! ハァー! もうだめだ! 頼む広瀬! 」
碇はそう叫ぶと染みになって濡れた自身の下着を脱ぐと、その勢いで獣槍がプルンと震えて飛び出した。
――――それは禍々しい存在だった。
人と呼ぶには余りに暴力的な造詣をしていた。事実、それは槍や剣、銃などに例えられた。そう例えられたのは、人の心を破壊する機能を有している事を、即ちそれによって他者を深く傷つける事が可能で、凶器等しい存在であると、口に出さずとも誰もが内心に知っていたからだ。
されど、武器と呼ぶには余りに歪で、完全さを欠いていた。桃色の槍の穂先は形が整っておらず露出は不完全、また、槍の形状も完全な直線ではない。つまり若干の湾曲および変形が見られた。
実際に刀や槍と渡り合うだけの硬度や間合いを有しているわけでもない。
ただただ歪で不完全で、禍々しかった。
獣の槍には血が集まり、常に脈打ち、穂先から涎を垂らしながら槍全体を常にヒクヒクと小さく上下させている。
まるで”それ”自体が、暴力の意志を持つ穢れた地獄の魔物のようにさえ見えた。
「見てくれ広瀬、俺、もうこんなに……!」
碇は股間に吊り下げた先端の露出しきっていない獣槍を小刻みに跳ねさせ、少女の肉を求めようとする。手洗い場を一歩出ればそこには死と尊厳の蹂躙が荒野のように広がっているにも関わらず、理性の吹き飛んだ瞳は情欲によってギラギラと輝いていて、その輝きの中には確かな狂気が宿っていた。
「嫌! 見たくない! しまって!」
カスミが必死に目線を逸らす。碇は多量のアドレナリンによって体の痛みも忘れ、少女の未通の肉の宮に辿り着こうと、彼女の足の間に割って入ろうとする。
「やだ! やだ! やだ! ……嫌! やめて!」
せめてもの抵抗で股と瞼をギュっと閉じた時、少女の瞳から涙が小さく零れた。
――――自身の心身が破壊される窮地に陥った瞬間のことだった。カスミの脳裏に、幼少時の頃の思い出が走馬燈のように過ぎったのは。
良い人生を送りなさい。
幼稚園の頃、母が自分にそう言ったのを微かに記憶している。
母のように、いい女性になりなさい。小学生の頃、父は自分にそう言った。
いいお母さんになれるわ。中学生の頃、料理の腕前を披露した時に叔母が言ってくれた。
良い人生ってどういう事?
いい女の人になるってどういうこと?
脳裏に浮かんだのは、家族で水族館に行ったある幼い日、イルカショーの直後に母が目の前で倒れた瞬間の景色。
お母さんのように。
――――それはつまり、私もお母さんのように早死にするってこと?
わからない。
でもわたしが望んでいるのは、絶対にこういう事じゃない。
”はじめて”がこんなのなんて、絶対に嫌だ。
嫌だ。
パニックで意識が遠のきながらも、カスミは泣き叫んだ。
「誰か助けて! おばさん……! ……パパ……!」
結局、カスミが最後に助けを求めたのは神でも仏でもなかった。
それは、いつだって自分の味方でいてくれる、大好きなおばさん。
そして、ぜんぜん家に帰って来ないお父さん。
でも本当は、好き。
その声が天に届く事はなかった。
人の道を外れた獣が残虐を尽くすこの地獄で
少女の叫びに耳を傾ける者はどこにもいるはずがない。
いいや、一人だけいたのだ。
彼女の声を世界でたった一人拾い上げたその者は、地獄の中にあって死を統べ、死の頂の上に絶対的に君臨する恐るべき存在であった。
「判った」
乙女の救いを求める声に二つ返事で応じた冥府の主が、腰に差した黒布の鞘に片手を添え、流水のように滑らかな抜刀を行った。
――――姿を現したそれは、異形の刀だった。
刃の性質においては西洋の山刀のような特性を五分持ちながらも、その全体的な形状、山刀には存在しえない刀を模した柄、そして鍔の存在……日本刀としての特性も同時に五分備えていた。
しかし、それは日本刀ではなかった。日本刀のようでありながら――――。
鎬や鎬筋に相当する部位が存在せず、刃文一つさえもない。死がもたらす永遠の虚無の闇を表現するかのような暗黒の刃を持っている。
美術品としても評価される日本刀と異なり、暗黒の刃はただただ無骨、ただ粗暴。日本刀の「影」だけをそのまま鉄の板にしたような代物で、50年、100年と後の世代にまで受け継いでゆく事を考慮した刃には到底見えない。
実際、その証左として「悪ト共ニ滅ビ 罪ト共ニ滅ブ」の一文が、使い手の決意として刃に小さく刻まれていた。
異形の刀は例え敵の命ごと刀の命が折れ、滅び、そして骸と共に雨と風を浴び、風化する事さえ本望として一切厭う事が無い。
それは職人の携わらぬ量産品。機械のように無機質であり、しかし同時に一切の妥協や揺らぎを持たぬ、強烈すぎる漆黒の意志を持った暗黒の剣、それが――――。
・コールドスチール社 量産型 山刀刃 特殊西洋██刀「罪滅」
コールドスチール社のタクティカル・ワキザシ・マチェットをベースにした注文打ちマチェット。ブレードレングス46センチ、通常版販売価格54.99米ドル。
マチェットと日本刀、両方の特性を備え、鍔がついている特殊な刀剣。工業品のため新規の追加調達、戦地での使い捨てが容易。
無間のものには「罪滅」の銘と共に、「悪ト共ニ滅ビ 罪ト共ニ滅ブ」の一文が刻まれている。
抜刀した「罪滅」を持つ男の瞳は、この刀と同じように、光を通さぬ暗い虚無を湛えていた。
そして、彼は虚無の刃を振るった。古より続く影の技術と共に――――。
期待していた、でも正直返って来ると思わなかった返事が返ってきた後に彼女が聴いたのは、太いゴムの束が一斉に千切れるような破裂音だった。
少女の経験では、それが何の音かはわからなかった。
「アアアッ!」
直後、碇が便座の前の地面に片膝をつくと獣のような悲鳴をあげた。何が起こっているのか、少女にはわからなかった。それが恐ろしかった。
当人である碇にさえも何が起こっているのかわからなかった。だが、実際にはとても恐ろしい事が起こっていた。
冥府の主は、どこからともなく二人が詰めている個室トイレの前に立つと、便所で膝を地につけることも一切躊躇せず、片膝をつきながら「罪滅」を超低空、地面に設置するギリギリの高度で振るった。
狙ったのは、トイレ個室のドアの下の隙間。そこから見える、男の足首。
――――より精確に答えるならば、アキレス腱。
冥府の主は、アキレス腱一本の生贄では到底満足しなかった。
悲鳴をあげて膝を着く碇のもう片方のアキレス腱を、同じ手筈で、超低空の下段斬りによって切断した。
アキレス腱の切れる際の、張り切ったゴムの束が一斉に弾けるような音と共に碇は再び悲鳴をあげた。
冥府の主は、アキレス腱たった二つの生贄程度で到底満足しなかった。
罪人から歩行手段を奪った冥府の主は「罪滅」を鞘にさえ戻さず床に落とした。が、彼の裁きはそこで終わっていない。男はその膂力で扉を懸垂し、真上によじ登った。
カスミはトイレの個室の極めて狭い隙間から、這い出るようにして侵入してくる冥府の主の姿を目にした。あまりに印象が違うため、彼女はその男と初対面ではない事に気付けなかった。
彼は憤怒に燃える閻魔大王の如き恐ろしい形相で、生命力の弱い者であれば心停止を起こしてしまうほどの壮絶な殺気を全身から放っている。
だというのに、男の瞳には光というものが、命というものが感じられなかった。口元には憎悪にも似た憤怒が、瞳には黒いコールタールのような、輝きを一切持たぬ虚無が――――二つの相反する、分裂した感情が一つの顔に同居していた。
どのような人生を送れば人間はこのような顔つきになるのか、今日まで比較的普通の少女として生きて来たカスミには想像もつかない事だった。
殺気の片鱗に触れたカスミの脳は即座に死を想像し、彼女の下着は小さな染みを作った。彼女本人の意思とは関係なく、彼女の肉体と遺伝情報が虚無に還る事を防ごうとする自衛行動だった。
殺気を直接、その首筋に受けた碇はその場で達した。振り返る事ができなかったが、アキレス腱切断の痛みと、首筋に感じた殺気の強烈さはそれほどのもので、彼に即、死を覚悟させた。
命尽きる前に種を残さんと、その勢いたるや死を目前にした鮭のようだったが、吐きだされた彼の命の源は一粒としてカスミの体には届かず、すべて便所のタイル床の隅に零れた。
「言い残す事は――――いやいい、地獄で聞こうか」
男の憤怒の表情が一瞬だけ、退屈そうな造った薄ら笑いに変わった。
子供が暇つぶしに蟻を踏み殺すような、相手の命を軽んじる笑みであった。少女はその一瞬の表情を、確かに目撃したのだ。
(あ。――――わたし、死んじゃうんだ)
男の瞳は、殺気は、表情の移ろいは。男を構成するそのすべては少女の理解を越えていた。例えばそれは自身に向けられた感情ではなかったのに、カスミはこれから自分が殺されるのだと思い込んだ。
死を強く意識して感じたのは、絶壁から、暗い虚無の海に向かって突き落とされるような感覚。自分という存在が、この世界から消え去ってしまうような、そういう錯覚――――。
(ああ、そうなんだ)
お母さんは……この向こうに行っちゃったんだ…………。
そんな彼女の心の揺らぎには構わず、冗談めかした冥府の主はまた憤怒の表情を”造り直す”と、若者の背骨の上へと乱暴に降り立った。
・夜陰流 中伝「処刑型」 『急降下爆撃蹴』
『衰弱、あるいは捕縛によって行動不能となっている敵に向かって、高所からの蹴り込みによって確実に殺害後、落下の衝撃を和らげるために受け身を取り、離脱する。』
(注釈:大日本帝國海軍に所属していた夜陰流の使い手が戦時中に考案した技。敵が十全の状態では有効となりにくい為、見せしめとして行う、捕虜や囚人に対する処刑専用技とされている。)
這い出した冥府の主は、軍靴の記憶の中に眠りし偉大なる殺人術を躊躇いなく振るった。急降下爆撃蹴り――――夜陰流の使い手の中でさえ使用者の少なくなった技が、その日実戦で再び用いられた。その新たなる闇の伝説の瞬間に、何も知らぬ一人の少女が立ち会った。
60キロ半ばを超える男性が飛び降りからの蹴りを放つと、その蹴りと落下衝撃によって碇の全身を支える背骨がヒビ入った。
衝撃に耐えかねた碇は大きく顔から落ちたが、便座が障害物となって顔を打ち付けた。前歯が折れ砕け、上顎の肉に破片が突き刺さる。刺さりきらなかった破片が喉に落ちようとする時、冥府の主の落下衝撃、主の重量、便座への激突衝撃の残りの破壊エネルギーが首に向かって集中した。
キャメルクラッチでもかけられたように逆方向に反った碇の首は、ある段階で耐久限界を超え、
折れた。
骨の砕ける鈍い音が蝉の鳴き声に覆いかぶさった時、それが哀れな少年の最期だった。
第21話「処刑人は命を嗤う」
三階の男子トイレの中でカスミは今まさに貞操の危機にあった。
碇は男性の膂力にものを言わせカスミを抑えつける。彼は既にズボンを脱ぎ下着一枚となっており、トランクスからは今にも凶暴な獣が飛び出してきそうで、その先端は暗い色の染みを作っている。
「やだ! やだ!」
「頼む! 広瀬! ちゃんと付き合うって約束するから!!」
碇は決死の形相でカスミの雌肉を求める。その目には恐怖と狂気が同時に宿っており、死を覚悟した彼は死に際に種を残さんとする生物としての本能に憑りつかれている。それは霊能者が誰かの背中に見る動物霊だとか低級霊だとかより、ずっと恐ろしく野蛮な憑き物だ。
――――人間は欠陥動物である。
こんなにも容易くに恐怖と本能に屈し、知性と人道を捨てた醜悪な獣へと成り下がってしまうのだから。
「やだ! お願い! やめて!」
カスミが涙ながらに訴える。本能に憑りつかれた碇は手を止める事をせず、カスミのスカートの金具に手をかけ、金具が壊れるほど強引に引きずり下ろす。
その勢いで彼女の履いていたライムグリーン色のパンツが途中まで引きずり降ろされてしまう。その乱暴な手つきによって彼女の腰には赤いひっかき傷が生じた。誰にも見せた事のない彼女のアンダーヘアが一部露出し、獣の情欲を更に駆り立てる。
まだ最も大切な所は触れられていない、見られていない。だがそこが押し広げられ、獣の肉槍が膜を突き破ってしまうのはもう時間の問題だった。
「ハァー! ハァー! もうだめだ! 頼む広瀬! 」
碇はそう叫ぶと染みになって濡れた自身の下着を脱ぐと、その勢いで獣槍がプルンと震えて飛び出した。
――――それは禍々しい存在だった。
人と呼ぶには余りに暴力的な造詣をしていた。事実、それは槍や剣、銃などに例えられた。そう例えられたのは、人の心を破壊する機能を有している事を、即ちそれによって他者を深く傷つける事が可能で、凶器等しい存在であると、口に出さずとも誰もが内心に知っていたからだ。
されど、武器と呼ぶには余りに歪で、完全さを欠いていた。桃色の槍の穂先は形が整っておらず露出は不完全、また、槍の形状も完全な直線ではない。つまり若干の湾曲および変形が見られた。
実際に刀や槍と渡り合うだけの硬度や間合いを有しているわけでもない。
ただただ歪で不完全で、禍々しかった。
獣の槍には血が集まり、常に脈打ち、穂先から涎を垂らしながら槍全体を常にヒクヒクと小さく上下させている。
まるで”それ”自体が、暴力の意志を持つ穢れた地獄の魔物のようにさえ見えた。
「見てくれ広瀬、俺、もうこんなに……!」
碇は股間に吊り下げた先端の露出しきっていない獣槍を小刻みに跳ねさせ、少女の肉を求めようとする。手洗い場を一歩出ればそこには死と尊厳の蹂躙が荒野のように広がっているにも関わらず、理性の吹き飛んだ瞳は情欲によってギラギラと輝いていて、その輝きの中には確かな狂気が宿っていた。
「嫌! 見たくない! しまって!」
カスミが必死に目線を逸らす。碇は多量のアドレナリンによって体の痛みも忘れ、少女の未通の肉の宮に辿り着こうと、彼女の足の間に割って入ろうとする。
「やだ! やだ! やだ! ……嫌! やめて!」
せめてもの抵抗で股と瞼をギュっと閉じた時、少女の瞳から涙が小さく零れた。
――――自身の心身が破壊される窮地に陥った瞬間のことだった。カスミの脳裏に、幼少時の頃の思い出が走馬燈のように過ぎったのは。
良い人生を送りなさい。
幼稚園の頃、母が自分にそう言ったのを微かに記憶している。
母のように、いい女性になりなさい。小学生の頃、父は自分にそう言った。
いいお母さんになれるわ。中学生の頃、料理の腕前を披露した時に叔母が言ってくれた。
良い人生ってどういう事?
いい女の人になるってどういうこと?
脳裏に浮かんだのは、家族で水族館に行ったある幼い日、イルカショーの直後に母が目の前で倒れた瞬間の景色。
お母さんのように。
――――それはつまり、私もお母さんのように早死にするってこと?
わからない。
でもわたしが望んでいるのは、絶対にこういう事じゃない。
”はじめて”がこんなのなんて、絶対に嫌だ。
嫌だ。
パニックで意識が遠のきながらも、カスミは泣き叫んだ。
「誰か助けて! おばさん……! ……パパ……!」
結局、カスミが最後に助けを求めたのは神でも仏でもなかった。
それは、いつだって自分の味方でいてくれる、大好きなおばさん。
そして、ぜんぜん家に帰って来ないお父さん。
でも本当は、好き。
その声が天に届く事はなかった。
人の道を外れた獣が残虐を尽くすこの地獄で
少女の叫びに耳を傾ける者はどこにもいるはずがない。
いいや、一人だけいたのだ。
彼女の声を世界でたった一人拾い上げたその者は、地獄の中にあって死を統べ、死の頂の上に絶対的に君臨する恐るべき存在であった。
「判った」
乙女の救いを求める声に二つ返事で応じた冥府の主が、腰に差した黒布の鞘に片手を添え、流水のように滑らかな抜刀を行った。
――――姿を現したそれは、異形の刀だった。
刃の性質においては西洋の山刀のような特性を五分持ちながらも、その全体的な形状、山刀には存在しえない刀を模した柄、そして鍔の存在……日本刀としての特性も同時に五分備えていた。
しかし、それは日本刀ではなかった。日本刀のようでありながら――――。
鎬や鎬筋に相当する部位が存在せず、刃文一つさえもない。死がもたらす永遠の虚無の闇を表現するかのような暗黒の刃を持っている。
美術品としても評価される日本刀と異なり、暗黒の刃はただただ無骨、ただ粗暴。日本刀の「影」だけをそのまま鉄の板にしたような代物で、50年、100年と後の世代にまで受け継いでゆく事を考慮した刃には到底見えない。
実際、その証左として「悪ト共ニ滅ビ 罪ト共ニ滅ブ」の一文が、使い手の決意として刃に小さく刻まれていた。
異形の刀は例え敵の命ごと刀の命が折れ、滅び、そして骸と共に雨と風を浴び、風化する事さえ本望として一切厭う事が無い。
それは職人の携わらぬ量産品。機械のように無機質であり、しかし同時に一切の妥協や揺らぎを持たぬ、強烈すぎる漆黒の意志を持った暗黒の剣、それが――――。
・コールドスチール社 量産型 山刀刃 特殊西洋██刀「罪滅」
コールドスチール社のタクティカル・ワキザシ・マチェットをベースにした注文打ちマチェット。ブレードレングス46センチ、通常版販売価格54.99米ドル。
マチェットと日本刀、両方の特性を備え、鍔がついている特殊な刀剣。工業品のため新規の追加調達、戦地での使い捨てが容易。
無間のものには「罪滅」の銘と共に、「悪ト共ニ滅ビ 罪ト共ニ滅ブ」の一文が刻まれている。
抜刀した「罪滅」を持つ男の瞳は、この刀と同じように、光を通さぬ暗い虚無を湛えていた。
そして、彼は虚無の刃を振るった。古より続く影の技術と共に――――。
期待していた、でも正直返って来ると思わなかった返事が返ってきた後に彼女が聴いたのは、太いゴムの束が一斉に千切れるような破裂音だった。
少女の経験では、それが何の音かはわからなかった。
「アアアッ!」
直後、碇が便座の前の地面に片膝をつくと獣のような悲鳴をあげた。何が起こっているのか、少女にはわからなかった。それが恐ろしかった。
当人である碇にさえも何が起こっているのかわからなかった。だが、実際にはとても恐ろしい事が起こっていた。
冥府の主は、どこからともなく二人が詰めている個室トイレの前に立つと、便所で膝を地につけることも一切躊躇せず、片膝をつきながら「罪滅」を超低空、地面に設置するギリギリの高度で振るった。
狙ったのは、トイレ個室のドアの下の隙間。そこから見える、男の足首。
――――より精確に答えるならば、アキレス腱。
冥府の主は、アキレス腱一本の生贄では到底満足しなかった。
悲鳴をあげて膝を着く碇のもう片方のアキレス腱を、同じ手筈で、超低空の下段斬りによって切断した。
アキレス腱の切れる際の、張り切ったゴムの束が一斉に弾けるような音と共に碇は再び悲鳴をあげた。
冥府の主は、アキレス腱たった二つの生贄程度で到底満足しなかった。
罪人から歩行手段を奪った冥府の主は「罪滅」を鞘にさえ戻さず床に落とした。が、彼の裁きはそこで終わっていない。男はその膂力で扉を懸垂し、真上によじ登った。
カスミはトイレの個室の極めて狭い隙間から、這い出るようにして侵入してくる冥府の主の姿を目にした。あまりに印象が違うため、彼女はその男と初対面ではない事に気付けなかった。
彼は憤怒に燃える閻魔大王の如き恐ろしい形相で、生命力の弱い者であれば心停止を起こしてしまうほどの壮絶な殺気を全身から放っている。
だというのに、男の瞳には光というものが、命というものが感じられなかった。口元には憎悪にも似た憤怒が、瞳には黒いコールタールのような、輝きを一切持たぬ虚無が――――二つの相反する、分裂した感情が一つの顔に同居していた。
どのような人生を送れば人間はこのような顔つきになるのか、今日まで比較的普通の少女として生きて来たカスミには想像もつかない事だった。
殺気の片鱗に触れたカスミの脳は即座に死を想像し、彼女の下着は小さな染みを作った。彼女本人の意思とは関係なく、彼女の肉体と遺伝情報が虚無に還る事を防ごうとする自衛行動だった。
殺気を直接、その首筋に受けた碇はその場で達した。振り返る事ができなかったが、アキレス腱切断の痛みと、首筋に感じた殺気の強烈さはそれほどのもので、彼に即、死を覚悟させた。
命尽きる前に種を残さんと、その勢いたるや死を目前にした鮭のようだったが、吐きだされた彼の命の源は一粒としてカスミの体には届かず、すべて便所のタイル床の隅に零れた。
「言い残す事は――――いやいい、地獄で聞こうか」
男の憤怒の表情が一瞬だけ、退屈そうな造った薄ら笑いに変わった。
子供が暇つぶしに蟻を踏み殺すような、相手の命を軽んじる笑みであった。少女はその一瞬の表情を、確かに目撃したのだ。
(あ。――――わたし、死んじゃうんだ)
男の瞳は、殺気は、表情の移ろいは。男を構成するそのすべては少女の理解を越えていた。例えばそれは自身に向けられた感情ではなかったのに、カスミはこれから自分が殺されるのだと思い込んだ。
死を強く意識して感じたのは、絶壁から、暗い虚無の海に向かって突き落とされるような感覚。自分という存在が、この世界から消え去ってしまうような、そういう錯覚――――。
(ああ、そうなんだ)
お母さんは……この向こうに行っちゃったんだ…………。
そんな彼女の心の揺らぎには構わず、冗談めかした冥府の主はまた憤怒の表情を”造り直す”と、若者の背骨の上へと乱暴に降り立った。
・夜陰流 中伝「処刑型」 『急降下爆撃蹴』
『衰弱、あるいは捕縛によって行動不能となっている敵に向かって、高所からの蹴り込みによって確実に殺害後、落下の衝撃を和らげるために受け身を取り、離脱する。』
(注釈:大日本帝國海軍に所属していた夜陰流の使い手が戦時中に考案した技。敵が十全の状態では有効となりにくい為、見せしめとして行う、捕虜や囚人に対する処刑専用技とされている。)
這い出した冥府の主は、軍靴の記憶の中に眠りし偉大なる殺人術を躊躇いなく振るった。急降下爆撃蹴り――――夜陰流の使い手の中でさえ使用者の少なくなった技が、その日実戦で再び用いられた。その新たなる闇の伝説の瞬間に、何も知らぬ一人の少女が立ち会った。
60キロ半ばを超える男性が飛び降りからの蹴りを放つと、その蹴りと落下衝撃によって碇の全身を支える背骨がヒビ入った。
衝撃に耐えかねた碇は大きく顔から落ちたが、便座が障害物となって顔を打ち付けた。前歯が折れ砕け、上顎の肉に破片が突き刺さる。刺さりきらなかった破片が喉に落ちようとする時、冥府の主の落下衝撃、主の重量、便座への激突衝撃の残りの破壊エネルギーが首に向かって集中した。
キャメルクラッチでもかけられたように逆方向に反った碇の首は、ある段階で耐久限界を超え、
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