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第四章 ‐ 裏切者は誰だ ‐

044話「わりとヒマな閻魔大王の壱日:1」

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第44話「わりとヒマな閻魔大王の壱日:1」


 影の戦士の朝は遅い。いや、皆がそういうわけではないが、筒井 清壱の朝は遅い事が多い。カプセルベッドのコンセントに繋いだスマートフォンのアラームを音聴き、機嫌悪そうにそれを止めると転がり落ちるように外へ這い出る。

 サっとシャワーを浴び、服を着替える。青いカーゴパンツに上は黒いTシャツ一枚、今日は「Tactical Armored Machine Soldier T.A.M.S」と英語で書かれたシャツで、後ろにはアニメロボットのシルエットが描かれている。……そう、今日はロボットアニメのTシャツだ。

 清壱は洗濯物を無料コインランドリーに突っ込むと食堂に向かう。エレベーターを待つ間にスマートフォンの天気情報を見る、今日は快晴、暑い一日になりそうだ。
 既に時刻は昼。彼はようやく本日初の食事を行う訳であるが、昼は非常に小食で、梅おにぎりとバナナが一つずつ、それとビーフジャーキー。それに飲み物としてお茶。

 月照支部に顔をよく出す職員たちが食堂に集まり食事を摂る中、清壱はできるだけ隅の席に座って実質的な朝食を取る。
 これでも師範クラスの実力と地位があるので通りすがる者たちの中には彼に挨拶をする者も少なくはないが、彼本人は一人の時間を大事にしている。一応挨拶されれば返すものの、その日もイヤホンを耳に音楽を聴き、スマートフォンで電子書籍や漫画を読んだり、あとは外国や他組織の知人とネット上で交流したり。まあ、そんな事をしながら梅おにぎりを口へと運ぶのだ。

 食堂の列に並ぶカスミが、そんな清壱の半プライベートな姿を見つけるとそれをボウっと眺めていた。
「次の方どうぞー」
「はーい」
 食堂の調理師の呼びかけに向き直ったカスミが返事し、注文カウンターへと向かった。今日こそは期間限定のオムハヤシ定食を食べてみようと思う。



 ◆


 食事を終えた清壱は、今度は洗濯物を衣類乾燥機に放り込む。
「あ、こんにちは。ええと……筒井さん」
 その隣に一人の少女が立つと、彼女は見知った顔に挨拶する。清壱は彼女の顔をよく知っている、なにしろ付き合いの長い広瀬先生の娘さんで、この間も彼女を助けたばっかりだ。

 どうも、こんにちは。と清壱は愛想よく返す。横に立つカスミも洗濯機の中の衣類を隣の衣類乾燥機に放り込んでいた。

「ここの暮らしで、困った事とかわからない事はありませんか」
「あ、はい、大丈夫です。ありがとうございます」
「困った事があれば私でも、月照師範……有澤先生や、卜部さんでも、誰でもいいので相談してください。出来る事があるかもしれないので」
「はい、ありがとうございます」

 清壱の側の衣類乾燥機が作動し始めると、彼は会釈してその場を離れる。

「……」
 カスミはその背中を不思議そうに眺めていた。このビルで暮らして数日になるが、その間に見た清壱……無間はいつも親切で優しい感じの人という印象を受ける。ただ、クラスメイトの碇や悪い人を大勢殺したのもあの人のはずで、そういう彼の事は内心恐ろしい。

 カスミに対しては一貫して親切で優しい人で……嫌いではない、良い人のようにも思える。叔母の今日も彼の事を「本当は凄く良い人」と言っていた。叔母がそう言うのだから、間違いないのだろう。ただ、何を考えている人なのかはよくわからない。

 無間とは、筒井 清壱とは何者なのだろう? そんな疑問が日に日にカスミの心の中で強まっていくが、既に彼は彼女の視界から消えてしまっている。
「あの人……良い人……なのかな……?」
 カスミは呟くとランドリーの方に向き直り、衣類乾燥機の扉を閉じてスイッチを入れた。


 ◆


 衣類が乾くまでの間、清壱は地下3階の射撃場に向かった。射撃用イヤーマフをつけた清壱がターゲットに向かって拳銃の引き金を引く。
 地下は一個上のトレーニングエリアにまで微かに音が聴こえるほどで、チェチェン紛争MX4D爆音上映でもしているかのようなやかましさだ。イヤーマフをつけずに一日中ここにいたら耳がおかしくなってしまうだろう。


 日々谷警備の社員が自社保有の銃火器をぶっ放して楽しむレーンの横で、清壱もまた実弾射撃の歓びを噛みしめる。
 最初に手にし撃ったのは小型のリボルバーで、黒くマットな質感を伴っている。

 ――――S&W社「M360JY MOMIJI (モミジ)」。日本の警察用拳銃として有名なニューナンブ・リボルバー、その後継として採用されたリボルバー「M360J SAKURA」。日本警察の法執行用にカスタムされたそのM360を、更に夜陰流の要求に応じて改変を加えている。

 ランヤードリングの付属など全体的な傾向は「SAKURA」に近いものの、安価なステンレス鋼を用いるSAKURAと異なって、元モデルとなったM360と同様シリンダーをチタン製に戻しており、その分日本警察よりアドバンテージを持っている。

 使用弾薬も.38スペシャル+Pを使用、理論上は.357マグナムの射撃にも「MOMIJI」のチタンシリンダーなら耐えられる――――撃った人間が反動に耐えられるかは別として。また、フロントサイトにはチューブファイバーによるナイトサイトが装備されている。


 机上に置かれたタイマーがブザー音と共に発光すると同時、清壱はランヤード付きのサクラ・リボルバーを素早くドロウし、ウィーバースタンスの状態から5発を連続で撃ちだす。

 15メートル先に置かれた紙製マンターゲットの頭部には二つの穴が開いた。右胸にも穴が一つ、残り二発は外れていた。それを見て清壱は鼻から息を吐く。

 日本国の全体的な治安と法執行環境を鑑みれば、サクラ・リボルバー自体は決して悪いリボルバーではない。流派の要求に応じてカスタムされ、性能向上したモミジ・リボルバーならば尚更である。

 しかし、清壱自身はこれを「メインアームズ」として使う事が余り好きではない。コンシールドキャリー用の最低限の護身として。また暗器として、格闘戦時の奥の手としても大変優れており、その点においては清壱としても大変これを評価している。

 ただしこれを所謂主力銃として見た場合には、強力な軍用ハンドガンと比較するとスナブノーズによる射程の短さ、五発という少ない装弾数。.38スペシャル弾では9ミリパラベラムに大きく殺傷能力で劣り、.357マグナムを使った場合は逆に一発で肩が外れかねないという、構造・設計上止むを得ない劣悪な反動も抱えている。

 長所も多いが、決してグロックのようにこれ一丁であらゆる状況に対応出来るとか、そういう類の拳銃ではない事を知るが故の考えだった。


 本銃を扱う際はランヤードの使用が規定によって強制されているのも良くない。だが火遁術の解禁がされた際、流派の規定上、最も早く使用許可の出る銃火器がこの「モミジ・リボルバー」である事を清壱はよく知っている。だから多少の不都合があるとはいえ、この銃の射撃訓練をおろそかにするわけには行かなかった。特にこの、いつ火遁術の解禁命令が宗家から下るかわからない状況では――――。


 それからも右手、左手、構えもいくつか変えながら百発ほどの射撃訓練を行うとようやくモミジ・リボルバーに満足し、次の武器を手に取った。

 モミジ・リボルバーを置いて取ったのは、ポリマーフレームの目新しい形の自動拳銃だった。机上に置かれたタイマーがブザー音と共に発光するその瞬間、清壱は瞬時に拳銃をドロウ、アイソセレス・スタンスで連続発砲。清壱の拳銃が放った9ミリ弾は紙製マンターゲットの頭と胸部を次々貫通してゆく。これが生きた的だったら8度地獄に送ってもお釣りが出るはずだ。


「うむ、やはりこっちだな」
 マガジンの弾を使い切り清壱は一人頷く、彼がペットのように撫でるのは過去多数の傑作銃を製造した実績を持つSIG社のハンドガン、P320――の軍用モデル「M17」拳銃である。装弾数は9ミリモデルなら17発。
 M9拳銃の名で数十年アメリカ軍の正式拳銃として活躍したベレッタ92の後継として新たに採用されたこの拳銃は、アメリカ軍と水面下で繋がりのある影の一党が秘密裏に供与を受けている武器のうちの一つでもあった。

 国内活動ではなかなか使う機会に恵まれないのが残念だが、現代テクノロジーを豊富に使用している拳銃のため装弾数、拡張性に優れ、供与を受けている弾薬の性能も抜群に良い。

 ポリマーフレーム部分は極めて暗い色の臙脂色によってうっすらと赤みを帯びていて、グリップ部分も彼の手にフィットするように改良されてある。このM17は無間専用のカスタマイズが贅沢に施された逸品である。



 高雅高校を防衛したあの日、拾ったあれには実際助けられたが……この間撃った、銃本体も弾薬もどこで作られたコピー品か正体の知れぬブローニングハイパワーとはまるで違うのだ。


 拳銃をホルスターに収めた清壱が、次に手を取ったのは一丁のライフルである。アメリカ軍が採用しているM4カービンに酷似したアサルトカービンであるが少し違う印象も受ける。
 ベースはM4カービンであるが屋内戦や都市戦闘を想定したCQBレシーバー装備のため銃身は短い。他にもダットサイト、フォアグリップのほか、アメリカ軍特殊部隊向けの照準補助デバイスまで搭載されており、もはや元のM4とは別物といって良い。
 そう、俗に「Mk18」と呼ばれるライフル、アメリカ軍特殊部隊用である、


 清壱は自分専用のカスタムとカラーリングを施したMk18に30発弾倉を差し込み、セレクターをセミオートへ。チャージングハンドルを引いて初弾を装填、構えて……撃った。

 数発撃ち、セレクターをセミからフルオートに変えて、引き金を引く。雷の落ちたかのような凄まじい射撃音が屋内に残響する。心臓の弱い者なら当たっていなくとも、この音だけでビックリして死んでしまうかもしれない。

 残り20数発を撃ち尽くした清壱は的を見て、ひとりごち満足げに頷くのだ。机上には予備の弾倉がずらっと並んでいて、使っていい弾はまだまだある。


 あいにくビルの地下はそれほど広くないので、長距離の射撃練習や屋外練習をする際は米軍や自衛隊に土地を使わせて貰っているが……そもそもその悩みは贅沢すぎる。
 はっきりいって国内で実弾射撃をこんな存分楽しめる身分の者は警察はおろか、自衛隊員にさえもなかなかいない。
 Mk18に至っては影の者たちを除いては、日本人でこれに触れる者など皆無に限りなく近いだろう。それこそ特殊部隊向け、アメリカ軍のエリート中のエリートのみが持つ事を許されるライフルを撃つのはとにかく最高に贅沢で……それでいて最高に楽しいのだ。

 実弾射撃を存分に楽しみ終えた清壱は武器庫番の職員に銃器を返却し、代わりに今度は実弾射撃ゾーンの隅の……手裏剣専用射撃レーンに立った。こちらは伝統的に古畳が壁に立てかけられ、そこにマンターゲットの紙が貼ってある、古式ゆかしい……。

 清壱は棒手裏剣や六方、三方、旋盤などの様々な手裏剣を並べ吟味したが……腕時計の時刻が目に入った。

「いかん、服がそろそろ乾いている」
 そろそろ衣類が乾いているはずだ。清壱は広げたばかりの手裏剣たちを残念そうに見ながらも、その片づけを開始した。

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