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黒への分かれ道

第二章:6話  『振動の神童』

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 午後の授業も終わり、学園での一日が過ぎようとしていた。今日一日散々な目にあった。朝はリリィに振り回されて、朝の遅刻が原因で次は昼近くに避難訓練、さらに午後は冷やかされた。そんな苦労の1日が終了し、やっと帰ることができるのだ。

「―――……」

 心から望んでいたその瞬間を目の前にして、黒金の髪の少年は最後の難関に立ち向かっていた。

「奴を振り切るしか道はないか……」

 奴はあらゆる災難を発現させ、黒金の髪の少年―アレスにさえ振りまいてくる。生まれ持っての才能なのか、奴は余計なことしかしない。事実今朝だって奴のせいでひどい目にあった。いや、今朝だけではない。元はと言えば、あの遅刻がなければ避難訓練のことだって知らされていたかもしれない。そう考えたら奴はとんでもない地雷だ。その奴がまさに、

「あれー?おっかしいな、ここならいると思ったのに?……お兄ちゃぁーーん、どこーー!!」

 リリィ……お前のことだ!




「さて、ここからどうしたもんか…」

 アレスは悩んでいた。なぜならば、いく先々でリリィが待ち伏せているからだ。教室から出ようとしたら階段を登りきった所に彼女はいた。気づかれないようすぐに反対側にある近くの階段に移動し、回り道をして(実際にはアレスが通った階段がいつも使う道であり、リリィが来た階段の方が回り道である)帰ろうかと思っていたが、1階の廊下、それも昇降口の近くに仁王立ちをしたリリィがいた。
 ここ高等部だぞ…………。
 
 仕方なく来た道を逆戻りし、【ディフェンシブアーマー】で足の耐久力を上げ2階から飛び降りた。建築物のほんのりと香る木の香りから一変して、花の蜜の香りがアレスの鼻を通り、脳に安らかな刺激を与える。

 そして、校舎の裏の庭に降り立ったアレスは、腰の高さくらいまである綺麗に整えられたバラのような花の壁に身を隠しながら登下校用ゲートに向かう。しかし、ここにもリリィがいた。

「なるほど、普通の帰宅ルートは潰されるってわけか……まぁ、普通に考えて、教室に入っていなかったら昇降口、そこにもいなかったらゲートに向かうか……どちらにせよアブノーマルな方法で切り抜けるしかないようだ…。さて、ここからどうしたもんか…」

 という調子で今に至る。

「よし!アブノーマルかノーマルかって言われたら微妙だが、【サイレントコート】で物音立てずに行くか……!」

 悩み始めて数分で第1の案が脳内に浮かんだ。方針が決まったアレスは早速その作戦を決行するべくゲートに向かう。もちろん花の壁にしゃがんで、身を隠しながら。
 少しずつ、少しずつ距離が縮まっていく。ゲートまであと十数メートルに達した頃、アレスはあることに気がついた。

(――上履き変えるの忘れた……………)


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 結局、一旦昇降口に普通に戻ったアレスは上履きと靴を変えて、再びゲートに向かった。そこにはすでにリリィの姿はなかった。
 
「流石にもう帰ったか…………」

 多少の罪悪感を胸の奥にしまいこみ、歩を進めるアレス。ゲートを通って数十メートルもしたところであの王都の景色がより鮮明に視界を彩った。
 
 広さは日本で例えるならば、対向車含めて6台は余裕で通れるであろう広い馬車、竜車専用の道路に余裕のある歩道。交通インフラは完璧だった。空から降り注ぐ暖かい日光が街の煉瓦でできた建物をより美しく際立たせていて、石畳の匂いがしてくる。店もそれなりにあり、様々な種類の店が道沿いに綺麗に並んでいる。

 そんな街中をゆっくりと歩きながら、アレスは街中の人たちが作り出す生活音を聞いていた。

「いつも賑やか…そうゆうところは18年前と全く変わってないんだよな…」

 イオンの頃を思い出しながら改めて街を見回すアレス。歩道では小さな子供が母親と手を繋いで歩いていたり、ある飲食店の外テーブルでは中肉中背と小太りの中年らが片手にジョッキを持ちながら大笑いしている。
 なんとも平和な光景だった。

「もう2人はとっくに家に着いている頃か……」

 リリィはアレスがいない場合、一目散に家に走って行くためいつも家に先に着くのが彼女だ。ちなみにルナは学園側が用意した魔法陣で一瞬にして屋敷に戻っている。初等部の登下校はそうゆう取り決めになっている。

「早く家に帰らないとな…」

 ため息をついて歩みを続ける足をさらに速くする。その時、

「キァァァぁぁーー!!誰かぁぁーー!!」

 女性の声、それも命の危険が感じられるほど緊迫した悲鳴が右後方から聞こえてくる。声のした方向を見てみると馬車や竜車が通る道路の右車線中央に子供が倒れている。どうやら、整備されているはずの石畳の割れ目に足を引っ掛けたらしい。さらに運が悪いことに、15m先から竜車が子供めがけて走ってきている。

「―――ッ!?」

 その時、アレスはすぐに振り返り走り出す。
 アレスは自分でも気づいていなかった。自分の体が反応していることを。走り出そうとした1歩目でようやく自分が反応したことに気づく。

(【オフェンシブアーマー】で強化しても届かない……だったら……!!)

 この思考の間僅か0.2秒。しかし、そんな刹那の間にも竜車はそのスピードを緩めることなく子供に突っ込んでいく。

 周りの人たちの悲鳴など聞こえない。全てがスローモーションの世界。この世界にとどまることができるのならば、人生でやりたいことを全てできてしまえそうと錯覚させるほどの時。
 アレスはすぐに術式を完成させ……ようとはしなかった。ただ右手を対象に向けて強く念じるだけだった。その子供を対象にして……

「―――フッ!!」

 すると、伏せていた状態から立ち上がろうと膝をついていたその子供が真横の歩道に飛ばされる。何が起きたのかわからないといった表情の野次馬が大勢いた。しかし、そんなことはどうでもよかった。その場の大半ががその子の無事に歓喜した。
 そんな中、アレスはすぐに自分の向かうべき方向に向き直し、歩き始める。

 今起こった現象…それこそ神がアレスに与えた魔法、力、才能。『振動』を操る力…これによって竜車が発生させている地面の振動を凝縮し、子供がいる位置の地面をバネのように弾ませた。これによりその子供は真横に飛ばされたのだ。ちなみに、アレスはこの力にまだ名前をつけていなかった。今までこの力を公で使ったことがないからだ。

「この際、名前をつけてカッコよく決めようかな……」

 周囲の人たちは「奇跡だ!」などと叫んだりしていて、アレスがその奇跡を起こしたことは誰も気づいてはいなかった………路地裏でケラケラ笑っていた入学式とは違うもっと軽量そうなマスクをしている黒フルフェイスの男を除いて……………

(久しぶりに魔法使って疲れた……やっぱり消費魔力が激しいからちゃんとトーニングしないとな……)

 アレスは周りに聞こえないよう自分で自分に言い聞かせながら、帰るための歩を速めた。
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