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〈成人編〉
43. ガーストの街 1
しおりを挟む乗り合い馬車の旅は順調だ。
徒歩よりも少しだけ早いくらいの速度で、のんびりと進む。
日中の街道では、魔獣を見かけることもほとんどない。
食材ダンジョンへ出稼ぎに赴く冒険者がよく利用するため、野盗の類も滅多に見かけることはなかった。
「順調すぎる……!」
あまりにも平和すぎて、ナギはテントの中で頭を抱えてしまう。
珍しくも弱気な様子の少女に、エドは労るような眼差しを向けた。
「そうだな。今のところ、怪しい連中は見かけない」
仔狼から元の姿に戻ったエドがそっと差し出したパンをナギは素直に受け取った。
猫の妖精たちに手伝ってもらい、旅のお供として大量に作っておいた菓子パンだ。
甘いカスタードクリームの味に癒されたのか、ナギはうっとりと瞳を細める。
「おいしい……。クリームがしみる……」
「ホイップクリームとジャムが二層になった菓子パンもあるぞ」
「食べる! ……んんっ、おいしー。腕を上げたわね、エド」
「チビたちが新作を食べたいとせがんでくるからな……」
コテツを筆頭に、猫の妖精たちは美味しい食べ物に目がない。
肉料理はもちろんだが、なぜか小麦粉を使った主食を好み、パンやパスタ、ピザをよく食べたがる。
パンに至っては、食べるだけでなく、自分たちで作ることにもハマっているのだ。
「生地を捏ねるのが好きなんだよね、チビちゃんたち」
「ああ。おかげで、こっちとしても助かってはいるが……」
パン作りは体力と腕力が必須だ。
生地を捏ねるのが、地味に大変なため、猫たちの参戦はとても助かっている。
「パスタやピザ作りも手伝ってくれるから、ありがたいよね。何といっても可愛いし!」
真剣な表情で、一心不乱に生地を捏ねて揉む猫の姿はたしかに愛らしい。
細かい作業やオーブンで焼くのはさすがにエドが代わりにやっているが、猫の手を借りられるのは役得だ。
「食材ダンジョンでパン酵母のもとになる果実も採取してきてくれるものね」
「ああ。夜のうちにアキラが引率で連れて行ってくれているようだ」
エドが眠りについた深夜、肉体を借りた仔狼が転移の魔道具を使って、食材ダンジョンに散歩に出向いているのだ。
最初はストレス発散兼レベルアップを狙って通っていたようだが、最近はすっかり子猫たちの引率係が板についている。
(いつもと逆だな。日中はアキラがナギのそばにいて、夜の少しの間だけ、俺に戻るなんて)
仔狼とナギは念話で意思疎通ができるが、エドはそうはいかない。
夕食を終えると、ナギはテントに引っ込んで、エドと顔を合わせている。
仔狼は『普通の子犬』を装っているので、足りない分の食事をエドがテントで口にしているのだ。
「怪しまれないようにシンプルな野営食ばかり作っているから、さすがに飽きてきちゃった……」
和食や揚げ物料理が恋しい、とナギがため息を吐く。
クリームパンとホットミルクの夜食だけでは物足りなかったようだ。
エドは自分用の夜食をそっとナギに差し出した。
「オークカツサンド、食うか?」
「う……。さすがに食べ過ぎちゃったから、我慢するわ。これ以上食べると、太っちゃうもの」
魔法を使っていないため、いつもほどお腹が空かないのだろう。
エドからしたら、ナギは痩せすぎているくらいに見えるのだが、乙女心は難しい。
「明日にはガーストの街に到着する」
「そうね。街に着いたら、カツカレーを食べよう!」
ふふっと笑う少女の獣の部位である耳がぴるるっと震える。
カツカレーを想像して嬉しくなったのか、尻尾がぱたぱたと揺れていた。
蜂蜜色の綺麗な金髪に触れることができないのは残念だが、自分とお揃いの黒髪の少女も愛おしく思う。
そして同時に、彼女に纏わり付く匂いに眉を寄せてしまう。
自分とは違う、大人の男の匂い。
(あの、ナギが気に掛けている二人組の男たち……)
仔狼の姿の時にしか、顔を合わせてはいないが、気になって仕方ない。
(悪いヤツでないことは分かる。育ちが良いんだろう。真っ直ぐな目をしている)
黒髪のオスカーと呼ばれていた男の方は厄介そうな性格をしているが、ナギに対しては紳士だ。
気になるのは、金髪の男。グレンと名乗った自称冒険者のほうだ。
人当たりは良いけれど、一定のライン以上は踏み込まず、相手にも踏み込ませないようにしているナギのガードがいつもより緩い気がする。
なんだか、放っておけないタイプなんだよね、と苦笑していたが、エドからしたら構いすぎだと思うのだ。
それが、面白くない。
不快、とまではいかないけれど、うちの相棒に近付くな、と唸りたくなる。
(アキラも警戒しているようだし、ナギにも気を付けてもらわないと……)
彼女の【鑑定】スキルに反応がないからには、悪意のある相手ではないのだろうが──
エドは無意識にナギの背中に顔を寄せていた。
急に体重を掛けられたナギは不思議そうに振り向く。
そして、自分の肩のあたりに額をぐりぐりこすりつけてくるエドの様子を目にして、くすりと笑った。
「なぁに? どうしたの、エド。さみしくなっちゃった?」
きっと彼女なりの冗談で、なんてことない軽口だったのだろう。
「寂しい。ナギとの旅は、いつも二人だったのに、今はひとりぼっちだ」
「エド……」
ぽつりとこぼれてしまった本音を、ナギは聞き逃さなかったようだ。
ぱっと体ごと振り返ると、真っ正面からエドを抱き締めてきた。
「……ッ⁉︎」
ぎょっと目を見開いて、エドは慌てて体を離そうとしたのだが、ナギが放してくれない。逆に、力を込められてしまい、途方に暮れる。
「そうだよね、寂しいよね。私もエドと旅ができないのは寂しい」
とくとく、と触れ合った肌から互いの鼓動が響く。馴染んだぬくもり。匂い。
いつのまにか、あれほど気になっていた男の匂いが、自分のそれに上書きされていたことに気付いた。
(ナギから、俺の匂いがする。……俺の、だ)
そう考えると、途端に胸の苦しみが嘘みたいに解けていくのが分かった。
自分でも、なんて単純なのかと呆れるほど、あっさりと機嫌が上昇する。
『マーキング? やるじゃん、エド』
脳内に響くのは、アキラの笑みを含んだツッコミだ。
名残り惜しいが、これ以上は危険そうだと、エドはそっとナギから離れた。
「すまない。もう落ち着いた」
「……平気? もっと甘えてくれてもいいんだからね、エド」
「あま……っ⁉︎ いや、いい。甘えるのは、ちょっと」
頬が赤くなっているのが、自分でも分かる。……うん、あれは間違いなく甘えだ。
ぐりぐりと自分の匂いをナギにこすりつけて、その腕の中に安らぎを見出していたのだから。
「もう寝よう。明日も早い」
追求しようと顔を寄せてくるナギを抱えて、ベッドに運んでやる。
えー、と不満そうなお姫さまを黙らせるために【獣化】した。
『……逃げたね、エド』
仔狼が呆れたように鼻を鳴らしたが、知らないふりを決め込んだ。
ふかふかの抱き枕を前にして、ナギが嬉しそうに手を伸ばしてくる。
(おやすみ、ナギ)
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