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〈冒険者編〉
171. お花摘みは大変なのです
しおりを挟むエイデン商会の令嬢と令息が乗る馬車は目立たないように、地味な外装の設えだ。
何なら、従業員たちが乗る大型の馬車の方が豪華に見える。
だが、ドアを開けて中に入ると、その内装の素晴らしさにナギは言葉を無くして見惚れてしまった。
派手さはないが、上質な木材やクッションが使われており、座り心地もとても良い。
こっそり鑑定をしてみると、木材はダンジョン産の魔樹を使っていた。火の魔法には弱いが、物理耐性は高い。
座り心地の良いクッションは伸縮性のある魔物の皮と防水加工を施された魔獣の毛皮を使った、最高級品だ。
何より、馬車窓にガラスを使っているのには驚かされた。
ダンジョン都市でバス代わりに周回している駅馬車は屋根も壁もない、ほぼ荷車にベンチが付いただけの代物だったし、遠距離用の馬車も防水の布を張ったのみの幌馬車ばかり。
小金持ちがタクシー代わりに使うレンタル馬車でさえ、窓は木製で覗き穴に近い四角い穴が空いただけの代物だったのだ。
「窓ガラス付きでカーテンまである馬車、初めて見ました……!」
「そうでしょう。エイデン商会のお嬢さま、お坊ちゃまが乗られる馬車ですからね。当然ですよ」
三十代半ばくらいの年齢の侍女が誇らしげに胸を張る。
ゆったりとした車内には、護衛対象の二人とその侍女、ナギと仔狼が向かい合って座っていた。
進行方向を向いて姉弟が隣り合って座り、リリアーヌ嬢の正面に侍女のメリーが腰を降ろしている。
ちなみに仔狼は、ジョナード少年の膝上で抱っこされていた。
『どうせなら、リリアーヌ嬢のお膝がいいです……』
きゅうぅ、と切なげに鳴く仔狼はきっぱりと無視して、ナギは外の景色を眺めた。
進行スピードはかなり遅い。
大量の荷を運ぶ商隊なので仕方ないが、この調子なら片道一週間の旅になる理由も分かるというもの。
(私たちは五日で駆け抜けたものね)
ゴーレム馬車を最短距離で飛ばした日々が懐かしい。あの頃は、周囲の景色を楽しむ余裕はなかったので、今回はのんびりと眺めてみたいと思った。
護衛慣れした先輩冒険者たちが十三人と、索敵能力に優れた仔狼がいるのだ。しばらくは乗り心地の良い馬車の旅を満喫しても問題はないだろう。
高価な魔道具は、今回ばかりは目利きがいることを警戒して装着していない。
腰に下げたアイテムポーチと服の下に隠したペンダント型の結界の魔道具だけこっそりと着けている。
これは一度だけ攻撃を弾くことが出来る魔道具なので、それほど高価な物ではない。
これなら誰かに見られても、それほど不自然には思われないだろう。
(一度だけしか使えないけれど、結界の範囲は私を起点に半径1.5メートルほど。馬車内の三人ならどうにか守れるわね)
不意打ちの攻撃があったとしても、最初の一撃さえ凌げたら、どうにでもなる。
何せ、頼りになる黒い毛皮の黒騎士がすぐ側にいるのだから。
旅は順調だ。
二時間ごとに休憩し、馬や人を休めながらのんびりと進んで行く。
数キロごとに野営に適した休憩場が設けられているため、ペースも分かりやすい。
馬に水や餌をやり、汗で濡れた身体を布で拭いてやるのだ。これを放置していると、馬たちは体調を崩しやすいのだと、馭者をしているシャローンが教えてくれた。
休憩時間は三十分ほど。
その間に、ナギは集団から離れた場所にテントを設置する。
このテントは街中を探し回って手に入れた、特別製のテントだ。中に魔道トイレを置いている、女子専用のお手洗い場である。
雑貨屋や魔道具屋を回ったが、使いやすいテントがなく途方に暮れていた中で、何故か布屋に置かれていた物だ。
ようやく見つけた中古のテントは電話ボックスに似た形をしていた。
分厚い布で四角く囲まれたテントは、旅の劇団が着替え用の小部屋として使っていた中古品だった。それを臨時のトイレとして、ナギが再利用した。
もちろん、しっかりと浄化魔法をかけたので、見た目は新品同様。
女子なので匂いと音はとても気になるため、こっそり遮音の魔道具をカーテン部分に縫い付けてある。
匂いに関しては、薬草やハーブに詳しいエルフの師匠、ミーシャから教えて貰った植物でナギが匂い袋を作った。
【生活魔法】の乾燥を駆使して、小袋入りのポプリを作ったのだ。
このポプリがかなり濃い花の匂いを放っているため、このテントがまさかトイレだとは誰も思わないだろう。
最初の休憩時に、この簡易トイレを設置してリリアーヌ嬢や『紅蓮』の皆に紹介した際には大いに驚かれてしまった。
もちろん皆、喜んで使ってくれた。
普段は一人ずつ交代で森の中や草むらの陰に向かうそうで、これは安心かつ快適だと大絶賛されてしまった。
『センパイ、これはやってしまったかもですね。リリアーヌ嬢が虚空を睨みつけて笑顔を浮かべていて怖いです』
「うう…言わないで……。実は私もちょっと後悔してる。テントを使わないでも、私だけなら【無限収納EX】スキル内の小部屋に行けば、トイレも使えたんだよね……」
憧れの護衛依頼、と少し浮かれてしまっていたのか。すっかり、小部屋の存在を失念してしまっていた。
『まぁ、女性陣は皆、喜んでいたし、いいことだったんですよ、きっと』
「そうだね……。そんなに珍しい発想じゃないだろうし、大丈夫だよね?」
笑顔のリリアーヌ嬢が歩み寄って来るが、きっと何でもないだろう、とナギは腕の中の仔狼をぎゅっと抱き締めた。
「素晴らしかったわね、簡易トイレのテント。あれは是非、ブラッシュアップして貴族用に試作してみたいわ」
「姉さま、でも場所を取るので、なるべく小型化しないと。ナギさんほどの収納スキル持ちはなかなかいないのでしょう?」
「そうね、ジョン。でも、ダンジョンの宝箱からドロップするアイテムバッグに入れて持ち運べば良いんじゃないかしら? たしか、いちばん収納量の少ない物なら、ちょうど入るくらいの大きさよ」
「それなら金額も抑えられますね」
エイデン姉弟が実に楽しそうに語らっている。リリアーヌ嬢の手帳にはぎっしりと細かく文字が書き込まれていた。
簡易トイレのアイデアと消臭ポプリの作り方をナギから聞き出した、やり手の令嬢は満足そうに微笑んでいる。
「今回の護衛任務で稼ぐ以上のお金がどんどん懐に入ってきてこわい……」
笑顔でそっと、てのひらに金貨を握り込ませてくるリリアーヌ嬢に対して、ナギはあまりにも無力だった。
馭者席に座っているシャローンがくすくすと軽やかな声音で笑う。
何かあった時のために、馭者席と座席を繋ぐ小窓は開けているのだ。
「諦めなさい、ナギさん。むしろ、お小遣いが稼げたって喜べばいいのよ。私はあの簡易トイレが広がってくれれば嬉しいわ。ダンジョンのセーフティエリアにも欲しいくらいよ?」
「あ、それは思っていました、私も!」
女性冒険者にとっては切実な問題なのだ。
エイダン商会が小型のトイレを開発してくれれば、高位の女性冒険者なら絶対に買うだろうとシャローンは断言する。
リリアーヌ嬢の漆黒の瞳がキラリと光った。あれは獲物を見定めた目だ。
(……うん、この様子なら廉価版も作ってくれそう。女性冒険者の福利厚生のためだと思えば、後ろめたくはないかな……?)
前世日本の知識を使ってのお金儲けに少しばかり後ろめたい気持ちを抱いているナギが、ほっと胸を撫で下ろした。
「ここで昼休憩だ。一時間ほど休むから、各自で飯を食えよー!」
男性冒険者グループのリーダーの一声に、小さな歓声が上がる。
煮炊き用の簡易かまどがある、少し広めの野営地に、さっそく馬車が止まった。
従業員や冒険者たちは簡易かまどに続々と向かって行くが、最後尾の馬車は少し離れた場所で待機している。
彼女たちには馬車で待って貰い、食事を運ぶ予定だった。
「ナギ、かまどは人でいっぱいみたいだが、どうする?」
先に周辺を見て回ったリザが寄ってくる。ナギは笑顔で空き地を指差した。
「大丈夫ですよ。ここで調理します」
きょとんとした様子の『紅蓮』メンバーを横目に、ナギは【無限収納EX】から作業用のテーブルと簡易魔道コンロを取り出した。
下拵えを終えたスープの大鍋をコンロにかけて、火を点ける。中にはカットした野菜類とボア肉のベーコン、ソーセージがたっぷり入れてあった。
「それは何だ、ナギ?」
「ポトフですよ。野菜がたっぷり食べられて、お肉も摂れるから、野営向きのスープだと思って」
コンソメは大量に作り置きしてストックしてあるので、大鍋料理に使ってもまだまだ余裕がある。
「スープだけだと物足りないので、ツナサンドも用意しています。テーブルを整えて貰っても良いですか?」
「……テーブル?」
困惑した様子のシャローンに、ナギはああ、と頷く。そう言えば、テーブルセットを出していなかった。
四人用のテーブルとチェアを収納から取り出して、ついでにお皿やカトラリー類を入れたカゴも彼女に手渡した。
「セッティング、お願いしますね?」
にこりと微笑んでお願いすると、呆気に取られていたシャローンが無言でこくりと顎を引いた。
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