異世界転生令嬢、出奔する

猫野美羽

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〈冒険者編〉

179. お嬢さまの憂鬱

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 昼休憩を済ませて、荷造りをする。
 冒険者たちは元々身軽だし、エイダン商会の従業員たちも旅慣れているので、出発の準備は手早く行われた。
 ナギに至っては【無限収納EX】に収納するだけなので、真っ先に暇になってしまった。
 手持ち無沙汰なまま、仔狼アキラを引き連れて周辺を散歩する。

 ふらふら歩きながらも、念のため【気配察知】スキルは発動している。
 敵味方関係なく、気配を探ることの出来る、このスキルは時に意図せず盗み聞きしてしまうのが、困りものだった。
 そして、この時も誰かの呟きを拾ってしまった。

「お嬢さんにも困ったもんだよな」
「ああ、例の男嫌いの病か。従業員も怖がられるとなると、商会の仕事もきちんとこなせるのか。先が思いやられる」
「男嫌いの理由も婚約者に破談されたのが理由だろう?」
「そうそう。学園に在学中に元婚約者が浮気した相手を執拗に虐めたんだったか」
「噂では相当陰湿に追い詰めたらしいな。それで婚約破棄後は学園に居づらくなって退学したとか」
「ああ、巷で出回っている、あれだな。悪役令嬢だったか。たしかに、うちのワガママお嬢さまにはピッタリの形容だな」
「闇色の色彩持ちで性格もキツいもんな。元婚約者が浮気したのも当然なんじゃないか」
「はっ、納得だよな。実家が商会のご令嬢だから醜聞塗れになっても、ガーストの支店を任されるんだから女は得だよなー」
「男嫌いじゃなきゃ、口説き落として店ひとつ貰うんだがな」
「ははは、そりゃあ良い。どうせ悪役令嬢さまとやらは今後に良縁もないだろうし、後釜を狙うのも悪くはないかもなぁ」

 耳に入ってくる、悪意ある言葉にナギは足を止めてしまう。
 どれも憶測まじりの内容だ。
 会話の内容から、彼らが雇われた冒険者ではなく、商会の従業員であることが分かる。
 大人の男たちがまだ十代の成人したばかりの少女を貶めているのだ。

「なに、アイツら。最っ低……!」
 
 数日共に過ごしただけでも、リリアーヌ嬢の性質は良く分かる。我儘なんて、一言も耳にしたことはない。むしろ従業員や冒険者たちを良く観察し、気を配っている。
 言動も令嬢らしく、たまに商売人の魂が暴走するくらいで、素直で可愛らしい女性だ。
 ぎゅっと拳を握り込み、悪口で盛り上がる男たちに一言物申してやろうと足を向けたところで、背後から声を掛けられた。

「ナギさん」
「えっ、と。ジョナード君……?」
「ジョンでいいです。少し早いけれど、馬車で待機しませんか」
「あ、うん、それは良いけれど……」

 黒髪の少年はにこりと笑みを浮かべた。
 ナギが視線をちらちら向ける方を一瞥して、何でもないことのように言い放つ。

「お喋りしていたのは、うちの商会の従業員二人ですね。ガーストの支店で働いていた者たちですから、リリアーヌ姉さまがガースト店の店長に就くのが面白くないのでしょう」

 ナギはぎょっとジョン少年を見下ろした。
 オニキスに似た、つぶらな黒い瞳がまっすぐナギを見上げる。初日に見たような、人見知りの様子はもう全く伺えない。
 聡明な眼差しの少年は、小さく笑った。

「僕たちの先祖に黒兎の獣人がいたらしくて、耳は良いんです」
「……なるほど。聞いちゃったんだね」
「くだらない噂話ですよ。どれも誰かに都合よく歪められている」

 姉想いの少年は面白くなさそうにため息を吐いた。
 無力な身が悔しいのだと、その小さな肩から伺えて、ナギはつい手を伸ばして少年の頭を撫でてしまう。

「……ナギさん?」
「あっ、ごめんね。ジョン君も悔しいよね。私も腹が立って文句を言いに行きそうだったもの」
「ふふ。ナギさん、意外と血の気が多いんですね」
「冒険者だからね! あと、私は頑張っている女の人の味方です」

 ぱっと破顔したジョン少年の手を引いて、ナギは馬車に向かった。



 聡明で優秀なジョナード少年はさっそく雇い主の令嬢の悪口を吐いていた二人の名を姉と侍女に報告する。
 リリアーヌ嬢は綺麗な弓形の眉を寄せ、侍女のメリーは怒りのままに悪態を吐いた。

「すぐに旦那様に伝えましょう。クビにしてやります! エイダン商会への恩を忘れて、なんてこと!」
「メリー、落ち着きなさい。そういう噂が出回っているのは知っていたもの」
「根も歯もない噂ばかりじゃないですか! 高潔なお嬢さまが虐めなんて、とんでもない! むしろ、あの女がお嬢さまに嫌がらせをしていたのに!」
「メリー、もういいの」
「お嬢さま……」

 ナギは神妙な表情で馬車席に座っている。
 ここにいて良いのかな、と不安そうに視線を泳がせていると、気付いたリリアーヌがふっと微苦笑を浮かべた。

「ごめんなさいね、ナギさん。聞いて楽しい話ではなかったわ」
「いえ。……あの、もしリリアーヌさんが話して少しでもスッキリするなら、聞きます。愚痴でも何でも」

 ぱちり、と綺麗な黒い瞳を瞬かせると、リリアーヌ嬢はふわりと微笑んだ。
 空気を読んだのか、仔狼アキラが黒髪の令嬢にそっと寄り添い、きつくドレスを握り締めていた、ほっそりとした手の甲をぺろりと舐めた。
 無意識に力を込めていたのだろう。
 ドレスに皺を作っていたことに気付いて、リリアーヌ嬢はそろりと手指の力を抜いた。
 頬をすり寄せてくる、黒い毛皮の小さな生き物をそっと抱き締めて吐息を漏らした。

「そうね。どうせ、ダンジョン都市でも噂になっているもの。聞いてくださる?」

 そうして、彼女はダンジョン都市のとある学園で起こった醜聞をナギに語ってくれた。



 ダリア共立学園は周辺諸国でも高名な学び舎で、魔法学だけでなく、騎士科、歴史学、経済学、魔道具科など多彩な学部を備えており、他国からの留学生も数多く通っている。
 共和国の学園として、学生は皆平等にという校則はあるが、留学生は他国の貴族階級の子息令嬢が占めており、暗黙の了解として身分制度はひっそりと根付いていた。
 とは言え、優秀な平民や富裕な商人の子も多く、リリアーヌもその一人だった。

 真面目で勉強熱心なリリアーヌには、親の決めた婚約者がいた。
 シラン国出身の伯爵家三男、ダニエッロ・サンブリアだ。
 浅黒い肌と淡い金髪、ルビー色の目をした優男で、政略的な婚約相手である。
 ダンジョン都市で名を馳せる大商会、エイダン家からの金銭的な援助を目当てにしたサンブリア伯爵家からの申し入れで結ばれた、この婚約を当のダニエッロは気に入らなかったらしい。

 学園では授業をサボり、遊興にのめり込み、周囲には女生徒を侍らせていた。
 彼の好みのタイプはリリアーヌとは真逆で、ピンクゴールドの髪をツインテールにした少女を特に気に入っていた。
 リリアーヌは己の婚約が、商会がシラン国に躍進するために必要な足掛かりだと理解していたため、ダニエッロの放蕩ぶりに眉を顰めはしたが、強く嗜めることはしなかった。
 目に余る行為には苦言したが、常識的な範囲内だ。だが、ダニエッロは賢しげな女だと、それが気に食わなかったらしい。
 ある日、学園生徒達が大勢集まる講堂で、声高らかにリリアーヌを弾劾したのだ。

「リリアーヌ・エイダン! 君との婚約は破棄させてもらう!」

 そうして、大勢の生徒達の前で、ありもしないリリアーヌの罪とやらを口汚く罵って責め立てたのだ。
 ピンクゴールド髪の少女に嫉妬して虐めをした、また学業も不正を働いて成績を上げている等と、証拠もないのに捲し立てた。
 すぐに駆け付けた教師たちにより騒ぎは治ったが、面白おかしく噂話にする厄介な連中が多くいて、リリアーヌはうんざりしたのだ。


「親しいお友達はわたくしの冤罪を分かってくれたし、学園側も彼の言葉を鵜呑みにはしなかったわ。でも、元婚約者のお友達の女性はどうやら男子生徒に人気があったらしくて、彼女を崇拝する方々に悪し様に罵られたの」
「とんでもない話です。女生徒の皆さんは同じ女同士、性悪な相手がどちらか、ちゃあんと理解していたので、お嬢さまの味方でしたけど」
「ええ、とてもありがたかったわ。お父さまにもこの騒ぎが伝わって、無事に婚約は解消できたのだけれど。わたくし、もう学園に通うのが嫌になってしまいましたの」

 だから、お勉強を頑張って飛び級で卒業したのよ、とリリアーヌが微笑む。

「学園に居づらくなって退学じゃなくて、飛び級で卒業って、とんでもなく優秀じゃないですか、リリアーヌさん」
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