異世界転生令嬢、出奔する

猫野美羽

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〈冒険者編〉

180. 婚約破棄騒動

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「学ぶことは好きなのよ。学園生活は実りが多かったわ。良い人脈もたくさん築けたし」

 何でもないことのように笑うリリアーヌだが、侍女のメリーはまだ怒りがおさまらないようで、ナギに切々と訴えてくる。

「そうは仰いますが、お嬢さまを妬んだ者たちが嫌がらせや噂話をばら撒いたので、本当に大変でした。お嬢さまのご友人や良識のある方たちは否定して下さいましたが、スキャンダラスな噂話を楽しむ低俗な者が多くて」

 元婚約者は騒動を起こした罰と普段からの生活態度、学業不振も併せて停学処分。
 エイダン商会から正式に婚約解消の申し入れを受けたサンブリア伯爵家は、ダニエッロを放逐したらしい。
 最後の温情として、学園を卒業するまでの援助を約束し、後は平民として好きに生きよ、と。

「意外と冷淡なんですね、その伯爵家。そんなバカ息子は甘やかされた結果の産物でしょうし、うちの可愛い息子を! って親バカ根性で怒鳴り込んでくるものだと思っていました」
『センパイおくち悪いですけど、全面的に同意します』

 歯に衣着せないナギの発言にメリーが大きく頷いた。リリアーヌは苦笑しているし、ジョン少年は素敵な笑顔だ。
 ナギの腕の中の仔狼アキラも小刻みに頷いている。

「確かにそんな方達でしたが、今回は向こうの不貞の証拠がしっかりありましたからね。旦那さまは凄腕の商人です。婚約が決まった際にはきちんと契約を交わしておりましたから、無事に向こうの有責で慰謝料を支払わせました」

 エイダン商会からの融資を打ち切られ、さらに莫大な慰謝料を巻き上げられたサンブリア伯爵家はさすがに三男を許せなかったらしい。
 ダンジョン都市の学園で真面目に学び、卒業認定を受ければ就職先には困らないため、なけなしの親心として、学費と最低限の生活費だけは渡したようだが。

「反省して、おとなしく学園生活を送れば良かったものを……! あの男は自身の窮状を全てお嬢さまの所為にして、あろうことか、破落戸ごろつきを雇ってお嬢さまを襲わせたのです!」
「っ、ひどい……!」

 好奇の視線に晒されるのも嫌になったリリアーヌは飛び級制度を利用して、さっさと学園を卒業をしていた。
 卒業後は実家であるエイダン商会で辣腕を振るっていたのだが、元婚約者が差し向けた冒険者崩れや学園の悪友たちにかどわかされたのだ。
 身代金目当ての誘拐である。ついでに、少しばかり痛めつけてやろうと考えていたようだが、幸いすぐに彼女は助け出された。
 冒険者崩れのならず者など、現役の冒険者たちにとっては魔獣よりも楽な獲物で、すぐに制圧されたらしい。

「最悪な男ですね。ちゃんと罰は受けたのですか?」
「……それが、悪運が強いと言うのか。元婚約者のあの男だけが逃げ切ってしまって」
「父さまも怒り心頭でしたから、そのうち捕まると思います。冒険者ギルドにも依頼を出していましたから」
「なるほど。じゃあ、朗報を待っている状況なんですね」

 忌々しそうに吐き捨てるメリー。ジョン少年も悔しそうにしながらも、エイダン商会がギルドに懸賞金付きの依頼を出していることを教えてくれた。

 元婚約者からの仕打ちに、さすがのリリアーヌも疲弊しきったことだろう。
 粗暴な男たちに襲われ、暴力を振るわれたのだから、男性恐怖症になるのも納得だ。
 すぐに助け出されたことと、身代金目当てのため、身を汚されなかったことだけは良かったのだろうが、心の傷は深い。

(せめて、その元婚約者が捕まれば、多少は落ち着くのだろうけれど。植え付けられた嫌悪感や恐怖心はどうにもならないものね……)

 視線を床に落として黙すリリアーヌの手を、ナギはそっと握った。
 仔狼アキラも寄り添うように、頬をリリアーヌの膝にこすりつけている。

「ナギさん?」
「リリアーヌさんは完全な被害者です。なので堂々としていてください。今回の護衛任務中、絶対に私たちが守り抜きますから!」

 ふ、とリリアーヌの口許が綻んだ。
 ナギの手を柔らかく握り返し、もう片方の手で仔狼アキラの頭をそっと撫でる。

「ありがとう。とても心強いわ。……自分でもどうにかしたいと思っているのだけど、どうしてもあの日のことが思い出されて、怖くなってしまって。情けないわね」
「お嬢さま……」

(怖いのは当然だ。前世の私だって、痴漢や変質者には悩まされたし、被害に遭うと怖くて動けなくなったもの)

 渚の場合は、嫌悪感が恐怖を上回ったおかげで露出狂の変態を撃退した上で通報できたが、リリアーヌは箱入りのお嬢さま。
 しかも、武器を持った荒くれ者どもに拐かされたのだから仕方ない。

(そりゃあトラウマにもなるだろうし、自分よりも大柄な男性が怖くもなるよね。時間が経てばマシになるかもしれないけれど、目に見えない心の傷は治すのも大変だもの)

 つくづく、彼女の元婚約者とやらが憎らしい。せめてソイツが官憲に捕まっていれば溜飲も少しは下がるのだろうが、まだ逃げ回っているのだと言うのだから。

『センパイ、見つけたらソイツ処しましょう』

 リリアーヌにはぷくぷくのお腹を見せながら可愛らしく甘えている仔狼アキラが物騒な念話を飛ばしてくる。

(奇遇だね。私も全面的に同意するわ)

 よし、見つけたら処そう。
 視線を合わせて、そっと頷き合う。
 後で侍女のメリーかジョン少年に元婚約者の特徴を聞き出すことを決めたナギだった。



 本日の野営地は林道に囲まれた広場だ。
 森林ほど緑には覆われていないが、人や魔獣が隠れるには充分な繁みが多いため、護衛の冒険者たちは油断なく周辺に目を配っている。
 大事な荷車を中心にして、ぐるりとテントを張っていく。
 焚き火の数はいつもよりも多い。
 馬たちも落ち着かない様子だったが、どうにか従業員たちが宥めて水と餌を与えていた。ゴーレム馬は魔力を喰うので、休憩中は元の魔石に戻してある。

「街道の中でも、この休憩場はあんまり好きじゃないんだよね」

 リザが赤毛をぐしゃりと掻き乱しながら、低く吐き捨てるように言う。いつも豪快な彼女らしくない、神経質な所作だ。
 シャローンもため息を吐いている。

「見晴らしが悪すぎるのよね。獣や魔獣の気配に、人が紛れやすいし。たしかに厄介な場所だわ」
「昼のうちに通り過ぎたかったが、仕方ない」

 大所帯の商隊ではスピードを上げて通り抜けることも難しい。
 夜間に暗い林道を駆けるのも危険過ぎるので、仕方なしの野営となった。
 ナギはこっそり仔狼アキラに警戒を頼み、夕食の準備に集中した。



『今日のガーリックステーキ美味しかったですねー、センパイ』

 口許をぺろりと舐めながら、仔狼アキラがうっとりとする。
 夕食はガーリックステーキにした。ガーリックライスにフォレストボア肉のステーキを載せ、特製のステーキソースで仕上げたのが、『紅蓮』の皆はもちろんリリアーヌ達にも大好評だった。
 エイダン商会から預かった食料に米の麻袋を見つけたので、久しぶりの米料理にした。
 スライスしたガーリックをオリーブオイルでキツネ色になるまで炒めて、インディカ米に似た米はバターと醤油で味付けた。

「フォレストボア肉は赤身部分が柔らかいから、ステーキに最適よね」

 焼き具合はミディアムレアにして、食べやすいように一口サイズに切ってガーリックライスに載せた。
 フライドオニオンとスライスガーリックを散りばめて、綺麗な赤身が映えるようにソースを絡めて出来上がり。
 お嬢さまのディナーだとすっかり失念していたナギは慌ててテーブルを整えて、エイダン家の姉弟を外に案内した。

「たっぷりガーリックを使っちゃったからね。あのお高そうな馬車に匂いが篭ったらメリーさんに叱られる……」

 ニンニクは美味しいし、食欲をそそる良い匂いだとは思うが、食べ終わった後の残り香はキツい。
 馬車のような個室に匂いが染み付くと厄介なので、渋る侍女を説き伏せて、外でのディナーに誘ったのだ。
 昼間の告白時に落ち込んでいた雇い主の少女をどうにか笑顔にしたいという思惑もあった。
 最初は当惑し、迷っていたリリアーヌだが、羨ましそうに馬車の外を眺めている弟の様子を目にして誘いに乗ってくれた。
 なるべく男性冒険者たちと顔を合わせない動線で誘導して、馬車の影になる位置の席に案内した。


 ナギたちの気遣いを、聡い彼女は笑顔で受け入れてくれた。
 美味しいディナーにも満足したようで、食後のシャーベットには特に目を輝かせて喜んでいたように思う。

 だから、夜半。
 うとうとと一人用のテントで微睡んでいたところを仔狼アキラに起こされた時には、ほっそりとした眉をナギは思い切り顰めてしまった。
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