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〈冒険者編〉
207. 三年ぶりの街
しおりを挟む「琥珀糖とメープルシロップの買取り額は悪くなかったわね」
「ああ。だが、醤油と味噌への反応はイマイチだったな」
不服そうなエドに、ナギは苦笑する。
エイダン商会でリリアーヌ嬢にハイペリオンダンジョンで手に入れたドロップアイテムの査定と買取りをお願いしての帰り道。
魔道具や武器、宝飾品のドロップと比べて、どうしても食材の買取り額は下がってしまう。
よく出回っていて人気の食材か、価値のある稀少な食材ならまだしも、初見の調味料にはどうしても二の足を踏んでしまうのだろう。
「仕方ないわよ。リリアーヌ嬢は醤油や味噌の使い方を知らないし、これまで食べたことがなかったのなら当然の判断だわ。今後、売るとしたらレシピと一緒に売ることになるんだろうけど……」
「面倒だな」
「それなのよねー……」
正直、二人ともお金には困っていない。
今回エイダン商会に査定して貰ったのは、純粋にダンジョンで入手した食材の価値を知りたかったからなので。
「スパイス類は多分、高値がついたと思うけど、自分たちで使いたいし」
「それを言うなら、醤油や味噌もだろう? ごま油も貴重だと言っていたな」
「うん。ベーキングパウダーも餅米も絶対に売らないわ。みりんやお酢はきっと買取り対象外だろうけど」
「酒類はドワーフが喜んで大枚はたきそうだが」
「日本酒は料理に使いたいし、焼酎は果実酒用に確保したいから売りません!」
カカオとアボカドも自分たちで使う気満々なので、エイダン商会では披露しなかった。
アボカドはともかく、カカオは数は少ないが、ダンジョン都市でも出回っているので特に問題はないだろう。
そんなわけで、在庫の多い魔獣肉と果実、メープルシロップや琥珀糖を売り込んできた。
「琥珀糖の食い付きは予想がついたけど、タンサンの実も凄かったわね」
「ああ。あるだけ買うと鼻息も荒かったな」
うっとりするほど上品な令嬢が興奮した、炭酸の素。どうやらこれは未発見、新種の実だったらしい。
ナギが試飲用にと用意した果実水にタンサンの実を落として手渡すと、おそるおそる口に含み、言葉を無くしていた。
口に合わなかったのかと不安に思ったが、逆に美味しすぎて絶句していたらしい。
『これは売れますわ! ダンジョンで採取した? たくさん手に入りますか!』
『わぁ、美味しいです! 単なる果実水がこんなに面白い飲み物になるなんて、すごいですね。口の中がぱちぱち弾けて楽しいです』
エールをまだ飲んだことのないジョナード少年も姉のご相伴に預かり、炭酸の舌触りに目を輝かせて喜んでいた。
『果実水はもちろん、ナギさんに教えていただいたデトックスウォーターやワインに投入しても良さそうですわね? 安物のワインに新しい価値を付けれそうですわ』
琥珀糖とタンサンの実はあるだけ引き取ります、とエイダン商会と契約を交わして、笑顔で別れてきたのだった。
「この二つの食材はエイダン商会が引き取ってくれるってギルドに報告すれば、ハイペリオンダンジョンにも冒険者がたくさん来てくれるかも?」
「期待はしたいが、大森林の中にあるからな……」
「厳しいかな、やっぱり」
「俺たちや師匠のような物好きなら通いそうだが」
物好きと言うか、食いしん坊だろうか。
せめて美食家と言って欲しい。
「不人気ダンジョンと言われようと、私たちにとっては宝の山だし……」
「ん。むしろプライベートダンジョンに近いと思うぞ」
「プライベートダンジョン……!」
ものすごく心惹かれる名称だ。
ナギには発見者の称号もあるし、ハイペリオンダンジョンに限っての【自動地図化】スキルも貰っている。
大森林には目印もないから、再訪できるか不安だったが、不思議と離れても場所が分かった。これも称号の特典なのだろう。
「確かに、私たちに特化したダンジョンだから、もうこれはプライベートダンジョンでは? 我が家の食糧庫では?」
「落ち着け、ナギ」
どうどう、とエドに優しく肩を叩かれて冷静になる。そう言えば、街中だった。
何事かと周囲から向けられる視線が痛い。
ほんのりと頬を染めたナギが小さく咳払いして、エドの肘を引いた。
「ん、落ち着いたわ。ごめんなさい。とりあえず当初の目的も達したし、すぐにダンジョン都市を目指しても良いけれど。せっかくのガーストの街、今日はゆっくり過ごさない?」
「そうだな。どうせなら、三年前に訪ねた店を回ってみるか」
「いいわね、楽しそう! じゃあ、宿はもちろん──」
「「銀狐亭!」」
◆◇◆
獣人の街、ガーストの門番だった銀狐族のサシャとは会えなかったが、彼が紹介してくれた親族経営の宿は見つけることができた。
ちょうど空き部屋もあったので、一番広い部屋を借りることにした。
風呂はないが、個室にトイレ付き。三年前と違い、魔道トイレだ。
部屋で作り置きの昼食を取って、午後から街を歩くことにした。
「まずは、あの店に行ってみたいわ。ドレスメーカーの『アドリーナ』!」
店名を耳にして、エドは途端に渋面になる。三角獣耳がペタリと寝かされた。
「……もう、あんな格好はしないぞ」
「あんな格好って……? あ、執事服!」
そう言えば、三年前は訳ありお嬢様とお供の執事見習いの振りをして、『アドリーナ』にドレスを売りに行ったのだった。
艶めいた漆黒の執事服はエドにとても良く似合っていたのだが、本人は窮屈がっていたことを思い出す。
「格好良かったんだけどなー。ふふっ、今回は普通に買い物に行くんだから、もうコスプレは必要ないよ。安心して?」
「…………ナギが気に入ったんなら、家の中でなら、たまに着てもいい」
「えっ? ほんと? 嬉しい! じゃあ、私もメイド服を着てみようかな。なんてね」
仕える主人が不在の家で、住人二人が使用人衣装を着るシュールな光景が思い浮かぶが、楽しければ気にしない。
なんなら、師匠ふたりを屋敷に招待して接待しても良いし。
「ナギのメイド服姿…………」
「ん? エド、顔が赤いよ?」
「っ、なんでもない……」
冒険者衣装から楽な普段着に着替えて、二人は宿を後にした。
◆◇◆
「まぁ、あの時のお嬢さまではありませんか! 懐かしいですわ。すっかりお美しくなって……!」
店主のアドリーナが笑顔でナギを出迎えてくれた。三年前、ほんの少しの時間しか接していなかったのに、ちゃんと覚えてくれていたのだ。
灰色の尻尾をふさりと揺らしながら歓迎してくれたアドリーナに、ナギも破顔する。
「あの時は助かりました。相場より高く買い取って下さったでしょう?」
「ほほほ。こちらこそ儲けさせて頂きましたわ! 珍しい王国風のドレスがたくさん、高値で売れましたのよ?」
「良かったです。もしかして、あちらのデザイン……」
「分かりますか? 王国のデザインを真似て作ったドレスですわ。三年経っても大人気なんですのよ」
デザインに特許などない世界なので、流行はすぐに模倣されるのだ。
商魂逞しい女店主が堂々とナギに説明してくれるので、苦笑するしかない。
この店でナギはシルエットが美しいブルーのサマードレスを一着購入し、アドリーナにねだられるまま、サイズアウトしたドレスを売った。
「またお越しくださいねー!」
「はーい。……相変わらず、アドリーナさんはやり手ね」
「買い物した金額より、買取り額が大きかったんじゃないか」
「……そうかも? ま、もう着ないドレスだったもの。処分できて良かったわ」
母が遺してくれたドレスはもちろん売るつもりはない。
今日手放したのは、いくつか残していた子供サイズのドレスだ。冒険者になったナギには必要のない、豪奢なドレス。
「うん、これでもう、あの家から持ち出した不用品は全部無くなったわ。スッキリした!」
両手を広げて、深呼吸する。
三年前に辺境伯邸から持ち出した品を買い取って貰った店をぶらりと訪ねながら、さりげなく確認したが、追っ手らしき者の気配はなさそうで、ナギは安堵した。
美しい金髪と青い瞳の少女を覚えている店員は多く、ナギが元気そうなことを自分のことのように喜んでくれた。
良い買い物も出来て、ナギは上機嫌で宿に戻った。
夕食のメニューは決まっている。
「ローストコカトリス、ピラフ詰め!」
三年前に感動した味は、より洗練されており、二人はうっとりと舌鼓を打ちながら堪能した。
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