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158. 『紫苑』王都店、その後
しおりを挟む『紫苑』の王都店は開店から半月が経っても、大繁盛していた。
これまでは辺境の地へわざわざ赴くか、人を介さないと手に入らなかった、すばらしい品を王都で購入できるのだ。
本店である雑貨店『紫苑』よりも割高になってはいるが、手に入れるための諸費用を考えると適正価格だと思える。
王都店限定の品があることも、貴族階級の客の心を掴んで離さない。
年若い少年少女は文房具や比較的手に取りやすい価格のリボンやアクセサリーを購入しに通っている。
思春期の少女たちは少しだけ背伸びをして、限定販売の口紅を買うのが目的だ。
ファンデーションやアイメイク、頬紅などの高価な化粧品に関しては完全予約制なため、未成年の彼女たちには手が届かない。
美容研修を受けたプロの手によるメイクも受けてみたいが、高位貴族のご婦人方の予約がみっしり詰まっているようで、数ヶ月先まで空きがないらしい。
「残念ですけれど、次のお茶会にはお母さまのお化粧品を使わせてもらえるよう頼まないと……」
「わたくしはネイルを試してみたいのですけれど、あちらも予約がいっぱいなのでしょう?」
「お隣のクラスのアマンダさまが爪を塗っていらしたけれど、まるで宝石のように艶めかしかったわ」
羨ましそうに嘆息して、年若い少女向けの色付きリップを雑貨コーナーで購入する。これは乾燥やひび割れ改善の効果のある薬用のリップだ。
思春期の少女たちから「お化粧品が欲しい」との嘆願の手紙が殺到したとローザ嬢から相談があって、急遽取り扱うことにした。
淡いピンクの色付きリップは唇を傷めないと大評判。年若い少女たちだけでなく、ご年配のご婦人方もこっそり買いに来ていたようだ。
リクエストは他にもあって、リリは皆と相談した結果、ピーリングオフネイルの店頭販売の時期を早めた。
その日のうちにオフできる簡易マニキュアは除光液も不要なため、販売を解禁したことでネイルサロンはようやく落ち着きを見せたのだった。
ピーリングオフネイルを店頭で販売する代わりに、ネイルサロンでは除光液で落とすネイルを施している。
ジェルネイルほど長持ちはしないが、一週間は剥げないため、多忙なご婦人方には熱烈に支持されていた。
こちらはサロンでの施術オンリーで、店頭販売の予定はない。
リリとしては、いずれはジェルネイルを展開したいと考えているのだが、今のところハードルが高すぎて諦めている。
王都では羽根ペンの需要が一気に下がり、美しく書き味のいいガラスペンが一世を風靡していた。
王城での事務作業をこなす部署ではすべてガラスペンに置き換えられており、『紫苑』王都店で販売されていたレターセットも外交用に使用されている。
ご婦人方が主催されるお茶会では、『紫苑』で手に入れた茶器と茶葉、デザインシュガーで客をもてなすことが流行しているようで、こちらの売り上げも右肩上がり。
スミレの砂糖漬けに至っては、なぜか王都土産として大人気だとか。
店長を務めるヴェローナ侯爵家の末娘、ローザは笑いが止まらない。
「うふふ。店頭に出す商品がどれも並べる先から売れていくのって、とっても気持ちがいいですわね、お姉さま」
「そうね。ドレスは扱っていないけれど、この店が王都のファッションリーダーと言われているようよ」
ローザと共に店舗経営に関わっている侯爵家長女キャロラインも上機嫌で収支報告書に視線を落としている。
初期投資はかなりの額となったが、この半月の売上げですでに一割は回収していた。
仕入れと従業員教育、設備投資に突っ込んだ金額も二ヶ月もあればすべて相殺できるだろう。
侯爵夫人もおっとりと微笑みながら、ティーカップを優雅に傾ける。
「公爵家だけでなく、大公夫人からも我が家にお声が掛かったのよ。うふふ。王妃さまご愛用のお化粧品を試してみたいとか」
基本的には店内での施術のみ予約制で受けてはいるが、さすがに王族関係の高貴な女性を街へ招くわけにもいかない。
選りすぐった従業員を連れて、王城で出張メイクやネイルをお願いしていた。
「王妃さまが殊の外、メイクとネイルを気に入ってくださったのよ」
「まぁ。それは光栄ですわね、お母さま」
「もしかして、特別なお化粧品をお持ちしたのですか、お母さま?」
キャロラインの静かな問い掛けに、夫人は微笑みながら頷いた。
「ええ、当然です。リリさんも提案してくださったでしょう? その言葉に甘えて、高貴な方だけに販売するお化粧品をお持ちしました」
ローザはこくり、と息を呑んだ。
リリが販売しているお化粧品はどれも素晴らしい品質を誇っているが、あれは特に目を引いた。
「ラメ、と言いましたかしら。あの、キラキラとまるで宝石のように煌めくアイシャドウ。真珠のような光沢を放つ頬紅。瑞々しい果実のような唇へと仕上げることのできる口紅は特に王妃さまのお気に入りとなったようです」
「まぁ……!」
他の貴族との差別化をはかるのは、貴族階級のある王国としては当然のこと。
皆に楽しんでもらいたい気持ちは大きかったが、封建社会の怖さをローザ嬢から聞き及んでいたリリは彼女の助言に従ったのだ。
「おかげで、『紫苑』王都店は王家御用達の名誉を得ましたよ」
「素晴らしいです、お母さま!」
「これで我が家は安泰ですわねっ」
王家の後ろ盾を得たので、侯爵家より上の階級の貴族家に無理強いをされることもなくなる。
「飽きがこないようにと、リリさんは人気がある定番の品以外にも新商品を仕入れてくださっているんですよ」
「あら。可愛らしい小物やアクセサリーね」
キャロラインが笑みを浮かべて、新商品を手に取る。
ロリィタ衣装を取り扱うことは諦めたが、その他の小物はまめに仕入れているのだ。
シュシュやリボン、カチューシャにバレッタ。ボンネットにヘッドドレスも揃えてある。
季節に合わせたレースの日傘は試しに店頭に並べたところ、瞬殺だったらしい。
「……これは何かしら? 木と紙でできているようだけれど」
「それは扇子だそうです」
ローザの言葉に、キャロラインが目を見開いた。
それもそのはず、王都の社交界で流行中の扇子は絹やレースを使ったものや、派手な鳥の羽根や魔獣の牙を素材にした豪奢なものが主流なのだ。
リリが新商品にどうですか、と持ち込んできた扇子は竹細工と美しい和紙で作られた芸術品に等しい逸品だった。
「これが⁉︎ こんなに薄くて、軽い扇子があるなんて……」
驚くキャロラインを観察して、ローザは何やら考え込む。
「お姉さま、明後日の夜会でその扇子を使ってください」
「いいの? ……ああ、宣伝をしろってことなのね。分かりました。わたくしに任せてちょうだい」
金髪碧眼の美女であるキャロラインは社交界の花として有名だ。
その彼女が『紫苑』の新商品を手に夜会へと参戦すれば、あっという間に話題をさらうことだろう。
「よろしくお願いしますね、お姉さま」
にっこりと小首を傾げて微笑むローザは以前の引っ込み思案な性格はどこへやら。
あざとい小悪魔のような可愛い妹を前にして、キャロラインは苦笑するしかない。
手漉きの和紙に描かれた美しい花や夜空は見事だ。中には金箔を貼ったものまである。
重くて嵩張るだけの、ごてごてとした旧来の扇子と比べても洗練されている。
それに、片手で滑らかに開くことのできる点が特に気に入った。
「この扇子、とても良い香りがしますわね?」
「ああ。香木というものを使って作った扇子らしいです。こちらは香を焚きしめた扇子ですが」
「扇子に香が⁉︎」
白檀扇子は伯母にすすめられて一本だけ混ぜてローザに渡したのだが、これを持って夜会に出席したキャロラインはあっという間に時の人となった。
強気な価格で夜会の翌週から販売を開始したのだが、こちらも大人気商品となったのは言うまでもない。
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