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171. 辺境伯と占い師 1
しおりを挟む「久しぶりだね、レディリリィ。会いたかったよ」
豪奢な美貌の持ち主である女辺境伯は顔を合わせるなり、笑顔でリリを抱き締めてきた。
優しくハグされて、リリもそっと、その背中に手を回す。
トレードマークの縦ロールが鼻先にふれて、ちょっとだけくすぐったい。
衣装に焚きしめられているのだろう。爽やかな香の馨しさに、うっとりする。
「私も会いたかったです、ルチアさま。成果はありましたか?」
「もちろんだとも! 王城でのお披露目が大成功でね。社交シーズンでもないのに、ほとんどの高位貴族の方々の領地に招かれてしまったよ」
にんまりと笑う様子から、成果は上々のようだ。
日本で仕入れた果実酒に、とっておきの蒸留酒は相当高値で売り捌けたらしい。
「ふふ。これまで我が領を下に見ていた連中がこぞって媚を売ってくるさまを眺めるのは最高に気分が良かったよ」
上質の赤白ロゼのワインはもちろん、白桃やシャインマスカット、ブルーベリーにいちごの果実酒はご婦人方に大人気。
飲みやすい、甘やかなワインはこれまで酒が苦手だった者にも口当たりが良いと評判で、よく売れたようだ。
「味をしめた連中から、すぐに注文が届くようになるから、また納品を頼むよ」
「はい。お任せください」
にっこりと笑みを浮かべて、握手を交わし合う。
リリとしてもお手軽価格な大量生産品を十倍以上の金額で買い取ってもらえるので、断るつもりはない。
ルチアはさらに高値でふっかけて、高位貴族との縁も繋げるので、お互いに良いことしかない商売だった。
「ルチア。りんごの蒸留酒の反応はどうだったのだ?」
面白そうな表情を浮かべたルーファスに、ルチアは笑みを深めた。
「ああ。カルヴァドスね。あれは凄まじかったよ。毒味係があまりの美味さに呆けてしまって、少しの間、疑われてしまった」
くすくす笑う美貌の女伯爵に、赤毛の美丈夫がそうだろうとも、と自信満々に頷いている。
「あれは素晴らしい美酒だからな」
「まったくだよ。あの酒を目の前でちらつかせたら、どんなに頑固なドワーフだって呆気なく陥落するだろうね」
「違いない。リリィが使う武器を蒸留酒と交換で打たせてみるか」
「ああ、それはいい。伝説の武器が手に入りそうだね」
なんだか物騒な会話に巻き込まれそうになって、リリは慌てて話題を変えた。
「りんごが丸ごと入ったお酒はどうでした?」
王様主催の夜会が少しでも盛り上がったのかどうか、気になっていたのだ。
ルチアは大仰な所作で優雅に一礼して、教えてくれた。
「特別な振る舞い酒として、グラス一杯のみ下賜されたよ。それはもう素晴らしく盛り上がったのは間違いない」
視覚的なインパクトを与えるために、瓶ごと会場に運ばせて披露したのは、さすが人心掌握に定評のある王族だと、くつりと喉を震わせて笑うルチア。
ちょっとだけ、やさぐれて見えるのは疲れているからだろう。
昨夜遅くに辺境の地に帰り着いたところなのだ。
申し訳ない気持ちで、リリはルチアをリビングに招いた。
「どうぞ。今日はルチアさまの慰労会です。日本のお菓子をたくさん用意していますので、楽しんでくださいね」
「おお……! 色とりどりで美しい菓子がたくさんあるね。ありがとう、レディリリィ」
ルチアのために大急ぎで、日本まで出向いて買ってきたスイーツだ。
侯爵家への手土産にしたのと同じ、タルトの有名店で購入した季節のフルーツタルトをテーブルいっぱいに並べてある。
「こちら、ルチアさまが気に入っていらしたシャインマスカットのタルトです」
「まるで宝石のように美しいね」
「味も美味しいんですよ?」
「こちらはいちごとピスタチオのレアチーズタルトケーキですわよ。ご覧になって。この、紅玉もかくやの華やかさ!」
クロエも一推しのフルーツタルトをルチアにおすすめしている。
ネージュはイチジクのタルト、セオはモンブランを選んでくれた。
ちなみにナイトは濃厚なチョコレートタルトを選んでくれた。
どれもホールサイズで購入して、一切れずつ味わう、なんとも贅沢なお茶会を楽しんだ。
タルトのお供は香り高い紅茶を。
それとは別に、ルーファスが用意したのはスイーツとの相性がいいシャンパンだ。
さっぱりとした口当たりで有名な甘口のシャンパンは、濃厚なデザートの邪魔をしない名脇役。
「どれも絶品だよ。ありがとう」
美味しいタルトケーキと紅茶、冷えたシャンパンを堪能しつつ、ルチアの武勇伝に耳を傾ける。
女性陣がもっとも興奮したのは、特注のマーメイドドレスを身に纏ったルチアのダンスシーンだ。
「私はこの通り、女性にしては体格が立派だろう? レディリリィが用立ててくれたヒールを履いたら、ダンスの相手になれるのが騎士しかいなくてね」
臨時のパートナーとして、引っ張り出されたのが、なんと屈強な騎士団長だとか。
三十半ばの年齢の強面な騎士団長と踊る、エルフの美女。
「想像するだけでも、うっとりしますね。とても迫力がありそうです」
「素敵ですわね! ぜひ、実物を拝みたかった……」
メイクと着付け担当としてルチアと共に王都に出張していたクロエだが、さすがに城には入れなかったのだ。
とても悔しそうにしているが、その気持ちはよく分かる。
「漫画で読んだのに、似てる。私も見たかった……」
お留守番組のネージュも残念そう。
最近、白黒姉妹は日本の少女漫画にハマっているのだ。
映画やアニメは仕事終わりの夜のひと時の楽しみにしていたが、本なら、この世界でも読める。
二人にねだられて、リリが選んだのは流行りの異世界恋愛もののコミックスだ。
いきなり学園ものを渡すよりも、ファンタジー風な物語の方が読みやすいだろうと考えたのだが、すっかり夢中になって読み耽っていた。
「男装の麗人な令嬢が、無骨な騎士団長とダンスを踊るシーンは神作画だったわ」
「ん、いつもは男の子みたいなのに、ドレスアップして化粧をしたら、美少女になって騎士団長がドキドキする」
うっとりする双子に、ルチアが苦笑する。
「残念ながら、そんな甘い空気はなかったなぁ。それよりも、王都の可憐なお花ちゃんたちと踊れたのが楽しかったよ」
「可憐なお花ちゃんたち……」
言うまでもなく、貴族のご令嬢、ご婦人方なのだろう。
女子校に通っていたリリは、こちらも想像がついた。
(ものすごーく、女性にもてていたんだろうな、ルチアさま……)
そこらの男より、よほど彼女の方が優しく、紳士的なのだ。
下心もない分、ご令嬢方は安心して身を委ねることができたはず。
(そして、ドレスアップしたルチアさまの美しさに殿方も気付いたことでしょう。彼女の機嫌を損ねると、美酒も手に入らないと知らしめることもできた)
日本で仕入れた果実酒や蒸留酒はルチアを介さないと入手は不可能。
一度でも、あの味を知ると、いつものワインでは物足りなくなるはず──
「レディリリィのおかげで懐は温まったし、良い縁を結ぶことができたからね。こちらこそ礼を言わせてほしいくらいだ」
王妃や侯爵夫人、公爵令嬢などの高貴なご婦人方も特別な化粧品を献上したことで懐柔しているのだ。
今や、すっかり時の人となったルチア辺境伯に表立って対抗する勢力はいない。
甘いミルクをお腹いっぱい飲んだ子猫のようにご機嫌なルチアに、リリはひとつだけおねだりをすることにした。
「ルチアさまに、協力していただきたいことがあるのですが……」
視線を向けると、心得たように頷いて、どこからか取り出したタロットカードをテーブルに置くクロエ。
「……ふむ? とても美しい絵だね」
物珍しそうに手に取って眺める、好奇心旺盛なエルフを見据えながら、リリは口を開いた。
「そのタロットカードを広めるお手伝いを、お願いしたいのです」
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