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9. 魔女になりました
しおりを挟むティータイムを満喫すると、自然と満ち足りたため息をこぼしていた。
何だか、途端に眠くなってくる。
「せっかくだから、外で日光浴を楽しもう」
曽祖父が愛用していたロッキングチェアを向こうの洋館の書斎から失敬してある。
リビングのソファに畳んでおかれていた膝掛けを手に取って、リリは家の外に出た。
魔法の家のすぐ手前。湖を眺めることのできる場所にアイテムバッグから取り出したロッキングチェアを設置する。
腰を下ろして、背もたれに身を任せた。
座り心地が良いのはさすがの高級品だと感心する。
「いい風」
初夏の風が優しくリリの栗色の髪を撫でていく。森林浴なんて初めてだが、とても気分がいい。
(この土地は安全だと、おばあさまの手帳には書かれていた。精霊の王さまに貰った、聖域って──……)
『聖域』とやらが何なのかは分からなかったが、安全な場所だと曾祖母が断言するなら問題はないはずだ。
睡魔に誘われるままリリは瞳を閉じた。
◆◇◆
物心がついた頃から、ずっと。
リリは身体の芯から冷え切っていたように思う。どれほど高熱に魘されていたとしても、腹の底は凍えるように冷たかった。
だから、身体中がぽかぽかと暖かくて心地よい今の状態が信じられなくて。
これは夢なのだと思った。もう目覚めたくないくらいに、とても幸せな夢。
「ん……」
身じろぎすると、膝の上の心地よい何かが動いた。柔らかくて、ぬくぬくとした幸せな重みをそっと抱き締めて。
「ん……?」
ようやく意識がはっきりしてきた。ぼんやりと目を開けて、何度か瞬きを繰り返す。
白樺の木々の隙間から覗く青空。視線を落とすと、澄んだ湖がある。
ああ、そうだ。ここは異世界の森の中だったと思い出す。
あれほど眠たかったのに、今は驚くほど頭がすっきりとしている。
こんなに目覚めが良いのは初めてのことだ。
やはり森林浴は体にいいものなのか。
ロッキングチェアに座ったまま伸びをすると、膝の上から「ニャッ」と迷惑そうな声がした。
「……ネコ?」
いつの間にか、膝の上に黒猫が横たわっている。ほっそりとした肢体の綺麗なネコだ。
美しい毛並みから、誰かの飼い猫なのだろうと思われた。
「貴方、迷子なの?」
『迷子はそっちじゃないの? どうしてニンゲンがこんな場所にいるんだ』
「えっ」
ニャア、と鳴いたはずの黒猫から二重音声のように人の声が聞こえた。
年若い少年のような、ちょっとだけ生意気そうな声音。
周囲には他に誰もいない。
リリはまじまじと膝の上の黒猫を見つめた。
「まさか、今の声、貴方なの?」
『もしかして、キミは翻訳スキル持ち? 聞きたいことがあったから、ちょうどいいや』
黒猫は片耳をピピっと揺らすと、リリの膝から飛び降りた。
「あっ……」
つい、残念そうな声を出してしまう。
膝に乗っている間に撫でておけば良かった。
『ここは大魔女シオンさまの聖域だぞ。只人が足を踏み入れて良い場所じゃない。どうやって侵入したんだ?』
きっ、と綺麗な青い目で睨まれてしまった。可愛い黒猫に嫌われるのは悲しい。
「そのシオンおばあさまから正式に遺産を譲渡された、曾孫のリリです。……もしかして、貴方はおばあさまの使い魔?」
首を傾げながら、そう自己紹介をすると、黒猫は目をまんまるにして驚いた。
『シオンさまの曾孫っ⁉︎』
◆◇◆
曾祖母の使い魔らしき黒猫を家に招待した。黒猫はこの魔法の家を懐かしそうに見上げると、おそるおそる足を踏み入れる。
『……弾かれずに、招かれた。本当にキミ、シオンさまの血族なんだな』
「血族じゃなかったら、弾かれるの?」
それは怖い。おそるおそる尋ねると、ふんと鼻先で笑われた。
『まず、正式な継承者以外はこの家に住むことはできない。で、家の持ち主が認めない相手は家に入れず、結界に弾かれるんだ。そんなことも知らないの?』
「残念ながら、少しずつ勉強中なの。生きている間におばあさまから直接聞けたら良かったのだけど」
ひゅっ、と黒猫が息を呑む。
ぺたりと耳を寝かせて、上目遣いでこちらを見上げた。なーぅ、と弱々しく鳴く。
『ねぇ、シオンさまの遺産と言ったよね? ということはシオンさまはもう……?』
「亡くなったわ。百十二歳、大往生よ。眠るように安らかに息を引き取った」
『そう』
ほっそりとした首を垂れて、哀悼の意を示す黒猫をリリは不思議な気持ちで見守った。
曾祖母の手帳には使い魔について書かれていた。黒い子猫の姿をしていて、とても愛らしい子なのだと。たしか、名前は──
「ナイト?」
『……どうしてボクの名前を知っているの』
「おばあさまの手帳に書いてあったの。自慢の使い魔だって。もし、貴方と会えたら伝えて欲しいって」
ありがとう、って。もう自由になっていいのよ。そう伝えて、魔女の使い魔から解放してあげて欲しいと頼まれていた。
『なんだよ、それ。別にボクは魔女の盟約に縛られてシオンさまのそばにいたわけじゃないぞ!』
尻尾をぱんぱんに膨らませて、黒猫のナイトが怒る。これが噂のやんのかポーズというやつか。思った以上に微笑ましくて、ついニヤけそうになるのをどうにか我慢した。
ツンデレ。そう、ツンデレというやつだ。
「おばあさまのことが好きだったのね」
『好きとかそういうんじゃなくて! だって大魔女だぞ? その筆頭使い魔なんだ、ボクは』
「うん、すごい子だったのね。おばあさまをずっと助けてくれたんでしょう? ありがとう」
ふすん、と鼻を鳴らして黙りこくる黒猫。
リリは少しだけ悩んで、そっと小皿を差し出した。中身は蜂蜜入りのホットミルク。
「ええと、ミルクティー用に持参したミルクなんだけど。飲める? ネコさんは牛乳はダメだと聞いたことがあるけれど、手帳には使い魔は何でも食べると書いていたし」
ニャア! とナイトが怒る。
『ボクはネコじゃないぞ! 誇り高きケットシーだ!』
ケットシー。本で読んだことがある。たしか、ネコの王さまだったか。
ならば、ホットミルクも大丈夫なはず。
笑顔で皿をナイトの前に置いて「どうぞ」と勧めると、渋々と舐め始めた。かわいい。
魔女と契約を結び、その膨大な魔力を糧に下働きをするのが使い魔らしい。
魔獣や魔物だけでなく、妖精や精霊なども魔女は使役できるという。
「魔女ってすごい存在なのね」
『なんで他人事みたいに言うの。キミだって魔女じゃないか』
「私が魔女? まさか」
『? 魔女だよ。だって魔力を感じるもの。シオンさまには敵わないけど、ニンゲンのくせにエルフなみの魔力がある』
黒猫に指摘されたリリは慌てて自身を鑑定してみた。
〈ステータス〉
海堂凛々(19)
レベル1
HP 100/100
MP 21000/30000
力 3→30
防御 3→30
素早さ 5→50
器用さ 75
頭脳 100
運 100
スキル【鑑定】【翻訳】
魔法 【生活魔法】
装備 【身体強化のネックレス】
【雷撃の指輪】
【結界のブローチ】
称号 【大魔女シオンの愛し子】
【魔女見習い】
「魔力が回復してる……たった数時間で? それにこの称号」
おまけのように付け足された【魔女見習い】とはいったい。
『魔法が使えたら、立派な魔女だよ。キミ、そんなことも知らないの? 何だか心配だな……。シオンさまの曾孫だし、仕方ないからボクがしばらく魔法について教えてあげるよ』
「一緒にいてくれるの?」
『キミが立派な魔女に成長するまではね』
ツン、と顎を上げて言い放つ黒猫の騎士の口の周りはミルクで真っ白に染まっていた。
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