【書籍化】魔法のトランクと異世界暮らし〜魔女見習いの自由気ままな移住生活〜

猫野美羽

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19. 鹿肉のロティ

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 聞き取りはランチの合間にすることにして、電子レンジでエビピラフを温める。
 ポットでお湯を沸かして、インスタントスープも出そう。ビタミン不足が心配なので、今日は野菜サラダも用意する。
 レタスにオニオンスライス、ベビーリーフにミニトマト。砕いたナッツを散らして、柑橘系のドレッシングを添えてみる。

「これだけだと、魔力不足になっちゃうので。昨日の残りのワイルドディアでロティを作ろうかな」

 鹿肉のロティは伯母の好物なので、レシピを覚えていたのだ。
 肩ロースのブロック肉に塩と黒胡椒を揉み込み、すりおろしたガーリックも馴染ませておく。
 温めたフライパンにバターを落として、下味を施しておいたブロック肉を焼いた。
 ジュワッといい音が弾ける。焦げたバターの香ばしい匂いは食欲をそそった。
 溶けたバターをスプーンですくって、肉に回しかけながら焼いていく。

「綺麗な焼き色が付いたら、次はオーブンで焼くわよ」
『いい匂い! ボクも手伝うよ』

 黒猫のナイトがぴんと尻尾を立てると、焼いた肉が浮かび上がり、オーブンの天板に移動する。

「すごい。これは、浮遊魔法?」
『無属性魔法だけど、ケットシーのボクには便利なんだ』
「なるほど、確かに便利そう。きっと、この魔法で私を寝室まで運んでくれたのよね? ありがとう、ナイト」
『どういたしまして』

 涼しい表情で礼を受け取る黒猫の姿はとても凛々しくて──身悶えしたくなるほどに愛らしかった。

『あとはオーブンで焼くだけ?』
「お肉はね。ソースは別で作っちゃいましょう」

 車を取りに日本に戻った際に、ネットでレシピを調べておいたのだ。
 フライパンに残った肉汁を使い、ナイト好みのベリーソースを作る予定。
 ストレージバングルからベリーを取り出すと、途端にナイトの空色の瞳がキラキラと輝き出す。

「味見はよろしく、師匠」
『任せて!』


◆◇◆


 鹿肉のロティをリリが食べるのは初めてだった。伯母の好物なため、海堂家の食卓には何度か並んだことがあったけれど、当時のリリは魔力が枯渇しており、弱りきった胃腸が肉類を受け付けなかったのだ。
 だが、伯父一家が皆、絶賛していた鹿肉料理なので、いつか味わってみたかった。
 満を持しての、ランチである。
 ドキドキしながら鹿肉のロティにナイフを入れると、美味しそうな赤身が覗く。

(焼き加減はちょうど良さそうね)

 溢れる肉汁とベリーソースの香りが混じり、自然と喉が鳴っていた。
 一口サイズにカットして、慎重に口元に運ぶ。

「……やわらかい」
『すごーく美味しいよ、リリ! ワイルドディア肉がこんなに上等な味がするなんてビックリだ』

 鹿肉は脂質が少なく、良質な赤身肉だが、その分、肉は硬く引き締まっている。
 だから、このロティの柔らかさにナイトは驚いたのだろう。
 リリもしっとりとしたお肉の美味しさに素直に驚いていた。

「バターで肉の表面を覆ったからかしら? 肉汁を閉じ込めて、しっとり柔らかくジューシーに仕上がったのかも」

 それと、間違いなく魔素を含んでいることによる旨味の相乗効果もあるだろう。
 とても美味しくて、満足だ。
 エビピラフやスープ、野菜サラダももちろん美味しいけれど、肉の味が強すぎる。

「ベリーのソースもとっても美味しいわ。素敵な食べ方を教えてくれてありがとう」
『聖域のベリーは特別だからね。でも、リリが作ってくれたソースが一番美味しかったよ』
「ほんと? ふふ、嬉しい」

 きっと材料に使った醤油とみりん、白ワインにハチミツのおかげだと思う。
 ともあれ、美味しいランチを堪能できたので、ふたりとも満ち足りた表情で食後のお茶を楽しんだ。
 ワイルドディア肉のロティは大きな塊肉を使ったので、まだ半分以上残っている。
 これは夕食に楽しもう、とストレージバングルに収納した。

『そういえば、何か聞きたいことがあるって言っていなかった?』

 ナイトが小首を傾げながら切り出してくれて、すっかり忘れていたことを思い出す。

「そう! このキャンピングカーが改造されているって言っていたけれど、本当?」
『本当だよ。多分、シオンさまが色々と手を加えたんだと思う。この薄くて持ち歩けるのは魔道コンロだし、お湯を作ったコレも魔道具だ』
「……えっ」

 リリの目には普通の家電にしか見えないが、どれも動力源が魔石の魔道具らしい。
 慌ててポットやIH卓上コンロをひっくり返してみて、コンセントがないことに気付いた。

「おばあさま、多才すぎる……」

 ナイトが確認したところ、キッチンのほとんどが魔道具と置き換わっていたようだ。
 水道に冷蔵庫、オーブン付き電子レンジ。更にエアコンまで魔石で動く仕様となっていた。
 呆然と周囲を見渡していたリリだが、はっと我にかえる。

「まさか、車も⁉︎」
『もちろん。特大の魔石を使ってあるね。多分、ワイバーンの魔石だね、これ』
「ワイバーン……」

 ファンタジー系のアニメで見た覚えがある。ドラゴンもどきのモンスターだ。

「まさか、このキャンピングカーがワイバーンを動力源にしているとは……」

 ガソリンの補充が不要になったのはありがたいけれど。

『シオンさまは、この動く家みたいな車をリリのために、こっちの世界で使いやすいようにしてくれたんだね』

 しみじみとナイトが口にした内容に、リリは胸が暖かくなるのを感じた。
 私のためにシオンおばあさまが手掛けてくれた──その気持ちがとても嬉しい。
 
『食事のお礼に、後片付けはボクがするよ』
「ありがとう。助かるわ」

 食器やフライパンを洗うのは、生活魔法の【洗浄ウォッシュ】を使うので、一瞬で綺麗になる。
 まだ魔力が不安定なリリにとっては、ナイトのお手伝いはありがたかった。
 汚れが落ちた皿やフライパンをアイテムバッグに収納していると、ふいにナイトが顔を上げた。
 真顔で窓から空を睨み付ける様子に、戸惑いを隠せない。

(こんなにピリピリした空気を纏ったナイトは初めて見る)

 いったい何があったのか。

「ナイト……?」

 おそるおそる声を掛けると、気付いた黒猫がはぁーっとため息を吐いた。

『大丈夫。危害を加えてくるような相手ではないよ。ただ、鬱陶しいだけだから』
「なんのこと?」
『招かれざる客がここを目掛けて飛んでくる……あ、もう来ちゃったか』

 ドン! と空気の圧のようなものが、背後から襲ってきた。

「……ッ⁉︎」

 なに、と慌てて振り返って。
 リリはその姿勢のまま固まった。
 運転席の窓からこちらを覗き込んでくる、大きな黄金色の双眸。
 赤い鱗に覆われた巨体を縮こませるようにしたドラゴンが、まっすぐにリリを睨み付けていたのである。
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