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20. ドラゴン
しおりを挟む赤い鱗のドラゴンが車の窓越しにこちらを睨み付けている。
キャブコン三台分はありそうな巨体だ。
黄金色の瞳は爬虫類らしく、黒目の部分が縦に細くなっている。昼間のネコみたいだ。
人でいうところの白目の部分が綺麗な金色で、鉱物のような不思議な質感がある。
神秘的で、とても美しい目だった。
どうしてだが、そのドラゴンのことをリリは怖いとは思えなかった。
ナイトがあまり警戒していないからかもしれない。彼は怯えた様子もなく──むしろ、どこかうんざりした表情で嘆息した。
『リリが怯えるだろ。車から離れてよ、ルーファス』
ドラゴンはぴくりと肩を揺らすと、不思議そうにリリを見て、それからゆっくりと身を起こした。
そろりそろりとキャンピングカーから離れてくれたので、圧迫感から解放されたリリはほっと安堵の息を吐く。
『ごめんね、リリ。面倒だけど、ちょっとだけ話をつけてくる』
身軽くソファから飛び降りると、ナイトは器用にドアを開けた。
大魔女シオンの筆頭使い魔である彼には車のドアを開けるなんて簡単なのだ。
なんとなく、その後を追ってリリも外に出てみた。
白状しよう。ドラゴンに興味があったのだ。
だって物語や伝承の類でしかないはずのドラゴンが実在しているなんて!
しかも、どうやらちゃんと話が通じる方のドラゴンらしい。
ナイトとも顔見知りらしいし、害される恐れはなさそうだったので、キャンピングカーから降りてドラゴンを見上げた。
ドラゴンはなぜかリリを目にして、動揺している。
そわそわと落ち着きなく視線を揺らしていたため、ナイトに一喝された。
『落ち着きなよ、鬱陶しい!』
フーッ! と小さな黒猫に唸られて、ドラゴンは悄然と頭を垂れた。
ぐるる…と小さく喉を鳴らして、ナイトに謝っているようだ。
『で、何の用? キミ、もうずっと向こうの大陸の火山で眠りについていたはずだろ』
ナイトの詰問に、ドラゴンはそろりと頭を上げた。金色の瞳がこちらに向けられる。
「……え、わたし?」
思わず自分を指差して聞いてしまった。
こくこくと小刻みに頷くドラゴン。
どういうことだろう。ドラゴンの知り合いはいないはずなのだけれど。
戸惑うリリを一瞥して、ナイトがため息を吐いた。
『どうせキミのことだ。シオンさまの魔力を感じて、大慌てで飛んできたんだろ』
「ぐるる……」
『で、いたのがシオンさまじゃなくて、リリだったから、どうしようって固まっていたんだろ』
「ぐうぅぅ」
『はぁ……まったく。仕方ないなぁ』
口は悪いけれど、ナイトの表情は優しい。
ドラゴンのそばへ歩み寄ると、その硬い鱗にごつん、と頭をぶつけた。
『シオンさまは向こうの世界で亡くなったそうだよ。いや、魔力過多症に苦しんで死んだわけじゃない。眠るように、その命を終えたんだって。大切なひとたちに見守られて』
ドラゴンは言葉もなく立ち尽くしていた。愕然と、呆然と。
表情なんて分からないはずなのに、そのドラゴンが心から悲しんでいることは何となくリリにも伝わってきた。
気が付けば、リリもドラゴンのそばへ寄り添って、その艶々の鱗をそっと撫でていた。
「本当ですよ? シオンおばあさまの最期には苦しみの表情は見えませんでした。おじいさま、伯父さま、伯母さま、曾孫の従兄と私たちで看取りました。大往生です。だから……」
ほとほと、と。
大粒の水滴が頭上から降ってくる。
見上げた先にあるドラゴンの綺麗な黄金色の瞳から流れ落ちる涙を、リリは感謝の気持ちで見上げた。
「だから、泣かないで。おばあさまは皆に愛されて、とっても幸せだって言っていた。お友達もたくさんいたって聞いたわ。きっと、貴方のことね」
ぐるるぁぁ、と大きなネコのように喉を鳴らすドラゴンの鼻先を、そっと爪先立って撫でてやる。
(ドラゴンも泣くのね。こんなに立派で神秘的な生き物なのに)
ほとほとと大粒の涙で地面を濡らすドラゴンに、黒猫と少女はそっと寄り添った。
◆◇◆
三十分ほど、そうしていただろうか。
ようやくドラゴンが泣き止んでくれたので、リリは一歩後ろに下がった。
あらためてドラゴンの全身を視界におさめて、その格好良さに感動する。
「大きいね。翼も立派。鱗はすべすべのピカピカで眩しいくらい」
「グゥルル?」
「なぁに?」
『お前は俺が怖くないのか、だってさ』
ナイトが通訳してくれる。
【翻訳】スキルはさすがにドラゴンの言葉は同時通訳してくれないようだ。
まじまじと眺められながら「怖くないのか」と聞かれたリリは小首を傾げた。
「綺麗だなぁ、とは思いましたけど、怖いとは思いませんでした」
「グルッ⁉︎」
驚かれてしまった。
黒猫のナイトも呆れたようにこちらを見てくる。
『キミはもう少し、危機感を覚えた方がいいとボクは思うな』
「むぅ。だって、ナイトが平気な表情をしていたから、大丈夫な相手だと思ったもの」
ドラゴンの金色の瞳を見据えて、リリは微笑んでみせた。
「実際、大丈夫だったでしょう? 他のドラゴンさんは知らないけれど、貴方はおばあさまを偲んでくれる、とても優しいドラゴンさんだわ」
優しくて泣き虫なドラゴンをちょっとだけ可愛いと思っているのは内緒だ。
照れたように首を後ろ足で掻いている姿が、やはり大きなネコに見える。かわいい。
によによ笑うリリの様子から内心を察したナイトがやれやれと肩を落とす。
疲れたような声音でドラゴンにこう提案した。
『ねぇ、ずっと見上げているとボクもリリも首が痛いんだ。もっと小さくなってよ』
ドラゴンは素直に首肯した。
ばさり、と大きな両翼をはためかせると、周囲に砂埃が舞う。
「んっ」
ぎゅっと目を瞑ってやり過ごして、静かになったのでそっと顔を上げてみた。
「……これでいいか? 人型を取るのは久しぶりで自信がない」
ドラゴンがいたはずの場所には、長身で立派な体格をした赤毛の男性が立っていた。
ナイトがその男の周辺をぐるりと一周してチェックしている。
『尻尾が邪魔だね。ニンゲンに尻尾はない』
「おお、そうだったな」
男が背後を見下ろして、鷹揚に頷いている。ナイトが指摘した通りに、立派な尻尾が揺れていた。
「しっぽ……」
赤毛の男が何事かを呟くと、尻尾は姿を消した。
(ということは、やはりこの人はさっきのドラゴンが変身した姿なのね)
身長はおそらく2メートル近くある。
隣に並ぶと五十センチ近くはある身長差がちょっとだけ恨めしい。
鍛え上げられた筋肉なのが着衣の上からでもよく分かった。それが盛り上がった「見せる」ための筋肉と違い、実用的に「使える」筋肉であることも。
服装は乗馬服に似たデザインのスーツ姿。白いシャツはカフスで袖を留めており、襟元にはクラバット。シャツの上には漆黒色のウェストコートを着用している。
服装だけ見ると、貴族階級かと思われるほどに立派だったけれど、その中身も見事な美丈夫だ。
ドラゴンであった時の鱗の色とそっくりな、艶のある赤毛と黄金色の瞳をしたドラゴンは迫力のある美貌の持ち主だった。
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