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47. クロエとネージュ
しおりを挟む三本脚の鴉の幻獣が産み落とした、巨大な卵から生まれたのがクロエとネージュだ。
母であり、父でもある幻獣は殻を破った二羽のヒナを目にするなり、失望したようだ。
分身を産み出すつもりが、二羽とも平凡な二本脚だったからだ。
しかも、片割れは長く生きられそうもない、純白の子。
幻獣はあっさりと二羽を見捨てて飛び去った。
普通の鴉ならば、おそらくはすぐに命を落としていたことだろう。
そこは幻獣のヒナ。生まれつき、そこらの魔獣より強い魔力を持っていたため、どうにか生きのびることができた。
二羽は強い絆で結ばれており、互いだけを信頼して生きてきた。
親に疎まれ、捨てられたために猜疑心は強く、周り全てを敵だと認識していた彼女たちは気が付けば、死の天使だと忌み嫌われており──冒険者ギルドに討伐依頼が出されたのだ。
命知らずの冒険者たちに挑まれたが、どれも返り討ちにして高笑いしていた。
だけど、しばらくして現れたエルフによって、彼女たちのプライドは叩き壊された。
手も足も出なかった。
自慢の魔法を、まるで子供をあやすかのように軽くいなされ、徹底的に叩きのめされて。
ボロボロになった二羽を、その憎きエルフは麗しい笑顔で見下ろしてこう言ったのだ。
『貴女たち、とても綺麗な子ね。気に入ったわ。私の使い魔になりなさい』
大魔女シオンの言霊は二羽の魂を縛り、彼女たちは使い魔に堕とされた。
後日、シオンは「あれは勧誘だった」と言い張っていたが、あれはどう考えても「命令」だったとクロエは思う。
ともあれ、最初の出会いは最悪だったけれど、使い魔になった二羽と主であるシオンの仲は良好だった。
使い魔の筆頭は、黒猫ナイト。
猫のくせに自分たちよりも上だなんて面白くない。
ちょっかいを掛けたクロエとネージュはその黒猫に圧倒的な力でもってねじ伏せられた。
屈辱だ。だが、魔獣の世界では力こそがすべて。以降は渋々とだが、黒猫を認めて従うようになった。
恭順を示すと、意外にも黒猫は面倒見が良かった。
あれほど恐ろしく感じた大魔女も、まるで家族のように自分たちを可愛がってくれた。
クロエとネージュという名を付けてくれたのもシオンだ。
その艶やかな羽毛の色から連想した名前なのよ。そう言って、自慢の羽を優しく撫でてくれた。
親から与えられなかった愛情を代わりに浴びるほどくれた、大切な主。
死の天使と恐れられたクロエとネージュはもういない。
自分たちは大魔女シオンの使い魔である黒白の鴉だ。それをとても誇りに思った。
大魔女のもとで使い魔として働きながら研鑽し、やがては自分たちを捨てた幻獣を圧倒するほどに強くなった頃、突然の別れを経験する。
シオンが病に罹ったのだ。
魔力過多症。
永遠に近い寿命を持つハイエルフが幾人も命を落とした、不治の病だ。
シオンはエルフだが、膨大な魔力を誇った大魔女であり、ハイエルフの血が濃かったのだろう。
この世界には魔素が溢れており、生きているだけで彼女の命を削った。
死を得るまで苦しみのたうつだけの生を厭い、シオンが下した決断は異世界への転移。
普通の転移魔法とは、文字通り次元が違う。だが、彼女はその大偉業を成し遂げたのだ。
シオンが姿を消して、クロエとネージュは心を閉ざした。
彼女がいない世界に未練などない。
故郷の森に戻り、闇の結界を張って深い眠りについた。
このまま命を落としてもいい。
シオンがいない世界なんて、生きていても意味などないのだ。
そう考えて眠りについた彼女たちを、あろうことか叩き起こす輩がいた。
八つ裂きにしてやろうと目覚めた二羽の前にいたのは、懐かしい仲間。
大魔女シオンの使い魔たちの筆頭。黒猫のナイトだった。
『シオンさまの曾孫がこの世界で暮らすことになった』
目が覚めるなり、そんなとんでもない発言をするものだから、しばらく馬鹿みたいに呆けてしまった。
『シオンさまが帰ってきたの⁉︎』
『会いたい……!』
だけど、黒猫は耳を寝かせて視線を落とした。それで、彼女はもう生きていないことを悟ってしまった。
『……でも、シオンさまの血族がいるのね?』
『うん。リリっていう、小さくてか弱い女の子だ。魔力枯渇病で、この世界でしか生きられないから、世界を越えて移住してきた』
『驚いた。シオンさまと真逆の病じゃない』
『ふふ。ボクも驚いた。シオンさまとは全然似ていないけど、いい子なんだ』
深い蒼の瞳がじっとこちらを見据えてくる。ネージュはおろおろと戸惑っており、役に立ちそうにない。
クロエはふぅ、と息を吐いた。
『分かったわ。その子を助けてあげればいいのね?』
『! いいの?』
『だって、シオンさまの大切な子なんでしょう? ならば、少しの間、面倒を見てあげるわ』
『……わたしも助ける』
人見知りのネージュが珍しくも名乗りをあげたことにクロエは驚いた。
『大丈夫なの、ネージュ。無理をしていない?』
『平気……じゃないかもしれないけど。わたしもシオンさまの曾孫を見てみたい』
『ふ、ふふ。そうね。会ってみたいわ。あのシオンさまが結婚するなんてね!』
種族を越えて、幾人もの男たちに求婚されていたシオン。中には英雄クラスのこれは、という良い男もいたのだが、彼女はすべてを断った。
自分よりも弱いオトコに興味はないの。そう嘯いて。
大魔女シオンより強いオトコなんて、この世界にいるわけがない。
唯一いるとすれば、シオンとパーティを組んでいた、あの赤毛のドラゴンくらいか。
だが、二人は恋人というよりも親友、唯一無二の相棒という形を選んでいたので、使い魔たちは彼女の子供を見ることはないと諦めていたのだが──
『どんな子なのかしら?』
『ん、たのしみ……』
真紅の瞳を細めて、微笑むネージュ。片割れのこんな表情を目にするのは初めてだ。
クロエは自慢の漆黒の翼をはためかせて、ナイトを見上げた。
『筆頭使い魔ナイトの招集に応じるわ。大魔女シオンの曾孫と会ってみたいから』
◆◇◆
そうして、二羽はナイトに連れられて、ジェイドの街へ赴いた。
途中、使い魔仲間のキツネと合流して、懐かしい魔法のトランクの家へと。
その家の今の持ち主である少女に、筆頭使い魔の黒猫がぴょんと飛びついている。
いつも、つんとすました顔をしていたナイトが、普通の飼い猫のようにデレデレと甘えている姿を目にして、二羽と一匹は我が目を疑った。
少女はこちらに気付くと、優しく微笑みかけてくれた。
「私の名前はリリ。貴方たちが仕えていた大魔女シオンの曾孫なの。よろしくね?」
ナイトが言っていた通りに、小さくて細くて、弱々しい女の子だった。
成人していると聞いていたが、どう見ても子供だ。
ほっそりとして華奢な肢体に美しい服を纏った少女は繊細に整った容貌をしている。
(豪奢な美貌の持ち主だったシオンさまとは似ていないわね。でも……)
柔らかなハニーブロンドと翡翠色の瞳はそっくりだ。未だ不安定ながら、身に纏う魔力もシオンのものとよく似ている。
(ああ、ここにいるのね、シオンさま)
命を落としても、繋がれた血が。
二度と会うことが叶わないと諦めていた彼女の血族とこうしてめぐり逢えたのは奇跡に等しい。
嬉しさのあまり、クロエとネージュは出遅れてしまった。
要領の良いキツネが颯爽と彼女に挨拶に向かい、その毛並みを褒められている。
呆然としていると、こちらに気付いたキツネが琥珀色の瞳を細めてニヤリと笑った。
クロエはカッと頭に血が昇るのが分かった。思わず、「どきなさい!」と喚いて、割って入ってしまう。
リリは突然、カラスに懐かれて驚いていたが、満更でもなかったようで。
くすりと笑いながら、彼女の自慢の羽を褒めてくれた。
人見知りのネージュもおずおずと寄ってきて、リリの腕に止まっている。
(いい子ね。シオンさまと同じ色だわ)
(…うん……すごく、やさしい。でも、すごくすごく弱そう……)
心配そうにネージュが言う。怖がりの彼女にさえ庇護欲を感じさせるリリを前に、クロエはあらためて決意する。
(シオンさまの曾孫、リリさまを私たちで守りましょう)
(ん。守る。リリさまを傷付けるものはすべて八つ裂きにする)
物騒な誓いの言葉に、黒猫はやれやれとため息を吐いているが、そんな事態に陥ったら、この筆頭使い魔は率先して不埒な輩を細切れにするに決まっている。
キツネもリリが気に入ったようで、あざとく甘えていた。負けてはいられない。
そうして、一目で気に入った主人の曾孫を助けるために、クロエとネージュは雑貨店で働くことを決めたのだった。
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